有史以来人間は万物を創造した超越的な存在を信じてきました。
今でも多くの人が大いなる神に祈りをささげています。
しかしその存在は大きな謎です。
近年科学者たちは意外なものを通じて神の手がかりを探っています。
バーチャルリアリティーの実験。
チンパンジーの行動。
殺人犯の衣服。
神は実在するのか。
それとも私たちがつくり出したものなのでしょうか。
時間空間そして生命…。
時空を超えて未知の世界を探求します。
科学は人を驚きに満ちた発見の旅へといざないます。
科学は広大な宇宙の成り立ちや原理を探究しミクロな原子の世界をも解明してきました。
これまで誰も解明できなかった神の存在についても科学は新たなアプローチを試みています。
最新の研究によれば神への手がかりは天ではなく私たちの脳にあるというのです。
果たして神は人間の脳が生み出した存在なのでしょうか。
私は子供の頃ある身近な人の死を経験しました。
それはあまりにも若い突然の死でした。
「彼は神に召されたのだ」と説明されましたがもし神様がいるならなぜ彼を連れ去ってしまうのか私には理解できませんでした。
それがきっかけで私は神や天国が架空の存在ではないかと疑うようになりました。
心理学者のジェシー・ベアリングは子供が神を信じ始めるきっかけに関心を持っています。
それは彼自身の幼い頃の経験に端を発します。
(ベアリング)小さい頃友達のうちへ遊びに行くと部屋にきれいな色を塗った卵がいっぱい飾られていました。
家の人は出かけていました。
私ははしゃぎ回るうちにふと卵に触ってみたくなり手に取ったのですが誤って割ってしまいました。
慌ててこっそり戻しました。
2〜3日後友達の母親が割れた卵に気付き近所の子供たちに話を聞いて回りました。
犯人を突き止めようとしたんです。
私も尋ねられとっさに「違う」と答えました。
「神に誓う」とね。
それっきり誰も私を疑いませんでした。
「神に誓ったのだから本当だろう」と皆思ったのでしょう。
その後ベアリングは罪の意識に付きまとわれるようになりました。
悪夢を見るようになりました。
ちょっとしたケガや不運な事が起きる度に神が下した罰ではないかと思うようになりました。
そんなに信心深くはなかったのにです。
ベアリングは幼い子供には超自然的な存在を信じやすい一面があるのではと考えました。
そこで6歳から7歳の子供たちを集めてある心理学の実験を行いました。
それは一見子供にとって簡単そうなゲームです。
(ベアリング)ルールは3つ。
覚えたかな?まず「白線を越えない事」。
「手を後ろに回す」。
利き手を後ろに回してもう一方の手を使う。
それから?「後ろ向きに」。
そう背中を向けて投げるんだ。
的の方を向いては駄目だよ。
的に当てるのはほとんど不可能です。
実はそれはどうでもよい事。
ベアリングがこっそり観察しているのは子供がルールを破るかどうかの一点です。
(ベアリング)この子は部屋の中には自分一人だと思っています。
ずっと的に当たらなくても3つのルールを守れるでしょうか。
ほ〜ら的まで歩いていって真ん中にくっつけています。
大概の子供は誰にも見られていないと思うとだんだんルールを破り始めます。
6歳ぐらいの子供がルールを破るのはよくある事です。
次にベアリングは別のグループの子供たちで同じ実験を行います。
(ベアリング)白線を越えないで。
今回は一つだけ条件が異なります。
青いTシャツの子供たちには先に「この椅子には透明人間が座っているのだよ」と説明しておきました。
しかし怖がらせないように「プリンセス・アリス」という名前で呼び「彼女は魔法の力を持つお姫様なんだよ」と言いました。
触れないけどちゃんと座っているよ。
え〜?誰もいないよ。
子供たちは信じられないという反応を示します。
しかし1人になってからの行動を見るとそうでもなさそうです。
(ベアリング)彼女はボールを全て投げ終えました。
1つも的には当たりませんでしたが最後までズルをしようとはしませんでした。
ちゃんとルールを守っていたんです。
ほら見て。
最後に椅子の所へ行きました。
プリンセス・アリスが座っているか確かめようとしているんです。
さっきは「誰もいない」と言っていたのに何かを信じ始めています。
数百人の子供にこの実験を行った結果プリンセス・アリスの話を聞かされると子供は明らかにルール違反をしなくなる事が判明しました。
