wondertripでは世界の絶景を紹介していますが、歴史地区や古代都市などの絶景スポットは、その歴史を少しでも知ることでより観光が楽しめます。今にも残る世界遺産のストーリーは、知識欲も刺激されますね。本日はスペインの「古都トレド」をご紹介します。
3つの宗教と文化の融合が美しい古都トレドとは?
トレドを愛して一生をこの地で過ごした天才画家エル・グレコが描いた『トレドの景観』と400年たった今でも変わらない風景が広がる古都トレド。“スペインに1日しかいないならトレドへ”といわれるほど、見どころが豊富な街です。かつての西ゴート王国の首都で、中世の佇まいを今に残す奇跡の街トレドの歴史についてご紹介します。
スペインの首都マドリードから約70kmに位置するタホ川に囲まれた小高い丘にあるトレドの旧市街地は、迷路のように細く曲がりくねった石畳の路地が続き、今も人々を魅了する古都です。モスクを改築したカトリックの教会では、3つの宗教が混ざり合いそれぞれの文化が融合したトレドの歴史を垣間見ることができます。
安土桃山時代に日本人ヨーロッパ使節団がトレドに訪れた時、トレドの発展ぶりに驚いたとの記録が残る街です。速足では巡れない中世の情緒に満ちたトレドは、日本でいう奈良のようなものかもしれませんね。
スペインの首都マドリードから約70kmに位置するタホ川に囲まれた小高い丘にあるトレドの旧市街地は、迷路のように細く曲がりくねった石畳の路地が続き、今も人々を魅了する古都です。モスクを改築したカトリックの教会では、3つの宗教が混ざり合いそれぞれの文化が融合したトレドの歴史を垣間見ることができます。
安土桃山時代に日本人ヨーロッパ使節団がトレドに訪れた時、トレドの発展ぶりに驚いたとの記録が残る街です。速足では巡れない中世の情緒に満ちたトレドは、日本でいう奈良のようなものかもしれませんね。
世界遺産に登録された古都トレドの魅力
トレド大聖堂をはじめとした旧市街地全体が「古都トレド」として、1986年に世界遺産に登録されています。古代ローマから西ゴート王国、後ウマイヤ朝、スペイン全盛期に至るまで、約2千年もの間に繰り広げられた歴史を克明に今に伝えると共に、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教によって支配されたことにより異文化が融合したムデハル様式の建築が評価されました。
欧州随一美しいといわれるトレド駅、13世紀に造られた六角形の橋などムハデル様式が点在し、16世紀にタイムトリップしたかのような不思議な感覚に囚われます。トレドが人々を魅了してやまない理由はここにあるのではないでしょうか?トレドに行かれたら、アンカラ橋の手前にある展望台に上ってみてください。そこには、エル・グレコが描いた「トレドの景観」そのままの景色を見ることができます。
欧州随一美しいといわれるトレド駅、13世紀に造られた六角形の橋などムハデル様式が点在し、16世紀にタイムトリップしたかのような不思議な感覚に囚われます。トレドが人々を魅了してやまない理由はここにあるのではないでしょうか?トレドに行かれたら、アンカラ橋の手前にある展望台に上ってみてください。そこには、エル・グレコが描いた「トレドの景観」そのままの景色を見ることができます。
あらゆる文化が混在したトレドの始まりと繁栄
先史時代から先住民が住んでいた古都トレドは、紀元前192年に地中海制覇を目指すローマ帝国がイベリア半島を征服したことで、ローマの領地となり「トレトゥム」と呼ばれました。これがトレドの起源です。一帯を支配していた西ゴート王国は、507年にフランク族に敗れ宮廷を南フランスからイベリア半島に移しました。531年にも敗戦し領地をほぼ失ってしまいます。
