山本寛 公式ブログ

アニメーション監督・演出家 『らき☆すた』『かんなぎ』『私の優しくない先輩(実写)』『フラクタル』『Wake Up,Girls!』などを監督。

月別アーカイブ / 2016年08月

他人の文章を腐している人間の文章が恐ろしく酷い場合があるが、あれは壮絶な自虐ネタなんだろうか?


なるほど、お前には読めてないよな、と。

僕が多大なる影響を受けたTVドラマは、やっぱり『北の国から』と『3年B組金八先生』、この二つしかない。

もちろん『踊る大捜査線』も『ケイゾク』も『古畑任三郎』も、『女王の教室』も『リーガルハイ』もそして『いつ恋』も大好きだ。何度も観た。
でも最後はこの二つにとどめを刺す。

そしてそれを執筆した脚本家、倉本聰と小山内美江子の二人が、僕にとってストーリー作りの「神」と言ってもいい。


彼らは時代と戦う。時代に対峙して、人間の真実を抉り出そうとする。
でも教訓めいた話にはしない。ヒーローもいない。いるのは、剥き出しの「人間」だけだ。


人として 人に出会い
人として 人に迷い
人として 人に傷つき
人として 人と別れて
それでも 人しか 愛せない  (海援隊『人として』より)



人間は醜い。醜いからこそ悲しい、悲しいからこそ、美しい。
たぶん僕にとっては、この三段論法以外、人間にリアリティを感じることはないのだと思う。
もう今のアニメに全然応用しようのないメソッドだけど、やはりこれが本物なのだと、大事にして行きたい。

という発言をネット中探してみたのだけど見つからない。
記憶違いかも知れない・・・という訳で、嘘だったらごめんなさい。


タイトルは宮崎駿さんの言葉だ(と思う)。
昔から何度も口癖のようにおっしゃってる言葉だ。

僕は若い頃、「それでも世界は生きるに値する」という彼の言葉の、「それでも」という四文字にいたく共感した。
そしてアニメをやることに決めた。

「それでも」という四文字には相当な重みがある。
「今が最高!」などという、強迫観念めいた肯定ではない。
それが僕の世界観と合致した。

いろいろある世の中で、アニメは「それでも」肯定を生み出せる力のある手段なのかも知れない。
僕はアニメを通じて、世界を肯定できるのかも知れない。

辛い瞬間も、悲しい瞬間も、「それでも」と、前を向ける瞬間に転じてくれる。
それがアニメの最大の力なのだと、今も信じてる。


・・・のだが、気づけばアニメが一番辛い現実になってしまった。
作業が辛いのはしょうがない。出てきた作品に夢も希望もないのは、本当いたたまれない。

「今が最高!」と連呼しているその目が笑っていない。
作られた笑顔の裏には、諦めしか見えない。

「それでも」という、歯を食いしばり顔を天にグッと突きだすような、雄々しさがない。


いつまでも最高なんてありえない。
最高でない時は嘆き、泣き、苦しむのはしょうがないじゃないですか。
それを今のアニメは拒絶する。

アニメは麻薬じゃないんですよ?
ちょっとくらいは一緒に苦しんでくれてもいいんじゃないですか?


最後はかならず笑顔にするんだから。

↑このページのトップへ