りか しゃかい かていか

MilKブログはこれで最後。ラストは「ママ」に捧げます。

2016.09.26

 今月9月27日までで、私が5年間半続けてきた

MilKブログが

MilK本誌とWEBサイトのフルリニューアルにより

閉鎖されることになりました。

 

長男が9ヶ月のときから、数ヶ月おきの

ブログとは呼べないブログとしてw

細々と投稿を続けてきました。

 

ブログを書くのに時間がかかりすぎてしまい、

長男が小さいときは、ブログを書いてる時間があったら

その分、彼と遊ぶことの方が大事なんじゃないかと

思ったこともありました。

 

子供との日々は毎日が記念日の連続で、

これもブログに書きたい!このことも

書き残したいと!と毎日思うのですが、

仕事と子育てだけで私には本当に精一杯で

 それでも書き残しておきたいことがたまると

徹夜でいっきに書いたりしてw

5年半続けることができました。

 

結果、書いてきたことは

今読み返しても忘れていた気持ちばかりで

どんなくだらない投稿もそのときの気持ちが

こみ上げてきて、結果ひとつも消せないくらい、宝物でした。

 

育児日記もつけないめんどくさがりの私に

素敵な機会を与えてくださった

当時のMilK編集長だった中里さんと、編集部のみなさんに

心からの感謝です。

 

8月の頭、

このブログがサイトのリニューアルにより

閉鎖されて見れなくなってしまうと知ったときは

あまりのショックに

実は2、3日凹んでしまいました。

 

でも凹もうが凹まなかろうが、消えるものは消えるので

すぐに考えをシフトして

この機会に自分のHPをつくってみることにしました。

 

私の仕事で鍛えられた必殺技、とりあえず凹むだけ凹んだら

前向きスイッチONですw

 

ネガはたいがい考え方次第で

ポジに転ばせられるものです。

 

以前から自分のHPをつくりたいと思っていながら

ずっと怠けてできていなかったので

この機会にブログが閉鎖されてしまう日をデッドラインに

今までのブログを移行して

これから続けるための自分のWEBサイトをつくることにしました。

そしてなんとか今日、ブログページだけはできあがりました!

 

eguchirika-blog.com

 

よろしければこちらをお気に入り登録していただけますと嬉しいです。

 

まだブログとNEWSページしかできていませんが

今後はWORKSページも徐々に更新予定です。

 

 

 

HP制作に関して、細かく的確なアドバイスから

手取り足取り教えてくれた(むしろやってくれた)

学生時代からの友人の

デジタルエージェンシーFICC

健ちゃんこと、平野健太郎さんと

一番大変な実装を担当してくれたFICCの冨田一樹さん、

そして一緒にデザインを手伝ってくれた神谷亜弥ちゃん、

みなさんのおかげでなんとかできあがりました!!

この場を借りて本当にありがとうございます!!

 

 

 

そして今日はMilKブログも最後なので

(今回ももれなく長いですw)

 

この不定期ブログの一番の、いや、下手したら唯一の読者でありw

私がブログを書くことの一番のモチベーションになっている

私の母について初めて書きたいと思います。

 

もうこの時点で泣き上戸の母は若干ウルウルきてるかもしれません。

 

母は私が幼少期の記憶があるころから、今までずーっと

ドラマを見ては泣き、ニュースを見ては泣き

とにかくちょっとのことでもすぐに

感動したり同情したり、顔中くしゃくしゃにして

泣く人でした。w

 

そのせいか、なんなのか私も同じように

ニュースを見ては泣き、ドラマを見ては泣き、

ちょっとのことでもすぐ感情移入して

よく泣くように育ってしまいました。

 

 

母から受け継いだこの感受性は正直強すぎて

けっこう恥ずかしいので

弟や息子たちに移らなくてよかったと思っていますw

 

母は商売を営んでいる父の実家に嫁いでから、

父とその両親と祖母と一緒に暮らし、

年中無休のお店のために、

朝から夜遅くまで本当によく働いていました。

父は母と同じように働くけど

その分、リフレッシュも得意で

働いた後は

釣りや山登りやゴルフ、麻雀など毎日のように趣味も楽しんでいる

自分のこともちゃんと楽しめるバランスのいい人。

口癖はいつの頃からか「モウマンタイ!(問題ない!)」

多分岡村隆史さん主演の映画「無問題(モウマンタイ)」以来

気に入ったようで、何を聞いてもこれで片付けていますw

 

