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同盟題目

 投稿者:  投稿日:2016年 9月26日(月)23時45分22秒
  今晩は、皆様
ありがとうございました
謙虚な心で題目をあげることが出来ました
同盟題目のおかげです
ありがとうございました
おやすみなさい
 

さらに明るい様

 投稿者:宝冠  投稿日:2016年 9月26日(月)23時21分42秒
編集済
  はじめまして

「ターゲットが違うだけで、同じ論陣」とのご意見、ありがとうございます

自分もはじめそう思いました
どちらもこちら側に師弟不二がある
正義があると主張し、相手側を断罪しています

まさに
「ターゲットが違うだけで、同じ論陣」
です

しかし、実は「ターゲットが違う」ことこそが大事な違い
その違いが全ての違いです

宿坊は「最高権力者」の不正に声を上げています
時の会長、聖教等

反板並びに某氏は弱い立場の人間を糾弾しています

先生は後輩は包容して上げなさい
叱ってはいけない
叱るならば権力者を叱りなさいと言われています

ターゲットが誰か?
叱り飛ばしている相手は誰か?
そこに師弟不二か?師弟違背か?
同じことをしていても別れると思います

大白蓮華 10月号
法主信仰の邪義
「宗門の法主であった阿部日顕とその一派が終始、主張しているのは、法主は絶対であるから、ともかく法主に従えという、一切の対話を拒絶して独善化を進める「法主絶対論」「法主信仰」です
法主を絶対とする故に日顕宗というのです

例え法主であろうとも、仏法から逸脱して、自分勝手な主張をする場合は、それを用いてはならないと断言されています
日興上人は、貫首すなわち後代の法主が誤りを犯すこともあり得ると想定されていたのです

時の法主や、しかるべき学を積んだ僧が、僧侶としてあってはならない間違いを犯すことがあったとすれば、本来は即刻破門にするべきだが、むしろ、一般の僧として修行を再びやり直させて、根本的に謝罪する道をとらせるべきである

まさに大白蓮華に記載されている通りだと思います
法主を会長、主任副会長等に置き換えて下さい

この通り、糾弾しているのが、宿板です
宗門のことは、糾弾してもいいが、会内はするべきではないと思う人もいるかと思います

しかし、宗教はダンダン外道に堕ちていくと大聖人は言われています

宗祖の時代、民衆の為に始まった宗教が権力、財を握り腐敗し堕落して行った宗教は世界中に、はいて捨てるほどあります

創価学会がそんな宗教と同じにならないように
先生は、皆で声を上げろと言われています

「魚は頭から腐る」
トップから腐ると牧口先生は言われています

池田先生が理想とされている民主主義は、民衆が賢くなり、上を威張らせないことにあると思います

会長を威張らせない!
幹部を威張らせない!
職員を威張らせない!
議員を威張らせない!

日本は上に行けば行くほど甘やかされ勝手なことをしている人が多い

公明も会員の手弁当、その上、年間3000円の党費も徴収
それで、会員の声を聞くならば、まだ、許せるが、会員の声は無視
安保の時の天野さんに対する仕打ちを見れば、公明はどこを向いているのか?
手弁当で動くのは会員
会長は会合の渡り鳥
会長は党に自分の言う事を聞け!ではなく、会員、国民の声を聞くよう諭すべきではないか?
市民相談に力を入れていた公明が懐かしい

上を威張らせない!
師匠の精神に違背させない!
これが宿板の皆さんの思いだと思います
そこに気がつき、賛同
投稿、始めました



 

同盟題目23時から開始します

 投稿者:信濃町の人びと  投稿日:2016年 9月26日(月)22時54分9秒
  任意、自由参加です。よろしくお願いします。  

いつも感謝しています、

 投稿者:地区ブチョ?、メール  投稿日:2016年 9月26日(月)21時25分35秒
  皆さんの豊富な文証。いつも感謝しています。提供できる文証はなにひとつ持っていません。
ただ、何が間違いか、何が正しいかの判断には大いに助かっています。

 

全集未収録スピーチ

 投稿者:無冠  投稿日:2016年 9月26日(月)20時39分13秒
編集済
  全集未収録のスピーチ144編の各抜粋(聖教新聞 2006.5~2010.4)を掲示します。

2009-4-22 【新時代第28回本部幹部会 シドニー平和財団「金メダル」授与式】

■ 一、きょう出席してくださった、シドニー平和財団のスチュアート・リース理事長は、偉大な平和主義者であり、著名な学者であり、優れた詩人でもあられます。
そしてまた、皆様もお分かりの通り、とてもユーモアにあふれた素晴らしい人格の持ち主であられます(笑い、大拍手)。
〈リース理事長は、池田SGI(創価学会インタナショナル)会長のスピーチの前に登壇。ユーモアを交えて、「授章の辞」を述べた〉
 私がともに対談集を発刊したアメリカのガルブレイス博士(世界的な経済学者)にも、どこか似ていらっしゃる。リース理事長をはじめ、オーストラリア・シドニー平和財団の諸先生方、本曰は、ご多忙のなか、大変にありがとうございます大拍手)。

■ 一、「戦争の英雄」などではなく、「平和の英雄」にこそ最高の勲章を贈るべきだと言った人がいました。
私は、リース理事長のような「平和の行動者こそが、最高に讃えられるべきだと思います。
その意味で、私たちは、心からの大拍手をもって、平和に尽力される先生方を讃嘆申し上げようではありませんか!(大拍手)

■ 豊かな自然と詩心の大国・オーストラリアの文学にも、かねてから注目してきました。
 思えば、いつも私は、恩師の戸田先生から「今、何の本を読んでいるのか」「それなら、その内容を言いなさい」と矢継ぎ早に追及されました。
ゆえに、読まないではいられなかった。まさに、本を読んで読んで読みまくった青春時代でした。
 皆さんも良書を読んでいってほしい。低俗な雑誌などを読んでいる者は、先生から叱り飛ばされたものです。
貴国の詩人ジェフリー・ぺイジの「不屈の魂」という有名な詩があります。それは母を讃えた〃詩〃です。
「母たちの生きた一日また一曰を、一夜また一夜を、私は讃える。来る年も来る年も、『不屈』の二字に彩られた、苦しくも実り豊かな母たちの人生を、私は讃える」という詩であります。
私は、この詩を読んで胸を熱くしました。
心から感動しました。

●平和と文化の旗手に感謝を
 一、さらに、きょうは、大切な宝ともいうべき「無冠の友」 ー聖教新聞の配達員の皆様方も参加されている。毎日毎朝、本当に、ありがとうございます!
どうぞ、立ってください。皆で拍手を送ろう!〈無冠の友の代表が立ち上がり、盛大な拍手が寄せられた〉
 学会のリーダーは、この尊き方々を、仏のごとく敬っていくのです。
いつも、平和と文化の機関紙を届けていただいている。最大に感謝を捧げていくのは、当然のことです。
 使命深き無冠の友の皆さん! どうか、お体を大切に。ご家族の方にもよろしくお伝言ください。
 私も少年時代、約3年間にわたって新聞配達をしました。11歳の時からです。
もつと眠りたいと思う時もあったけれども、一軒一軒、丁寧に配っていった。
 ある配達先のご夫妻は、いつも私に親切にしてくださった。
田舎の秋田から送ってきたという香ばしく乾燥イモを新聞紙に包んで、両手がいつばいになるほどいただいたこともあった。
 「池田君、頑張ってるね!」と温かな声をかけてくださった。私の大切な青春時代の思い出です。
 だからこそ、皆さん方のご苦労は、よくわかっているつもりです。大変でしょうが、どうか、誇り高く進んでください。
私は、新聞配達をしたおかげで、丈夫になりました。長生きすることができました。多くの社会の変動を察知する力を持ちました。
 広布を担う新聞配達は、健康と社会勉強の道でもある。すべてにわたって、自身を磨き、勝利しゆく道で語ると確信していただきたい(大拍手)。

●苦楽を共に
 一、感謝の心を表すことは、価値を創造しゆく重要な人間学ともいえましょう。
本日、お迎え申し上げたシドニー平和財団のリース理事長は、この「感謝」という人間性の真髄の心をもって、一人一人の生命の尊厳と幸福のために、戦い抜いてこられた、高名な指導書なのであります(大拍手)。
 私も、博士のことをよく知る一人であると自負しております。
偉くなると傲慢になったり、威張ったりする人もおりますが、リース理事長は「感謝の心」を忘れず、大切にしてこられた。
 そのリース理事長が、最も苦楽を共にしてこられたランヒル夫人に対して、最大の感謝の念を抱いておられることを、私は友人として、よく存じ上げております。
偉大な歴史を刻んでこられた麗しきご夫妻に、もう一回、新しい気持ちで大拍手を送らせていただきましょう(大拍手)。

●民衆こそ偉大
 「ただ今、私が拝受いたしました、荘厳に輝く黄金のメダルには、「正義に基づく平和」という、深遠なる大哲学が厳然と刻まれております。
 シドニー大学に学び「世界人権宣言の制定などにも尽力した、貴国の法律家であり政治家のエバット博士は、こう述べられた。
すなわち、「我々が望む平和とは〃正義に基づく平和〃である。すべての国のすべての人に、充実した幸福な人生を可能にする平和を、我々は望む」と。
私たちの「立正安国」、そして「世界広宣流布」の大願とも響き合う言葉であると言えましょう。
 真実の「平和」とは、「正義」と一体でなければならない。
ゆえに、正義を阻み、人々を不幸にする邪悪とは、断固、戦わねばなりません。
日本には、見栄っ張りや臆病のために、権力の悪と戦えない風潮
がある。そう指摘する人もいます。
 社会的に光の当たる指導者が偉いのかー断じて違います。彼らよりも、彼らを支える民衆のほうが、はるかに偉大なのです。
 その民衆が悪を黙認すれば、悪は、ますます増長する。狡猾な悪人に騙されてはならない。許してはならない。

●師子は「負けない生命」の異名
 一、大切なのは、民衆の一人一人が 師子」になることだ。
君たちが師子となるのです。
戸田先生も牧口先生も、何度もおつしゃていたことです。
「一生、臆病な羊でありたくはない。それより、ただ一日でも勇敢な師子として生きたい」
 これは、小児麻痺の治療などに貢献した、貴国の有名な看護師エリザベス・ケニーの毅然たる決心でああります。
 シドニー大学の紋章には、悠然と前進しゆく「王者の師子」が描かれている。素晴らしい最高学府です。
私たちも師子として進もう!
師子は、仏法における「師匠と弟子」に通ずる。
師匠と弟子が一体の、偉大な「師子」を目指す。これが仏法です。人生の大きな目的であり、「人間革命」です。
 また、女性に対して傲然たる態度をとるのは、〃畜生〃の師子だ。女性を尊重してこそ、わが師に教わった〃師子〃の姿となるのです。
弱い立場の人を苦しめたり、いじめたりするのは、最低の人間である。そういう傲慢とは戦うのです。
 師子とは、「何ものも恐れない」生命、そして「絶対に負けない」生命の異名です。
 師子とは、勝利者の誇り高き栄冠の象徴なのであります。

■ 一、リース理事長の父上は、第2次世界大戦で日本軍の魚雷の攻撃を受けて、両手の自由を奪われました。
日本がかつて戦争で、どれほど非道な行為をしてきたか。どれほど多くの人々を苦しめたか。
 私は日本の傲慢さが大嫌いでした。
 私は、傲慢な人間、ずる賢い人間、人の不幸を喜ぶ人間、健気な庶民を馬鹿にする人間とは、断固としで戦ってきました。民衆を見下す権力悪とは、戦い抜いてきました。
 だからこそ、幾多の迫害を受けました。
 誹謗され、中傷されました。
しかし、そうした圧迫の中でも、学会をここまで発展させた。偉大な存在にしました。
 これからの時代を担うのは、青年の皆さんです。皆、世界的学者や指導者に育ちゆく尊き方々です。
 皆さんには、素晴らしい日本を築いていってもらいたい。かつての日本の過ちを繰り返させては、絶対にならない。

