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不治の精神病者はガス室へ『夜と霧の隅で』

 きっかけはこのツイート。

 北杜夫といえば『どくとるマンボウ』や『楡家の人びと』しか読んでいなかったが、こんな重い話を書いていたなんて。しかも、これで芥川賞を受賞していたなんて。hanpozenshinさん、ありがとうございます。

 そして、読んだら頭を殴られた。これは、治る見込みのない精神病患者を「無益な人間」として安楽死(本文では安死術)させる話。知能に障碍を持つ子どもが次々とバスに乗せられる冒頭は、映画そのもの。どこか空想上のディストピアではなく、第二次大戦時のドイツだ。ナチスは「遺伝病子孫防止法」を1933年に制定し、一年間で5万6千を超える遺伝性精神病者の断種手術を遂行する。

 国家による精神病者の安楽死、正気の沙汰とは思えないが、(当時の)科学的に正しいという名のもとに行われていたという。V.E.フランクル『夜と霧』[レビュー]にこうある。ブッヒェンワルト収容所の章だ。『夜と霧』の初版が出たのが1956年なので、冒頭のシーンはここに想を得たのかも。

リムブルクから約八キロのハダマールの小さな町に……ここ数ヵ月、安楽死を組織的に遂行している機関があります。週に数回、このためにかなりの犠牲者を乗せたバスがハダマールに到着しますが、田舎の小学生はこの車の事を知っていて「また殺人箱がやって来た」と申します。

 静謐な文体で淡々と描かれる狂気は、生真面目さを通り越して一種の黒いユーモアさえ感じられる。ナチスから患者を守ろうとする医師が主人公なのだが、彼がやっていることは「正しい」ことなの? と読み手に疑義を抱かせるような書きっぷりが興味深い。

 なぜなら、よかれと思ってやる医師の行動が、次第に常軌を逸してくるから。そのまま穏やかな治療を続けるならば「治る見込みなし」としてガス室に送られてしまう。ならば一か八かの賭けに出て、思い切った施術で患者を救おうとする。電気ショック療法や頚動脈注射、ロボトミーまがいの不慣れな開頭手術を強行し、陰惨な結果を引き起こす。「科学的に正しい」という確信のもとに、患者を「救うため」、結果的に強制収容所での人体実験と変わらないようなことになる。

 次々と失敗する「治療」の中で、ほとんど唯一といっていいほど上手くいっている患者がいる。ユダヤ人の妻をめとった日本人で、彼の不安定な内面を詳細に描くことで読み手に気を持たせ、物語の駆動力とさせている。この日本人といい、医師といい、狂気の中で正気を見分けるのは難しいことを痛感させられる。

 Wikipediaの[ニーメラーの言葉]にも「不治の病の患者」があった。ここに引いておく。

 ニーメラーの言葉

 ナチスが共産主義者を攻撃したとき、私は声をあげなかった
 私は共産主義者ではなかったから

 彼らが不治の患者を攻撃したとき、私は声をあげなかった
 私は不治の病の患者ではなかったから

 彼らがユダヤ人たちを攻撃したとき、私は声をあげなかった
 私はユダヤ人ではなかったから

 そして、彼らが私を攻撃したとき
 私のために声をあげる者は、誰一人残っていなかった

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