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Nanpa is Suicide

誰でも読めるが、誰にも読めないブログ。

プロフ

自分

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このナンパブログを見つけていただいて、ありがとうございます。

見つけてくださったあなたに感謝致します。 よろしくお願いします。

 

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2013年4月12日に大阪の心斎橋で行われた宮台真司先生とのイベント

「宮台真司・男女素敵化計画第四弾 /愛のキャラバン・大阪死闘編」

に登壇させて頂きました。


愛のキャラバン・大阪死闘編【1・無料】 ‐ ニコニコ動画:GINZA

 

『愛のキャラバン大阪』前哨戦〜Twitter座談会〜

 

このイベントについて、宮台先生が書かれた記事がこちらです。

「4回の愛キャライベントを振り返って、取り敢えずの短い総括を記します」

 

僕が書いた記事はこちらです。

「宮台真司・男女素敵化計画第四弾/愛のキャラバン・大阪死闘編に出ました」

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ナンパと風俗のスカウトマンをしております。

僕は童貞の状態から、ナンパを始めました。

大学生です。うつ病でした。

私は中学生から5年間不登校でした。それで14歳から19歳まで引きこもりました。

その間、精神科・カウンセリングなど様々な治療を受けましたが、なかなか治りませんでした。精神科で薬漬けにされ、常に頭がうまく働かず、外に出ることも、勉強することも、他人と普通に会話することさえできなくなりました。高校生の時に出会ったスクールカウンセラーの先生に、認知行動療法をしてもらいました。それでようやく回復していき、大学に入れました。

 

ナンパで有名な某社会学者の先生のもとで学んでます。熱心ではありませんが。

ナンパ歴はまだ浅いです。童貞は最近やっと卒業できました。

僕がナンパを始めた動機は、社会への「ルサンチマン」です。ナンパをされている方は、決して晴らすことのできない「ルサンチマン」を癒すべく彷徨っている人間と考えています。

よく読まれている記事を紹介させていただきます。

 

・ナンパと恋愛

好きでない女の子と三日間過ごしてみた。

非リアを連れ出し、クラナン童貞卒業

女性不信について

「今夜は寂しい」という病をどう考えるか

 

・ナンパ講習レポート

地獄のナンパ指導 (qqilleさん)

天国のナンパ講習(高石宏輔さん)

「モリマンディ上陸作戦」レイさんの講習を受けてきた(レイさん)

 

・僕自身について

自己憐憫論―引きこもり、自殺、依存

 

・高石宏輔さんが僕について書いてくださった記事

「誰かに自分を投影することは…」

 「モテる」

「 洗脳/愛のキャラバン・大阪死闘編」

「食卓」

 

演劇を少しやっていたので、観劇は好きです。

セネカなど古代ローマの哲学者の本をよく読みます。漫画は、山本英夫さんの作品が大好きです。ほとんど読みました。

こんな僕ですが、合流したいという奇特な方は、

下記のTwitterアカウントに、リプライかDMを送っていただければうれしいです。

※現在、新規の合流はしていません。知り合いの紹介でのみ、合流致します。ご了承ください。

 

twitterのアカウント:https://twitter.com/Rousseausum

 

風俗のスカウトマンもしています。

風俗のお仕事でたくさん稼ぎたい女性は、ぜひご連絡ください。

 

はてなのプロフです。

http://profile.hatena.ne.jp/Rousseausum/

 

僕への文句やdisはこちらへどうぞ。

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

 

 


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なぜ春樹に似てしまうのか

最近、村上春樹をよく読んでいる。超遅れてハルキブームが来た。

小説は怖いからあまり読んでいない。『風の歌を聴け』を読んだぐらい。僕はある作家の小説を読む時に、まずデビュー作を読むようにしている。

デビュー作は、まだその作家が世間から注目される前に、一人でひっそりと書いたものだ。金になるかも評価されるかもわからない状態で書いたはずだから、手探りな感じがあっていいなと思う。

風の歌を聴け』は、断片を組み合わせてつくられている。思いついたことを一つ一つ膨らませて、物語として成立するように再構成している。これは読めば誰でも気づく。小説を書き始めた僕にとって、断片を組み合わせる手法は、非常に参考になった。『羊をめぐる冒険』や『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』など、身体の大きい物語は、今の僕が読んでもわからない。

物語の大きさと書き手の力量は比例すると思う。もちろん短編が上手い作家もいるが、別の種類の能力である気がする。

言いたいことはなんとなくあるが、それをどう書けばいいかわからないし、なんとか繋がるように書いても、月並みで読むに耐えない…ならば断片の密度を上げて、後から再構成するしかない。

僕はいつか身体の大きい物語を書きたいのだが、足りないものが多すぎる。まずは小説を書く身体だと思う。

春樹も小説を書く上で身体を重視している。朝早く起きて走り、それから小説を書き、夜は読書と音楽鑑賞…という、彼の生活スタイルはよく知られている。

僕は小説を書き始めて、初めて自分の身体について考えるようになった。春樹は小説を書くことを「個人的でフィジカルな行為」と言う。もしかしたら小説を書くことは、あまり知的な営みではないのかもしれない。