● 戦火を越えて
 一、戦争は、あまりにも残酷だ。
私の家族は立派な家に住んでいました。父が余生を悠々と送るために建てた家です。
 しかし、戦争のために強制疎開で壊されてしまった。今度は、親戚がいた馬込に家を建てました。しかし完成して間もなく、焼夷弾の直撃を受けて焼けてしまった。
終戦を迎えたのは17歳の時です。すべてをめちやくちやにされました。
4人の兄は、皆、兵隊にとられました。長兄はビルマ(現ミヤンマー)で戦死。ほかの3人は中国から、命がらがら帰ってきた。
父は病気。私も肺病で、明日をも知れぬ身でした。とても学校に通えるような状況ではなかった。
 ともあれ、リース理事長の亡き父上は、憎い戦争のせいで、大好きなピアノも弾けなどなってしまった。
 しかし、ピアノの代わりに、美しい声で朗らかに歌い、地域の友を勇気づけ、励ましていかれました。
 そして、優しく人々に尽くす母上と手を携えながら、素晴らしき社会貢献の勝利者として、師子のごとく堂々と戦っていかれたのです。
 師子は願まない。
 師子は負けない。
 師子は嘆かない。
 師子は速い。
 師子は吼える。
 師子は走る。
そして、師子は必ず勝つのであります(大拍手)。

● 「俺も師子だ。 お前も師子だ」
 一、権威を振りかざす人間にも強いのが、本当の師子です。
戸田先生が、そうであられた。
厳しき人権闘争の中で、私は「すぐ来てくれ」と呼ばれれば、真夜中でも先生のもとへ駆けつけた。厳愛の薫陶が、私を鍛え上げてくれました。
強大な軍固主義と戦い、牢獄から出られた先生は、深く体を痛めつけられていた。しかし心は燃えていた。
 苦難の中で、先生は言われました。
「俺も師子だ。大作、お前も師子だ。師子とは、師弟不二だ。師も弟子も、勇猛に勝ちまくるのだ」
 今も、私の頭から離れない。胸から消えない一言です。
 私は、その通りに戦ってきました。そして勝ちました。
若き皆さんも、師子の心で戦い、すべてに勝利してもらいたい。
頼むよ!〈「ハイ!」と力強い返事が〉

■ 一、今、経済の不況は厳しい。
だからこそ、世界の全同志が、師子奮迅の生命力で、一切を乗り切り、勝ち越えていくのです。皆、師子なのだから!
 私と妻は、一心不乱に、学会の前進を祈りきってきました。朝なタな、また夜中にも、ずつと一生懸命、祈り続けてきた。
これも、恩師・戸田先生に、わが同士の皆さんが勝っている姿をご報告したい。そう決意しているからです。
 わが壮年部、そして青年部の戦友たちよ!
ともに無敵の師子となり、大勝利を勝ち取って、人生を永遠に飾っていってもらいたい。勝ちなさい!〈「ハイ!」と返事が〉

●革命をやめるな
 一、男住は、女子部や婦人部に対しては、「紳士」であっていただきたい。絶対に威張ってはならない。
創価の女性は、本当に偉大だ。広宣流布のために、一番真剣に戦ってくださっている。
 それを軽んじたり、ふざけ半分の態度で接するならば、とんでもないことだ。男性として〃下の下〃の姿だ。
 レディーファーストが紳士の常識である。
 それに反するのは、真の学会ではない。
?
■ 一、現実の社会には卑劣な人間や、悪意の人間もいる。その中で我らは精神革命の戦いを進めている。
 時には「大変だな」「嫌だな」と思うことがあるかもしれない。
よくわかります。しかし、戦いをやめてしまってはいけない。
ぐっと我慢して、苦難を乗り越えていく。
そこにこそ、「わが心の勝利」があるのです。これを決して忘れないでいただきたい。

●「誤りを正すには誠実に語ること」
 一、学会は師子の団体です。師子なればこそ、叫ぶことです。
叫ばない師子はいない。師子吼しなければ、もはや師子とは言えない。
リース理事長と私の共通の友人である、あの人権の師子・マンデラ元大統領(南アフリカ共和国)も述べておられました。
 「中傷の誤りを正す最良の手立ては、自分のしてきたことをただ素直に、誠実に語ること」である、と(東江一紀訳『自由への長い道lネルソン・マンデラ自伝(下)』日本放送出版協会)。
 語りきっていく。虚言を打ち破る。正義を打ち立てるには、それが一番大事だ。
真実を、生き生きと自信満々に語る人が、本当の英雄である。
丈夫である。師子である。

●「正義の完勝の旗」高く!
 一、貴国の女性詩人ジュディス・ライトは、声高らかに謳いました。
「仲良く信頼し合い、共に生き、共に働くことは、深い暗闇の中で、尊き光の価値を示すことになるのです」
 今、人類は再び、力を合わせて、「戦争のない世界」「核兵器のない世界」へ前進しゆく、大きなチャンスを迎えつつあります。
大事な大事な時代です。平和への流れを逆行させることがないよう、民衆が厳しく監視しなければなりません。
 敬愛するシドニー平和財団の先生方とご一緒に、私たちは、平和を願う世界市民の声を、さらに強く、高めていこうではありませんか(大拍手)。
 皆で、シドニー平和財団の崇高な理念を、世界に宣揚してまいりたい。
そして、一つまた一つ、重見ある団結と行動で、「正義の完勝の旗」「正義の大勝利の旗」を掲げながら、皆、健康で朗らかに、勝ち進んでいく青春時代であってください。
 このことを全員で決議して、本曰の〃シドニー会議〃を終了します!
ありがとう!(大拍手)

※編集部として、SGI会長の了承のもと、時間の都合で省略された内容を加えて掲載しました。

 

説明不足でした(-_-)

 投稿者:イケディアンの住人(正義の獅子同盟)  投稿日:2016年 9月26日(月)19時20分30秒
編集済
  先日の柳原滋雄氏コラム日記で、宿坊の掲示板引用による書き込み(便所の落書き)から、彼を『便所虫』と認定しましたが、余りにひどいとの関係者からのメールで、改めて『便所男No.3』と認定しました。

『便所男No.3=柳原滋雄』

では、No.1は?
言わずと知れた刺繍入り糞タレ勝負パンツを穿いて、女子トイレの周りを徘徊して獲物を探す谷川佳樹創価学会主任副会長です。常習の374919事件発覚以来、狂言告訴やってダメになり、この事件を口外した者、また気にくわない者も全てハタチ一派として査問豊作・除名便所男で片付けている。もう、やり放題・し放題の人物です。便所の落書きを見ながら興奮している様は、もう、ど変態の領域ですね。

『便所男No.1=谷川佳樹』

便所男No.2は、創価村理事長の佐藤ビロシです。オカマで政治権力大好きで毒饅頭を食べ過ぎて頭も身体も痴呆老人(-_-)

『便所男No.2=佐藤ビロシ』

尚、人物確定が出来れば、便所男No.○○の認定をしていきたいと思います。

 

便所男No.3が、言っている『田口』って誰?ハタチですか?

 投稿者:イケディアンの住人(正義の獅子同盟)  投稿日:2016年 9月26日(月)19時01分26秒
編集済
  便所男No.1が、性暴力の権化で創価村貴族社会の大患部、自らの痴態を暴露された腹いせで、ハタチ氏並びにハタチ一派(全く無関係な方まで)を査問豊作・除名便所男で犯っているから、私はこの便所男が滑稽で有り、叩き甲斐があるから、様々な視点から投稿しているのですが、『田口』って方は、何か実害があったのですか?『田口=ハタチ』ですか?

便所男No.3の私的な妬みとか、怨みがあるとかですかね?不思議ですね、どこから、そんな話題が出てきたのか?創価村貴族社会からの依頼ですか?それとも便所男No.1からの勅命ですか?よく分かりません(-_-)
 

福徳!

 投稿者:螺髪  投稿日:2016年 9月26日(月)18時37分4秒
  >その人間革命は、根本的には、仏の生命と一体の中で、できる。仏と境智冥合することによって、「自分を変える」力が、自分の中からわいてくるのです(投稿者:信濃町の人びと   投稿日:2016年 9月26日(月)17時53分34秒 )<
http://6027.teacup.com/situation/bbs/57003

 結局、ここなんでしょうね、出発も、帰結も。

 何をやっても「福運」がないことには実らない。一生懸命も大事ですが、この「福運」なくしてすべては徒労に終ってしまいかねない。一体、「福運」とか「福徳」というのはどのようなものなのでしょう。「境涯」も実質的に「福運」とか「福徳」です。「王道」も「徳の道」だと言われます。

 「潮10月号」の随筆「波音」で、国文学者の中西進氏がこんなことを書いています。
  大阪・難波の大店(おおだな)の番頭だった山片蟠桃(やまがた ばんとう、1748~1821年)の話です。

  (以下抜粋)
  「地方で木を切って難波に出すと、難波ではそれを使って箪笥や長持ち作って高く売る。地方の者はそれを買って帰る。だからいつも田舎は貧しく、都市は豊かなのだ、と。
  ここでその通りだと思ってしまってはいけない。
  木だって生えてきて成長まんま売り物になったのではないだろう。何年も育てたあとで売るのだから、工夫して商品にするのがよい。『田舎』の民だって、生産者であることを自覚する必要がある。
  =中略=

  それでは、どうすれば変えられるのか。
  何か特効薬があるのかといえば、その答えも、予想に反しながら核心をついている。まず聖人・賢人の教えをよく勉強して、自分からその実践を心がけなさい、と言う。
  このような自分であってこそ初めて、どのようにやり方を変えればよいかも、探りあてられるはずだ。
 つまり、蟠桃(ばんとう)の実践のすすめは、まず人間としての修養が必要で、そのうえでよい手段も自然と出てくる、という考え方である。
 とかく世間では、方法しか教えてくれない。やり方を知っていれば何でもできる、と考えがちだが、蟠桃(ばんとう)は真っ向からそれを否定する。

  なるほど、素材のうえに工夫を凝らし、技術をもって品質を向上させるのは自分なのだから、上等な品物とは、素材のうえに作り手の人間力が加わったものだ」

 というのです。
=以下略=

 「まず聖人・賢人の教えをよく勉強して、自分からその実践を心がけなさい」というのが、ここでの核心でしょう。
 そのような自分であってこそ、初めて、どのようにやり方を変えればよいかも、探りあてられるはずだ、としています。その探り当てたものを「人間力」と表現しています。

 その「人間力」とは、「智恵」や「福徳」のことではないのでしょうか。その土地、その時代に合った智恵の創出とは、まさに「随縁真如の智」にほかなりません。「策」や「方法」ではそれは湧きません。「徳」も同じです。「人間力」とは、「仏の徳」と言えるのではないでしょうか。

 智慧も、福徳も同じもののようです。学も、同じものです。

 「御義口伝に云く是師とは日蓮等の類いなり学とは南無妙法蓮華経なり随順とは信受なり云云」(御義口伝P739)
 「三世の諸仏の智慧をかうは信の一字なり智慧とは南無妙法蓮華経なり、信は智慧の因にして名字即なり信の外に解無く解の外に信無し信の一字を以て妙覚の種子と定めたり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と信受領納する故に無上宝聚不求自得の大宝珠を得るなり」(御義口伝P725)


 【山片蟠桃】(やまがたばんとう)=ネット検索にて
 江戸中・後期の経済論者・思想家。長谷川有躬、のち改姓して山片芳秀(よしひで)。通称升屋久兵衛、小右衛門(升小)。播磨(はりま)の人。大坂に出て丁稚(でっち)となったが、両替商升屋山片平右衛門に理財の才を認められ、そこの番頭となる。


 

池田先生の青春対話より【「人間として」偉くなれ、慈悲の存在に】

 投稿者:信濃町の人びと  投稿日:2016年 9月26日(月)17時53分34秒
編集済
  ■「人間として」偉くなれ

―― たしかに、道徳の本とかを読んでも、それだけで人間革命できる人は、ほとんどいないと思います。

池田 道徳の本なら何千年も昔から無数にある。自己啓発の本などもあるが、言葉だけで人間革命でき、宿命を変えられるならば、苦労はない。
創価学会は抽象論ではなく、一貫して現実の人間革命を追求している。心を変革し、最高善の方向へもっていく。生きていく。行動していく。
その人間革命は、根本的には、仏の生命と一体の中で、できる。仏と境智冥合することによって、「自分を変える」力が、自分の中からわいてくるのです。

