そろそろ『いつ恋』の話をしよう。
Twitterを封印していた時期だから、何も話せなかった。
『いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう』。
久しぶりにハマったドラマだった。
最初は偶然。音を消したままTVをダラダラ流していたら#2が始まった。
そして永野芽郁を発見した。まだ10歳の頃、拙作『私の優しくない先輩』に出てもらった。
大きくなったなぁ、ていうか介護士役かよ!と思って、永野芽郁の成長だけを確認するつもりだった。
しかしだんだんと画面に釘付けになった。
途中から消してた音声も付けて、ちゃんと観るようになった。
これは凄いドラマかも知れない。ドキドキした。
主人公の音(有村架純)が捨て犬を拾って信号そばでくたびれて、そこへ練(高良健吾)がやって来て、再会となるシーン、照明が良い。
サイレント映画を観ているかのようだった。ドライヤーか、ムルナウの。
僕は「これは10年に一本のドラマだ!」と確信した。
それからは知り合いにも徹底的に進めた。
「これは10年に一本だ!観て!」
訝しむ同業者にも「いやいや、これは凄いんです!」と力説した。
視聴率のことをとやかく言われたが、「絶対V字回復する!」と公言してはばからなかった。
Twitter止めてた時期だけど、ハッシュタグで「#いつ恋」とだけは、毎週打った。
これは絶対に広めなければならない。
かなり躍起になった。
しかし、視聴率的には惨敗だった。
これは自分のことのように、悲しかった。
「アニメ・イズ・デッド」でも述べたが、「自分が時代に見放されている」と痛感した瞬間だった。
数字だけでドラマを評価するのは良くない、それは解っている。
ネットを中心に、数字の伸びないこのドラマが異様なほどあちこちで絶賛されているのは見ていた。
しかし僕が懸念するのは、このドラマのように貧しき者、弱き者、小さき者に人々が共感できないのか、という時代の状況だ。
この国全体が、強さや全能感にばかり憧れているのだろうか?
「俺TUEEEE」に浸りたいだけなのだろうか?
このドラマの素晴らしいところは、もちろん脚本も良かったが、技術だ。
まずミスショットがない。
ブレたり、ピントミスがあったり、フレームミスがあったりしない。
カメラがいい、照明がいい、美術がいい、編集がいい。
それから役者がいい。
#5だったか、メイン6人の若者が最初で最後、一堂に会するシーンの緊張感は物凄かった。
内容も男と女の戦いだったが、それ以上に役者同士が戦っていた。
本気で撮っているドラマだった。戦っているドラマだった。
こういうものが受け入れられないのは、本当に悲しい。
今「戦う」番組作りをしているのはフジテレビだけだから、是非頑張ってほしい。