母は自分のためにリフレッシュというものがなかなかできない人で

月曜から日曜まで休日がなく働いて、働いている時間以外は

ずっと家族のために家事をしていました。

 

毎日死んだように寝ているときしか

母が止まっている姿を私はほとんど見たことがないです。

 

今でも、たまに東京に出てきて

コーヒーをいれて、椅子に座って一緒に飲むと

「幸せだね〜幸せだね〜

こんなにゆっくりしていいのかな、

バチでもあたりそうでこわいよ」

を繰り返して。

10分後には掃除をはじめるような人です。

 

でもそんなに働いているせいか

せいじゃないのか

母はいつもヒステリーでした。

基本は優しいけど、怒るとめんどくさいので

家族はいつも母を怒らせないようにしていましたw

 

そして母は教育ママでした。

母自体はそんなに勉強ができる人ではなかったはずなのに

不思議なのですが

小さいころから、長女の私には

3歳からヤマハに通わせ、プールを習わせ、ピアノに書道、

小学校に入れば

小学校でスケートがあるからと

真冬の北海道で、毎日のように

スケートの練習に立ち会い、

中学でフィギュアがあるからと

才能もやる気もゼロの私にフィギュアまでやらせ

ジャズダンスや英語や塾やそろばん、スキー、裁縫教室など

平日は学童にいったり友達と遊んだ後に

毎日2つくらいの習い事させて

忙しい仕事に加えて、ヒステリックに吠えながらも

高校生に入学するまで教育ママを貫いていました。

 

だけど母は、怖いだけじゃなくて

友達と遊ぶことはとても尊重してくれて

私が友達の家に泊まりたいと言えば

断ることはないし

友達を泊めたいと言えば

ごちそうをつくって盛大にもてなしたり

誕生会もたくさんのお友達を呼んだりして

友達のことも大切にしてくれました。

 

PTA会長ももちろんやりw

 

たぶん宮沢りえさんのお母様に、

見た目が似ていたこともあり

先生や友達からは「りえママ」ならぬ

「りかママ」として親しまれてきました。

 

大学で北海道を出てからは

私の友達たちが母に会いにきて

長話をして母から友達の近況をきくようなことも

よくありました。

 

 

私が大学に入り、ガラス工芸に打ち込み

会社に入り仕事に打ち込むあいだも

北海道と東京で住んでいる場所は離れていますが

毎週、下手すると毎日のように電話をしています。

 

今の自分は

やっぱり母によって出来上がったと思います。

 

無駄とも思えたたくさんの習い事は

初めての環境で友達をつくったり、自分を出すことだったり

才能がなくても、頑張ったことはそれなりには結果がでるもんだ

という考えにつながり

どんなことにもチャレンジする気持ちを作ってくれました。

 

大学時代は美術を学ぶことにはとてもお金がかかりましたが

両親のためにも、とりあえず学費分は元をとらなくちゃと思って

大学に缶詰になって制作していました。

 

今でも頭のどこかには、子供のために、家族のために

ずっと頑張っている両親の姿があります。

自分のことよりも家族のこと、親戚のことと

寝る間もゆっくりする間もなく

働いて、必死で育ててくれた母のこと。

 

親には恥ずかしくて言わないけど

自分の原動力はやっぱり母だと思います。

 

今、6歳と2歳の子供がいる私には

母親としてまだできていないことがたくさんあります。

 

でも何か悩んだときは母親を思い出す。

母がつくった朝ご飯の記憶。

保育園時代は卵かけ御飯と納豆とみそ汁の記憶しかないんです。

でも小学中学のときは卵かけ御飯が、

豚丼やサンドイッチやカレーと日替わり定食のように

バラエティー豊かになり

高校では私が食べなくなりましたが

毎日のお弁当がかわいくて自慢だったのを覚えています。

そして現在の母は、父と祖父に毎日

温泉の朝食のような豪華なメニューを

朝から出せるようになりました。

 

