「昔は」努力型だったよなぁ。
巨人の星とか、キャプテンとか記憶しているけれど、ボンボンだかコロコロだかのラジコン漫画も、血豆作ってコントローラ技術を高めてた。
そして、今の子供がキャプテンの主人公「谷口 タカオ」に感情移入するかと言えば、それは微妙だろう。
異世界転生物が受け入れられやすいのは、転生先がゲーム世界と同じであるから。
MMOが普通になってからは、SAOや境界線上のホライゾンなどが出たが、あそこまで行くと現実の延長線上という事になる。
例示されたゼロの使い魔とも違うのだ。
北斗の拳やシティハンターと、SAOやゼロの使い魔が違うのは、設定とはいえ強い背景を持つ大人であるか、なんでもないそこらの凡人であるかの違いだ。
転生物は、何でもない凡人が、いきなりかめはめ波が打てたり、セブンセンシズに目覚めたりするもので、kawangoの分析にも一理ある。
ライトノベルの主人公は努力しちゃダメなんです。読む側が自分を投影できなくなるからです。ヒロインは都合よく向こうからやってくる。超能力などの能力は、いつのまにか勝手に...
「昔は」努力型だったよなぁ。 巨人の星とか、キャプテンとか記憶しているけれど、ボンボンだかコロコロだかのラジコン漫画も、血豆作ってコントローラ技術を高めてた。 そして、今...
デスゲーム系のラノベは基本なんのゲームだか分からない系が多いぞ
んだね。 スキル制なのか、レベル制なのか。 使用回数制なのか、MP制なのか。 でもどれも、既存の概念の延長線上だ。
既存の概念の延長線上で片してしまうのもあるけど、それだとVRMMO系と差がつかないのでデスゲーム系はもうちょい広範な頓知で問題解決するパターンの方が多い。 つうかVRMMOとデスゲー...
ちなみに、デスゲームの定義は?
「ジョジョっぽい異能」+「なんかスタンド使いが集められて強制的に殺し合いさせられる」 で大体デスゲーム
最近流行のラノベにデスゲーム系が増えてきたって感じですかね。 漫画の「BTOOOM!」とかそうだけれど、あの手の作品は何らかにすぐれた人物が主人公となる、「魔法科高校の劣等生」...
「VRMMORPG系のデスゲーム」という限定があると、それはSAOみたいな「ログアウト不能」で「ゲームオーバー=死」という設定の作品のことになるんだよなあ。
そうそう。最初の頃はVRMMOとデスゲームは不可分の存在だったんだけど、最近はデスゲームがVRMMOと明確に分離するようになって来た。 最終的には「実はゲームの中の出来事なんスよ」み...
1. カイジやライアーゲーム的な「極限状況での頭脳バトル」 2. 龍騎やローゼン的な「決まったメンバーによる殺し合い」 3. SAO的な「ゲームオーバーになると死ぬコンピュータゲーム」 ...
今際の国のアリスとか、治療オチだからな。 あぁいうのは、「ゲーム世界」を意識してないと思うぞ。 最後にどんでん返しで、「漫画だった」「ゲームだった」「治療だった」ってやる...
懐古老害には受け入れがたい事実かもしれんが、才能型の作品も努力型の作品も、昔と今とで大して変わらんよ。 昔も才能型の作品は多かったし、今も努力型の作品は人気がある。
昔も才能型の作品は多かった 轟け一番とか好きだったよ。 でもあれは努力型でもあるのかな。 サーキットの狼なんかも才能型と言っていいかもね。
ダイの大冒険は良い融合だったよね。 勇者+竜の血脈という王道血統主人公と、凡夫な努力型の魔法使いの組み合わせ。
あえて言うなら、努力型も才能型も、絶対数では昔より遥かに多いよな。全体の数が激増しているから。
「久しぶりに筆を取る。」 カッコいい!