時代の正体〈395〉副読本改訂問題(中)忘れられた人権の視点
関東大震災虐殺考
- 神奈川新聞|
- 公開:2016/09/24 10:47 更新:2016/09/24 12:40
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13年度の改訂で写真と説明が削除された関東大震災殉難朝鮮人慰霊之碑=横浜市西区の久保山墓地
〈この事件の背景には1919(大正8)年3月1日に起きた、朝鮮民族の日本の植民地支配からの独立(三・一独立運動)等、朝鮮民族の抵抗に対する日本人の恐怖心と差別意識があった〉
この一文は、自民党の横山正人市議が虐殺に関する記述を批判し、「虐殺」を「殺害」に、その主体から「軍隊と警察」が削除された13年度版以降も残り続けていたものだ。軍隊や警察、民衆がなぜ「朝鮮人が井戸に毒を入れた」「朝鮮人が暴動を起こす」という根拠のないうわさを信じ、虐殺に走ったのか。過ちを知れば当然芽生える疑問に対する答えにこそ、抑圧と差別がどのような結果をもたらすのかという歴史の教え、植民地支配に対する反省がある。
この記述が登場するのはわかるヨコハマの前身、社会科副読本「横浜の歴史」1990年度版だ。大幅な増補改訂に当たっては虐殺の地、横浜でこそ、その歴史を教える必要があるのだと市教委自身が宣言している。当時、指導課長名で学校長に宛てた通知は記す。
〈従来の記述は、震災時の軍隊や警察、自警団による朝鮮人虐殺事件の事実や背景について一切触れられておらず、当時のデマがあたかも事実であったかのような印象を与える恐れがありました。このことはわが国に根強く存在する韓国・朝鮮人に対する偏見や、ひいては差別意識を再生産することにつながります。教育委員会は、このような反省に立ち、在日外国人(特に韓国・朝鮮人)児童・生徒の人権尊重の教育を一層推進する決意をもって今回の改訂を行ったものであります〉
それから四半世紀。世界で活躍するグローバル人材の育成がうたわれ、「虐殺事件の事実や背景に一切触れて」いない新しい副読本の原案が練られた。全職員に配布し、周知徹底を図ることまで求めた通知に記された決意は捨て去られ、歴史教育だけでなく人権教育をも大きく後退させる副読本によって市教委自ら「偏見や差別意識を再生産」しようとしている。
消された反省
歴史の反省は人権に通じ、ひいては横浜を世界に開かれた国際都市にする。それは市教委が掲げた方針であった。
先の通知の翌年、「在日外国人(主として韓国・朝鮮人)にかかわる教育の基本方針」を策定。「国際文化都市ヨコハマ」となるには「内なる国際化」の実現のため、異なる民族の子どもたちの存在を尊重し、その子どもたちが自らの民族を誇り、体現して生きるための教育が欠かせないとして、「歴史の反省」の項で以下のように書く。
〈敗戦後、日本の学校に通う在日韓国・朝鮮人の子どもたちの大半が本名を名のりたくても名のれずに日本名で就学している状況は、戦前からの同化教育の弊害がいまだに改められていないことを示している。横浜市立学校に在籍する子どもたちにとっても状況は同じであるといえよう〉
〈私たちは同化教育の歴史と現在を反省し、これを断ちきり、民族共生をめざす教育に取り組まねばならない。このことは、朝鮮やアジアを見下してきたことを反省し、アジアや世界に開かれた心を持つことであり、また日本には日本人しか住んでいないという考え方を克服して、さまざまな母国・民族の存在と文化を認める視点を育て、内なる国際化を実現する教育をめざすことでもある〉
そして、歴史への反省を示すために直視すべき重要な事実として、韓国・朝鮮人が来住した経緯と生活実態、就職など生活における差別の現実、学校の内外に残る偏見・差別などを挙げ、その一つに「関東大震災における朝鮮人虐殺」を明記していた。
副読本のリニューアルに至る過程に落差を思う。
わかるヨコハマ13年度版の改訂で市教委が行ったのは史実の書き換えだけではなかった。それまで掲載されていた「関東大震災殉難朝鮮人慰霊之碑」の写真と説明がそろって削除されていた。
12年度版では横浜市西区の久保山墓地にたたずむ写真をこう説明していた。
〈朝鮮人虐殺に対する謝罪と反省のために日本人が久保山墓地に建てた。裏面には「昭和四十九年九月一日、少年の日に目撃した一市民建之」と記されている〉
震災当時、尋常小学校2年だった石橋大司さん(故人)が私財を投じて建立したものだった。市内で被災し、避難の途中、電柱に縛り付けられていた朝鮮人の遺体を目撃し、贖罪(しょくざい)の気持ちを半世紀余にわたり持ち続けていた。
改訂により歴史の事実だけでなく、その反省の思いまでも隠されたのだった。
そして、グローバル人材育成のため、英語教材の要素も取り入れた新しいコンセプトの副読本に改訂すべきだとする維新・ヨコハマ会の小幡正雄市議の提案に答えた今田忠彦教育委員長(当時)から語られたのは、戦後教育の在り方を「残念」なものと否定するものだった。
「歴史には光と影の部分があり、バランスよく教え、学ぶことが大切だ。次代を担う横浜の子どもたちには、この誇り得る開国の地、横浜の輝かしい歴史や伝統をしっかり学び、理解し、尊重しながら、わが国や国際社会の発展に貢献する人材になってほしい」
今田氏は日本の歴史を肯定的に捉え、愛国心の育成に主眼を置いた自由社、育鵬社の歴史教科書を採択した09年、11年当時から市教育委員長を務めていた。過ちの歴史が正当化されるのなら、直視も反省も必要ない。自由社版は副読本の原案同様、朝鮮人虐殺の記述はなく、15年に引き続き採択された育鵬社版の韓国併合の説明では「植民地支配」はおろか「植民地」という言葉さえ用いられていない。
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