(ベアリング)幼い子供たちはプリンセス・アリスがそこにいて自分を見ていると直観的に感じていました。
人間が本来持っている純粋なものの見方を子供たちに見る事ができます。
ベアリングは子供たちが超自然の存在を直観的に受け入れる事を見いだしました。
だとすれば人が神を信じるのは教育やしつけのせいではなく生まれ持った心の働きという事になります。
人はなぜ超自然の存在を信じるのでしょうか?心理学者のブルース・フッドはあらゆる宗教的信仰における心理学的な根拠を研究しています。
フッドは宗教とは人間が進化する過程で必然的に生まれたものだと言います。
無神論者は宗教が人間の進化の産物だとは認めないでしょう。
宗教など蛾がろうそくの火に飛び込んで死ぬように人を自滅させるもとだと言うかもしれません。
確かに宗教には戦争を起こしたり人を威圧したりする側面があります。
しかし一見愚かな蛾の行動にも意味があります。
蛾は進化の過程で月の光を手がかりに飛ぶ事を覚えました。
蛾は光の周りを旋回し誤って火に飛び込むのです。
人と宗教の関係は蛾と光の関係に似ています。
それは時に人を破滅させますが本来人の役に立つものです。
人間にとって必要な意味があるからこそ宗教は進化してきたのです。
宗教や信仰を必要とする人間の心理をフッドは自分の娘の行動から探り出しました。
ヒントはこの小さな布でした。
(フッド)この小さな布を娘はいつも大事に握りしめていました。
持っていると心が落ち着くだけでなくまるで友達のように話しかけたりしていました。
物に話しかけたり感情があると思い込んだりする事は子供にはよくありますが考えてみれば不思議な事です。
フッドはある実験によって子供たちとお気に入りの物の関係を調べました。
子供たちにおもちゃを持ってきてもらいこれから機械で複製を作ってみせると言います。
実際には中にいる人が新品を用意します。
そして元の物と新品とどちらかを選びなさいというとほぼ全員が元の物を選びました。
皆「本物」を選びます。
子供にとって大事なのは物そのものより物の中に宿る意味なのです。
このように事物の中に目に見えない大事な意味が存在するという考えを「本質主義」といいます。
目に見えないものを信じる本質主義は大人になると弱まるのでしょうか。
フッドはイギリスの王立科学研究所でスタッフを集めてある実験を行いました。
去年私はニューヨークでアインシュタインが使っていた万年筆を手に入れました。
これがそう。
私の宝物です。
手に取ってご覧下さい。
回して。
もう一つお見せしたい物があります。
これはある連続殺人犯が着ていたセーターです。
17人を殺害し遺体を切断して人肉を食べたという恐ろしい男です。
これも回して手に取ってみてくれますか?セーターですか?ええ。
着てみます?いやそれは…。
嫌?大概の人はたとえ洗濯されていても連続殺人犯のセーターを手にするのが嫌そうです。
さて種明かしをするとこれは殺人犯の服ではありません。
しかしそう思っただけで皆さん手に取るのを不快に感じたでしょう?そしてこれはアインシュタインの万年筆ではありません。
このように人は物には神聖さや邪悪さが宿ると感じます。
フッドはそうした心の働きこそがあらゆる宗教の基盤だと考えています。
宗教は人が物の奥に感じ取る意味を形にしてみせるものです。
説明し難い感情に枠組みを与えるのです。
フッドのような心理学者は神や宗教は文化の一種人類が進化させてきた直観の知的な産物と見なします。
一方より強烈に神の世界を見たと主張する人たちもいます。
「体外離脱」と呼ばれる意識が肉体を離れる神秘体験は科学では説明できない超自然現象なのでしょうか?私たちが目にする世界の向こうに神や超自然の世界は存在するのでしょうか?そのような世界をかいま見たという人たちがいます。
「体外離脱」という経験は神の存在の証しなのでしょうか?神経科学者のオラフ・ブランケは体外離脱の現象を科学的に解明しようとしています。
体外離脱の経験者は皆極めて超自然的な感覚を味わったと言います。
意識が肉体を離れ離れた場所から自分のいる世界を見ているのです。
常識では説明がつきません。
しかしブランケはそのような現象は人間の脳の中に生じたイメージにすぎないと考えるようになりました。
きっかけはてんかんを治療するための検査でした。
ある患者の脳に電極をつなぎ微量の電流を流したところ患者がその間体外離脱の感覚に陥ったのです。