夕食もそうです。

私が保育園のときは、おばあちゃんがつくった夕食をたべて

寝る前か後に両親が仕事から帰宅していました。

小学中学のときは

習い事の後に、弟と私と母と3人で

ほとんど外食の日々でした。

手作りできないことに、今の私なら後ろめたくなってしまいそうですが

当時、子供の私はそれが密かな心の自慢で

地元中の美味しいものを知ってるような

気持ちになっていました。

そんな母も今では父と祖父のために

料亭のような晩ご飯作りを楽しんでいます。

 

子供を遅くまで保育園に預けることに悩んでいた頃は

自分の子供時代を思い出しました。

月曜から金曜まで保育園で、その後は寝るまで祖母と一緒だったけど

祖母から教えてもらった裁縫や

縫い物や創作遊びが今の自分の得意なことにつながっています。

土日は母の友達か親戚の家に預けられて遊んでいましたが

預けられたという認識ではなくて

毎週、友達の家に遊びにいけて

楽しかった記憶しかないです。

 

子育てに悩んだときはそうやって

自分の子供時代や母のことを思い返します。

子供ができたからって

いきなり理想的な家族や母親になれるわけではない。

母だって、子供と一緒に成長していたなと。

家族のために自分が成長することをあきらめなければ

すこーしずつでもきっと理想に近づいていけるものなんだと思っています。

 

この先もきっと、子供と喧嘩するようになってうまくいかないときは

母とけんかばかりしていた頃を思いだすと思います。

 

長男を生んですぐの頃は、仕事を続けることに悩んだ時期がありました。

今でも子供といる時間を削って仕事をする日に

これでいいのかなと悩むことがあります。

 

そんなときに夫は

「人が一生懸命悩んで出した答えに

間違ってるも、正しいもない。

全部正しいと思う。」と言います。

 

母は

「絶対大丈夫!子供はすべて分かってるから」

と言います。

 

父は

「モウマンタイ」

しか言いませんw

 

今年の春、

仕事の締め切りが重なった時期に

子供たちを北海道に預けたときに母から送られてきた

メールがあります。

  

内容は母と長男が

いつも絵本を販売してくださっている

帯広の満寿屋パンのいくと

「ママのパンのおうさまがある!でも全部

売り切れていたらもっと嬉しいな〜」と

言っていたそうです。

そして絵本が置いてあるレジの前で

「ぼく、えぐちりかさんの子供なんです」と

自分からお姉さんにアピールしたそうなんですw

 

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それを伝える母のLINEを読んで涙がでました。

母の言っていた通り、父の言っていた通り

モウマンタイでした!w

 

これからも仕事をして子育てをしているとたくさん悩むと思います。

まだまだ本当に気が抜けないです。

 

でも

積み重ねられていく、親と子と愛し愛された記憶、

これは私の一番の心の支えです。

 

 

今日はMilKの育児ブログのラストなので

最愛の「ママ」のために書かせてもらいました。

でも書いてみて思ったけど

私の下手な文章では

感謝していることの、「ママ」の面白さの

10分の1も伝えきれませんでした。

 

 

ママ、早く体調が完全によくなることを願っています。

これからもずっと楽しく長生きしてね!

 

 

そしてパパ、今回はないがしろにしてごめんねw

パパはママよりも長生きしてください!☆

 

 

最後まで読んでくれた読者のみなさん、MilK編集部の皆さん

今まで本当にありがとうございました。

 

 

これからはこちらを時々チェックしていただけたらとても嬉しいです。

eguchirka-blog.com

 

 

 

☆おまけ☆

 

先日は保育園最後の親子遠足でした。

入稿ラッシュで前日は夜中の1時に仕事が終わり、

2時に買い出しをして

3時間半寝てお弁当をつくりました。

そのとき思い返すのは、母の運動会のお弁当。

母も徹夜でお弁当をつくっていたのですが

重箱に入ったお弁当の記憶が子供心にうれしかったので

私も家にあったおせちの空き箱に入れて

4人分のお弁当をつくってみました。

 

IMG_8196.JPG

 

9月はずっと雨だったけど、この日は奇跡的に晴れ!

神奈川県の「こどものくに」に行きましたが

遠足が終わってもみんなで閉園まで遊び尽くしました♡

 

IMG_8197.JPG

 

男の子の夏は Stand By Me みたいです。

 

IMG_8198.JPG

 

 

 

 

 

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