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「映画館では、今も新作映画が公開されている。
一体、誰が映画を見張るのか?
一体、誰が映画をウォッチするのか?
映画ウォッチ超人、“シネマンディアス”宇多丸がいま立ち上がる――
その名も、週刊映画時評ムービーウォッチメン!」
宇多丸:
ここから夜11時までは、劇場で公開されている最新映画を映画ウォッチ超人こと<シネマンディアス宇多丸>が毎週自腹でウキウキウォッチング。その<監視結果>を報告するという映画評論コーナーでございます。今夜扱う映画は、先週「ムービーガチャマシン」(ガチャガチャ)を回して『BFG: ビッグ・フレンドリー・ジャイアント』が出たところを、よせばいいのに1万円課金して──別に『BFG』でも良かったんだけど──1万円課金して、もう1回ガチャを回してコロリと出たこの映画……『スーサイド・スクワッド』!
(BGM:『Bohemian Rhapsody』が流れる)
はい。バットマンやスーパーマンと同じDCコミックスに登場する悪役たちがチームを組んで戦うSFアクション……と言っていいのかな? ヒーローによって投獄され、死刑や終身刑を宣告された悪党たちが減刑と引き換えに命がけのミッションに挑んでいく。減刑っていうか、脅されているんだけどね。命をね。主演は、ウィル・スミス、マーゴット・ロビー、ジャレット・レトら。監督は『フューリー』『サボタージュ』『エンド・オブ・ウォッチ』などのデヴィッド・エアーということでございます。ということで、『スーサイド・スクワッド』。まあ世界的にも大ヒットしている作品でございます。注目作ということもあるのか、この映画を見たよというリスナーのみなさま、<ウォッチメン>からの監視報告(感想)、メールなどで頂いておるのですが、量はかなり多いということでございます。非常に多い。
ただし、賛否の割合は「良い」が1割、「普通」が2割。残念ながら残り7割の人は「ダメだった」という否定的な意見が多かったそうでございます。「主役たちが全然悪役じゃない」「想像していたのと違う」「『Bohemian Rhapsody』が流れる予告編はかっこよかったのに、想像していたのと違う」「『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』みたいな映画だと思っていたのに、全然違う」などなど、とにかく予想とか期待を裏切られたという不満が目立ちました。ただし、「マーゴット・ロビー演じるハーレイ・クインは最高」という声は賛否を問わず多かったということでございます。
代表的なところをご紹介いたしましょう……
(メール紹介中略)
……ということで、『スーサイド・スクワッド』。私も字幕2Dで2回見て、その後にT・ジョイ……最近ね、品川にもともとあったIMAXが復活して。IMAX字幕3Dで計3回見てまいりました。吹き替えとかは見る時間がなくて、ちょっと申し訳ありません。ちなみにIMAXで見ると、最初にカウントダウンが出ますよね? 輪っかで、ボーン! ボーン!っていう最初のカウントダウンが、完全に『スーサイド・スクワッド』仕様になっておりまして。ちょっと楽しい、得した気分になるという。前だと『(ミッション:インポッシブル)ローグ・ネイション』がたしかそういう(特別仕様)バージョンだったりしましたけどね。
ということで、『スーサイド・スクワッド』ね。先ほども言いましたけど、『マン・オブ・スティール』、そして今年この番組では4月9日に取り上げたばかりの、『バットマン vs スーパーマン ジャスティスの誕生』から続くDCエクステンデッド・ユニバース。まあ、マーベル・シネマティック・ユニバースと比べて、本来コミックで言えば元祖となるDCが、負けじと展開しているDCエクステンデッド・ユニバースの三作目ということです。で、いままで過去二作はザック・スナイダーさんがやっていたわけですけど、なんと、「あの」デヴィッド・エアー脚本・監督による、「全員、悪人」部隊という。要は、映画ファンだったら「ああ、『特攻大作戦』(The Dirty Dozen)的なあれね」「日本で言えば『ワイルド7』的なあれね」という風に、聞くだけで「えっ、それはちょっと面白そう」と、企画段階でなる話だとは思うんですよね。