(ブランケ)彼女の言葉によれば検査の間彼女は天井に浮かび横になった自分や室内の人たちを見下ろしていたのだそうです。
電流が刺激したのは側頭部と頭頂部のつなぎ目TPJという部位でした。
この部位を刺激すると自分の居場所についての情報が混乱します。
自分がいると感じる場所が実際の体からずれる事が「体外離脱」のもとなのかもしれません。
TPJの働きは潜水艦のナビゲーションシステムに似ています。
それは体に入ってくるさまざまな情報を統合して自分の位置を常に確認しています。
TPJに送られるデータが乱れるとナビゲーションシステムが混乱し体の位置や向きについて判断を誤ります。
ブランケはTPJを混乱させる刺激を送り続ければ誰の脳にも「体外離脱」のような感覚が引き起こされると予想しています。
最先端のバーチャルリアリティーを使った実験が行われました。
バーチャルリアリティーは目に見える世界と体で感じる世界の間にずれを生じさせる事ができます。
ではこちらへ。
そこに足をそろえて立って下さい。
これを頭にかぶって。
あとは画面の指示に従います。
後方のカメラが映す自分の後ろ姿を見ながら背中をなでられる実験です。
背中に刺激を感じつつ自分の体が60センチ前方に見えています。
(ブランケ)このように体が感じる自分と目に見える自分の位置がずれ続けるとやがて見えている体が本当の自分のように思えてきます。
一旦後ろに下がり元の場所に戻るよう指示されると被験者は元の位置より60センチ前方に立ちました。
自分が見ていた後ろ姿の位置です。
最初のうちはすごく違和感がありました。
でも不快ではなく面白い感じです。
自分の意識がだんだん変わっていきます。
自分の映像を見ているというより自分がそこにいるのだという気持ちになっていくんです。
実験中に脳波の測定を行うと側頭部から頭頂部にかけてのTPJの部位が活発になるのが認められました。
TPJは矛盾する感覚のつじつまを何とか合わせようとします。
その結果が「体外離脱」の感覚なのかもしれません。
ブランケは「体外離脱」は脳の中の幻にすぎず神の世界の証しではないと結論づけました。
しかし神秘的な体験をしなくても日常的に神を信じる人たちがいます。
そのような人はどんな時に大いなる神を感じるのでしょうか。
一人の心理学者がその秘密に迫りました。
彼女はなぜ若くして死んだのか?嵐はなぜこの町を襲ったのか?人生は問いに満ちています。
全ては神のおぼし召しと受け止める人もいます。
しかし心理学者は別の問いを投げかけます。
なぜ人は常に「なぜ」と尋ね自分では説明し難い出来事に神の意志を感じるのかと。
テキサス大学の心理学者ジェニファー・ウィットソン。
人が物事の意味をどのようにして読み取るかを研究しています。
彼女がこのテーマに興味を持ったきっかけはタロットカードでした。
高校時代タロットカードにはまりました。
カードを持ち歩き四六時中占っていました。
カードをめくっていると自分が宇宙の営みにつながっている気がして深い洞察力を得られるように感じたものです。
タロットカードや占いが未来を予見していると感じる事があります。
ウィットソンは今ではその理由が人の脳のある傾向に基づくと気付いています。
脳は常に意味を求めます。
だからカードの絵を見た途端そこにトラブルの原因や試練の前触れなど何かを読み取ろうとするのです。
占いとはそのようなものです。
私はカードの神秘的な力を信じません。
無作為に引いたカードの絵から脳が作り出す物語を面白いと感じるだけです。
多くの宗教はこの世界で起きている出来事がつながっていると教えています。
何事も偶然ではなく神のおぼし召しだというのです。
そのため大きな災害が起きると信仰のあつい人はそこに神の意志を感じます。
他の人には単なる不運に見える事が違う意味を持つのです。
ウィットソンは同じ現象がなぜ人によって異なる意味を持つのかを実験によって探りました。
(ウィットソン)まずこのように言います。
「画面に2つ1組のシンボルを映します。
2つのシンボルにはある共通のテーマがあるのでそれを推測してみて下さい」。
答え合わせをしたりはしないのでみんな自由にやり始めます。
ここまでの課題は被験者にリラックスして取り組んでもらうための仕掛けにすぎません。
本題はここからです。
