2007年10月20日 14:30 [Edit]
まずは議論[に]しよう - 書評 - 議論のルールブック
というわけで、早速入手。
初出2007.10.19
追記2007.10.20:新潮社後藤さんより本日献本到着。ありがとうございます。久しぶりにだぶってしまった
昨年「たけくまメモ」で紹介した、岩田宗之(iwatam)さんの傑作コンテンツ「議論のしかた」が、徹底改稿を経て『議論のルールブック』として新潮社から本になりました!
本書「議論のルールブック」は、「Webのロングセラー」、
を大幅加筆訂正して一冊に仕上げたもの。
目次 - 岩田宗之『議論のルールブック』|新潮社より- 議論の破壊者たち
- 感情論に振り回されない
感情論とは何か / 言葉は伝わらなくて当たり前 / 感情論を避けるための原則
- インチキ理論を振り回す人たち
インチキ理論にはパターンがある / インチキ理論のパターン / 科学絶対主義の問題 / インチキ理論への対処法
- 冷笑主義者にご用心
冷笑主義にもパターンがある / 冷笑主義者のパターン / 現代のソフィストに注意 / 冷笑主義者への対処法
- 匿名という問題
匿名の種類 / 不特定多数を相手にするということ / 相手が特定できないということ / 匿名だとなぜ言葉が汚くなるのか / 「教えて君」の問題 / 相手との距離の取り方 / ブログ炎上のメカニズム / 匿名問題の背後にあるもの
- 感情論に振り回されない
- そもそも議論とは何か
- 議論の定義
なぜ議論は炎上するのか / 議論とは「話を聞くこと」である / 議論で得られるものは「違う視点」である / 議論の形態 / 議論に勝ち負けはない
- 客観性とは何か
「客観的」とはどういうことか / 正しいことと納得できること / 「やってみなければ分からない」わけではない / 結果より過程 / 「仮説と検証」の意味 / 議論とは反証探しの繰り返し / オッカムの剃刀 / 検証の代償とは / 「公理」とは何か / 客観性の意味
- 正しさの相対性
「正しさ問題」を考える / 「正しさ」に関する問い / 答えのタイプ / メタ議論 / 正しい答えとは
- 意見とは何か
主観的な事実認識の意味 / 主観的な意見とは / 主観的な正しさ / 自分の意見には自信を持つべき / 相手の立場に立つ / 主観の普遍性について / 評価と価値観 / 主観的な議論の結論 / 意見を主張する意義
- 議論の定義
- 発言の自由とは何か
議論の場では何でも言える / 自由とは何か / 「発言の責任」とは何か / 議論の「ルール」とは何か / 「無視」は悪いことか
- 謝罪とは何か
- 謝罪要求に意味はあるか / 謝罪教唆は許されるか / 発言の削除とは何か / 自由と自己批判
読んでまず感心するのが、そのフォーマット。本書は以下のフォーマットを全面的に採用している。
P. 25- 表題
感情論を避けるための原則(5)分からなければ聞いてみる
- 例題
A 「私はそんなことは言っていません。私の発言を意図的に曲解しないでください。」
B 「では、あなたはどんなことを言っているのですか?」 - 議論
Bさんのように「分からなければ聞いてみる」というのは、簡単でしかも応用の利くやり方です。議論がこじれたり重大なトラブルを招いたりするのを避けるために、この方法を使ってみてください。
これは実にわかりやすい。論文からプレゼンまで、ノンフィクションにおけるフォーマットでは、まず--可能なら表題レベルで結論を述べ、次にその理由を議論し、例題はその議論の中で取り上げることが多いのだが、これはそもそも議論というプロトコルが成立している状態では簡潔かつ有効でも、まだ「議論」に入っていない「通りすがり」には路傍の石と同じである。ところが本書では、あえて例題を表題の次という「一等地」に置く事で、「通りすがり」に対して上手に議論への参加を促している。
このフォーマット、実に応用が利く。上手な語り手は結構無意識的にこれをやっているのだが、本書のほど徹底的かつ明示的に採用したものも珍しい。これは是非盗ませてもらう事にしよう。
そして表題-例題-議論というサイクルは、本書では項目のレベルにとどまらず章レベルにも及んでおり、それ故「議論のルールブック」という本書の表題に対して第一章ではあえて議論とは何かを定義せず、先に「議論になっていない」事例とそのちょっとした対策を取り上げている。
