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『ラブライブ!サンシャイン!!』始まりへと繋がり、ファンと共に歩むAqoursについて

アイスタ。上田麗奈演じる白銀リリィ登場回が凄く良い。主人公であるゆめサイドとリリィの友人であるゆずサイドの二軸を立てて、ゆめサイドは「学園の七不思議を追う過程でリリィの事を知る」という客観的な評判に基づくものを描いていき、ゆずサイドは親しい関係ということで彼女の内面に迫るものを描いていく。両軸合わさる事で「白銀リリィ」のアイドルとしての実力とその評判、少女としての彼女のアイデンティティというものが見えてくる作りになっていて、一話の中でどちらか片方に寄りすぎることなく必要な情報を伝えきっている。これは凄いバランス感覚の脚本ではないかと思う。
また「体が弱く療養中だった少女が、再びステージに立つ覚悟を固める」という空気感のあるライブパートも素晴らしい。ゴシック系のファッションが似合うキャラのライブはアイカツ!時代から凄いものを作り上げてきたけれど、今回のライブは照明の使い方が素晴らしく、遠くにあるスポットライトに手を伸ばすあの仕草! S4やゆずという太陽に手を伸ばしているようで、凄くよかった。



アニメ『ラブライブ!サンシャイン!!』は始まりへと至る物語だ。それはつまり彼女達が我々ファンのよく知る「あの輝き」を身に纏うまでの物語だということでもある。

『ラブライブ!サンシャイン!!』は静岡県沼津市内浦にある浦の星女学院で結成されたスクールアイドル「Aqours」の九人を描いた作品である。スクールアイドル活動の発起人となったのは老舗旅館の三女である高海千歌で、Aqoursのリーダーでもある彼女が沼津の美しい海と夏の爽やかさのある青空の下、「助けて、ラブライブ!」という言葉と共に2015年2月末に登場した時、μ'sとはまた違った風が吹き抜けた。発表から程なくして高海千歌以外の八人も出揃い、10月には1stシングル「君の心は輝いてるかい?」が無事に発売。2016年1月11日にはアニメ化が発表され、μ'sが全力で駆け抜けていった「今」を愛する彼女達の全力で輝く姿に期待が膨らんでいた。
しかしいざアニメが始まってみると彼女達の姿は全くもって輝いていなかった。頼りがいこそないものの、その胸に秘めた輝きは誰よりも強かった高海千歌は「自分には夢中になれるものも、生まれてから今まで積み上げてきたものも何もない」というコンプレックスを抱えていたし、桜内梨子もピアノが弾けなくなった苦しみを抱え、μ'sが救った音ノ木坂学院から浦の星女学院に逃げてきた存在だった。
三年生である松浦果南、小原鞠莉、黒澤ダイヤの三人は過去に相手を思いやるばかり、自分の本心をぶつける事が出来ずに互いを傷つけあった過去を「スクールアイドル活動の無念と後悔」として引きずっていたし、浦の星女学院に入学したばかりの一年生である黒澤ルビィと国木田花丸は「変わりたい」「スクールアイドルをやりたい」と思いながらもその気持ちを封じ込め、津島善子は我々の知る「ヨハネ」でこそあったものの、その「ヨハネ」を中核とする自身の中二病を嫌悪して辞めることを目指していた。
つまりアニメ一話においてAqoursの九人は輝きとは無縁の、どこにでもいるようなごくごく普通の少女だったのだ。
しかし彼女達は0から1へ、何もない今から輝きのある今を目指して、スクールアイドルとして走り出す。
最初は高海千歌一人。そこに「いつか千歌と一緒に何かをやりたい!」と思っていた渡辺曜が加わり、千歌の「寄り道でもいい」という言葉に誘われて桜内梨子が加わって三人に。友達や家族や生徒会長の黒澤ダイヤ、そして理事長の小原鞠莉の力を借りてどうにかファーストライブを成功させた後にはμ'sの星空凛のように「変わるための一歩」を踏み出そうとした黒澤ルビィと国木田花丸、中二病と堕天使ヨハネを受け入れた津島善子が加わり、彼女達は次第に大きな輝きへと変わり始める。
しかし「全国レベル」という視点で見た時、彼女達の持つ輝きは「お話」にもならないほど小さな輝きだった。
μ'sやA-RISEのおかげで「スクールアイドル」というものが普通の存在になり、それに伴って全体のレベルも上昇していた今の時代において、彼女達六人が今日まで努力を積み重ねてきた歌もダンスも輝きも、誰の心にも届いていなかった。前座どころか、誰も彼女達を見てなかったのである。
0。その数字が物語る無慈悲な現実に打ちのめされるAqours達。「好きでやっていることだから」と自分に言い訳して逃げる事も出来ただろう。そして逃げたとしても、誰も攻めなかっただろう。しかし彼女達は逃げなかった。悔しいという気持ちを胸に「0を1にする」という目標を掲げ、彼女達は再び走り出す事を決めたのだ。
何もない今がどうなるのか。0が1になった時、どんな光景が広がっているのか。
それが見たい!と走り出した彼女達の姿は力強く、そして輝きに満ちて美しい。
彼女達はその日、スクールアイドルとして目覚めたのである。