デヴィッド・エアーさん。基本的にはハードでリアルな、一種ドキュメンタリックなタッチを得意とする人。で、もちろんVFX、CGIを多用したようなファミリー向けビッグバジェット超大作みたいなのは初めてなので、たしかにこの起用は賭けではあるんだけども、資質的には意外と合っているかも。特に、『特攻大作戦』路線だったらありかも? という風に思わせる組み合わせではあると思います。それこそ、マーゴット・ロビーとか、あとキャプテン・ブーメランを演じたジェイ・コートニーさんなどは、もともと別にアメコミ映画に興味がなかったそうで。ジェイ・コートニーとか、「俺はアメコミ映画なんか出ねえから」とか言っていた人が、「デヴィッド・エアーがやるなら、デヴィッド・エアーの最新作としてなら、出たい」ということで参加を決めたぐらいな人でございます。
当コーナーでは過去にね、デヴィッド・エアー作品。2013年9月7日に『エンド・オブ・ウォッチ』。これは傑作でしたね。「制服警官もの」の新しい傑作でございました。そして2014年11月15日に、アーノルド・シュワルツェネッガー主演『サボタージュ』をガチャで当てて評しました。そのたびに、「デヴィッド・エアー、この人の名前を覚えて帰ってね〜」なんてことを言ってましたけど。作風は本当に完全に一貫したものがあります。いわゆる作家的なというか、一貫した作風があります。まあ、要はこういうことだと思いますが……合法的か違法かを問わずですね、きれい事ではない、要は正邪ね。正しいか間違っているかの境が曖昧にもなるような過酷な現実を生き残ってきた「プロ」。
これはだから、警官であったり、軍人であったり、あるいはストリートを生き抜いてきた、そういうワルのチンピラ。犯罪者のプロでもいいんですけど。合法的か違法的かを問わず、きれい事ではない正邪の境が曖昧にもなるような過酷な現実を生き残ってきた「プロ」。なんなら、その過酷な現実のサバイブに適応しすぎて、もはやもう普通には生きれない。もうそういう生き方しかできないという悲しみとか孤独みたいなものも背負った、タフな荒くれ者たち。これを常に描いていますよね。で、そこにはデヴィッド・エアーさんご本人がもともとはLAのサウス・セントラルという、ギャングスタラップなどでお馴染みの非常に荒くれた地域の出身で、なおかつ軍隊経験ありという、そういうことが非常に色濃く反映されていたりするわけですが。
なので、特にロスアンゼルスのストリート描写。たとえば本当のストリート・ギャング出身の俳優さんを使ってのストリート描写とか、銃器描写のリアルさっていうのは定評があるという方でございますが。また、「荒くれ者たち」って言いましたけど、ある意味カタギの道から外れてしまった荒くれ者たちならではの絆。たとえば、こういう場面ね。カタギの人が聞いたらちょっとギョッとするほど、「えっ、なに? ケンカしてんの?」って言うような、ちょっとギョッとするような異常に乱暴な軽口の叩き合い。で、その軽口の叩き合いこそが、絆の証。結束の証でもあるような、そういう荒くれ者たちの絆。
これをリアルに表現するために、このデヴィッド・エアーさん、役柄上チームとなる俳優さんたちを事前に集めて、グループセラピー的にワークショップをやって。その内面とかを吐露させたり、キャラクターの掘り下げとかをガンガンさせて、要はその演技のアンサンブルが、さっき言った荒くれの乱暴な軽口の叩き合いみたいなのが非常に自然な空気を醸し出すように……要は役者たち自身を本当にチーム化させていくような、独自の演出法を取っていたりとかすると。で、今回の『スーサイド・スクワッド』でも本当にそういう風になっていて。撮影してますよという段階だって、「うわ、仲いいな!」っていう写真がいっぱい(ネットなどに)出てきてましたよね。最終的に互いにタトゥーを入れ合う仲にまで。本当にそういう軍隊チックな絆が生まれたというような、そういう独自の演出法を取っていたりするような人。
