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Tout ça pour ça

翻訳したものの置き場になる予定

17.実物と金融(名目)の会計学

元記事はこちら
(原題:Accounting for Real Versus Financial (or Nominal))

  先週は寄り道をして、今こうしている間にも崩壊しつつあるユーロランドを、急いで取り扱った。その問題について真に優れた分析を提供するには、明らかに急ぎすぎていた。タイムリーな記事を読みたければ、NEPのトップページを見ることをお勧めする。これは入門なのであるから、より教科書に近いものにしたいと考えている。ユーロランドが次の夏が来るまでに完全に崩壊した場合には、見当違いな実験(すなわち、国と通貨を分離させる実験)の事後分析のためにもう一節設けようと思う。この実験が上手くいく状況は非常に限られており、ヨーロッパはそれに該当しない。
 先週、丹念に考えられた質問を頂いたので、その質問の全文をこのページの下方に貼り付けておいた(ただし質問者の名前はプライバシーのため削除してある)。質問者は十分に重要なポイントをついていると筆者には思えたので、今週は〔その回答のために〕計画外の寄り道をすべきと考えた。これこそが入門を書いていくこのやり方の素晴らしい点である。筆者が十分な説明をできていなかった箇所を認識できるからである。実物と金融(名目)の差異は明白であると筆者は思っていたが、明らかにそうではなかった。
 ここでこの投稿の一番下まで読み飛ばし、質問を読んだほうがいいかもしれない。後に筆者が主要な点を要約するが、読者の多くは質問者に賛同するのではないかと思う。だからまずは質問を最初に読んでほしい。それから回答に移ろう。
 それでは、これについてできるだけ明確に説明させてほしい。
 国家の貨幣単位は便利な計測装置であり、我々はこれを債権や、債務や、「価値」と我々が呼んでいるかなり難解なものを計測するために用いている。読者の皆が、この貸方部分と借方部分について、はっきり分かっていると筆者は確信している。筆者は政府に納税する義務を負っており、これはとても多くのドルで計測されている。これは私の負債であり、政府の資産であるが、これを電子上のバランスシートに記録することができる。私は銀行にドル単位で預金を持っているが、これは銀行の債務であり、私の債権である(これもコンピュータ・テープ上の電子負荷としてのみ存在する)。
 「価値」はより難しい。我々には多種多様な物事を測るのに適した計測単位が必要である。色、重さ、長さ、密度などを用いることはできない。歴史上の理由から(ここでは深く立ち入らないが)、国の計算貨幣を用いるのが普通である。さもなければ、その物自体を単位として測るしかないであろう。砂糖の価値を、砂糖を単位として測るのはかなり容易である。砂糖の重さでもよいし、結晶が全て一様であるなら実際に数え上げることもできるだろうが、通常は(少なくとも料理のために用いる場合は)容量で測っている。だが、ただ「カップ~杯(cup)」とだけ言うわけにはいかない。「カップ~杯の砂糖(cup of sugar)」と言わなければならず、そこで初めて「砂糖」という言葉が何を意味しているのかが規定される。
 ここで、筆者があなたからカップ1杯の砂糖を借り、カップ一杯の砂糖分の借用証書を書き出すことも可能であろう。しかし、我々が暮らしている社会が高度に貨幣化されており、計算単位としてドル(国の貨幣あるいは名目尺度)を用いている以上、ドル単位の借用証書を書き出すことで合意したほうがよさそうである。店での砂糖の現行価格がカップ1杯分でおよそ1ドルだとすれば、筆者は1ドル分の借用証書を書き出す。筆者はあなたにドル(国家の借用証書)で返済するか、1杯分の砂糖で返済するか、1ドル分の価値があると合意している他のもので返済するだろう。