その後、イベリア半島で遷都を繰り返した西ゴート王国は、560年にアタナヒルド王が首都をトレドに移し、ここから繁栄期が始まります。レッカレド1世(在位586-601年)が、586年にトレド教会会議を開きアタナシウス派に改宗。カトリック教会との関係が良好となりました。621年にスインティラ王(在位621-631年)の時にはイベリア半島を統一するほどにまで成長したのです。
しかし、この繁栄もここまで。内紛が勃発した上に、ユダヤ人弾圧による混乱、ペストの大流行で西ゴート王国は衰退していきます。
その後、イベリア半島で遷都を繰り返した西ゴート王国は、560年にアタナヒルド王が首都をトレドに移し、ここから繁栄期が始まります。レッカレド1世(在位586-601年)が、586年にトレド教会会議を開きアタナシウス派に改宗。カトリック教会との関係が良好となりました。621年にスインティラ王(在位621-631年)の時にはイベリア半島を統一するほどにまで成長したのです。
しかし、この繁栄もここまで。内紛が勃発した上に、ユダヤ人弾圧による混乱、ペストの大流行で西ゴート王国は衰退していきます。
イスラム教徒によるトレド征服時代の始まり
数々の不運によりトレドの勢力が衰えたことで、新たな苦悩が始まります。イスラム史上最初の世襲である、アラブのイスラム勢力の「ウマイヤ朝」が北アフリカからジブラルタルを渡って、イベリア半島に侵入してきたのです。711年に首都トレドが陥落し、ゴート族の最後の王「ロデリック王(在位710-711年)」は殺害されてしまいました。これによりトレドはウマイヤ朝の支配下にくだります。
しかし、トレドの住民はキリスト教を捨てることはなく、モサラベと呼ばれるようになり、住民の反乱が何度も繰り返されました。この地にもイスラム支配が定着したころ、少しずつ落ち着きを取り戻し始めます。トレドの特徴の一つである、曲がりくねった細い石畳の道や城壁、美しいパティオを持つ家並みなどが造られ始めました。この頃のトレドには有能な数学者や天文学者、医師などがおり学問も栄えていたようです。
しかし、トレドの住民はキリスト教を捨てることはなく、モサラベと呼ばれるようになり、住民の反乱が何度も繰り返されました。この地にもイスラム支配が定着したころ、少しずつ落ち着きを取り戻し始めます。トレドの特徴の一つである、曲がりくねった細い石畳の道や城壁、美しいパティオを持つ家並みなどが造られ始めました。この頃のトレドには有能な数学者や天文学者、医師などがおり学問も栄えていたようです。
再びキリスト支配下へくだるトレド
1031年に、コルドバを首都とした後ウマイヤ朝が崩壊し、その後に誕生したタイファ諸国の一つトレド王国となりました。1085年には、レコンキスタの中でスティーリャ王国のアルフォンソ6世(在位1072-1109年)が長い包囲戦を行ったことによりトレドは降伏。再びキリスト教の支配下にくだります。
その後もイスラム教徒とユダヤ教徒との共存が許され、トレドの住民の習慣はそのまま維持されるという寛容な政策が取られています。1561年にマドリッドへ遷都されるまで、トレドは政治と経済の中心として繁栄しました。
12~13世紀トレドの翻訳学派が、3つの宗教の共同作業で、古代ギリシア・ローマの哲学・神学・科学の文献がアラビア語からラテン語に翻訳するという画期的な偉業を成し遂げます。これが、中世ヨーロッパの「12世紀ルネサンス」の中心的役割を果たしました。トレドの地が、ヨーロッパにイスラム文明を知らせる拠点として適していたことも要因の一つです。
その後もイスラム教徒とユダヤ教徒との共存が許され、トレドの住民の習慣はそのまま維持されるという寛容な政策が取られています。1561年にマドリッドへ遷都されるまで、トレドは政治と経済の中心として繁栄しました。
12~13世紀トレドの翻訳学派が、3つの宗教の共同作業で、古代ギリシア・ローマの哲学・神学・科学の文献がアラビア語からラテン語に翻訳するという画期的な偉業を成し遂げます。これが、中世ヨーロッパの「12世紀ルネサンス」の中心的役割を果たしました。トレドの地が、ヨーロッパにイスラム文明を知らせる拠点として適していたことも要因の一つです。