なので実はデヴィッド・エアー作品って、もちろん銃撃シーンとかそういうのも印象的ですけど、実は派手なドンパチシーンとかより、日常的なそういう会話とか、日常的な何気ないやり取りとかの方が、実はデヴィッド・エアー作品の僕はキモになっていたりするなとは思います。今回の『スーサイド・スクワッド』も実はだから、会話劇のところが長いという感じはあると思いますけどね。とにかく、そんな荒くれ者たちのチームがですね、たとえば当然のようにその荒くれ者たちは現場で身体を張る「兵隊」……広義の「兵隊」なので、彼らを駒として利用する、ある意味冷酷に利用するような上層部、システム側とは対立したり、非常に不信を抱いているような描き方がされていたり。
あるいは、これはTBSラジオではお馴染み、映画評論家の町山智浩さんのデヴィッド・エアー監督インタビューを読んで、改めてたしかにそうだなと思ったところなんですけど。さっき言った、正邪の境が曖昧にならざるをえない、正しいとか悪いとか、通常の感覚では言ってられないような過酷な、要はリアルな現実をサバイブしてきた男たち……今回だと、ハーレイ・クイン。女性もいますけども、そういう荒くれたちが、そういうハードな現実を生き残ってきたからこそ犯してきたいろんな様々な罪を贖うかのように、贖罪するかのように、本当にろくでなしなはずの荒くれたちが、最終的には非常に自己犠牲的な行動を取るという……こういうキリスト教的というか、デヴィッド・エアーさん自身カトリックだからか、カトリック的な価値観が、実は通底しているという。
特に、この番組ではガチャが当たらず評はできませんでしたけど、前作。2014年の『フューリー』。第二次大戦の戦車戦を描いた『フューリー』は、特にやっぱりその側面、非常にわかりやすく前に出ていた。非常にキリスト教的なシンボリズムみたいなのがもうあちこちに……シンボリズムっていうか、モロに出しているところがめちゃめちゃいっぱいありました。ということで、今回の『スーサイド・スクワッド』もですね、こうやって改めてデヴィッド・エアーさんの作風っていうのを振り返ってみても、本当にこの通りの作品ですよね。僕がいま言った通りのデヴィッド・エアーの作風に、もうピッタリはまるような作品なのは間違いない、はずなんだけど……
同時にですね、特にさっき言ったシュワちゃん主演の『サボタージュ』。評の中でも僕、言いましたけど、『サボタージュ』は、劇場公開されたバージョンは、後から結末が変えられた、再編集版なわけですね。まあ、ハリウッド映画ではよくあることなんですけど。実際にできてから、試写で見せて、評判が悪いので結末を変えるってちょいちょいあることなんですけど。もともとのバージョンから変わって、もともとこういう風にするつもりだった話から変わって、結局その主演であるシュワルツェネッガーの役柄を完全に善人として描くという結末に変えられた結果、この『サボタージュ』はもともとあった、要はシュワルツェネッガー演じる役柄が非常にダークに終わる、2バージョンのエンディング——これはたぶんブルーレイとかの特典映像で見れるんですけど——とは変えられて、完全に善人として描くような結末に変えられたため、正直やっぱり1本の映画として見ると、『サボタージュ』は前半のすごい不穏な空気とかはすごくいいんだけど、最後まで見るとなんか焦点がぼやけた作品に終わってしまった感は否めなかった……という風に僕は『サボタージュ』を評したと思うんですが。
今回の『スーサイド・スクワッド』もですね、そこもちょっと重なる。いままでのデヴィッド・エアー作品の作風としてもバッチリはまると同時に、編集でゴタゴタがあったというところも重なる。何度も再編集がされ、バージョンが二転三転したと。要は、モメたっぽいっていうかね。たとえばですね、先ほどからメールでも何度も出ていますね。クイーンの『Bohemian Rhapsody』。今回の劇場版で公開されている本編でも最後の方でちょろっと流れますけども。それとは違う部分を大々的に使ったあの予告編、ご覧になった方、非常に多いと思うんですが。まあ、本当にあの予告が、超面白そうだったじゃないですか。ねえ。『バットマン vs スーパーマン ジャスティスの誕生』の公開の時にあれが流れて、「うわーっ! 正直、こっちの方が面白そうなんだけど……こっちは期待できそうだ!」って思った人はいっぱいいると思うんですけど。