―― 自分の中にある「自分を変える力」――それが仏界ですね。
これは北陸の男子高等部長から聞いた、あるメンバーの体験です。
彼には三人の親友がいて、よく一緒に話したり、マンガを読んだり、という仲だったそうです。夏休みのある日、たまたま今の社会への不満や「運命とは」という話題になった。人生観についての話が何時間も尽きなかったそうです。その後、池田先生の著作を友人が「貸してくれ。うちで読むから」と持っていった。「青春対話」も読み合うようになった。学校の授業で、いちばんふざけていた四人は今、いちばん真剣に授業を聞くようになったというのです。
人間、だれでも、「成長したい」「変わりたい」と心の底では思っているのではないでしょうか。だから、ちょっとした、きっかけで変わることがあります。

池田 人間だけが「向上しよう」「成長しよう」と思うことができる。ただ流されて生きているだけではなく、もう一歩深い、人間としての方向転換をしようと思うことができる。
いわゆる「偉くなる」というのは、社会の機構上の話です。人間革命するとは、もっと深い、自分の内面のことです。永遠性のものです。社会的な偉さよりも、はるかに偉いことなのです。
人間は人間です。人間以上のものになれるわけではない。だから「人間として」の自分を変えていくことがいちばん、大事なのです。名声で自分を飾り、地位で自分を飾り、学歴で飾り、知識で飾り、お金で飾っても、本体の自分自身が貧しければ、貧しく、空虚な人生です。
すべてをはぎ取った、いわば「裸一貫」の自分自身がどうなのか。生命それ自体を変えていくのが人間革命です。釈尊も王子であったが、一切を捨てて、裸一貫の自分になって修行した。人間革命です。日蓮大聖人も、その当時、社会的には最低の存在とされた「旃陀羅が子」であると堂々と宣言されている。

―― たしかに、いわゆる″偉い人″が、名もない庶民よりも、人間としては、ずっと劣っていることは珍しくありません。
それどころか庶民は皆、平和を望み、幸福を願っているのに、社会の指導者が人間革命していないために、皆を戦争に引っ張っていったり、不幸の方向へ導いていくということがあります。

池田 二十世紀は二回も世界大戦を起こしてしまった。何億という人たちが地獄の苦しみを味わった。その原因は何なのか――それを考えた結論が、「人間自身が慈悲の存在に変わらなければいけない」ということなのです。
 

煽り?

 投稿者:八尋みのる  投稿日:2016年 9月26日(月)17時49分43秒
  意味ないよ~
 

巨悪は追放を!様に同意

 投稿者:劔捨  投稿日:2016年 9月26日(月)17時30分35秒
  巨悪は追放を!様に万票

http://6027.teacup.com/situation/bbs/56983
 

沖縄の方

 投稿者:うーこメール  投稿日:2016年 9月26日(月)14時28分45秒
  先程沖縄で震度5地震がありました。沖縄の方大丈夫ですか?  

柳原滋雄②

 投稿者:信濃町のネット対策チームの対策  投稿日:2016年 9月26日(月)14時24分15秒
編集済
  信濃町のネット対策チームの対策です。

昨日に続き「プロ」の「執筆家」であります柳原滋雄のコラム日記について書き込みさせていただきます。

柳原滋雄は本を数冊、世に出している「プロ」の「執筆家」です。
「プロ」であるならば感情に任せた、思い込みや取材不足の駄文を書くことは、恥ずべき行為であります。

さて、柳原滋雄のコラム日記を見ると感情に任せた思い込み記事が満載しています。
柳原滋雄がコラム日記で目の敵にしている、田口氏も波田地氏もこの掲示板に登場はしていないと承知しております。
それともこの中に二人は登場していると言う「裏取り」はされたのでしょうか?

彼は誰からも依頼されず主体的にコラム日記を書いているようですので、是非とも「プロらしく」しっかりと「裏取り取材」を行ってから「執筆」されることをお勧めします。

それとも柳原滋雄は個人的に田口氏や波田地氏に恨みの感情があるのでしょうか?

一般会員さんの大多数が田口氏、波田地氏の名前すら知らない状況ですよ。
大多数を実数で言いますと私の所属する組織の男女青年部、壮年婦人部に約30名に聞き取りしましたが、田口氏、波田地氏の名前も知らなければ、除名の事実、除名の理由も知りませんでした。
これが現場の生の声です。

皆様の回りの一般会員さんは田口氏、波田地氏を知っていますか?
質問してください。
除名された会員で誰を知っているか?
山崎ぐらいではないでしょうか。

こんな「無名な二人」に目くじらたてる原田会長と執行部、そして柳原滋雄は余程、この二人に知られたくないことがあるのでしょうか?

天下の創価学会が除名した「無名な二人」にまだ圧力をかける。

余程目障りなのでしょう。
 

訂正します・・

 投稿者:生涯広布 & 広布一筋(正義の師子同盟)メール  投稿日:2016年 9月26日(月)14時06分34秒
編集済
  は全部削除して、最初の分を書き直しました。

        ↓

http://6027.teacup.com/situation/bbs/56990

http://

 

(無題)

 投稿者:さらに、明るい  投稿日:2016年 9月26日(月)13時55分37秒
  柳氏、宿坊板はターゲットが違うだけで同じ論陣で酷似してるね。
だから戦えるのかな。
同じレベルで。
双方頑張れ!
 

またまたそうきたか~

 投稿者:ダメよ~ダメダメ  投稿日:2016年 9月26日(月)13時12分56秒
編集済
  本日の柳原滋雄コラム日記。

お題は「★堕ちた生き方  「反逆者」に見る共通パターン2 」

何のことはない、またまた田口氏のネタ。

田口氏の「破廉恥な不祥事」とやらは信濃町界隈の一方的な情報の受け売りでは?

田口氏ご本人にもちゃんと取材したのかな?

ジャーナリストを自称するなら最低限のルールは守りましょう。

今朝の記事、内容を見るかぎり柳原さんが「金は絡んでいない」「誰からも指図を受けていな

い」「一人立つ精神」で止むに止まれず書いている。又信濃町クライアント説を否定しようとど

う弁明しようとも結局は、信濃町=学会本部の一部職員幹部からの依頼を受けて「元職員三名」

と「波田地」「田口」の両氏をターゲットに論陣を張っている事は明らかでは?

又、詳細は記しませんが知る限り「破廉恥な不祥事」を言い出したら、現時点でも信濃町界隈は

じめ方面の職員幹部。外郭職員の中にも大勢いらっしゃるし、又、警察沙汰にならず、本

部内でも表沙汰にせず依願退職の形を取り解雇せず辞めさせ隠蔽。組織においても役職解任せず

棚上げ人事で誤魔化している事例は各方面にたくさんありますよ。

信濃町界隈及び各方面・外郭の職員の「酒」絡み、「金銭」絡み、「異性」絡み、ここはあえて

「異性」絡みとしたのは男性の「女」絡みだけでなく、女子部職員幹部の「男」絡みが現実に昔

から存在しているからであります。

ですので「破廉恥な不祥事」は昔から信濃町界隈には存在している訳。

だから柳原さん、あんまりこの様な記事書くとそれ以上の「破廉恥な不祥事」の話題やお名前が

出てくる可能性があるのでくれぐれもご注意下さい(笑)
 

五重の相対

 投稿者:シビック  投稿日:2016年 9月26日(月)12時36分51秒
  掲示板を読んでいて時折、理解できないことがあったのですが、理由がわかりました。
五重の相対が今と昔では全然、違うようですね。
権実相対までは同じようですが、本迹相対は、今では、法華経の本門と迹門を比較相対しているだけで、日蓮仏法を比較相対していません。
種脱相対は、今では、下種仏法と脱益仏法の比較、つまり日蓮大聖人の仏法と釈迦仏法を比較相対しているだけで、身延、池上、中山などと大石寺を比較相対していません。
いつ頃から相対の中身が変わったのでしょうかね?
また、どちらが正しいのでしょうか?
 

御礼

 投稿者:ただ一言  投稿日:2016年 9月26日(月)12時23分6秒
  宝冠様 大変にありがとうございます。
どこまで行っても、いつの時代になっても創価学会は池田先生を中心に、池田先生を第一に!

先生の創られた真心溢れる創価学会に!

私自身、先生にお応えできるように戦います!




 

師弟不二アーカイブより 【問答無用 対話なき処分】【29】

 投稿者:プロジェクトX  投稿日:2016年 9月26日(月)12時18分23秒
編集済
  陽光様の問答無用 対話なき処分のシリーズ29をお送りしています。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
折伏とは、相手の邪義、邪法を破折して正法に伏させる化導法のことで、破折屈服の義である。法華折伏・破権門理なのである。しかし、学会が邪教になれば、人を組織に勧誘はできても真の折伏はできなくなる。折伏とは正法を行じているからこそできる末法の修業方法なのである。

学会が潰れるのはどういう時か?「支配的な少数者(抑圧の権力者)に牛耳られた時」と先生は指導されている。抑圧の権力者に牛耳られた学会であることに気がつく人が一人でも増えれば、学会の方向転換が可能になるのだ。学会が清浄に方向転換することが、学会を、組織を守ること、と私は確信する。

私達は創価丸という船に同乗している。船頭のはかりごと悪ければ、その船が沈没することもあり得るのだ。また、到着地点がどこに向かっているか分からなくなるのだ。師子王の如き一人立つ精神が今ほど望まれている「時」はない。一生空しく過して万歳悔ゆることなかれ!!!

私の拙い投稿文を読んで頂き、ありがとうございました。近い将来、何か変化があればこの続編を報告致します。

追伸:投稿文の中で、婦人部Mさんへのメールが「非難中傷、噂、半真半嘘的、および風刺的言動等なもので迷惑を蒙っている」との指摘を●C氏が書いたり、●島氏から同メールが添付されてきたけど、これは私が書いたメールなので画像を載せます。彼女から賛同が得られず、逆に証拠物件として本部幹部に転送されたことは残念だが、私の力不足の為、私の誠意が彼女に伝わらなかったものと思う。

http://sgi-shiteifuni.com/?p=10032
 

真実の創価学会は、師弟に生き抜いたわが心の中に!

 投稿者:信濃町の人びと  投稿日:2016年 9月26日(月)11時51分39秒
  いかなる状況になろうとも、池田先生と共に戦う中に、真実の法があるのです。箱や組織の中に学会があるのではない。
師弟に生き抜いたならば、ひとりひとりが創価学会なのです。
師弟に生き抜く本物の弟子が出ることを先生は待ち望んでいます。

**********************
http://6027.teacup.com/situation/bbs/56512

2008-11-18 【11・18記念代表協議会②】

● 「真実の学会」は「わが心の中」に

 一、私は、ほかのだれよりも強く、広布の同志を守ろうとした。
 それゆえに、御聖訓の通り、だれよりも多く迫害を受けてきた、。

 いわれなき非難中傷を浴びせられ続ける苦しみは、実際に体験した者でなければ、わからないものかもしれない。
 なかには、大幹部でありながら、そうした状況に慣れてしまい、私が矢面に立つことが当然だと思い始める者も出た。

 同志への慈愛も、魅力もなく、ただ威張るだけで自分のことしか考えない卑劣な輩もいた。そうした忘恩の人間が皆、惨めな人生をたどっていることは、皆様がよくご存じの通りである。

 しかし、今から思えば、すべて意味のあることであった。そうした動きが生じることによって、広宣流布の進むべき道が、いよいよはっきりと見えるようになったからだ。

 ともあれ「真実の創価学会」は、師弟に生き抜いた「わが心の中」にある。
 師弟の「本流」を、諸君には知っていただきたい。そして、ますます勢いよく、さらに素晴らしき学会を、ともどもにつくっていきたい。
 

師匠を永遠たらしめる・・

 投稿者:生涯広布 & 広布一筋(正義の師子同盟)メール  投稿日:2016年 9月26日(月)11時35分34秒
編集済
  ある方から頂いた、正木さんのかっての指導です。