 筆者が自分の全ての財産を集計するとき、銀行、政府、その他の金融機関、友人、家族などに対して保有する全てのドル借用証書を含めることになるだろう。それが私の総金融資産である(私から砂糖を借りている人からドルを収集できる合理的な期待があるのなら、「カップ~杯分の砂糖の借用証書」すら含めることもできるだろう)。それとは逆に、筆者は自分の借用証書(銀行、政府、家族、友人から借りている分)を集計する(ここでも、筆者がカップ~杯分の砂糖の借用証書を発行しており、ドルでの支払いが強制され得るのであれば、これを含めるべきであろう。仮にカップ~杯分の砂糖の債権や債務がドルに決して変換されないのであれば、それらを実物資産や実物負債として扱うべきである。その資産から負債を引くことで、カップ~杯分の砂糖の実物純資産が求められる。実物資産については以下でより詳しく論じる)。筆者の金融総資産からこれらの金融借用証書を差し引くと、筆者の金融純資産が残ることになる。
 これだけで終わらないのは明らかである。筆者は家や車(や食器棚にある砂糖)を持っている。これらを得るために筆者が(自分自身の借用証書を金融機関やオートファイナンス会社などに発行して)借金をしたため、負債を抱えていると想定しよう。これは上記計算上の金融借用証書の一部に含まれることになる。だが、筆者はそれを数年間払い続けており、その未払借用証書の金額は筆者の車や家の価値よりもずっと低いものになっている。車や家の金銭的価値を計算し、金融資産の額と合わせることで、総資産の額を求められる。
 ここで正確にいえば、家や車の価値を算定する方法は複雑であり、会計規則の支配下にある。だがそれはここでの原則を理解するために重要なことではない。総資産全体(金融資産+実物資産)の価値を計算し、未払債務(通常金融債務であるが、砂糖の借用証書のような実物債務もあり得る)から差し引くことで、純資産を求めることができる。もちろんそれは実物資産と金融純資産からなる。筆者は実物資産(車や家)を持っているのだから、総純資産は純金融資産よりも大きくなる(純金融資産がマイナスになることもあり得る。できればプラスの実物資産によって相殺されない金額であってほしいが…そうでなければ含み損が出ているということになる)。
 この入門のほとんどにおいて焦点を当ててきたのは、経済の貨幣的側面であり、まさにケインズが「貨幣的生産(monetary production)」と呼び、マルクスが「M-C-M’」と呼んだものである。生産は貨幣から始まり、できた商品を売ることで「さらなる貨幣」(利益)が得られる。それに焦点を当ててきたのは、それこそが資本主義にほかならないからであり、我々の関心のほとんどが「現代貨幣」が資本主義経済においてどのように機能しているのかにあるからである(だが「税が貨幣を駆動する」という原理は、より前時代の資本主義ではない社会にも適用されることには留意してほしい)。
 しかし資本主義においてすら、全ての生産が最初に貨幣に関わっているわけではないし、全ての生産が利益を出す見込みをもって着手されるわけではないことは明らかである。およそ2時間後、筆者は夕食を作り、皿を洗うつもりである。金銭を支払われることはないし、もちろん利益を得ることもない。少なくともこの「生産」プロセスのいくつかは貨幣から始まっている。たとえば、料理に使う材料の大半は買ったものであり、洗うための水や石鹸も購入したものである。だが、材料の一部(特に筆者の労力)は購入されるものではないだろう。
 この種の生産は重要なものであろうか。アメリカのような高度に発達した資本主義経済においてすら、「労働力」の「再生産」(これらはマルクスの用語である。これらを「労働者を提供している家族を養うこと」と読み替えてもよい)に関わる全ての無給労働なしに可能な貨幣的生産がどれだけあるのかを確認するのは明らかに難しい。家事、育児、休養、気晴らしなどは大抵の場合、貨幣取引と関わっていない。それらに何とか金銭的価値を付けることはできるし、実際にそうすることもある。日々の皿洗いの形をとる「フロー」の側面(MMT入門の最初から行ってきた議論を思い出してほしい)があるだけでなく、「ストック」の側面もある。たとえば、若者が後に必要とするような知識の蓄積(しばしば経済学者が「人的資本」と呼ぶもの)などである。その(増大する)ストックは、我々の「実物資産」に加えられるべきであり、ゆえに我々の純資産にも加えられるべきである。だが、これらのものをドルによって測るのが非常に難しいのは明らかである。