で、実際にあの予告編、非常に大変評判がよかった。最初、コミコンで流したのを盗撮されて、勝手にネットに出されちゃって、やむなく正式公開したらこれが大評判を呼んで、『バットマン vs スーパーマン』の予告編再生回数をYouTubeで超えて人気が出ちゃった。本当に、よく出来ていたじゃないですか。で、この評判がよかったというのを受けてですね、『スーサイド・スクワッド』を作った映画会社ワーナー・ブラザーズは、予告を作ったトレーラーパーク・Inc.(Trailer Park, Inc.)という会社に、もともとデヴィッド・エアー監督の意向が忠実に反映された、いわゆるディレクターズカットというか、よりシリアスでダークなトーンだったらしいバージョンもすでにあったんですけど、それとは別個に、そのトレーラーパーク・Inc.に、トレーラーパーク・Inc.が作ったあの予告編同様「ポップな」バージョン……つまり、ポップミュージックをいっぱい引用して。で、キャラクターをポップに紹介するような場面を多めにしたような、「ポップ」バージョンの再編集を、あの予告を作った会社にワーナーが改めて依頼しているんですよ。
だから、そんだけあの予告がよかったっていうのもあるけど、そんなことってある?っていう。で、そのデヴィッド・エアーバージョンと競合試写を行って、評判を見たりして。で、結果、いまの劇場版はそのトレーラーパーク・Inc.のバージョンとデヴィッド・エアーのディレクターズカット寄りのバージョンとの折衷版ということらしいんですけども。でもまぁ、その結果、どれだけ制作の途中に紆余曲折があろうとも、結果がよくなれば別に我々観客はいいわけじゃないですか。さあ、じゃあどうなのか、実際に出来上がった『スーサイド・スクワッド』は?っていうことなんですけど、アメリカ本国では事前の批評では本当にコテンパンだったんだけど、フタを開けてみれば、公開されてみればもう大ヒットということになっていると。
で、たしかに「これはこれでいいじゃん」と思える人が多くても不思議ではない程度には上手くいっているところも多い、とは思います。たとえば、これは全員とは言わないが……と言わざるを得ないのがちょっとキツいところなんですけど、主要キャラクターのルックス、コスチュームを含めた造形などを含めた画面全体のルックは、概ね素晴らしいと思います。コスチューム然り、美術然り。あとですね、これ大きいなと思うのは、今回アナモルフィック・レンズを使ってフィルム撮影をしている。ならではの、非常にツヤっぽくて豊かなナイトシーン。DCエクステンデッド・ユニバースの過去二作ね、夜の場面。しかも荒天というか、非常に天気が悪い中でのクライマックスシーンが多いっていうのはもはやDCエクステンデッド・ユニバースのカラーなのかな?っていう感じなんだけど。正直過去二作と比べると、今回のナイトシーンは美しさが格段に違いますよね。きれい。すっごい画が美しいし豊かだなという風に思います。特にCGIの多用を避けているようなところは、いまとなっては非常にクラシカルなと言っていいような、映画というものの魅力が画からすごくあふれ出ているような感じがあると思います。画は本当に美しいし、あと、衣装とかも含めたキャラクターの造形も素晴らしいし。
