人気怪獣映画「ゴジラ」シリーズの新作『シン・ゴジラ』の北米での劇場公開が10月に迫っている。日本では去る7月に劇場公開されて以降大ヒットとなっており、少なくとも実写映画では今年トップの興行収入となるだろう。
米国でも人気の高い「ゴジラ」シリーズであることに加え、あの「新世紀エヴァンゲリオン」の庵野監督の作品であるということで、北米でも多くの映画メディアで話題となっている。日本向けに特化しすぎているとの声もあるようだが、日本以外のゴジラファンにも楽しんでもらえるといいと思う。
米国の観客は、『シン・ゴジラ』のストーリーにおいて、「米国」が重要な役割を果たしていることに興味を持つかもしれない。それは単に、主要登場人物の1人は米国人であるからというだけではない。本作における米国の存在感は、日本で作られた他のゴジラ映画と比べてはるかに大きい。
で、思ったわけだ。『シン・ゴジラ』における米国の描かれ方の中に、日本人のアメリカ観がある程度は表れているのではないか、と。
せっかくなので文末に、なんちゃって英訳をつけてみた。正確な対訳でもないし、そもそも適当に書いてるので文法ガーとかあんまりいわないでいただけるとありがたい。
以下ネタばれ全開注意。
もちろん、『シン・ゴジラ』は主に日本の観客をターゲットにした娯楽映画であって、そこで描かれるアメリカやアメリカ人は、主要登場人物である日本人が活躍する物語を盛り上げるために作られた虚構の存在だ。誇張や歪曲もあるだろう。フィクションと現実を混同しているわけではもちろんない。
しかしそれでも、この作品が日本でヒットした理由として、「リアルな描写」を挙げる人は多い。作中の米国の存在感が大きいのは、日本人がその方が「リアル」だと感じるからだ。だとすれば、作中のアメリカやアメリカ人の中にも、多くの日本人が典型的に抱くイメージのようなものがある程度は反映していると考えてもいいのではないか。
1 無理をいうアメリカ
この作品におけるアメリカは何よりもまず「いつも無理な注文ばかりしてくる国」である。作中では全編にわたって同種のセリフが繰り返されるから、これがいかに強い印象であるかがわかる。
考えてみれば、アメリカが日本に力で迫る構図は、両政府初の正式な接触といえる1853年のペリー来航にまでさかのぼる。その後も、戦前の対日要求や戦後の貿易摩擦を含め、似たような事例が繰り返されてきた。こうした「要求」は、米国側からみれば当然のものなのであろうが、いうまでもなく、日本側からみればそうではない。
2 すぐ力に頼るアメリカ
本作における米国が押し付ける最大の「無理」は、ゴジラのいる東京への核攻撃だ。これは国連安保理決議に基づくものであり、米国だけの意思ではないということだろうが、最も日本と親密な関係にあると多くの日本人が考えている米国の意思でもあるからこそ、日本はすぐに受け入れたのだろう。「爆撃、それでだめならもっと強い爆撃」という彼らの対処方法は、日本の巨災対が「破壊的」でない手段にこだわり続けたことと好対照をなす。
実際には、首相補佐官の赤坂が言ったような、米国が「ニューヨークの真ん中でも同じ判断をする」ということはないだろう(2つあるハリウッド版『ゴジラ』ではいずれも米国に上陸したゴジラに核攻撃をする判断はなされなかった)。しかし、過去の歴史を振り返るとき、圧倒的な軍事力を有するがゆえに、米国がときに、力に頼る判断をすることがあるという印象は、少なからぬ日本人(他の国の人たちも)が共有するものではないかと思う。
3 自業自得のアメリカ
「力に頼る」米国は、しばしばその力自体のゆえに、大きな失敗を繰り返してきた。特に第2次大戦後、「世界の警察官」的な役割を引き受けるようになって以降の米国には、その時点でよかれと思ってとった策ゆえに後でとんでもないしっぺ返しを受けた事例が数多くある。たとえば中東では、イランを支援すればイスラム革命が起き、イラクを支援すればフセイン政権が暴走した。フセイン政権を倒せばISが生まれた。アフガンで義勇兵を育成すればアル・カイーダが生まれて同時多発テロが起きた。利権を守るために介入した中南米では反米政権が次々と生まれた、といった具合だ。