・・転載開始・・・

正木・第42回創大祭前企画特別講義の要旨より・・

釈尊や日蓮大聖人は、2500年、800年近く経過した今でも、現代人に影響
を与え続けている。

永遠たらしめる為の三点・・

① 師匠の永遠性の確立
まず、何よりも、これから先も創価学会の師匠は池田先生であり、これは永久に変わらない。

変えてはならない。先生亡き後、学会を我が物にしようといったバカなやつらが必ず出現する。

会長とか副会長とか、役職に翻弄されてはいけない。

(既に出現、大多数の会員を翻弄中です・・)


② 指導の永遠性を保つ事
池田先生が何をおっしゃったか、何を後世に伝えたく書き残したか。 これを正しく残さなくてはならない。

観念的な尊敬や師弟観ではならない。一部、都合の

悪い事に言及した指導を抹消しようと考えている人がいる。そうさせてはならない。

(既に進行中・・・・・)

ただ、池田先生の指導はあまりにも膨大である”池田大作全集”だけでも150冊以上ある。

君たち(創価大生)は先生の本を読んでいるといっても、ほんの100分の一さえ読んでいない。


(結局、読んでいない、読まなかった・・・)


③ 弟子の永遠性を築く事
①と②とも重要だが、これだけではダメである。池田思想を社会で実践し、実証を示す人が続かなくてはならない。

これら、①~③が揃って初めて池田先生が永遠に指揮をとられるという事がいえる。


・・転載終わり・・



生涯広布でした ペンギン
 

こんな調子では・・

 投稿者:生涯広布 & 広布一筋(正義の師子同盟)メール  投稿日:2016年 9月26日(月)11時09分3秒
編集済
  http://6027.teacup.com/situation/bbs/56987

・・ 確かに、大変なコトになってしまっています。

が、シカシ、我々弟子たち問題の根源を知ることが重要です。

知るか、知らない、知らないで通すか?
我々の一人一人の今後の行く末を決する重大事です。

私がある方から教わった八重の相対論・・これが、私の眼を開いてくれました。

いま起きている問題の根源がわかり、自分がどうすれば良いか理解できたのです。

憂(うれい)に及ばずです・・

●八重の相対論
①内外相対……同じ宗教でも、外道はダメで内道(=仏法)でなければならない

②大小相対……同じ内道でも、小乗教はダメで大乗教でなければならない

③権実相対……同じ大乗教でも、権教はダメで実教(=法華経)でなければならない

④本迹相対……同じ実教でも、迹門中心の比叡山ではダメで、本門中心の日蓮大聖人仏法でなければならない

⑤種脱相対……同じ日蓮大聖人仏法でも身延等ではダメで大石寺でなくてはならない
      (広布第一章パートⅠ……戸田会長時代、出獄~1959年<会長就任反対問題>)

      (広布第一章パートⅡ……池田会長時代、1960年~1969年<言論出版問題>)

⑥宗創相対……同じ大石寺系でも、宗門はダメで創価学会でなければならない

      (広布第二章パートⅠ……昭和48年路線、昭和52年路線、1970年~1979年<勇退>)

      (広布第二章パートⅡ……僧俗和合時代、1980年~1989年<第二次宗門問題勃発>)

      (広布第二章パートⅢ……平成2年路線、1990年~1999年<正本堂消滅、自公連立政権発足>)

⑦池創相対……同じ創価学会であっても、池田先生との師弟がなければダメ
      ※「先生を3番目の会長とみるか、永遠の師ととらえるかの違い」(正木指導)   (広布第三章パートⅠ……2000年~2009年<自公連立政権崩壊、下野>)

⑧師弟の道・師弟不二の道相対……同じく池田先生を永遠の師とする弟子の中でも、
      師弟の道はダメで、師弟不二の道でなければならない
      (広布第三章パートⅡ……2010年~)


同じく先生を永遠の師とし、先生、先生と掲揚しながら、不知恩の行動をとり続ける執行部に率いられた組織に隷属するか?

師匠不二の道を選び、師匠の心を我が心とし、先生の指導・大聖人の教えのままに進む?

54年問題の底流にある第六天の魔王の働き、その流れは今もあります。

正本堂が破壊され、第六天の魔王は創価学会内部に入ってきました。

師匠はずーっと、それと一人戦ってこられた。

そして、2010年、先生が倒れられ。魔王の跳梁跋扈は堰を切ったように激しくなりました。

いま、師匠の心の通り立ち上がって戦うか。それとも、目をつぶったままでいるのか・・

師弟不二の道をとるのかどうか、その選択を一人、一人、迫られている時なのです。

2009年1月の正木さんの指導にこうあります・・

今年最初の(2009年)の随筆に地涌の菩薩について先生が触れられた箇所があったのであります。

もう一度、皆さん是非読み直していただきたいと思います。何故、地涌の菩薩が出現したか、

又地涌の菩薩の出現の意味とは何であったか。それを先生はこう言われております。

今年最初の(2009年)の随筆に地涌の菩薩について先生が触れられた箇所があったのであります。

もう一度、皆さん是非読み直していただきたいと思います。何故、地涌の菩薩が出現したか、

又地涌の菩薩の出現の意味とは何であったか。それを先生はこう言われております。

釈尊という大師匠は、彼らが漫然と決めつけていたような、小さな存在ではない。

永遠の生命力を具えた。桁違いの仏なのだ。その師匠の真の実像を、久遠の弟子である

地涌の菩薩である地涌の菩薩たちが電撃的に示して行ったのである。

それは、師匠はこんなものだという思い上がりや慢心、自分はこれまで十分戦ってきた、

という惰性や傲り(おごり)など、弟子たちの抜きがたい胸中の限界を打破した。

そして、もっと、偉大な、もっと尊高な力に気づかせ、さらに、元初の師弟の誓いに目を覚ませて行ったのだ・・
(聖教2009年1月6日・人間世紀の光 上)

中略

あの54年問題の本質とは、師匠をどう見たか、どうとらえたか、弟子側の問題です。

先生をただ三番目の会長としか見ない、歴代会長の一人しか見ない。

もし、池田先生が学会永遠の魂であり永遠の師匠であると捉えたら、

あんな対応になっていただろうか。

・・引用終わり・・


それでは、何故、正木さんは今、出てきて戦わないんだとの声が聞こえてきそうです・・

しかし、一歩、深くて考えてみましょう。もし、正木さんが既に立ち上がって、我々を率いてくれていたら・・我々にとっては楽であったでしょう・・

しかし、そうなっていたら・我々は54年問題の本質を本当に理解できていたでしょうか?

おそらく、先生を永遠の師匠として、漠然としか捉えていなかったと思うのです(私は間違いなく・・)

覚醒し、立ち上がることができなかったのではないか、そう思います。

延々と続く54年問題の流れは我々の心の問題、つまり、我々に永遠の師匠を気づかせる為の方便と捉え・・

そして、同時に自分の本当の姿を知る為の・・ と・・

日本語でなかなか、うまく表現できませんが・・こんな感じでしょうか・・



生涯広布 ペンギン

http://

 

巨悪は追放を!様に同意

 投稿者:劔/より誠話→改め劔捨  投稿日:2016年 9月26日(月)10時48分50秒
  巨悪は追放を!様に万票

http://6027.teacup.com/situation/bbs/56983
 

本日の柳原滋雄コラム日記

 投稿者:生涯広布 & 広布一筋(正義の師子同盟)メール  投稿日:2016年 9月26日(月)09時48分12秒
編集済
  近年の不知恩の例をでいえば、谷口主任副会長(60)の例がわかりやすいだろう。
この人物は中学から創価学園で学び、東京大学まで進んだ。
大学時代は千葉県学生部長をつとめ、卒業後三菱商事に勤めた後、秋谷に彼の眷属になる才能を見つけられ教団本部入り。
全国男子部長・青年部長を務めるなど、会長になる出世コースを進むように見えた時期もあったようだ。
本人も将来は会長職を狙うという野心を満々と抱いていたとの話も残っている。
だが2014年、彼の人生を決定づける≪挫折≫ともいえる大きな出来事が発覚してしまった。
ある破廉恥な「不祥事」とは輪姦・374919事件である。このとき、同人が自分の頭の中で描いていた人生プランは、
事実上、2014年、音を立てて崩れ去った。ただし、彼がこのとき心から懺悔し、秋谷から離れ、
新たな気持ちでやり直していたら、もっと違った人生になっていたはずである。
今後の≪転落≫の軌跡は、図式化すれば、山崎正友をはじめとする多くの反逆者と、まったく同じ道であろう。

・・便所掃除係男・・
 

こんな調子では

 投稿者:平会員  投稿日:2016年 9月26日(月)09時36分18秒
  創価学会万代興隆なんて夢のまた夢
ていうか、今の時点で地球には正法が無くなり
断絶している。
 

柳氏へ

 投稿者:太ちゃん@歓喜の中の大歓喜編  投稿日:2016年 9月26日(月)09時19分8秒
  >このとき、同人が自分の頭の中で描いていた人生プランは、事実上、音を立てて崩れ去った。ただし、彼がこのとき心から懺悔し、新たな気持ちでやり直していたら、もっと違った人生になっていたはずである。その後の≪転落の軌跡≫は、図式化すれば、山崎正友をはじめとする多くの反逆者と、まったく同じ道をたどるものだった。<

「他人事」とは感じておらず、自分自身の将来の不安の内容かな、これ。
転落の予兆を感じていなければこんな弱気にならないもんね。
もう福運の尽きる間際にネット上からも感じますよ。
ちゃんと現世で現罰があるから、出ないで未来永劫に同様な転生することになりそうな最高幹部たちより遥かに成仏の因をお持ちです。

まずは十界論からしっかり押さえたほうがいいよ?
日常的に、自分の生命がいま十界のどこになってるか、なるべく気にしてるだけでもけっこう身につきますから。
自分がいま十界のどこになってるかわかれば、教義と照らして向上させていけますから。
向上の最上階が仏界ですもん。
詳しくは法華経の智慧などでどうぞ。

十界は等しくみんなに備わってるから、自分をよく知ることが他人を知ることにも繋がるんです。
ジャーナリストとしても利益に繋がる功徳でしょうね。

『悪を滅するを功といい、善の生ずるを徳という』

あまりに有名な御文だけど。
柳氏は見事にこの逆をやってるのだから功徳どころか逆の結果になってるんですよ。
自分でわかるでしょ。
でなきゃその文面にはならんもん。

善を滅して悪を生じる活動では諸天もあなたを見捨てて去ってしまいますよ?
結果、極悪の権力に擦り寄るほか生きていく手段がなくなるから、みんなが言うようにお金をもらって活動してる、というのも信憑性ある話と感じてますよ。

http://www.geocities.jp/bosatu2015/ 

 

信心(と言われる学会活動)は、最小限に!幸せ(人間関係)は、最大限に!

 投稿者:イケディアンの住人(正義の獅子同盟)  投稿日:2016年 9月26日(月)09時10分31秒
編集済
  内弁慶の創価村貴族社会は、その世界だけで生きていますから、一般社会の光速な速さがさっぱり分からずに会員を隷属して供養を貪るために、内へ内へと引き込みます。


村八分だの、役職解任だの、一般社会から見れば『何やってるの?』のと言う戯れです。学会組織に所属しているのは、ステータスでもなければ、自己顕示のためでもありませんよ。

南無妙法蓮華経を永続的に唱える事が基本であり、先生のスピーチをしっかり読み込んで人間革命していくことが目的です。それ以外は、お荷物です。私は、学会役職は責任を果たす上ではブロック幹部、地区幹部迄だと思ってます。支部幹部以上になると閑職有り、存在感を誇示する馬鹿有りで、信心とは無関係な世界です。何度も不在ブロック長に降りたりして、馬鹿幹部に嫌な顔をされましたが、専任ブロック長とか専任地区部長でなければ人材は現れません。今流に『総地区部長』とか『総ブロック長』などと肩書きだけで、本部幹部や区・県幹部が腰掛け程度に来ているようでは組織破壊です。
ブロック統合、地区統合、支部統合、本部統合、区・県統合で役職者の兼任を廃して、専任にすれば済む事です。まあ、体面的にやる気は無いでしようが、過日、私が昔、お世話になった組織の総地区部長(兼任本部・区幹部)が2名亡くなりまして、その空白人事でみっともない責任押し付け(後任地区人事)がありました。話によると、今までの総地区部長も数年間何もしないで選挙の時は報告ばかりを取り、肝心な時は現場を離れて知らんふり。壮年部組織はほぼ崩壊(高齢者が多いのも理由です)。だから、成果も上がらないのは明らかだから、幹部は兼任したくないそうです。

信心は最小限に!人間関係は町内会とかセカンドキャリアへGO!しましょう\(^o^)/
くだらない、役職欲しさで創価村貴族が志向するダーティー競争に加担したら折伏・弘教も、友達もいない傲慢馬鹿になります。役職は受けなければ解任なる事もありませんよ!当然です。創価村社会にどっぷり浸っていなければ村八分だのお馬鹿な話しなど笑い飛ばせます。

最小限の役職、現場責任、家庭訪問の人間関係で愉快な創価家族で頑張りましょう\(^o^)/
昨日の聖教第6面、『新しい世界が広がる!語彙力を伸ばそう』をお読みください。

『語彙力を高めるためには、頭に浮かんだイメージを言葉にする機会を増やすことです』\(^o^)/

うひゃ、うひゃ、分かりますか?
『刺繍入り糞タレ勝負パンツ論』、『便所男』、『上手い琴信心』、『踏まん分子とヤリマン女子』、などなど、全て語彙力です!

