最近サービスを作りたくて作るんだが、わりといい感じのやつが二日とか一週間でできてしまう。
俺はエンジニアなので、自分でコードを書く。つまり、いろんなプロトタイプを作るために必要なコストがゼロ円。これってすごくないか???
いつでも相談できるエンジニアが身近にいるような感じ。
俺「野添くん、ちょっと作ってみたいものがあるんだけどどうかなー。こんな感じなんだけど」
俺「面白いじゃないっすか!」
俺「じゃあちょっとやってみよう!」
というのがいつでもできる。24時間体制、ゼロ円、ゼロ距離、ゼロコミュニケーションコスト。変なこと言って嫌われることもない。
そして何よりすごいのが、「ちょっと作ってみたい野添さん」と「作ってみる野添さん」は同一人物であるがゆえに、サービスに対する興味・関心がドンピシャで合ってしまう。だからかなりの確率で「面白いじゃないっすか!」となる。
通常だったら俺のような人間をエンジニアとして引き入れるのは相当に大変だと思う。
まず何をしたいのかを伝えないといけないし、伝えた上で「こういうところが有意義でエキサイティングなんだ!」という共感を得ないといけない。
その上でプロダクトについて「細かい指示されたくない」というワガママな技術者の性質を理解しつつ、出戻りがないように的確にコミュニケーションを行わないといけない。
しかも頼むからには当然お金を払わないといけなくて、フロントからサーバサイドまで全部書きたい人とかそんなにいないだけにそれなりに値も張るし、何より取り組む対象を飽きられたら終わり。
さらに、仮に完成したとしてもそれが実際に使われるまでどれだけのハードルを越えていかないといけないんだという。。。
というわけで独善的だが、自分で手を動かせるのはやはり素晴らしい。
正直、米国で大成功したテック系の創業者がほとんどエンジニア出身なの、ここら辺に理由があるんじゃないかという気がしてならない。
日本だってグローバルに大成功した製造業は技術畑出身の創業者が圧倒的に多い。ホンダとか松下とか
何より、試せるトライアンドエラーの数が圧倒的に違う。
ピカソがあれだけすごい画家になれたのは自分で絵を描けたからだ。
「すごいアイデアあるんで描いてくれる人探してます」とかだとかなりキツかっただろうなー。当たり前か。
ピカソは生涯で5万とも10万とも言われる数の作品を残したらしい。人生80年がおよそ3万日であることを考えれば、これがいかに驚異的なことがわかる。
http://gigazine.net/news/20160323-battle-for-picasso/
極端な話、プロダクト作りってそういった活動に近いんじゃないかと俺は思っている。少し違うけど。
でも、同じ課題を解決するにも何万通りのアプローチがあって、それをどういうプロセスで実現していくかというのはそんなに単純じゃない。仮に最終的な成果物が驚くほど単純であったとしても。そして、最終的に素晴らしいプロダクトかどうかを決めるのはユーザー。
これは絵を描くことに似ている。伝えたいメッセージやイメージのようなものがあって、それを表現する方法はそれこそ無限のようにあるんだけど、その中でこれがベストだというものを表現する。そして、見る人がそれを評価する。
違うのは、ソフトウェアプロダクトは工業製品なので「合理性」という共通の価値がユーザー、作り手ともに共有できる点だろう。
だけど、それを作るための詳細が無限にあって、その中でベストなものを半ば手探りで決めないといけないという点がとても似ている。