「カープ坊や」誕生の陰にはルーツ監督の環境改革があった

2016年9月15日10時33分  スポーツ報知
  • 「坊や」とともに岡崎さんが公募に提出した「バットを振る鯉」

 「カープ坊や」の誕生は運命的だった。広島は1950年の創設から万年Bクラス。抜本的な改革の必要性を感じた球団は75年、前年打撃コーチを務めていたジョー・ルーツ氏を球界初の外国人監督に据えた。ルーツ氏は「燃える闘志」を表す意味を込めチームカラーを紺から赤に変更することを提案。しかし、既にシーズンユニホームはできあがっており、帽子、ヘルメットだけ赤色になった話はファンにはよく知られている。

 ルーツ氏はプロ意識を強く持たせるための環境改革の一環として、それまで個々で持参していた用具を運ぶ車を導入。岡崎さんの描いた「坊や」が採用されたのは、その車に付けるペットマークの公募だった。ルーツ氏はその年の4月、早々に辞任したが、もし監督になっていなかったら「赤ヘル」はなく、「坊や」もいなかったかもしれない。

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