僕は他人の小説を筆写するようになって、この考えを信じるようになった。

まず自分の身体の上に意識がある。身体のあり方=意識のあり方によって、どのような文章が出力されるか決まる。その次に、それまでの読書経験が影響してくる。

筆写していると、作者が引き気味で書いているとか、踏み込んで書いているとか、対象に対する距離感が伝わってくる、ような気がする。

作者がどんな効果を狙って書いたか、論理的に説明できなくても、なんとなく見えてくるというか、「それっぽさ」が手に感染する、ような気がする。

「ような気がする」としか言えない。

だから僕の妄想かもしれないし、存在しない感覚を頭の中ででっち上げているだけかもしれない。

あるいは、毎日小説を筆写するという無意味な行為に、何か都合のいい意味をこしらえているだけなのかもしれない。

しかし創作には、どうもスピリチュアルめいた要素があるようで、でっち上げの感覚でも飛び込んでみないとわからない。

だから僕は滝本竜彦さんを笑えない。

引きこもりの神は、瞑想しながら小説を書くらしい。

僕は真剣に思うのだが、

もしかしたら彼は、ハルキ・ムラカミになれたかもしれなかった。

専門的なことはわからないが、朝走ってから小説を書くことと、瞑想しながら小説を書くことは、紙一重の差でしかないと思う。

世界のハルキ・ムラカミ、

文学なんかに全然興味がないビジパー(ビジネスパーソンの略です)にも、仕事の姿勢を尊敬される、ハルキ・ムラカミ、

タツヒコ・タキモトも、そうなれるかもしれなかった。

高橋源一郎が「言語とは他者である」と言ったらしいが、一番正確な表現だ。

「言語とは身体である」と言ったら嘘だろう。

身体という概念を、個人の肉体だけではなく、社会も含めた身体にまで拡張したら、少し正確になるかもしれない。

しかし、身体は社会を超えたものでもある気がするから、やはり正確ではない。

春樹は小説を書いている時に、他の文章を書かないらしい。

それをやると、

「小説が痩せる」

行き詰ったらブログを書こう。

 

ネットでいくら有名になっても仕方ない(矛盾)

ネットでいくら有名になっても仕方ないと思うようになりました。

 

■人は固有名に興味ない

 特に人文系の場合はそうだ。とりあえずみんな文字を読むことはできるから、「○○入門」とか書いたら、「○○」の固有名に興味のある狭いクラスタの人たちにはウケる。しかし、たとえば、「ラカン入門」などと銘打って書いたところで、世間の多くの人たちは「ラカン」という固有名には全然興味はない。その固有名に興味のある人は、とても狭い界隈の一部の人たちだけ。さらに、その界隈の中でも、レベルの低い層だけ。レベルの高い層には、相手にされない。

 

■レベル低い層を相手にしてはいけない

 そもそも、「○○入門」だとか素人への知識の紹介は、その分野の専門家であるから成立する話なのであって、専門家でもないのにそれをやるのは恥ずかしい。

 やはりそれなりのレベルの人たち相手には、固有名の連呼ではどうにもならない。何の実績もない僕は、最初はもっと「お堅い」場所で実績を作るほうがいいのかなと思った。それは、ネットとは離れた場所だ。

 ネットで有名になるのは簡単で、要は炎上すればいい。しかし、炎上とは、レベルの低い人間を釣るということなので、レベルの低い人間を相手にしていることになる。

 

■自分のコミュニケーションの問題を学問で転倒させる奴はヘタレ

 また、哲学や文学、最近では社会学や心理学を使って、自分のコミュニケーションの問題を転倒させようする文章もよくないと思う。それもレベルの低い人間向けである。それは、昔ながらの「政治と文学」の二元論と変わらない。つまり、政治的な無力を文学によって転倒させようとする試みだ。昔からあるヘタレの流儀であると思う。

 けれども、最近のますます加速するこの「転倒」は、おそらく1970年代以降の人文系の学問が、個人のプライベートな領域を扱い始めたことと関係しているだろう。その意味をはき違えた人たちが、自分の単にモテないことを、さまざまな学問と結びつけて自己弁護し、現実を転倒させようと企てる。

 しかし、その企てはハタから見れば、ただのヘタレにすぎない。学問によって自分の現実を転倒させようと企ても、それは脳内の解決にすぎないので、客観的な解決にはならない。

 昔は大学に行ける人間が少なかったので、モテないことを学問で転倒させられる人は少なかった。転倒させることはそれなりの価値を持つことができた。しかし、今はみんな大へ行くので、みんなが転倒させることができるようになった。さらに、ネットのせいでヘタレの転倒が可視化されるようになった。

 かくして、文学青年(現在では社会学青年)の偉大なる転倒は、価値がなくなってしまった。ただのヘタレのメルクマールとなってしまった。この流れは不可逆であるから、昔のインテリたちの転倒に自己投影しても無駄である。僕は、転倒する人がいてもいいと思うが、それが客観的な価値を持つことはないだろうと思っている。自戒を込めて。

 この文章もレベルが低い層向けの、レベルの低い文章である。そんなものに価値はない。そして僕にも価値はない。

 

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アンチのツイートをまとめてみた。

凍結されたので、アンチたちのツイートをここでまとめます。

 

 

togetter.com

 

バカですねw

 

最近twitterやりすぎていたから、しばらく休みます。もし永久凍結と言われたら、またアカウント作ります。

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