あと、さっき言ったように、これぞデヴィッド・エアー演出の真骨頂。出演者同士のリアルな絆、ヴァイブスが生み出す、いい感じのチーム感(笑)。(言葉にすると)バカみたいですけど、「出演者同士のリアルな絆、ヴァイブスが生み出すいい感じのチーム感」……でも、こうとしか言いようがねえじゃん? たとえば、だからそういうのが実際に事前のワークショップとかグループセラピーとかでそういうのでできているから、ちょっとした、さっき言った乱暴な軽口とか、ちょっとしたやり取りとか。あと、ちょっとした仕草。たとえばそうだな、ハーレイ・クインが──ハーレイ・クインはちょっとしたイイ仕草満載なんだけど──バーにみんなでふてくされて入っていく場面で、きれいにお辞儀して入っていくとか。こういうちょっとしたところ。ちょっとした仕草とか、ちょっとした軽口に宿る自然なチャーミングさ。チャーミングなんですよ、そのやり取りが。要は、荒くれたちがキャッキャキャッキャやっているのって、やっぱりかわいいわけですよ。そのチャーミングさ。これはやっぱりたしかに見ていて楽しいっていうか。「ああ、デヴィッド・エアーの映画。デヴィッド・エアーがやってよかったところだな」って思うところでもありますし。
で、いまね、ハーレイ・クイン。言ってしまいましたけど。いま言ってきたようなプラス要素。要するに、キャラ造形の美しさとか、あるいはやり取りのチャーミングさ、仕草とかに宿る自然なチャーミングさっていうその要素をある意味、一身に体現していると言えるのが、マーゴット・ロビー演じるハーレイ・クインだと思うので。やっぱり彼女が特に好評だというのはまあ、納得な話だと思うんですよね。彼女単体でスピンオフ企画が始まっていたりするんですもんね。まあ、それもそうだろうなとは思うんですけど。ただ、身も蓋もない言い方をしてしまえば、さっき言った『Bohemian Rhapsody』が流れる予告を見て、「あ、この画、いい!」と思ったような画は、やはり本編で見てもいい(笑)……「画としては」。いいですか? 「画としては」ですよ。
実際に見始めてですね、映画が始まってしばらく見ながら。しばらくは、ポップな、ややベタな選曲を含めて……ローリング・ストーンズの『悪魔を憐れむ歌』とか、ややベタな選曲を含め、そこはまさにさっきの前述のトレーラーパーク・Inc.の編集版的なところなんだろうけど。当然のように、予告のポップな印象通り。同じ人たちが作っているからポップな印象通り、のくだりなので、「あ、なかなか軽快で楽しいんじゃん?」っていう気分で見ていられるわけですよ。頭しばらくは。ちなみに回想とかそういうフラッシュバック形式で、いちいちキャラクターごとの紹介、説明を、しかもイメージソング付きで羅列していくという、この作りは、正直思いの外、先週の『HiGH & LOW』に近いなっていう風に思ったんですけどね。「山王連合会!」っていうのとさ、「デッドショット!(ダーン、ダーン、ダーン!)」っていうのは同じことだからさ。そう思ったんだけど、そのへんどうなんすか、琥珀さんっ!(笑)。『HiGH & LOW』と意外と近いと思ったんすけど、どうなんすか、琥珀さんっ!?
ただ、まあね、そこはまあいいやって感じで見ているんですけど、だんだん見ているうちに、「ん? さっきから延々、キャラクター紹介ばっかしていて、実は話が全然進んでなくない?」っていう。だから、「ちょっと正直退屈になってきたんですけど……」みたいになってくると。実際に、さっき言ったポップげな音楽演出とかでなんとなく軽快げに見られているような気がしてしまうけど。その意味では、上手くいっているとも言えるんだけど、気がつくと30分ぐらいは実質キャラクター紹介、説明の繰り返しで、実は話のテンポがむちゃくちゃ悪いんですよ。話、全然進んでねえ! みたいな。
しかもですね、たとえば『スーサイド・スクワッド』のタスクフォースXという、それのボスになるヴィオラ・デイヴィスさん演じるアマンダ・ウォーラーという黒人女性がボスとしていて。それが、オープニングタイトル、『スーサイド・スクワッド』ってボーン! と出た後に、高級レストランみたいなところで、メンバー各人の紹介をさっき言ったフラッシュバック形式でしつつ、他の高官たちに、要は特別チーム結成の必要性、有効性を説くという場面がついてますよね。タイトル直後に、それがありますよね? まあ、これはいいとしよう。ポンポンポーンとキャッチーに……まあ、このキャラクター紹介にも細かいことを言うといろいろ言いたいことはあるけど、まあいいよ。それはキャッチーにポンポンポンと行っているとしよう。有効性を説く場面の後に、まーたアマンダ・ウォーラーが、今度はその他の高官たちに、要は同じことを別の場所で説くシーンが重なるんですよ。えっ、また同じ説明すんの? みたいな。