それは価値創造から生まれる頭の中の世界であり、作用・反作用、自己機能から瞬時に編み出される形態ですね。便所男No.3は、再びサイコパスの世界に入って迷路を迷いながら最期を迎えるストーリーですか(-_-)
 

もう一つ追加で~す。

 投稿者:カンピース  投稿日:2016年 9月26日(月)08時49分4秒
  原田怪鳥様、宮田アドバイザー様、ぜひ御教授下さい。

「人本尊」開顕の書としながら、「人本尊」という回答を示唆する問題が出題されていないのはなぜでしょうか?
 

提案

 投稿者:巨悪は追放を!メール  投稿日:2016年 9月26日(月)08時41分19秒
  毎日、拝読しています。

1)これだけ創価学会の中枢が腐敗しているのに、なぜ
遠巻きで吠えているだけで悪を放置しておくのでしょう?
いつか自然消滅すると楽観的にお考えでしょうか?
益々悪は増殖し仕舞には世界を滅ぼすことでしょう
悪だけが罰を受けるのではありません
大地震、原発事故による放射能拡散、自然災害
たくさんの庶民が生活を追われ、多くの方が命を落としてます。
総罰とは善人の命を奪い、悪を勢いづけることになります。
投稿でガスヌキをするのではなく怒りをエネルギーにして
悪の追放運動に展開しましょう。

2)来年早々に衆議院解散総選挙と予測されてます。
みなさんは、公明を指示し続けるのでしょうか?
支持したい党、候補が不在で棄権をすれば与党を勢いづけることになります。


3)なぜ、これだけの創価幹部たちの悪が露見しているのに
悪幹部一掃の署名運動を起こさないのでしょう?
これらの悪を一掃することを師匠は弟子の闘いを
静かにお待ちになっているのではないでしょうか?
いつまでも幹部たちの悪行の書き込みをつづけるより
これらの悪幹部(4人組だけでいいのか?)一層の
署名運動の渦を起こしてください。





https://www.youtube.com/watch?v=pKTHf4yRxxc&list=PLaK9tVVyECqyI4mK7hyUsWUS6vvKg8Anl

 

本日の政教珍聞で~す、青年部教学2級試験の実施、誠におめでとうございま~す

 投稿者:カンピース  投稿日:2016年 9月26日(月)08時38分27秒
  原田怪鳥様、青年部教学2級試験の実施、誠におめでとうございま~す。
また、受験された方々、誠にご苦労様でした~。

ところで、小生は教学の知識もあまりないので、ぜひ教えて下さ~い。
(もし、間違い等あれば、グリグリ様、螺髪様、ご指摘いただければ幸いです)

問一の二で、「但文の底」が「種脱相対」になってます。
ということは、創価学会は「種脱相対」を認めているということですね。

認めているという前提でお伺いします。

「創価学会会則、教義条項」の改正について(2014年11月8日)で、直筆・書写を問わず全ての本尊が本門の本尊となってます。
また、宮田教学部アドバイザーは、他宗派であろうとも、題目をあげることに功徳があるとおっしゃっていらっしゃいます。

これ、「種脱相対」を否定してませんか? つまり、どんな本尊だろうが、どんな宗派であろうが、唱える題目に功徳があるということです。
「信心の血脈なくんば法華経を持つとも無益なり」(P1338)の御文はどこに行ったのでしょう。

「信心の血脈」とは大聖人が久遠元初の人法一箇の仏であることで、「種脱相対」に通ずることと考えます。
「種脱相対」を認めるのであれば、教義条項改正や宮田教授は間違いということになりませんか?


また、御観念文改正において、二座で「南無妙法蓮華経の御本尊に南無し報恩感謝します」となってます。
これ、学会員でも、他宗派の方でも、「我が家の御本尊」となるわけで、この文には大聖人独自の論である「種脱相対」はどこにあるんでしょうか?

それとも、学会員であろうが、他宗派であろうが、直筆だろうが、書写だろうが、題目唱えれば皆等しく功徳があるということでしょうか?


「種脱相対」を認めていながら、どんな宗派だろうが、どんな本尊だろうが、功徳がありますと宣うのは「種脱相対」を否定している事になりませんか?

「種脱相対」を認めていながら、その教義において同時に否定するという矛盾を原田怪鳥様、宮田アドバイザー様はどの様にお考えでしょう?

ぜひとも、暗愚な小生に御教授いただきたいものです。
 

21世紀の御みやづかい  創価学会論

 投稿者:ロム専  投稿日:2016年 9月26日(月)08時18分10秒
  ロム専としては是非とも読んでみたいですね。来月から、板で読めるのを心待ちにしています。
ところで論と言えばご隠居さんの『四菩薩論』があると聞きましたが、誰か知ってる方おられますか。
そうか、ご本人が語って頂ければ幸いです。
 

おはようございます!

 投稿者:ひかり(正義の師子同盟)  投稿日:2016年 9月26日(月)07時46分13秒
  「自立した信心が大事だ」って話になると、心にスンナリ入っていくものです。

「そう思っていた」という人が多いので、対話というより、池田先生の御指導を共に確認し合えばいいのではと思います。

予想以上に感づいている人がいます。

「これだけ大きい組織なら、誰も諫言しない中心権力の周辺は腐るに決まってる」

人生経験で、幹部無謬など「何を言ってるんだ」と思っています。

気の毒な支部幹部・本部幹部・区幹部以上ですが、与同の意味が分からないほどバカなら、
ほっておくしかないです。

ホント、あきれるほどのマインドコントロールになってる人がいて、
形状記憶合金の頭みたいです。
すぐに戻っちゃうんです。
というか、シモジモの言うことなんか、聞きやしない感じです。
たぶん、
「強情に魔にやられているから、こっちもやられてしまう。退散しておこう」
と思って、コワゴワ退場、上の幹部に逐一報告です。
祈ってあげましょう。

池田先生の御指導に違わない道の確認行を愉快に続けましょう。
そのために御指導を言い置かれていると確信します。


「よくやった」と諸天が喜んでくれます。

この道こそ師匠が歩かれてきた苦難の道、
ありがたいことに道筋はできていて、道を見失わないように草刈りをすればいいのです。

自分が最も納得でき、最も胸を張れる道を歩いているとの歓喜で笑顔がこみあげます。




 

だからぁ~、柳チャン、キミってホントにジャーナリストなの?

 投稿者:カンピース  投稿日:2016年 9月26日(月)07時33分42秒
  柳チャン、コラム日記更新、誠に、誠に、ご苦労様で~す。(笑)

批判のタネが無くなったのか、今度は田口氏の除名に関してモノ言ってるね。
小生は田口氏と何の関係もないし、個人的に知ってもいないので、よくわかりませ~ん。

ただし、「破廉恥な不祥事」を引き起こしたと明記するのであれば、それが何かを取材してから書いているはずですよね~。
当然、除名した方(学会)と除名された方(田口氏)両者に取材したうえで記事にしているはずです。
だって柳チャンは一流のジャーナリストなんだから(笑)

元3名についても、なんだかんだ書いてたけど、彼等は本名と姿を公開しているワケだから、取材は簡単にできるでしょ?
いついつ集会します、って言ってるんだから、現地に行って取材すればいいだけのハナシじゃないの?

どうして取材も調査もせずに、一方的な片方の意見ばかりを鵜呑みにして、文章書いているのかな~。
世間では、こういうのを「便所の落書き」っていうんだよ(笑)

それとね、とっても楽しみにしてるんだ。なぜならば、シリーズ化するんだよね~。
だったら、反逆者は過去にも大勢いたよね~、山友だの龍だの矢野だのといろいろと・・・
こいつらのことも取り上げるんでしょ、と~ぜんだよね~。

でも、もし過去のこいつらを取り上げずに、元3名、ハタチ氏、田口氏のことのみを取り上げるんだったら、片手落ちだよね~。

それこそ、何か意図があって書いてるんじゃないかと勘繰られるよ~(笑)



 

今週のことば 2016年9月26日

 投稿者:どうみょうてん  投稿日:2016年 9月26日(月)07時13分37秒
  まず自分が動いて
一人の友と対話を!
一人の同志に励ましを!
わが一念の拡大が
広宣流布を拡大する。
 

ただ一言様

 投稿者:宝冠  投稿日:2016年 9月26日(月)00時36分12秒
  本当にそうです

創価学会は
池田先生と健気な会員で作った創価学会は
何処へ行ったのだろうか?

たこ焼き、自分も挑戦しています
先生のメッセージの削除
謎の南米訪問
婦人部長、未経験の笠貫女史の4人の先輩抜き、初の女性副会長
正木さん更迭
創友会委員長、秋谷氏長男就任
皆さん、驚いています

今回の朝日のインタビューは更に追い風です
 

真田丸

 投稿者:窮状辞任させられた元?長  投稿日:2016年 9月26日(月)00時30分36秒
  結論知ってるけど涙涙
創価村の最期 は何処に
 

対策室、柳原一流御用ライター、まもなく用済みの関係者へ。

 投稿者:大石小石  投稿日:2016年 9月25日(日)23時58分46秒
  君達はあともう少し努力をすれば、こんな会合の地方幹部指導の類いは全て入手可能です。法務室とかに直談判してぜひ分析してみて(笑)わたし、他愚痴しゅうじですらこうやってるのですからね。

それともなにかマズイことでもある?最近ダンマリ決め込んでいて気持ち悪いですぜ。
 

励ましは万の力

 投稿者:ただ一言(少し長め)  投稿日:2016年 9月25日(日)23時54分56秒
  久しぶりの投稿です。朝日新聞の会長インタビュー記事が話題になっています。
そのタイトルは「創価学会はどこへ」

私達会員もきっと聞きたい!「創価学会はどこへ行く?」笑  冗談ですが…

池田先生が公けの場から離れて早6年あまり。先生の時代と比べて何が違うのか…自分なりに思うこと。

先生は、こんなところまでとサーチライトをあてるように激励される。何故わかるのかと不思議なくらい。間違いなく創価学会の原動力、元気の源は師匠の真心の励ましだった。正に励ましは「万の力」である。先生の真心の激励に勇気を頂き、そして先生に勝利をもってお応えしよう、と。

青年部時代に折伏がなかなかできず何度も決意のお手紙を認め、お届け物を持参した。
何度も真心のご伝言、書籍等を頂きその度にさらなる決意を固める事が出来た。
日本ならず世界の広宣流布指揮を執り、執務、執筆、対談、メッセージ、会合のスピーチ等々お忙しい中、世界中から1日何千、何万(?)通届く手紙に対応するのは並大抵のことではない。(実務は第一庶務の方々とはいえ…)そこには間違いなく池田先生の真心が厳然とあった。

ある時、新幹線に飛び乗り幼稚園の長女と共にお届け物を持ち信濃町に。数日後、思いがけずご伝言と激励品を頂いた。私には和菓子、娘には先生の故郷大田区のお菓子会社の、綺麗な缶の箱に入ったキャンディ。小さな娘は大変に喜んでいた。先生に絆を創って頂き感謝の思いでいっぱいになった。