 100~200年前は、多くの人々が荒野の空き地を区画に分け、ライオン、虎、熊などを消滅させ、先住民を追い出した後に、自分の住居を建てていた。彼らは土地を耕し、(事前に育てた)種を植えていた。農産物のうちの少しを売り、商品を少し買い、いくらか税を払っていたかもしれない。だがほとんどの部分について貨幣をあまり使うことなく、彼らは人生を送っていた。彼らは金融債務も金融資産もほとんど持っていなかった。だが実物資産を持っており、これらが生産に関わるものであったことは明らかである(仮に生産物のほとんどが消費されていたとしても)。やろうと思えば、それら全てに金銭的価値を付けることはできる。もちろんこういった「開拓者(settlers)」(かなり粗末な言葉選びであるが、これは先住民や動物や、より広くいえば環境に対してなしたことに関わらず、一般的に用いられている)の視点からすれば、そんな会計をするのはかなり愚かな行動であろう。少なくとも彼らが農場を売り、フロリダのビーチで余生を過ごすことに決めない限りはそうである。
 今日、もしあなたが自らの不動産の価値を高める作業小屋を建てたのなら、その価値を総純資産に加えることができる(当然ながら材料を購入するために借り入れた金額や切り崩した貯蓄分の金額を差し引く)。当該不動産を売却するときに、貨幣という形でその価値(新たに建てた作業小屋による追加分の価値を含む)を知ることができる。
 問題は、その貨幣がどこから来たのかである。購入者は住宅ローン融資会社に対して借用証書を発行しているかもしれない。そして融資を受ける金額は、作業小屋を建てたことによって追加された資産価値をカバーするためにほんの少し高くなっているだろう。「実物資産」たる作業小屋を貨幣という形で認識するのは、あなたが不動産を売却したときなのである。
 だがここで、購入者が十分な当座預金をあらかじめ持っており、(当座預金口座払いの小切手を振り出して)「現金」で支払ったとしよう。すると、すぐに無限後退に陥ってしまう。なぜなら、次には購入者の当座預金にある残高を、購入者がどのように得たのかを調べなければならないからである。ただ単に住宅ローンを組んだ人に対して、太平洋岸の家を売っただけかもしれない。だから結局はその当座預金残高も、銀行からの貸付に由来する可能性がある。そして前の節でみたように、銀行は借用証書を受け入れ(資産として銀行に保有される)、対応する金額分の当座預金(銀行にとっての借用証書であり、預金者によって保有される)を創りだすことで融資を行っている。よってここでも、あなたの家の購入者が当座預金口座に持っている「貨幣」を、貸付が創造していたことが分かる。
 無数のシナリオを検討することができるが、結局はすべて貸付に戻ってくることが分かるだろう。全ての銀行預金は、銀行が借り手の借用証書を受け入れたときに、銀行のキーストロークによって創造された――このように考えるべきである。よって、当座預金を用いて行われる購入はすべて、背景のどこかに貸付を持っていることになる。当座預金は銀行にとっての借用証書であり、銀行が借り手の借用証書を受け入れたときに創造されるのだ。
 ただし一つだけ例外がある。購入者が既に退職しており、社会保障に依存して生活しているとしよう。購入者はあなたの家(と作業小屋)を買うために、支払いを受けた給付金を数年間貯めていたとする。財務省は毎月、キーストロークによって購入者に給付金を支払っている。社会保障の支払いは、購入者に対する銀行の借用証書(要求払預金)となって現れており、それと同時に、銀行が連邦準備銀行に開設している準備預金口座の残高は増えることになる。(知ってのとおり、銀行は準備金を保有するよりも、むしろ財務省証券を買う方をおそらく選ぶ。だがそれは実質的に「連邦準備銀行に預けた貯蓄預金」であるものを、「連邦準備銀行に預けた要求払預金」と置き換えているだけに過ぎない。なぜなら国債は、より満期が長く、より高い金利を支払う中央銀行準備にまさに等しいからである。)
 数週間前に議論したように、政府は非政府部門にとっての「純金融資産」を、準備金、財務省証券、あるいは現金という形で創造する。政府が社会保障の支払いを行うとき、4つのキーストローク入力が行われる。