しかも、さらにその後、たとえばメンバーたちを直接リクルートする場面。で、ウィル・スミス演じるデッドショットだけは腕試しさせて。要するに能力っていうのを見せる場面があって……とか。あと、実際に一堂に会するところとか。逆にその前の冒頭。デッドショットとハーレイ・クインだけは現在の状況っていうのを見せるところ。これら、要はいまそれぞれ5段階、5つの違う場面なんですけど、この5つは全て一種のキャラクター紹介なわけですよ。背景とか能力とか、まあいわゆる属性というやつを説明する場面。それがいちいち分かれているという、非常に非効率な語り方をしている。勧誘シーン、能力を発揮するシーン、背景を説明するシーン、と。非常にクドい。こんなの、どこか一点に絞って10分以内に済ませればいいことじゃないですか。たとえば、一堂に会するところで全員こうやって拘束されながらやって来て、「ウワーッ!」って暴れて能力を発揮して、周りの普通の兵隊たちがなぎ飛ばされて、「ああ、こいつはやっぱり強い」と。で、ドンドンドンドンッ!って名前が出るとか、なんかそういう。
とにかく、集められるところで全部その説明を済ませられる。たとえば、タイトルが出る前に高官を説得するアマンダ・ウォーラーがあってからの……とかね。いくらでも集約できるのに、というね、非常に効率の悪いストーリーテリングをしていると。ちなみにですね、このオープニングあたりで、デッドショットやハーレイ・クインさんに敵対的に接していることが強調されるグリッグスという看守がいますよね。アイク・バリンホルツさんという方が演じているグリッグス。彼がジョーカーに利用されたことを、ハーレイ・クインがちょっとふざけ気味に警告……「あんた、ヤバいんじゃないの?」って警告する、そういう(後の展開を暗示する)フリっぽいことまであるから、最初に感じ悪いっていうのが強調されていたし、当然こいつがギャフンと言わされて痛い目にあうっていう展開がどこかで用意されているんだろうなと思って見ていると、この人、この後全く出なくなったりとか。
事程左様にですね、30分たっていよいよ事態が前に進み出す……要はモロに『ニューヨーク1997』的なね、爆弾を埋め込まれて、危ないところに要人を助けに行けと言われる、完全に『ニューヨーク1997』……ちなみにスネークは出てきていきなり任務を負わされるわけだから、じゃあそこから(今回の映画も)始められるだろ!っていう話なんだけど。まあ、いいや。とにかく『ニューヨーク1997』的な話が一応前に進み出したら出したで、いま言ったようにね、話運びは、これは再編集がどうこうっていう次元じゃなくて、たぶん元の脚本自体の問題がすでに大きいんだと思うんだけど。とにかく話運びは見ていても──3度見ましたけど──やっぱりそれでもストーリーの行方を見失いかけるほど、ガタガタ。穴だらけで、はっきり言ってわかりづらい。わかりづらいイコール、説明もしづらいんですよ(笑)。困っちゃう。
たとえばね、途中、ある真相を知らされてスーサイド・スクワッド一同、「なんだってーっ!?」って驚き憤るというポイントが約2ヶ所、あるんですよね。「なんだって! そういうのが真相だったのか!」みたいなことを言ってるんだけど、これ、なににどの程度驚くべき件なのか、ぶっちゃけ非常に飲み込みづらい提示のされ方しかされないので、観客としては、「えっと、ここ、『ええーっ?』ってなるべきところ……なんだよね? ごめん、俺、ちょっといまいちわかってないかも」みたいな感じになるしかないような、下手くそな見せ方になっている。