またある時。地元の男子部の大きな会合があった。当時は頑張っていて、ちょうど3つめの折伏ができて参加した。幹部の方から、今日の会合に先生から激励の品が届いているとの事。「誰が頂くのかなぁ」と思っていたところ自分の名前が呼ばれた。押印入りの先生から激励の書籍。感動だった。次に別の書籍もあるとの事。また私が呼ばれた。驚いた。さらにもう一冊、先生の御書講義もあるとの事。「今日は凄いなぁ」と思っていたら、またまた呼ばれた。笑   後にも先にも1日で先生から激励の書籍を3冊頂いた事はこの時だけである。本当に驚いた!確かに本流は決めたが、他にもっと頑張っていた方はいたと思う。
しかしその時思った。
先生の激励の思いは「頑張った!ではなく さらに頑張れ!」なんだなと。その数ヶ月後また折伏ができた。
すべて先生の激励のおかげである。

池田先生と共に、これから、どれだけ戦えるのかわからないからこそ、今戦わねばと!自戒する。男子部時代のように!
あの時、もっと戦えばよかったと、後悔しない為に……



 

柳原滋雄さんへの失望

 投稿者:聖教新聞社報道部  投稿日:2016年 9月25日(日)23時52分47秒
  柳原滋雄さんのコラム、本部内で絵解きされ解説されているものの域を出ておらず、既に完全に間違いが確定していることを、情報源の一次情報のみで記事化してしまった。その致命的誤謬を柳原さんはまだ知らない。

その欠落したジャーナリズムと、それを動かす八尋さんの指揮系統の劣化を心ある職員は憂いています。
 

詭弁そのもの。朝日新聞原田会長インタビュー。

 投稿者:大石小石  投稿日:2016年 9月25日(日)23時44分24秒
  昨年の支援活動。とある地方での副会長指導の音声が手元にある。本部関係者も勿論入手しており、きめ細かにチェック。
会長、執行部の指導方針が各方面隅々まで伝達されたかが職員幹部としての査定、評価の対象になった。
以下、しゅうじ覚書より抜粋。
★…━…*★*…━…★★…━…*★*…━…★
支援2期。出発の会合では〇〇FKは所謂信濃町本部の方針で打ち出されたものそのままに、反対デモはすべて共産の陰謀。署名をしたり反対する会員・学術部所属の各大学教授達は以前から問題ある人だったとレッテル貼りまくり。開催地元の総区幹部の某(S大OB)は「そうだ!!そうだ!」と合いの手。
さらに話のなかで〇〇副会長は「机上で理屈を弄ぶ世の中を知らない存在それが学者」法案反対の憲法学者は「かれらは悪である!坊主と同じ」と認定。しかしあわてて「妙法の学者は別ですが」と弁解してたが、信心していない学者一般を日顕宗の悪坊主と同等に切って捨てるという話を展開。★…━…*★*…━…★

以上
 

同盟題目

 投稿者:  投稿日:2016年 9月25日(日)23時41分24秒
  今晩は、皆様
ありがとうございました
宿坊に集る善男善女の活躍、健康を
お祈りさせていただきました
おやすみなさい
 

先輩Cさん

 投稿者:ひかり(正義の師子同盟)  投稿日:2016年 9月25日(日)23時19分53秒
  先輩Cさんとの対話。


Cさん「学会本部中枢がやばいって、どーしたのよ」

ひかり「どーしたも、こーしたも、やばすぎですよ」

Cさん「やばすぎ? クーデターとかいうやつ?」

ひかり「うーん。 除名とか聞いてません?」

Cさん「除名? なに? 名簿かなんかから消えるとか?」

ひかり「あの、学会員じゃなくなるらしいです」

Cさん「追い出されるの? あー、あたしは追い出されたいよっ」

ひかり「え? 追い出されたい?」

Cさん「うん。 追い出してったら追い出して。 幹部なんかもう嫌だーってか」

ひかり「副でしたよね。 嫌なんですか」

Cさん「嫌だよ。 だってさ、バカみたいな人達と一緒だよ。 あー、ストレス」

ひかり「んじゃ、やめたら、先輩」

Cさん「ありがとう。 そんなこといってくれるのは、あんただけだわ」

ひかり「旦那さんは、お元気ですか?」

Cさん「うん、元気だよー。 未入信だかんね」

ひかり「あ、未入信でしたっけね。 良かったですね先輩」

Cさん「そーなのよ。 良かったなって、初めて思ったわよ」

ひかり「旦那さんに、オマエのせいでこうなった、なんて言われないで済むし」

Cさん「うん。Kさんちは、一生懸命活動してた旦那さん、幹部に干されて、やめちゃって、
    奥さんが味方してやらないから離婚だとか騒いでてさー」

ひかり「えーっ、そうなんだ」

Cさん「ほんと、うちのダンナは未入信で、前は肩身が狭かったけど、結果良かったのよね。
    大きな声じゃ言えないけどさ」

ひかり「ふうん」

Cさん「最近、焼き鳥食べた?」

ひかり「えっと、あそこの?」

Cさん「そうそう。 食べにいこうよ」

ひかり「いいですけど」

Cさん「ストレス、半端ないかんね、最近」

ひかり「異常な感じがするって言ってましたね」

Cさん「異常だわよ。 だから、追い出してって心境よ」

ひかり「出ちゃう気なんですか、本気ですか」

Cさん「タイミングよ、タイミング」

ひかり「タイミング?」

Cさん「そうよ(きっぱり)○○さんが出るとき出るよ」

ひかり「なんですかそれ」

Cさん「一緒に出れば恐くないって」



タイミング、、、けっこう考えてますよね。




 

生涯広布様

 投稿者:さあ!変わろう!!メール  投稿日:2016年 9月25日(日)23時01分6秒
  浅見と伊藤園自動販売機設置と巨額賄賂疑惑・・から始まる投稿


今、起きている事がよーく解りました。

新参者の自分には大助かりです!

ありがとうございました!

 

同盟題目23時から開始します

 投稿者:信濃町の人びと  投稿日:2016年 9月25日(日)22時51分47秒
  任意、自由参加です。よろしくお願いします。
池田先生のご健康、皆様の大勝利を祈ります。
 

柳原滋雄に言わせると?不祥事ではない事件・疑惑の数々・・

 投稿者:生涯広布 & 広布一筋(正義の師子同盟)メール  投稿日:2016年 9月25日(日)22時42分5秒
編集済
  浅見と伊藤園自動販売機設置と巨額賄賂疑惑・・

誰が隠したか、スイスの銀行に隠してあった100億円の絵画事件・・
暴露され、慌ててイタリア政府へ寄贈したと言われている疑惑。 何がそこにあったのか?

ルノアール絵画事件・何度も売買繰り返し、学会最終購入価額を吊り上げ、約15億円が行き先不明になったルノアール事件・・

何人もの本部女子職員を陵辱したケダモノ弓谷・・除名と先生の言は無視され・・現在、密室で
宿坊の監視役の大任を・・一生?谷川の奴隷に成り下がったか元全国男子部長弓谷

谷川主任副会長の374919事件:
彼が千葉県学生部長という中心者を務めていた時期に、学生部の仲間数人と市内の居酒屋に行き、

居合わせた客の女性と 親しくなり、泥酔したその女性を自宅まで送り届けると同時に部屋に上がり込んだ。

泥酔した女性を前にして、みんなで廻すという話になり、真っ先に彼がコトにおよび

輪姦事件を起こしたのが谷川であった。

生々しい話が、ICレコーダーに収録されているという、374919事件。

アクセンチュアとの500~1000億円を超えるコンサルタント契約。
谷川が2014年会長になろうという前、慌てて解約。しかし、その後、現在も契約は実行されている。

悪の三位一体・・異体同心の和合僧団たるべき創価学会を蝕む最大の病巣、浅見組織本部長を蹴り落とし、
谷川会長への道を開こうとした葬儀屋と法匪・八尋と佐藤・丹治らのいわゆる「悪の三位一体」

組織内組織は悪というなら、この「悪の三位一体」と、その鬼っ子でパワハラの限りを尽くした丹治一派ほど、
学会の組織に悪影響を与えた「組織内組織」はない。 http://6027.teacup.com/situation/bbs/13039


この丹治グループ、5000万円も金を出版社にタカって、丹治とその仲間。 丹治は地方へ飛ばされたが・・
先生が倒れられた後、信濃町へ呼び戻され・副会長職に・・

原田の二号さんと隠し子

その原田、懲りずにこの夏、思いを寄せる?笠貫とハネムーン気分で南米指導?旅行・・

秋谷+矢野+・・先生追い落とし事件を画策
秋谷の度重なる週刊誌へ内部情報のリーキング

教学解釈変更(日寛上人の教学を採用しない・大御本尊様を信仰の対象としない) の際の会議・・

法匪・八尋:一割は離れても仕方ない ・・

谷川佳樹創価学会主任副会長・・
・過去との整合性などどうでもいい」 ・・
「自語相違と批判されてもかまわない」
「結論は決まっているんだ。教義なんて、それを後付けすればいいんだ」

秋谷参議会議長 ・・発表してしまえばいいんだ ・・

葬儀屋・北川:どこから調達したか大聖人直筆御本尊、修正・書き足し・それを、高額で?学会に売りつけようとした事件

富士宮の女子部に暴力を振るった県幹部、それを庇い、暴力を受けた女子部、非難した壮年部を除名にし、
暴力を働いた幹部はのうのうと、そのまま幹部を続けさせているSGI理事長の大場と幹部連中・・

先生から退治するようにと言われた矢野裁判で勝てる見込みの裁判を突如、先生の意向を無視、
矢野の暴露本第二弾に怯えた、最高幹部が和解をするよう圧力をかけたと言われる和解疑惑・・

他・・数々の彼らの隷属幹部の不祥事

以下、柳原の論法・・
上の場合は違ってるそうで、この宿坊に落書きをしている我々が以下のパターンだそうです。

<堕ちた生き方「反逆者」に見る共通パターン 1>

不祥事 → 自己正当化 → 逆恨み → 処分(解雇・解任・除名・・)→ 批判活動(自己正当化を含む行動)


みなさま、身に覚えが・・・?

<堕ちた生き方・反逆者・不知恩連中のパターン>
不祥事  → 暴露され → 逆恨み → 口封じ・恫喝・処分 → 居座り → 止まらない反逆 → トイレ掃除のご褒美


生涯広布 ペンギン

http://

 

今日の対話

 投稿者:さあ!変わろう!!メール  投稿日:2016年 9月25日(日)22時16分53秒
   皆さんこんばんは!