そこまで言えば、もう本書の「キモ」がどこにあるかはおわかりだろう。「議論とは何か」を定義した第二章だ。
著者は、そこで「議論とは何か」をこう定義する。
P. 91議論では、とかく自分の主張を通すことを最優先に考えてしまう人がいます。それは間違いです。本来、議論では相手の話を聞くことが最優先で、それに比べれば自分の主張はあまり重要ではありません。
そう。実は我々の多くが「議論」だと思っていたものの多くは、著者の定義に照らせばそれ以外の何かなのである。方やサッカーをやっているつもりだったのに、方やバトルロワイヤルをやっていているのでは試合になり得ないのと同じである。そうして見ると、破綻した議論の多くは、「ダメな議論」というよりは、「議論の非議論化」であることに気づく。
著者はさらに、サッカーに対してフットサルがあるように、議論という「大ゲーム」もまたいくつかの「小ゲーム」にわけられることを指摘する。
P. 104
誰が 何をするか *討論 観客が 意見を聞く・結論を決める *議決 発言者が 結論を決める *対話 発言者が 意見を聞く
よって「朝生」のような討論が「議論になっていない」というのは、間違いで、あれは「討論」なのだからそれでいいということになる。二度出演した経験に照らし合わせてると禿同せざるを得ない。
今自分がなんという名のゲームをプレイしているのかを知るのは、これほど重要なのである。よって議論がこじれたら、まず自分は別のゲームをはじめてしまっているのではないかをチェックすればよい。本書は議論のルールブックであるにとどまらず、議論のチェックシートともなっている。
括弧付きの「議論」ではなく、本当の議論をしたい人には必携の一冊であると言えるだろう。
それを踏まえた上で、著者に一つ問いたいのは、それでは我々に必要なのは議論だけなのか、ということ。
P. 205私がこの本をまとめるきっかけとなったのは、ここ数年で、インターネット上の掲示板の雰囲気がガラリと変わったように感じたことです。PCと通信回線を使って見知らぬ人と文章をやりとりする仕組みは二十年以上前からありました。しかし、それでもなお、今のインターネット掲示板よりはずっと有意義な意見交換が行われていたように思います。
この「有意義」という奴が私には引っかかるのですよ。
我々が人と語るのに、果たして意義を求める割合がどれほどあるのか、ということ。オンライン・オフラインを問わず人と人が語り合う場に、誰もが意義を求めて参加しているのかといえば、それは違うと私は思う。むしろ「意義なき場に意味なし」という機会こそ少数派ではないかと私は考えている。そして意義が欲しければ、そういう場はすでにいくらでもあるのだ。
著者は、議論でなくてもよいものにまで議論を求めているのではないか。それを私は強く感じたのだ。
それをここで議論するのは、書評の枠を超えてしまうので後日別entryをあてることにするが、本書の一番の意義は、曖昧模糊としがちな「議論とは何か」に明快な定義を与えたことにある。議論はみんなのためにある。そのことをみんなが知るためにも、本書の内容はみんなが心得ておく必要がある。本書がなくてもそれを心得ている人も少なくないし、本書を買わなくても本書が提供している意義は上記の著者のページからも得ることはできる。しかし片手に乗る新書ほどコストパフォーマンスがいい読み方もそうはない。Webページはただでも、閲覧には手間暇がかかる。新潮新書標準価格、680円(税込み714円)というのは、手間暇の節約代としては十二分に納得がいくものだ。新書というより会議室に常備する文房具のように使いたい一冊だ。
Dan the Discusser
追記:
論争に絶対負けない議論ハック(心構え編) - 女教師ブログ小飼弾には、ぜひレビューを書いて頂きたいと思いますので何卒よろしくお願いします。
1 entry割くには昨今は肉体拘束がキツいので、この記事からのTBをもってレビューに代えさせていただきます。
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ブログの記事を書くべきなんでしょうね。
だから私のブログには誰も来ない、、、