特に、2個目のね、真相を知らされてスーサイド・スクワッドが「なんだって! そうだったのか!」って言うところは、観客には事前に真相の一部っていうか、ほぼ事実上全部が見せられているため、なんて言うのかな、観客に対してなにがしたいのかよくわかんない作劇になっている。だって、ねえ。「『あいつが逃げちゃって』って、うん、さっき言ってたよね? あ、それってすげー、内緒の話だったんだ?」みたいな。サプライズがしたいのかなんだか、いまいち狙いがわからない感じになっちゃっているとかですね。とか、ヘリコプターが劇中、ミッションの途中に順番に計3台出てくるんですけど。それが割と時間をおかずに、まるでヘリコプターとは最初からそういう乗り物であるかのように、3台順に、ご丁寧に落ちるわけですよ。3台とも落ちるんですよ。その展開が繰り返されるんですよ。3台目が落ちる頃には、当然観客の僕らも死んだ目ですよね。もうね。「また落ちた……3度目?」(笑)。非常に芸がないと。
ただでさえ、いまこのシーンでは何が争われているのかな? というのがよくわからないことになりがちな話運びに加えですね、途中でまたいちいちメンバーたちの回想……要は彼らの「人間味」を描くためなんでしょうが、やたらとウェットな回想がいちいち挟み込まれて、そのたびに話しが止まるわけですよ。もともとわかりづらいのに。で、話が止まって、また戻ると、「えっと、ところでなんだっけ?」って。ということで、つまり結局、さっき言ったように30分紹介に費やして、じゃあ話が動き出したら早いか?っていうと、残りの90分も結局テンポは悪いままという。そもそも今回の劇場公開版、編集のせいもあるんですかね? スーサイド・スクワッドの連中がどれだけ悪いのか? という具体的描写はほとんどない。あっても、まあ悪人に対してなんかやったりしているだけなんで、そこまで悪くは見えないっていうところにとどめられているところに、さっき言ったウェットな描写がつるべ打ちされるため、結果、平均よりいい人たちにしか見えない(笑)っていうことになってしまい、とかね。
まあ、要はやたらと(主人公たちも性根の部分では悪い人たちではない、という)説明を重ねてくるため、しかもそれを演じているのがウィル・スミスだったりするから、「うん。見るからにいい人に、僕にも見えますけどね」っていう(笑)。見るからにいい人が、いいことしかしていないようにしか見えないんですけど……みたいな。そのくせ、スーサイド・スクワッドを指揮する上層部側が、ドン引きな極悪行為をして、それを当然のように容認するというところまで、わざわざ見せている。なのに、その件についての物語的な因果応報は別につかないので、なんつーか……「モチベーションが下がる」(笑)。本当に「EVIL」なのはお前だろう?っていうことなのに、お咎めなし。だったら、こんな極悪行為を見せることないっていうか、それこそ編集でカットすりゃいいのに。こんなところ。あれがなくたって成り立つんだから。
で、「EVIL」と言えばですね、監督曰く「これはBad 対 Evil(ワル対邪悪)の戦いだ」ということで、邪悪側。今回の敵なんですけども。身もふたもないことを言ってしまいます。今回の敵ね。絵面的に、かっこわりぃ! かっこわる! 登場したあたりはね、まあいんですよ。登場したあたりはまだかっこいい。ちょっとJホラーのハリウッド解釈的というか。ハリウッド版『リング』の貞子的な感じというか。あの、グッて手の見せ方、トリック的な見せ方は全然かっこよかったんだけど、なんかこう、メタモルフォーゼしてきれいになってからのあの動き。腰をクネクネさせて、「おいでおいで! カモンカモーン! レッドスネーク、カモン!」みたいなあの動きとかデザインとか、もう本当にダサいし。そもそも天に向ってビームがドーン! と伸びて、その周りにいろんな瓦礫とかが浮かんでいてっていうラスボス周りの絵面、もう何度目だよ!っていう。全然フレッシュじゃないし。