今日は一人の先輩と対話してきました。

種々対話は弾みましたが、

数にこだわる事=時の戦い・先生に応える戦いと話しておられました。

自分の思いとして、54年問題の決着の時と考えている事を

少しだけ話しさせて頂きました。

情報源が掲示板というだけで、蓋をしてしまう傾向がありますねー。


早く、たこ焼き上手にやけますように・・・。
 

法案に関する「朝日」への会長私見の問題性

 投稿者:感性  投稿日:2016年 9月25日(日)21時48分7秒
編集済
  >ガッガリw怪鳥♪朝日新聞のインタぶ~♪☆全文テキスト   投稿者:ニャンコ先生   投稿日:2016年 9月24日(土)11時11分31秒
http://6027.teacup.com/situation/bbs/56886
以下は上記ご投稿へのレスではなく朝日記事の閲覧便宜からのリンク貼りです。

この中の安保関連発言について引用します。

――昨夏の反対デモに会員の姿もあったことはどう思いますか。

 「ごく一部の会員の方がいろんな意見を持つことは当然あるでしょう。ただ、会員以外の方が学会の三色旗を掲げて騒ぐようなことがあったとすれば迷惑な話です」
 「私も60年安保闘争で国会に突入した学生の一人です。しかし当時は騒然としたムードに流され、安保条約そのものを理解していませんでした。私自身にも反省があるわけですよ。昨年のデモに加わった方にも、総合的に見極めていただきたいですね」

引用以上


ある方が

「今年の7/18に私が学会本部に「安保法案についての創価学会の見解を教えてください」といって電話した時は、応対に出られた方(法人担当の部署とおっしゃってました)からは
「学会は宗教団体ですので、個別の法案についての政治的な見解は出しません」

との本部見解をいただいたそうです。
http://girugamera.hatenablog.com/entry/2015/09/13/055928

確かにそこの画面にも引用されている
「・『新・人間革命』第1巻より
60年安保について、青年部に議論をさせたあとの山本伸一の言葉」以下

を読んでもそれはうなづけましょう。

したがって原田会長が大新聞からのインタビューで自らの若き日の安保反対行動参加への自己批判めいた
発言を通して、今の反安保の会員への実質批判とも受け止められる発言は彼の私的見解と思われます。
そして会長が私的見解をこのような場で述べた場合、会の内外からの誤解は不可避ではないでしょうか。また会長発言の重みで上述した本部見解が反故にされてしまう成り行きを作ってしまいます。

むろん60年安保は歴史的事象でもあるわけですが、そこへの会長の私的感覚が反安保あるいは反安保志向の会員を視野に入れたような形で会長の口から出る軽々しさには驚くばかりです。

また政策ではありませんが、安保法案に反対した三色旗使用にたとえ例外的事象があったとしても、そうではなく信念を持って使用しそれをネットなどで顔写真とともに表明した学会員は少なからずいらっしゃいました。
また、実行者と心を同じくしながらも地理や勤務形態などなど諸般の事情で反対行動に参加できなかった会員も私を含め全国には多々いたものと思われます。
むろん、この法案への公明の実質安倍に唯々諾々たる補完政党ぶりを支持・理解する学会員も多々いることも承知していますが、そうではない会員も私を含め少なからずいるのです。会長の大新聞を通しての私的見解は、それらの会員への刷り込みとしか思えません。

そもそもいかに会長であろうと特定法案に関する私的見解を臆面もなく一般メディアに乗せる感覚が私に理解できかねます。
池田先生は議論が二つに分かれる、あるいは様々見解がある法案関して一方に与してしまうような御所感を公式に表明されることはなかったはずです。ましてや安保関連は違憲か合憲でも議論が二分される事案です。

それとも「学会は宗教団体ですので、個別の法案についての政治的な見解は出しません」は
今の原田会長の下では外部向けのタテマエにすぎないのでしょうか?そうであるなら上述した広報は外部に向けたタテマエを内部にもっともらしく回答したことになるという点で職務の散漫性、欺瞞性が問われてきましょう。
もちろんその責任は上司である会長に行き着くことになります。


三色旗使用自粛の強制力は? ③   投稿者:感性   投稿日:2016年 2月24日(水)22時56分57秒
http://6027.teacup.com/situation/bbs/39961


追伸
当板では会長への揶揄や刷り込みも多々見受けられます。それらは到底、批判の体をなしているとは思えず、また池田先生のエスプリが効いた論難とは異質のものを感じざるをえません。柳原氏等に対してもそうですが、これではまともな議論もできずせいぜい他板あたりから刷り込み返しをされるのがおちでしょう。そしてループは続いてしまいます。論点が摩り替わることは事の本質に言及されたくない方々にとっては思う壺ともなりませんか。

筆致が進めばつい揶揄や刷り込み文言フレーズを書きたくなる気持ちが出てくるのは十分わかりますが、むろん私を含めて、今後そのあたりには気をつけていきたいものです。
 

今日の独り言

 投稿者:田舎のジジィ  投稿日:2016年 9月25日(日)19時47分18秒
   膨大な投稿に追いつきはしませんが、時々思いついては掲示板を覗き、独り言のようなことを記入させていただいております。
 今回の、朝日新聞のインタビューに応じる原田会長の如是相の気持ち悪さ、言葉の端々に出る、師匠を宣揚する思いのひとかけらもない傲慢さ。
 これが私たち創価学会の会長ですとは、絶対に友人知人には見せられない、見せたくない...いや、心ある人たちは、とっくに見破っているでしょうけど...まったく、フザケルナ、バカ野郎!!です。

 それから、天然水様の投稿、それに対する皆様の声...これが本来の創価学会の座談会の姿だよな...と、つくづく思いながら、嬉しく読ませていただきました。
 天然水様、田舎からジジイも一人、思いを巡らせながら、祈っています。

 この板に巡り合ってから私は、内部の悪を炙り出す、叩き出すと日々祈りはじめ、身近な人たちに語り始めました。そんな祈りが、行動が間違っているのなら、自分に返ってきてもいい、自分が炙り出され、叩き出されてもいいと決めて、祈っています。

 〝設い殿の罪ふかくして地獄に入り給はば日蓮を・いかに仏になれと釈迦仏こしらへさせ給うとも用ひまいらせ候べからず同じく地獄なるべし、日蓮と殿と共に地獄に入るならば釈迦仏・法華経も地獄にこそ・をはしまさずらめ、”    ―崇峻天皇御書  1173ページ―

 この一節を深くかみしめながら...まずは2018年11月18日...!!
 〝私と一緒に” を、胸に秘めて...
 

(無題)

 投稿者:螺髪  投稿日:2016年 9月25日(日)17時47分56秒
  小作人@地上の発心さん

 あちゃぁ、また私の早とちりですか。失礼しました。
 「21世紀の御みやづかい」(仮)ですね。「創価学会論」の一部ダイジェスト。楽しみです。


 赤胴鈴之助さん

 ありがとうございます。
 やはり、赤胴さんはただものではない。博学です。
 読んだ本の中から何か、訴えかけるものがあるのではないですか。


 

全集未収録スピーチ

 投稿者:無冠  投稿日:2016年 9月25日(日)16時26分13秒
  全集未収録のスピーチ144編の各抜粋(聖教新聞 2006.5~2010.4)を掲示します。

2009-4-14 【全国代表者協議会】

■ 一、全国代表協議会の開催、ご苦労さまです(大拍手)。
新しき太陽が昇るがごとく、我らは、満々たる生命力で、日に日に新たに前進してまいりたい。

● 自らを磨け!
一、リーダーの話に気取りはいらない。
事務的なことばかりであったり、味気ない話では、皆の心に響かない。
また必要以上に大声を出したり、怒鳴ったりするのは、時代遅れの指導者である。
学会貢は人柄がいいから、どんな話でも、皆、拍手をしてくれるかもしれない。
しかし、それで、いい気になっていては、幹部の成長はない。
幹部は、しっかりど勉強し、広布の最前線で戦って同志と心を結んでいくのだ。
そうした努力を真剣に重ねたうえで、あとは、「真実の目分の心を友に語っていこう」と思っていけばいいのである。
 気取らず、真心と勇気をもって!
 皆を包み込む、慈愛と温かさをもって!
 ある時は情熱的に。
 ある時は心静かに。
 聞く人の胸に、すーっと染み入るように。
 ともあれ、学会ほど話をする機会が多いところもないだろう。
 だからこそ、絶えず自らを磨き、高めて、「きょうは清々しい話を聞けたな」といわれるような聡明な指導をお願いしたい。
 そこに学会が一段と発展しゆくかどうかの鍵があるからだ。

●行動の中にこそ師弟の魂は光る
 一、「師弟」を語ることは大切だ。
 そのうえで、大事なのは、「師匠の教えを守り、実践する」ことである。
 「師弟」という言葉を単なる掛け声にしてはならない。
 また、師匠の近くにいるから師弟不二であるというのも間違いである。
 師弟は「距離」ではない。師匠の教えを実行する人が真実の弟子なのである。
 戸田先生は厳然と語られた。
 「牧口先生といえば戸田、戸田といえば牧口先生といわれた。師弟不二の仲であった」
 「師匠の教えを素直に守り、素直に実行することだ。そして、自身の生活のうえに、師匠の教えを顕現しなければならない」と。
 一人一人の日々の生活のなかに、誓願の「祈り」と「行動」が光っているかどうか。
 私は、いつも恩師を心の中心に置いて生きてきた。
我々の生命に真実の師弟が脈動していなければ、学会は衰退していくしか道はない。
だからこそ「断じて師弟に生き抜け!」と叫びたいのだ。

 一、戸田先生は指導された。
 「地涌の菩薩である一人一人が祈り抜き、邪悪を打ち破っていくことだ。この大乱戦の日々が今の広宣流布の姿なのである」
 広宣流布に戦う、わが同志こそ地涌の菩薩である。
 その正義の大行進の先頭に立つのが皆さん方である。
 いかなる状況にあっても、敢然と勝利の活路を開きゆく、名指揮のリーダーであっていただきたい。

●女性に最敬礼!
 一、男性は、どんなことがあっても、婦人部・女子部を叱ってはいけない。
たとえば、本人の信心の成長のために、指導や注意が必要なことはあるだろう。
 しかし、感情的に叱るとか、威張るのは間違いである。
 また、女性を叱るような幹部を、周囲は許してはならない。
 婦人部・女子部の皆さん方が懸命に広布に尽力してくださることを、仮にも、当たり前などと思ったら、とんでもないことだ。常に賞讃していくのだ。尊敬していくのだ。
 そして、もしも、何か足りない点があれば、男性が代わりに努力していくのだ。それでこそ男である。
 婦人部・女子部の尊き奮戦に、より一層、盛強できる「美しき心の創価学会」になっていこう!(大拍手)

● 油断を排せ!
 一、戸田先生はおっしゃった。
 「こっちには信心があるからといって、手をこまねいていると、そこに油断がおきるのだ。戦いには必ず相手があるのだから、慎重に万全の対策を立てなければならない」と。
 どんな小さな報告にも、私はすべて手を打ってきた。真夜中に及ぶことも、たびたびである。
 懸命な報告を見逃す指導者は、卑怯であり、無慈悲である。私は絶対に見逃さなかった。きちっと対応した。
 御聖訓に「億劫の辛労」(御事790ページ)と仰せの通り、祈りに祈り、全身全霊を捧げてきた。
 ゆえに今日の学会ができあがった。世界に広がる、創価の連帯が築かれたのである。
 これまで私は微塵も悔いを残さず、学会に尽くし抜いてきた。この真実を、御本尊の前で明確に申し上げておきたい(大拍手)。

■ 今から30年前の昭和54年(1979年)5月3日ー。
 私は、八王子の創価大学で『会長辞任の本部総会』を終えた後、学会本部へは戻らずに、そのまま神奈川文化会館へと向かった。
 当時、学会は隆々たる発展を遂げていた。
 いわば「絶頂期」である、これからが本当の総仕上げという大事な時期であった。
 その時に、非道な迫害の嵐の中で、第3代会長を辞めざるを得なくなったのである。
 〈この日、読売新聞の朝刊に、日米の国民の意識調査の結杲が掲載されていた。そこには、日本人が「最も尊敬する」日本人の名前が載っており、第6位に池田名誉会長の名前が挙げられていた。
 1位から順に吉田茂。野口英世、二宮尊徳、福沢諭吉、昭和天皇、その次が名誉会長であった〉

 私が第3代会長を辞任した背景には、学会の発展を妬み、私を陥れんとする宗門や反逆者たちの醜い謀略があった。
 ゲーテは「多くのひとは、私欲で落伍をする」前掲『ゲーテ対話録Ⅱ』)と述べたが、卑劣な反逆者の姿は、まさにこの言葉通りであった。
 本気になって学会のため、正義のために戦う人間はいないのか。
 真実の味方はいないのかー。
あまりにも情けない無残な姿であった。本当に、人間の心ほど恐ろしいものはない。
 思えば、その少し前の4月24日、私が会長辞任を発表し、信濃町の自宅に戻ると、妻がいつもと変わらぬ様子で迎えてくれた。
 「本当にご苦労さまでした。健康でよかったです。これでまた、大勢、同志に会えますね」そう言って、微笑んでくれた。今でも忘れ得ぬ一コマである。

● 真実の歴史を
 一、私は、会長として指揮を執ることはできなくなった。
しかし私は、牧口先生、そして戸田先生が命を懸けてつくられた学会だけは絶対に守らねばならないと、深く決意をしていた。私とともに戦ってくださった、多くの真実の同志を守り抜こうと心に決めていた。
 少しでも長生きをして、もう一度、本当の学会をつくり、未来に残すのだ。その思いで立ち上がり、ここまで頑張ってきた。
あの会長辞任から30年。私が陰で、友のため、世界の広宣流布のために、どれほど心を砕き、手を尽くしてきたか。学会をここまで発展させるのに、どれほど壮絶な戦いをしてきたか。
皆さんには、真実の歴史を知っておいてもらいたいのだ。