再び政治・経済の中心として栄えたトレド
実は、この頃のカスティーリャ王国やスペイン王国には首都がおかれていませんでした。暫定的に宮廷の所在地としてトレドが選ばれました。しかし、鉄製品の生産において有名になり、特に剣の生産では一目置かれる存在になりました。現在もナイフなど鉄器具製造の中心地として当時の技術が伝わっています。
1226年より、トレドで最大の観光地カテドラルの建設がフェルナンド3世(在位1217-1252年)の命によってはじめられました。このゴシック様式の大聖堂の完成は1493年です。その後も時代ごとに改築が行われ、彫刻や絵画など芸術性の高い大聖堂としても人気を集めています。特に本堂中央にある聖歌隊席は必見!アロンソ・ベルゲーテが彫った、グラナダ戦争の場面が細かく彫刻され人々の目を楽しませています。
また、聖具室にはエル・グレコの『聖衣剥奪』をはじめ、彼の宗教画やゴヤの作品も所蔵。現在も、スペインカソリック教会の大本山であり、キリスト教中心地でもあります。色々な様式が混在し、3宗教が平和的に共存した時期があったことを感じる大聖堂です。
1226年より、トレドで最大の観光地カテドラルの建設がフェルナンド3世(在位1217-1252年)の命によってはじめられました。このゴシック様式の大聖堂の完成は1493年です。その後も時代ごとに改築が行われ、彫刻や絵画など芸術性の高い大聖堂としても人気を集めています。特に本堂中央にある聖歌隊席は必見!アロンソ・ベルゲーテが彫った、グラナダ戦争の場面が細かく彫刻され人々の目を楽しませています。
また、聖具室にはエル・グレコの『聖衣剥奪』をはじめ、彼の宗教画やゴヤの作品も所蔵。現在も、スペインカソリック教会の大本山であり、キリスト教中心地でもあります。色々な様式が混在し、3宗教が平和的に共存した時期があったことを感じる大聖堂です。
スペインの中心的な役割を終えたトレド
しかし、この3つの文化が平和的に共存できたのは14世紀まででした。カトリック社会のスペインでユダヤ人が一大勢力となり始め、1391年から反ユダヤの暴動がセビリャを始め国内全土で起こりました。1492年にカトリックに改宗できないユダヤ人を追放する「ユダヤ教徒追放令」が出されたのです。この結果15~20万のユダヤの人がイベリア半島を去りました。平和的に共存していただけに残念な結果でした。
マドリッドに首都が移されてからのトレドはどんどん衰退していきました。同じ古都との意味合いを持つ奈良市と友好姉妹都市を結んでいます。1936年のスペイン内戦では、13~16世紀に造られた城壁を舞台にトレドでも激しい戦闘が繰り広げられました。これも、歴史上忘れてはならない現実です。
数奇な人生を送ったトレドは、複数の宗教を融合した独特の街並みが美しい景観を創り出しています。これも、強国に翻弄され続けたトレドの深い歴史を物語っているのかもしれませんね。
マドリッドに首都が移されてからのトレドはどんどん衰退していきました。同じ古都との意味合いを持つ奈良市と友好姉妹都市を結んでいます。1936年のスペイン内戦では、13~16世紀に造られた城壁を舞台にトレドでも激しい戦闘が繰り広げられました。これも、歴史上忘れてはならない現実です。
数奇な人生を送ったトレドは、複数の宗教を融合した独特の街並みが美しい景観を創り出しています。これも、強国に翻弄され続けたトレドの深い歴史を物語っているのかもしれませんね。
エル・グレコが愛した古都トレドを旅してみませんか?
16世紀にタイムトリップしたような、美しい古都トレドは、ゆっくり散策したい見どころの多い観光地です。ぜひ、訪れて3つの宗教と文化の融合を体で感じてみてください。
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