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茅野に学校教育黎明期の史料 「教授案」や試験問題

1885(明治18)年の「初等科諸学科教授案」。習字などの授業内容の案が記されている1885(明治18)年の「初等科諸学科教授案」。習字などの授業内容の案が記されている
 明治時代初めに茅野市玉川の穴山区に開設され、初等教育を担った「穴山学校」で、毎週どのような授業を行うかを記した「教授案」などの史料約350点が、地元の穴山公民館に保管されている。進級時の定期試験の問題や学校の日誌なども含まれ、内容について調査が進んでいる。日本の教育史が専門の小野雅章・日本大教授(57)=諏訪郡原村=は「学校教育の黎明(れいめい)期にどんな教育が行われ、地域がどう支えていたかが分かる史料」と評価している。

 同時期の史料は、旧開智学校(重要文化財、松本市)や高島小学校(諏訪市)、追手町小、座光寺小(ともに飯田市)などにも残っている。

 穴山学校は、明治政府が1886(明治19)年に小学校の基本事項を定めた「小学校令」を公布する11年前、当時の穴山公会所に村立学校として開設された。85年に近隣の学校に統合されるまで、現在の小学1〜6年相当の子どもが学んだ。

 史料約350点は、日本近代教育史に詳しい宮坂朋幸・大阪商業大准教授(43)=同郡下諏訪町出身=が調査を進めている。いずれも和紙に筆で記されており、教授案7点、定時試業問題書(定期試験の問題)14点、時間割2点、年中日誌1点など。出席簿や得点表、入校願書もある。教授案はほぼ2カ月ごとに作られ、毎週何を教えるかを科目ごとに記している。

 85年7月に作られた今の小学4年相当への教授案のうち、8月2〜8日の「算術」(算数)は、「毎日三題を課す」とし、算用数字を使って「254+185+12=x」などの15問を列挙=表。「習字」は「日用書類を習は(わ)ん」、「地理」は「遠近高低方位を教授す」と書かれている。「歴史」「作文」のほか、孝行や勤勉などの徳目を教育し、第2次大戦後に廃止された「修身」の科目もある。

 小野教授は、戦前の教育は90年発布の「教育勅語」を根幹としたと指摘。それ以前の穴山学校でも「日本(やまと)武尊(たけるのみこと)」について教え、修身の科目もあったため、「国家主義が教育現場に浸透する前、寺子屋から移行する時期にどんな教育がなされていたかが分かる」と話す。

 宮坂准教授は「130年以上も大切に保管されていたこと自体が貴重」とし、「教授案を旧文部省や師範学校の学習モデルと比較すれば、教科書からだけでは分からない当時の教育実態を把握できる」としている。

(9月27日)

長野県のニュース(9月27日)