自分で震災を扱った作品を立て続けに二作(厳密には三作)作って、だから言うって訳でもないのだけれど、
やっぱり震災のトラウマに「つけ込んだ」作品というものが、ちょっと相次いで出たような。
時期的にも今が「不謹慎!」と叩かれずに済む、と思ったのだろう。
僕は震災の翌年には『blossom』を発表していた。
別に被災地支援しろ!とか、寄付はやってるのか!とか言うつもりはない。
ただ、震災のトラウマをいたずらに煽るのは、心情的にやめてほしい。
せめてそれを乗り越える社会の在り方というものだけは、訴えかけなければいけないと思っている。
「メッセージ性」を拒絶する今のアニメやオタクコンテンツは、そこを華麗にスルーするのだけれど。
もちろん『ゴジラ(1954)』だって戦災のトラウマを描いた戦災映画だ。
しかしそこには、水爆実験など(当時の)世界の「過去」と「今」と「これから」を、熱く訴えかける力があった。
だから名作なのだ。
「弱みにつけ込む」というのは、少なくとも僕の趣味でも主義でもない。
エンタメには「テーマ」が必要だ、と何度も申し上げている。
人のそういった感情を、利用だけしてはいけない。
やっぱり震災のトラウマに「つけ込んだ」作品というものが、ちょっと相次いで出たような。
時期的にも今が「不謹慎!」と叩かれずに済む、と思ったのだろう。
僕は震災の翌年には『blossom』を発表していた。
別に被災地支援しろ!とか、寄付はやってるのか!とか言うつもりはない。
ただ、震災のトラウマをいたずらに煽るのは、心情的にやめてほしい。
せめてそれを乗り越える社会の在り方というものだけは、訴えかけなければいけないと思っている。
「メッセージ性」を拒絶する今のアニメやオタクコンテンツは、そこを華麗にスルーするのだけれど。
もちろん『ゴジラ(1954)』だって戦災のトラウマを描いた戦災映画だ。
しかしそこには、水爆実験など(当時の)世界の「過去」と「今」と「これから」を、熱く訴えかける力があった。
だから名作なのだ。
「弱みにつけ込む」というのは、少なくとも僕の趣味でも主義でもない。
エンタメには「テーマ」が必要だ、と何度も申し上げている。
人のそういった感情を、利用だけしてはいけない。