あと、「最終兵器を作る!」とか言ってるんだけど、なんだかよくわかんないっていうね。あとあいつ、何なら平気で何なら平気じゃないのか、理屈がよくわからないので。結局、心臓がどうこうとか言うんだけど。だから、結局そのラスボスを倒す理屈もまたよくわからず、つまりカタルシスは生まれづらいということになっちゃっている。でね、第一クライマックスのところで、爆弾を地下で爆発させると。まあ、ある意味捨て身の作戦で行くっていうのがあるんだけど……待て待て、あの肝心の爆弾、命がけで爆破っていうか、本当に死んじゃっていると思うんだけど、直接爆破しているのって、スーサイド・スクワッドじゃなくて、名もなきネイビー・シールズの隊員なんですけど……っていう(笑)。偉いのはあいつだろう?っていうね。
で、その後にその爆弾が開けた穴。あるメンバーが犠牲になったかも?っていう、爆弾の穴を覗くところもはっきり見せないっていう。中途半端にこうやって(覗きかけるだけでショット内でちゃんと見せないから)、俺も思わず(先週話題にした『HIGH & LOW』の応援上映よろしく)発声しそうになりましたからね。「ちゃんと覗いて〜!」「ちゃんと確認して〜!」「ちゃんと、敵が死んでるか確認して〜!」って(笑)。発声上映やってやろうかと思ってしまいましたけどね。まあ、それと似たようなことで言うと、クライマックスの山場。デッドショットが幻を振り切るというところも、別にキャラクター的な成長と重なっている幻ではないため、それを振り切ったところでそれほどクライマックスに相応しいカタルシスはないとかですね、そういうことだと思いますね。
ひとつ言えるのは、このラスボス周りの戦いは「デヴィッド・エアー的資質」に完全に反していると思います。ファンタジーとかオカルトとか、全くデヴィッド・エアーはそういう資質がない。たぶん、興味ないと思うし。だから、デヴィッド・エアー(監督作)だったら、最低限、リアル(な設定が)ベースな敵と戦うというのであれば、もうちょっと良くなったのかな? とも思うけどね。ただ、「リアル」って言っても今回ね、デッドショットのあの銃器周り(の描写)とか、「リアル」って言ったって……っていうことですからね。通常の悪というものに対して、スーサイド・スクワッドの極悪がいかに強いか、有効かっていう、要はストレートにカタルシスをもたらすような活躍シーンが1ヶ所ぐらいあればよかったのに、そういうのもないし。
ということで、同じくそのワルの寄せ集めチーム、しかも全員が無名だからイチから観客に紹介・説明しなきゃならないっていう意味では、条件が同じなはずの『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』が、比べるのは酷かもしれないけど、いかに手際よく、チームワークが形成されていくプロセスを、しかもアクション、ストーリーを進める中で語っていたか!っていうのを比べると明白じゃないかなと思いますね。ということで、これだけ面白くなりそうな要素が揃っていて、パッと見、上手くいっているように見えるところもたくさんあるのに、上手く噛み合わないっていうことはあるんだな、映画を面白くするのは難しいな、と思うような作品でございました。
ただ、アメリカのみならず世界中で大ヒットしているということは、要は各キャラクターが「パーツ」としてよくできていれば、ストーリーが多少ガタガタでもあとは見る側が勝手に補完するっていう、本当に『HiGH & LOW』的な状態が世界的な流れになっているのか?っていう危惧さえ抱くような。だとすると、ちょっとこれでいいのか?っていう危惧は強まってしまうんですけど、どうなんすか、琥珀さんっ! 特にやっぱりデヴィッド・エアーファンとしては、「デヴィッド・エアーはもっとちゃんとした映画を作れる人なはずなんだから……」という感じはいたしました。ちょっと残念な映画でございました。いろんなことを考える意味でも、ぜひ劇場でウォッチしてください!
(ガチャ回しパート中略 〜 来週の課題映画は『君の名は。』に決定!)
以上、「誰が映画を見張るのか?」 週刊映画時評ムービーウォッチメンのコーナーでした。
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過去の宇多丸映画評書き起こしはこちらから!
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