二年前のすれ違いと後悔に決着をつけた三年生組が九話で加入し、Aqoursはついに我々のよく知るユニットの形となった十話以降において重要だったのは「Aqoursとは何者なのか」ということだった。
「助けて、ラブライブ!」という第一報のキャッチフレーズからも分かる通り、Aqoursも『ラブライブ!サンシャイン!!』と言うプロジェクトそのものも『ラブライブ!』という先駆者があってこそのものだった。『ラブライブ!』が大成功を納めたからこそ『ラブライブ!サンシャイン!!』が生まれ、μ'sがいたからこそAqoursがいる。アニメの中においてもμ'sの存在と功績は重要視され、彼女達のお陰でスクールアイドルは今日の繁栄を得ることが出来たのだと何度も何度も繰り返し言及されてきたし、何より高海千歌がスクールアイドルを目指すきっかけとなったのはμ'sがいたからこそだ。
故に彼女達は「自分達は何者なのか」という難題に取り組むことになる。μ'sが切り開いた時代を生きるスクールアイドルであり、そしてμ'sの背中を追いかけてきた者として、答えを出さなければ絶対に前には進めないのだから。
その答えは「AqoursはAqoursであり、AqoursはAqoursにしかなれない」という当たり前の答えだった。
μ'sの後を追いかけ、μ'sになるのではない。AqoursはAqoursになるために走り続けるのだ。
そしてこの答えに彼女達が辿り着いた事とそれを描写したことで、『ラブライブ!サンシャン!!』自体も『ラブライブ!』とは全く別の企画として自立し、動き始める。
Aqoursと『ラブライブ!サンシャイン!!』と言うプロジェクト。
その双方が偉大なる先駆者の後を追いかけるのではなく、自立し始めた事が最終話へとつながってくる。
最終話において特に大切に描かれていたのは「千歌達が全力でAqoursとして駆け抜けてきた事が、浦の星女学院の生徒たち全員を動かすきっかけになった」という0が1になった瞬間と、そしてその絶対的な「1」があったからこそ、Aqoursは我々のよく知るAqoursになったという事実だった。
エピローグにおいて描かれた九人の写真が最初に公開されたキービジュアルを彷彿とさせるものなのは、その事を雄弁に物語っている。彼女達は様々な経験を経て我々と初めて出会った頃の「Aqours」になったのである。

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画像引用元:電撃G'sマガジン.com

「Aqoursがこの後どうなるのか」ということは語られずとも、今日まで共に歩んできた者ならば分かるはずだ。
なぜなら我々が知っているAqoursの姿が、そのままこの後のAqoursの姿になるのだから。
今から未来へと向かって走り続ける彼女達と共に、我々も最後まで走り続けたい。


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