(ウィットソン)次にこのような何も映っていない画面を見せ「ここに何か見えますか?」と尋ねます。
見える人には何が見えるかも聞きます。
この実験の参加者は皆何も見えないと答えました。
次に別のグループで試します。
見せるものは同じですが前半のやり方が異なり被験者は毎回答え合わせをします。
(ウィットソン)答えといってもでたらめ。
コンピューターは無作為に「正解」や「不正解」と答えます。
被験者は最初のテストでさんざんな結果を味わい心理的にストレスを抱えた状態で本番の課題に取り組みます。
ウィットソンは心理的なストレスが何も映らない画面を見た時にどう影響するかを観察します。
(ウィットソン)画面を冷静に見れば答えは「ノー」です。
何も見えはしません。
しかし「イエス」と答える人がかなりの割合でいます。
「何かが見えるはずだ」と思い込むのです。
この実験結果は人が動揺した時に物事の意味を知りたがる傾向を示しています。
思い込みや錯覚は人が冷静さを欠いた時に顕著に起こります。
人は心のコントロールを失うとばかばかしい儲け話に乗ったりとんでもない詐欺に引っ掛かったりします。
なぜなら目の前の物事の意味を知りたいと本能的に思うからです。
それがたとえ誤りであったとしても。
宗教はしばしば貧しく抑圧された人たちの間で広まります。
人々は神に祈り降りかかる苦難の意味を問います。
神が意味を与えてくれるのです。
人生には自分ではコントロールできない事がたくさんあります。
翻弄される人間は人生の意味を求め宗教によりどころとなる物語を見いだすのです。
人間は常に世界を理解しようとする知的な動物であり神を信じるのはそのような知的な行動の一つと言えます。
しかし人間以外の知的な動物は神を信じるでしょうか?あらゆる文明は宗教上の儀式を発達させてきました。
仏教徒は経を唱えヒンズー教徒は模様を描きキリスト教徒は洗礼を行います。
それらは人間の高度な知性の表れにほかなりませんが人間に近いとされる知的な動物には神を感じる心があるのでしょうか?ルイジアナ大学のダニー・ポヴィネリは比較心理学の専門家です。
彼が付きっきりでその知能を研究する被験者はチンパンジーです。
ポヴィネリはチンパンジーが神という存在を理解できるかどうかを突き止めようとしています。
そのためにチンパンジーがどの程度抽象的な概念を把握できるかを段階的に調べました。
簡単なテストをします。
短い棒と長い棒があります。
どちらを使えばおやつを取れるかな?やってごらん。
ほら。
ちゃんと長い棒を選んでおやつを取りました。
よくできたね。
偉いぞ。
チンパンジーのビリーはおやつを取るのに長い棒を使いました。
つまり長さの概念が分かるのです。
次は少し複雑なテストです。
まず人間の子供で試します。
この2つのブロックを見て。
2つのブロックのどちらかでナッツを割ります。
ブロックは見た目が同じで重さだけが違います。
どっちを使うといいかな?どうして?こっちの方が枕がへこんでるから。
へこんでるとどうしていいの?こっちの方が重い。
じゃあやってみせて。
正解だ!食べよう。
次はビリーの番です。
さあどちらがいいか分かるかな?やってごらん。
それは無理だ。
ちょっと待って。
これを。
たたいてごらん。
ほら。
ほ〜らできた。
よかったねビリー。
いい子だ。
重さのように目に見えない特性を理解して利用する事は難しいようです。
ではチンパンジーは他者の頭の中にある見えないものすなわち「心」を理解する事はできるのでしょうか。
相手の立場に立ち相手からこちらがどう見えるかを想像する能力の事を「心の理論」と言います。
ビリーはよく人に近づいて相手の目をのぞき込みながらおやつをねだります。
しかし相手が実際に自分を見ているかどうかまで判断しているのでしょうか。
相手が自分を見ていると判断していればビリーは「心の理論」を持っている事になります。
ポヴィネリは実験のためにビリーに2つの眼鏡を試させました。
青い方は普通のサングラス。
一方黄色い方はレンズの内側が黒く塗られかけると何も見えません。
ビリーにこれらのサングラスをかけている人を見せて青い眼鏡の人だけに自分が見えている事が分かるかどうかを確かめます。
おねだりしてごらん。
ビリーは2つのサングラスの違いが分かるはずです。
しかしねだる相手を選んでいる様子はありません。
相手が自分を意識しているかどうかには関心がないようです。