退職者:+要求払預金(債権)

銀行:+準備金(債権)、+要求払預金(債務)

政府:+準備金(債務)

 複式簿記により、すべての項目は2回入力される。1度は債権として、1度は債務としてである。銀行の財務状態の変化は、合計してゼロになる。債務たる要求払預金の増加分と全く同じだけ、債権である準備金が増加するからである。政府の借用証書は増加するが、これは退職者の要求払預金の増加分にちょうど等しい。この要求払預金の増加分は、非政府部門の純金融資産に加えられる。
 (とても勉強熱心な読者のために言っておくと、この背景ではもう二つの入力が行われている。受給資格を定めたルールを伴う社会保障制度が創設されると、政府のバランスシートの負債側に、政府が支払わなければならなくなった給付の額が入力されることになる。同時に、非政府部門のバランスシートの資産側に、支払われることになった給付金の額が入力されることになる。もちろんこれらは両方とも将来的に行われる。政府が給付金の支払いを行う際には、政府の「受給資格を持った人々に対して支払うべき給付金」は差し引かれ、非政府部門の「政府により支払いを受けることになっている給付金」も差し引かれる。議会の一筆により政府は支払わなければならない給付分の負債を負うことになり、民間部門の受け取ることになる給付分の資産が創造される。給付を貨幣化することによって、キーストロークがそれを「現実」のものにする。政府の借用証書が創造され、受給者がその金額分の要求払預金を得るからである。)
 筆者が言おうとしているのは、政府が「貨幣」を供給している限り、民間部門はそれを得るために「負債を負う」必要はないということである。だがこれは商品貨幣ではない。それは依然として、中央銀行準備という形をとった借用証書なのである。よって、(閉鎖)経済全体についての純金融資産の増分を計算するとこれもゼロになる。政府の借用証書の増分は退職者の要求払預金の増分と等しくなるからである。だがそれは、非政府部門にとっては、金融純資産の増加になるのである。
 では実物資産についてはどうだろうか。政府は実物資産も多く所有している。橋、道路、公園、公共建物、爆弾、空母などである。これらも、国民総純資産に加えられる。
 最後に、外国に対する自国の実物/金融債権や、自国に対する外国の実物/金融債権についても検討する必要がある。両方の実物/金融債権(およびそれらの合計)がプラスにもマイナスにもなり得るのは明らかである。これらは主に様々な通貨によって表示されるので、為替レートも計算に入れる必要がある。
 それでは、頂いた質問についてである。