● 世界が舞台だ
 一、八王子での本部総会の後、なぜ、私が神奈川へ向かったのか。
神奈川には、世界につながる海があるからだ。もう一度、世界を舞台に戦うのだ!
 これが私の決心であった。神奈川の友も、変わらぬ心で迎えてくれた。
 神奈川文化会館に着いた5月3日の夜、私は筆を執った。その時の揮毫を30年を経てて、ここで披露したい。
 それは「共戦」という二字である。脇書には次のように記した。
「五十四年 五目三日夜 生涯にわたり われ広布を 不動の心にて 決意あり
真実の同志あるを 信じつつ 合掌」
 真実の同志 ― それは、私と心一つに、広宣流布へ戦う皆様方である。
 これまで、どれほど多くの忘恩の輩が出たことか。
 私は戸田先生を守りに守った。先生亡き後は、先生のご家族にも最大に心を尽くした。
 一切を犠牲にして、妻とともに弟子の道を貫いた。
 師匠が罵られ、中傷されても何の反論もできない。戦えない。
そんな情けない弟子であってはならない。その思いで生き抜いてきた。
 未来に生きる皆さんは、私との「共戦」の人生を歩み抜いてほしい。頼むよ!
〈参加者から「ハイ!」との力強い返事〉

● 勇気と誠実で同志に希望を
 一、戸田先生は指導しておられた。
「中心者がしっかりせよ! なんといっても、まず責任を持つ自分自身が、どう戦うか。それが何よりも大切だということを、自覚しなければならない」
 どんな戦いも、中心者で決まる。
 リーダーは、皆を激励するにしても、真実の勇気が光る話をしなければならない。表面だけ飾ったような、つくったような話では、友の心を動かすことはでさない。
 またゲーテは、こう訴えていた。
「人間、つねに積極的にふるまわなければならない、つねに新しく建築し、他人をおとしめることにかかずらってはならない」(同)
 どこまでも明るく、前へ、前へと進む。新たな建設へ挑みゆく。
 皆様は、勇気と誠実の振る舞いで、多くの人々に希望を贈る存在であっていただきたい。(大拍手)。

● 共に宝処へ!
 一、この(化城宝処の)譬えについて、御義口伝では、次のように教えられている。
 「南無妙法蓮華経と唱える日蓮の一門は、一同に『皆、共に宝処に至る』のである。この『共』の一宇は、日蓮と『共』に進む時は必ず宝処に至る。『共』に進まないならば阿鼻大域(無間地獄)に堕ちるということである」(御事734ページ、通解)
 わが師と共にーこの一念で、広宣流布へ進む人は、すでに胸中で勝っているのだ。
仏法は厳しい。
 大難が襲いかかってきた時に、師匠の恩を忘れ、妻切るならば、峻厳な報いを受ける。
 反対に、広布の師弟共戦は、晴れ晴れとした、永遠の幸福勝利の道なのである。
 戸田先生は厳しく言われていた。
 「師匠の戦いに後れをとるようでは、大聖人の仏法の真髄はわからないぞ!」
 「師匠を師匠として認識できないような、失敗の人生にだけはなるな!」
 この恩師の叫びを、未来を担うリーダーは、深く魂に刻みつけていただきたい。

 一、真の信仰者には「難こそ誉れ」である仏法は、いかなる宿命をも転換できる幸福の大法である。生命を根底から変革する力がある。民衆のための仏法である。
ゆえに、人々を意のままに操り、欲望を恣にしようとする「権力の魔性」からは、
激しい反発を受ける。
 正義の人が立てば、それを妬む邪悪な人間が出る。御事に「仏と提婆とは身と影とのごとし」(230ページ)と仰せの通り、釈尊の時代には悪逆の提婆達多がいた。
 麗しい和合を壊し、尊き仏子を苦しめ、五逆罪を犯した。最後は無間地獄に堕ちた。
 提婆達多は、教団の実力者であった。釈尊の声望を妬み追い落とそうと、陰謀をめぐらしたのである。
 広宣流布を阻む最大の仏敵は、教団の外ではなく、中に現れる。
 邪宗門と結託した反逆者も、そうであった。
 日蓮大聖人は、提婆達多は「虚言「虚誑罪」「大妄語」であると指弾され、「妬む心が深く」(御書1349ページ、通解)、「名聞名利が深い」(同1348ページ、通解)と喝破されている。
 広布を破壊する、提婆のごとき増上慢の人間とは、断じて永遠に戦い抜くのだ。
 イギリスの哲学者、J・S・ミルは「だれが責任をとるのかを、だれも知らないときには、責任は存在しない」(水田洋訳『代議制統治論」岩波文庫)と論じている。
 万事において、責任を明確にして前進していくことだ。
 誰かがやるだろう。何とかなるだろうーそんな無責任で、臆病な人間になってはならない。
民衆がいじめられ、正義が踏みにじられているのに、何も言わない。叫ばないーそんな卑怯な人間に、絶対になってはならない。

● すべてを恩師に
 一、私は先日(10曰)、全同志の皆様を代表して、中央アジア・キルギス共和国のイシク・クル国立大学から「名誉教授」の称号を拝受した(大拍手)。
〈世界からの名誉学術称号は253。決定通知を含めると、274になる〉
 戸田先生はよく、「わが愛弟子には世界的英雄になってもらいたい」と言われた。
ありがたい師匠であった。
 私自身は、「私への栄誉は、すべて戸田先生への栄誉」との心で、あらゆる顕彰をお受けしてきた。
 戸田先生という偉大な指導者を、日本中、世界中の人々に認めさせたい。最高最大に宣揚したい。それが私の誓いであり、人生であった。
 体が弱く、無冠の青年であった私が、日本のため、世界のため、そして広布のため、学会のために、命を削って働いてきた。疲労困憊の日もあった。満身創痍の時もあった。働いて働き抜いて、今日を迎えた。
 同志の皆様の深き祈りのおかげで、私は、ますます健康であある。(大拍手)。

● 「私は幸せだ」
 一、私がどれほど師匠を大事にし、弟子を大事にし、学会を大事にし、大聖人の仏法を世界に広げてきたか。
 青春時代からの言語に固くせぬ開争は、そばにいた妻が、一番よく知っている。
 師匠に「大作、立ち上がってくれ」と言われれば、即座に戦いを起こした。あらゆる難局を切り開き、学会を大前進させてきた。
 そういう私に、先生は、毎朝のように「戸田大学」を開き、万般の学問を、自ら授けてくださった。
 偉大な先生であった。怖い先生であった、先生が怒る時は、天地がひつくり返るほどのすさまじさであった。
 その先生が、亡くなる間際、私にこう言ってくださった。
 「いい弟子を持つて、俺は満足だ。本当に幸せだ。大作、ありがとう」
 これが、美しく尊き創価の師弟の世界なのである。
 戸田先生の言葉を、青年に贈りたい。
 青年は嵐のごとく 団結せよ! そして、一つの目的に対して、風のごとく追手の応援をせよ! 広宣流布の勝利は、この青年の力に期待をかける以外にない」

● 本物よ出でよ!
 一、遠大な広布の末来を展望する時、本当の勝負は、いよいよこれからである。
私は戸田先生の弟子として、「不二の心」で生きてきた。何があろうと、平気である。
 誓いを貫き、同志を護り、正義を打ち立てる「師弟不二の弟子」がいるかどうか。一切は、それで決まる。
 ドイツの大詩人ゲーテは謳った。
 「若き日々を大切に活用しなさい。早く賢明になれるよう学んでいきなさい」「君は、上に向かって登るのか、下に向かって沈むかだ。強大な勢力を得て勝利するか、服従して敗北するかだ。苦しみ悩むか、凱歌をあげるかだ」
 仏法は勝負だ。仏と魔の闘争である。勝つか負けるか、どちらかしかない。
ゆえに青年は、心を磨き、頭を鍛え、勝ち抜く力をつけるのだ。
 「本物の弟子よ、出でよ!」
 こう私は声を大にして叫びたい。
 頼むよ!〈「ハイ!」と力強い返事が〉

 一、誰が上とか下とかではない。皆が同じ責任感に立ち、戦う心を燃やして、広宣流布へ前進する。だから学会は強い。それが、戸田先生以来の伝統である。
劇作家としても知られるゲーテは、ある時、劇の出演者にこう呼びかけた。
 「どんな小さな役だって重要なんだよ」「厳密な意味でのわき役なんてものはない。どんな役も、ある一個の全体にとって、なくてはならない部分だ」
(ピーダーマン編・菊地栄一訳『ゲーテ対話録Ⅱ』白水社)
 全員が、広宣流布の勝利の劇の「主役」の誇りに燃えて戦おう!(大拍手)

■ 一、ゲーテは『ファウスト』に次のように記している。
 「功労と幸福とは一つにつながる」(相良守峰訳『ファウスト』岩波文庫)
 仏法に通じる、味わい深い言葉である。
 広宣流布の労苦ー特に陰の努力と功績にこそ、不滅の福徳が光る。
 戸田先生は婦人部に強く言われた。
 「信心を貫いていけば、功徳は厳然と現れる。その功徳とは、中途半端なものではないよ。目に見える絶大な功徳なのだ」
 戦後間もないころ、戸田先生は事業に失敗され、莫大な借金を抱えられた。
 私は、ただ一人、すべてをなげうって、先生をお護りした。
 給料は何カ月も遅配。真冬でもオーバーもなかった。靴が買えず、足駄(高下駄)を履いたこともある。
 「カランコロン」と音を鳴らして歩いていると、かつて勤めていた会社の上司と、ばったり出くわした。
 昔はよく、雨の日、道が悪いので、足駄を履いたものだ。しかし、その日は晴れていた(笑い)。
 「池田君、きょうは天気なのに、何で足駄を履いているの?」
私は朗らかに、背が高くなるよう足駄を……」と答えた(大笑い)。
 その上司が、「池田君は、必ず将来、偉くなるよ」と期待を寄せてくださったことも、懐かしい。
 思い出深き、わが青春の一ページである。
 私の人生は、恩師に捧げた人生である。
 恩師ありて、今の自分がある。本当に幸せだ。
 この師弟の道を、まっすぐに走り抜いてきたゆえに、すべての労苦は今、世界一の栄誉となって、満開の桜のごとく花開いている。

●宝は目分の中に
 一、ゲーテは、こうも絶っている。
 「私の中には、高貴な宝が豊富にある。それは、人のためになる宝なのです」
 この宝を引き出す究極の力が、「信心」であり、「師弟」なのである。
 さらに、私が青春時代から好きだったゲーテの言葉を贈りたい。
 「生きているあいだは、いきいきとしていなさい」(手塚富雄著『いきいきと生きよーゲーテに学ぶ』講談社現代新書)
 いい言葉だ。簡単なようで深い哲学が込められている。
 いくら健康であっても、何の目標もなく、張り合いもない。挑戦もなければ、喜びもない。ただ漫然と、むなしい日々を送るだけ。
 そんな〃生ける屍〃になってはいけない。
 「生き生きと」進むのだ!
 たとえ病気になっても、心は生き生きと!
 ― 絶対に負けてはいけない。戦う心まで病魔に食い破られてはならない。
 勝っても負けても、生き生きと!ー人生の勝敗は、途中では決まらない。最後に勝つ人が、真の勝利者なのである。
 折伏精神で!「広宣流布の戦は断じて勝つことだ。
 勝ってこそ正義である。自身のため、一家のため、わが愛する地域のために、勝ちまくっていただきたい。
 戸田先生は呼びかけられた。
 「しっかりと信心で立ち上がることだ。
 いかなる戦いも、折伏精神を大いに盛り上げて断じて勝つことだ」
 「引っ込み思案は大きな欠点である。
 強く強く前に出なさい!」
 折伏精神で、強き信心で進もう!
 きょうは長時間、ご苦労さま!
 ありがとう!
 どうか風邪をひかれませんように。皆、元気で活躍していただきたい。
 勝利の名指揮を頼みます!(大拍手)

 

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