文部科学省が、小6と中3の全員を対象にした全国学力調査の結果を公表した。

 本来は例年どおり8月末には数字がまとまるはずだった。ところが、中3の採点を担当した業者の集計ミスが直前になってわかり、延期されていた。

 教育委員会や学校が待ちぼうけを食わされた――という、単純な話ではない。

 調査の目的は、教育施策を検証し、指導の充実や学習の改善にいかすことにある。それが動きだすのが1カ月遅れた。子どもたちの学びにも、それだけ影響が出たことになる。

 業者はもちろん、作業を委託した文科省も責任が問われる。再発防止策の検討が必要だ。

 文科省は今回の発表で、都道府県別の一覧表での表示方法を改めた。これまで平均正答率を小数点以下まで出していたが、四捨五入して整数で示すようにした。「正答率のわずかな差は学力の違いを表すものではないから」というのが理由だ。

 一覧表はたしかに世間の注目を集める。地方議会で前年からの順位の上下や近県との比較が話題になることもしばしばだ。

 数字のもつ意味を正しく理解し、わずかな差異や変化に一喜一憂すべきではない、という文科省のメッセージは正しい。

 だが、表示方法の見直しは対症療法でしかない。

 きっかけとなったのは、当時の馳浩(はせひろし)文科相に届いた情報だ。「教委の内々の指示で、4月に行われる調査の2カ月くらい前から、過去のテストを解く練習をしている」。現場の教員からの告発だった。

 問題の根は、点数をあげることが自己目的になっている現実にあるといえる。

 以前の設問を指導に使うことは認められている。とはいえ、本番の調査前に子どもたちにそれらを解かせ、慣れさせるのは「指導」ではなく、明らかなテスト対策だろう。

 それで素顔の学力が測れるのか。今後の指導に本当に役立つ分析が得られるのか。

 制度の趣旨は損なわれ、そもそもこれほど大規模な調査をする必要があるのかとの根源的な疑問まで引き起こす。文科省はこうしたゆきすぎた措置がどこまで広がっているかを調べ、是正を指導すべきだ。

 1960年代の学力調査は、成績のふるわない生徒を当日休ませるなどの行為がはびこり、結局、中止になった。そんな愚を繰り返してはならない。

 子どもたちの未来のために、大人は何をすべきか。原点に立って考えたい。