(引用はじめ)
 ある人が自らの食物を育て、余暇に土から金を掘り出しているとしましょう。この人は現金経済に実質上参加することなく、長い時間をかけてかなりの富を蓄積するかもしれません。公的部門バランスはこの人と無関係なものかもしれません。支払えないほど高い医療を必要とするような病気にかからなければ、現金経済の端か、あるいは完全に外側でも、いくらかは裕福であるかもしれません。もちろん、自分では作れないものが欲しくなれば、それを(自らの金と交換した現金で)買うために現金経済に参加しなければならないでしょうが。アラスカに自力で(最初に持ってきたローテクの道具を時々足しながら用いて)作ったキャンプ場で、数十年間独り暮らしをしていた男性のことが思い浮かびます。彼がとても幸運で、堆積してできた金鉱床の近くで野営していたならば、現代社会から引退する前よりもはるかに裕福になっていたかもしれません。
(引用おわり)
 これは、我々の提示した作業小屋の例にまさに一致する。ただし、輝かしく、光沢があり、作業小屋よりもずっと役に立たないという点は別である。ある人が森を開拓し、家と素晴らしい薪小屋を建てる代わりに、地面に穴を掘って金を見つけるとしよう。金は(ちょうど薪小屋のように)市場価格で評価することができる。今、その人は銀行口座の残高を増やしたいため、金を売ろうと考えたとしよう。買い手はどのようにしてその人から金を買ってくれるだろうか。先ほど議論した住宅ローンの例と全く同じである。銀行へ行き、借用証書を差し出し、要求払預金の残高を得て、小切手を振り出し、金の売り手に要求払預金を送金するのである。
 又は、借り手がすでに十分な残高を要求払預金口座に持っていたとしよう。ここでも、無限後退である。結局これも貸付から来たものなのである。
 例外は政府である。仮にこの売り手が金を政府に売った場合、政府は売り手の要求払口座と、銀行の準備預金口座に貸方記入する。政府による金の購入は、ちょうど社会保障の支払いと同じである。ただ、金の購入の場合に政府は、遊離されて歯冠としてより良い使用がなされることがないように、わざわざ鍵をかけて保管して盗賊を遠ざける必要があるという点は別である。
 結論として、実物と金融の違いが今や誰から見ても明らかなものとなっていれば幸いである。そしてどのような社会においても、この上なく興味深い活動の多くが貨幣領域の外側で(又はほぼ外側で)行われているという点については、MMTerも完全に同意見であるということは付言しておきたい。そしてそれらは重要な活動である。これらの非貨幣的活動がなければ、貨幣領域も存続できないであろう。これまで以上に多くの活動について、この絶え間ない「貨幣化」を行うのはかなり問題があるというのが筆者の見解である。おそらく地球上の他の多くの生存だけでなく、我々人類の生存をも脅かすであろう。筆者は自分自身の子供の世話のようなものに金銭的価値を割り当てることにも――経済学者がいつもやっていることであるが――反対する。
 だが結局のところ、これは現代貨幣についての入門であるため、現代貨幣こそが焦点のほとんどを向ける対象なのである。その一方で、人類学者、政治学者、芸術史家が研究しているとても興味深い物事の大半は捨象しているのである。
以下、頂いた質問である。