ゴジラも、そうした「自業自得」の1つといえるかもしれない。ゴジラは、戦後、南太平洋地域で繰り返された核実験によって生み出された。当該地域で1950年代に行われた核実験のほとんどはアメリカによるものだが、そのために生まれたゴジラが米国に上陸する可能性が出てきて、対応を迫られたわけだ(その意味では、ゴジラが日本を襲ったというのはとばっちり以外の何物でもない)。
4 多様なアメリカ
『シン・ゴジラ』の主要登場人物の1人、カヨコ・アン・パターソンは米国人だ。祖母が日本人という設定はキャスティング上の都合(日本向けの映画だしあの膨大なセリフをあの早口で言うのは日本語のネイティブスピーカーでないと無理だろうし)ではあろうが、それでも「そういうものか」と観客がある程度納得するのは、「アメリカってそういう国だよね」という認識がある程度共有されているからだろう。つまり、マイノリティの出自を持つ年若い女性が「40代で大統領になることをめざしている」というストーリーを非現実的とは思わないという認識だ。
もちろん、公民権運動はほんの少し前のことだし、今でも、マイノリティの出自を持つ人々が警察官によって理由もなく逮捕され、暴行され、殺されたりしている。しかし、強い抵抗を受けながらも、米国では社会をより開かれた公平なものにしていこうとする動きが続いている。現在の大統領がアフリカ系の父を持ち、現在大統領候補として選挙戦を戦う有力候補者の1人が女性であるという現実を、政治家や企業経営者のほとんどが男性で占められる日本社会の現状と比較して、うらやましく思う日本人は多いはずだ。
5 信頼されるアメリカ
いうまでもなく、「無理をいう米国」は、日本が日米関係を最も重視しているからこそ成り立つ。戦後の日本人は、トップから末端に至るまで、米国に対して高い信頼を置いている。内閣府が平成25年に行った「外国に関する世論調査」では、アメリカに「親しみを感じる」とする者の割合が83.1%と、「親しみを感じない」の15.8%を大きく上回っている。
内閣官房副長官の矢口は日本を「傀儡」と表現したが、日本がその立場を受け入れてきたのは、日本人が米国を信頼していることの表れだ。だからこそ日本にいるゴジラに対して爆撃やミサイル攻撃を行うというという日米の共同作戦を自然に受け入れられるのだ。
6 12歳の子供の「保護者」ではないアメリカ
そうした高い信頼にもかかわらず、日本はゆっくりとだが、より「自立」した存在になる方向へと動いている。作中には、米国の要求に従わずデータを世界各国に提供して分析を依頼したこと、ヤシオリ作戦準備の時間を稼ぐためにフランスを説得して核攻撃を遅らせたことなど、日本が米国に従わない場面が描かれている。現実にも、安倍首相は、米国や西側諸国の懸念にもかかわらず、ロシアのプーチン大統領を日本へ招くこととしている。日本はもはや、かつてマッカーサーが述べたような「12歳の子供」ではない。少なくとも日本の指導者や人々はそのようにありたいと望んでいる、いうことだろう。
もちろん今でも、そしておそらく近い将来においても、日本人は米国から軍事的に離れることを望んではいない。日本は軍事的には(いわゆる「核の傘」も含め)米国に依然として依存している。しかし、ゆっくりとだがこの領域における日本の役割が拡大しつつあるのも事実だ。その他の領域においても、より「傀儡」でない方向へと向かっている。総じてみれば、そのことはむしろ、米国にとっても望ましいものなのではないか。それは単に、米国の「保護者」としての負担を減らすからというだけでなく、価値観や利益を共有しながら、同時に異なる立場、異なるアプローチの同盟相手がいることが、米国にとって新たな戦略的オプションをもたらすことになるのではないかと思うからだ。
繰り返すが、これは『シン・ゴジラ』という日本の娯楽映画に描かれた米国像に関する私の個人的見解を語ったもので、世論調査に基づいたものではないし、日本人全体がこう考えている保証はない。しかし、この作品は、日本人が現在そうだと思う日米関係、及び「そうありたい」と思う日米関係を考えるうえで、貴重なインサイトを提供してくれるように思われる。
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