問題は、韓国社会の問題解決システムが壊れているということだ。正解が分かっていても、解決策を実行すべき政府と政治的リーダーシップは無能力・無気力という症状に苦しんでいる。政府が実行できる、いや実行すべき先制的政策はもう長いこと姿を消してしまっている。韓進海運の破綻(はたん)問題で、目の前の責任を回避するために国益を放棄するような決定を下したのがその代表例だ。有能・慧眼(けいがん=物事の本質を鋭く見抜く力)・ビジョンといった価値を政府に期待するのは無意味に等しくなってしまったが、その政府は(問題や責任を)国会や野党のせいにばかりしている。企業家たちは「この政府のすることは検察の捜査と税務調査だけのようだ」と嘆き節だ。
野党は労組のような熱烈な支持勢力の捕虜となり、労組が抵抗する改革には無条件で反対している。「政府が成功すれば野党が政権を奪うことができない」という論理も横行している。政党・党派的な利益にばかりとらわれ、国全体を見るという観点を失って久しい。既得権を守ることしか考えていない労組の無責任さと強欲は度を越している。米国の最新鋭地上配備型迎撃システム「高高度防衛ミサイル(THAAD)」の韓国配備問題に見られるように、「国にとって必要なものでも自分に少しでも害を及ぼすと見なせば反対する」という風潮も蔓延している。社会の各部門が自分の「部分利益」に固執し「全体の利益」をかすめ取るという「囚人のジレンマ」に陥ってしまったのだ。
政府と政界は問題解決に向けてリーダーシップを発揮し、社会の各部門が集団利己主義を捨てるべきだ。そうでなければ韓国は低迷から抜け出すことができず、衰退の道をたどるだろう。答えが分からずさまよっている方がむしろ希望がある。答えを知っているのに解くことができないとすれば、もう崩れ落ちるほかない。アジア通貨危機のときのように、一度崩壊しなければ 目を覚ませないという話が現実的に感じられる状況になっている。