(引用はじめ)
関係各位

 およそ1ヶ月の間、MMTと主流派の議論をとても興味深く見ています。私は物理学者としての教育を受けており、経済理論についてはっきりした意見を持つ資格はありませんが、あなた方の議論に欠陥を見つけることはできません。
ですが、私はMMTの見方を、混乱を招くものだと感じました。私の混乱を形にすることは、考察のために役立つかもしれません。というのも、この混乱がほかの人を――それさえなければあなた方のアプローチにより共感したかもしれない人々を――苦しめるかもしれないからです。
私の思考の根本的な躓きは、私が金融資産と実物資産を一つにまとめたり、混合したりしがちであるという点にあります。この混合のせいであなた方の見方は理解しがたいものになっているでしょうし、右寄りの人々の目には不快にすら映るのでしょう。
ある人が自らの食物を育て、余暇に土から金を掘り出しているとしましょう。この人は現金経済に実質上参加することなく、長い時間をかけてかなりの富を蓄積するかもしれません。公的部門バランスはこの人と無関係なものかもしれません。支払えないほど高い医療を必要とするような病気にかからなければ、現金経済の端か、あるいは完全に外側でも、いくらかは裕福であるかもしれません。もちろん、自分では作れないものが欲しくなれば、それを(自らの金と交換した現金で)買うために現金経済に参加しなければならないでしょうが。アラスカに自力で(最初に持ってきたローテクの道具を時々足しながら用いて)作ったキャンプ場で、数十年間独り暮らしをしていた男性のことが思い浮かびます。彼がとても幸運で、堆積してできた金鉱床の近くで野営していたならば、現代社会から引退する前よりもはるかに裕福になっていたかもしれません。
 上記の考え方は、合成の誤謬ではない(少なくとも完全に合成の誤謬であるとはいえない)と思います。現金経済の外側で自活できたり、裕福にさえなれたりする人が存在するからといって、全ての失業者にそれが可能であると考えるのは誤っているかもしれません。しかし、ここで示した見方にも実物資産と金融資産の区別があります。原則として民間部門は、公的部門の黒字がなくても、実物純資産を生産することができます。しかし、それには現金経済の外側にある労働力が必要です(少なくとも私にはそう見えます)。
「民間部門の富(ここでの「富(wealth)」はMMTに従い「金融資産」を指します。これこそが私が陥りがちな基本的な混乱です。あなた方の議論は「富」それ自体ではなく、「金融資産」に言及しているからです)が増えるためには、公的部門が赤字でなければならない(外国部門を無視する場合、あるいは地球全体を考慮する場合)」 という部門別バランスに係るMMTの議論を読むとき、(労働価値説はいうまでもなく)この「独立生産者」の考え方のような何かが背後に潜んでいます。少なくとも私にとってはそうですし、他の皆様にとってもそうかもしれません。私の後頭部には「労働が富を創りだす」(「実物資産」)ため、公的部門バランスに関わりなく独立した労働者たちが自らの富を生み出すことができるはずだという、マルクスの見方があります。私はマルクスの思想についてかなり表面的なレベルでしか知りませんが、資本の支配者が生み出した剰余を消費するために必要な行為について彼が考える際に、公的部門の赤字について考慮しているようには思われません。
あなた方の枠組みにおいて実物資産の占める位置について明示的に議論するのは、MMTコミュニティーにとって有用なのではないかと思いました(すでに議論がなされているにも関わらず、私があなた方の研究について十分に知らないために気づいていないだけかもしれませんが)。あなた方が実物資産について注意を払っているのは確かです。ひとは金融資産に住むことも、金融資産を着ることも、金融資産を食べることもできません。消費に必要な資金は、需要に応じて生み出された所得から供給されますが、その消費の対象は物体です。少しでも広い範囲の人々による実物資産の蓄積は、非統治者の幸福を気にかける政府のまっとうな関心事です。もしかするとこのことは、実物資産の蓄積(あるいは消費)のためには現金経済内の雇用が必要であるという前提に立てば、あなた方の関心事とは無関係かもしれません。原理的にはそうである必要はありませんが、実物資産の生産は現金経済内で行われるほうがずっと効率的であることには私も同意しましょう。それが消費のためであろうと蓄積のためであろうと、同じことです。人口の大部分がとても非効率的な方法を用いて、自らの消費のために生産しているとすれば、それは有益なこととはいえません。
 それにもかかわらず、現在の経済危機の中では「独立生産」の著しい増加が見受けられるように思えます。2007年以降、園芸がはるかに多く行われるようになっているという記事を読みました。時がたつにつれて、人々は自らの食物のいくらかを自らの手で育てるようになってきています。この種の独立生産や、他の種類の独立生産は、さらに増えるでしょう。労働市場への米国の賢明な介入を国政が妨げている以上、ほぼ間違いなくそうなると思われます。現金経済の失敗が、非効率的に生産された実物を物々交換する、大規模な地下経済の出現につながるかもしれません。拡大しつつあるこの現象は「独立生産者」概念が何であるかを示しており、その現実が私以外の人々の思考を困惑させるかもしれません。
 私がMMTの議論について熟考するときに感じている混乱を、他の誰も感じていないかもしれません。しかし他の人々も似通った理由で混乱しているかもしれません。
あなた方の研究や、公開された場での活動に感謝します。

(引用おわり)
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