時代の正体〈396〉副読本改訂問題(下)殺す子ども生まぬため

関東大震災虐殺考

 差別は人を殺す。差別の行き着いた先が、朝鮮人に対する虐殺だった。だから、差別はいけない。それこそが関東大震災の教訓として、いまみつめるべきものだ。

 2008年にまとめられた中央防災会議調査報告書「1923関東大震災第2編」は記す。

 〈広範な朝鮮人迫害の背景としては、当時、日本が朝鮮を支配し、その植民地支配に対する抵抗運動に直面して恐怖感を抱いていたことがあり、無理解と民族的な差別意識があったと考えられる。歴史研究、あるいは民族の共存、共生のためには、これらの要因について個別的な検討を深め、また、反省することが必要である〉

 横浜には、震災の実相に迫り、教訓を伝えていこうと研究を続ける元市立中学校社会科教諭、後藤周さん(67)がいる。着目したのが当時の小学生が震災を振り返ってつづった「震災作文」だった。震災3カ月後に南吉田第二小学校6年生が書いた作文には虐殺の場面が克明に記されていた。

 〈中村橋の所へ行くと大勢居るから行って見ると鮮人がぶたれて居た。こんどは川の中へ投げ込んだ。すると浴いだ日本人がどんどん追いかけて来て両岸から一人づつ飛込んでとび口で頭をつっとしたら、とうとう死んでしまった。其れから、家へかへって見た。すると鮮人がころされて居るといふので見に行ったら頭に十箇所ぐらい切られて居た。又くびの所が一寸ぐらいで落ちる〉

 ためらいなき淡々とした筆致。600人以上の作文を読み込み、後藤さんはあることに気付いた。

 「迫害を反省し、朝鮮人に心を寄せている作文は一つしかなかった。暴動はデマだったという事実が子どもに伝えられていない。過ちに対する大人の無自覚が子どもの無自覚につながっていた」

 後藤さんはそれが何をもたらしたのかに思いをはせる。

 「震災のときに思い込みでアジアの隣人の命を奪ってしまったことに対する反省がないまま、戦争の時代は用意されたのではなかったか」

 当時12歳だった小学6年生が徴兵年齢の20歳になるのは震災8年後の1931年。この年、満州事変が起き、さらに6年後、1年生が成人する37年、日中戦争は始まった。当時の小学生こそは侵略戦争に駆り出され、あるいは銃後を担った世代であった。反省なき無自覚さが、アジアへの侵略と殺戮(さつりく)、朝鮮半島からのさらなる収奪を可能にしたのだった。

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