人間の子供には幼い時から「心の理論」が見られます。
(ポヴィネリ)お菓子をもらっておいで。
話しかけないでロープのこちら側からね。
いい?始め!ああ一回で成功だ!なぜ彼女の方に?見えてるから。
どうして彼には見えないって分かるの?黒く塗ってあるもん。
なぜ彼女は見えてるの?塗ってないから。
そのとおり!やったね大正解。
子供は3歳から5歳ぐらいの間に人間特有の複雑な思考様式を身につけます。
幼児は直接手でつかんだり匂いを嗅いだり味わったり聞いたり見たりする経験を積みながらだんだんとより抽象的なもの精神的な世界などを理解できるようになるのです。
一方チンパンジーはいくつになっても抽象的な概念には到達しません。
地球上にはチンパンジーをはじめ何百万もの種類の生物が存在します。
しかし「神」を認識するために必要な「心の理論」は今のところ人類だけが発達させたものだと考えられています。
(ポヴィネリ)チンパンジーの社会には宗教の基盤である祈りや儀式が存在していません。
神を信じる心や知性は人間だけのものなのです。
人は神を信じ神に祈り神の答えを待ちます。
では神の言葉はどのようにして人に届けられるのでしょうか。
「聖書」には「知恵に欠ける者は神に願い求めよ。
そうすれば与えられる」と書かれています。
多くの宗教は神が人々に答えてくれると説きます。
神は祈る人にメッセージを送り届け導きを与えるのだと。
しかし一体どのようにして?心理学者のジェシー・ベアリングは子供たちが超自然的存在をどう捉えるかを調べています。
今回の実験は子供がいつ超自然からのメッセージに気付くかを調べるものです。
子供たちを予想外の事が起きる場面に遭遇させます。
何歳ぐらいからそれが超自然からのメッセージだと考えるようになるかを見るのです。
ベアリングは2つの箱の一方にボールを入れどちらに入っているかを子供たちに当てさせます。
この部屋にはまたもや透明人間のプリンセス・アリスがいてその場を見ている事になっています。
(ベアリング)プリンセス・アリスは姿が見えません。
でも子供たちが間違いそうになると何らかの警告を与えてくれる事になっています。
実際には子供が間違った箱の上に手を置いた時に部屋の隅の照明を点滅させます。
もし子供が手を置き直したらプリンセス・アリスの警告だと受け取った証拠です。
まずは4歳の女の子です。
照明が点滅するとどう反応するでしょうか。
ちらっと見ただけで大して関心を示しません。
手を移し替えたりもしませんでした。
ベアリングによれば神を信じるには「心の理論」つまり他者の考えをくみ取る能力が必要です。
これは3歳から5歳頃に獲得されます。
しかし目に見えない存在とコミュニケーションをとるにはもう一つ必要な能力があります。
それは相手もまた自分の考えをくみ取っているのだと理解できる事です。
(ベアリング)実はこれはかなり高度な認識能力です。
この少年はプリンセス・アリスが警告しているのだと理解できました。
分かるようになるのは7歳から9歳ぐらいです。
「自分が正しい箱を探している事」を「プリンセス・アリスが知っている」と推測できるからこそメッセージを受け取れるのです。
幼いグループの子供は照明の点滅に気付いてもプリンセス・アリスからのメッセージだとは思い至りません。
この実験から分かる事は子供の思考力が発達するにつれて周囲の世界からのメッセージを感じ取るようになるという事です。
目に見えない存在が自分にメッセージを送っていると感じるようになれば世界は祈りへの答えにあふれて見えます。
例えば雷も駐車場が運よく空いた事なんかもね。
ベアリングはこのような能力は人間の進化に役立ったと考えます。
(ベアリング)大昔人がおなかをすかせて歩いていて森などでおいしそうな実がたくさんなった木を見つけたとします。
当然とって食べたくなりますよね。
食べるのに夢中になり全部食べてしまいたいと思うかもしれません。
しかし神に自分の行動を全て見られていると思ったらどうでしょう。
少しは周りの人に残そうと考え始めるでしょう。
神のような存在に見られていると思った時人はより理性的になるのです。
周りの世界からメッセージを受け取るのは特別な信仰の持ち主だけではありません。
ベアリングは母親を亡くした時にある不思議な経験をしました。
(ベアリング)母は死の間際死後の世界でも私を見守り話しかけてあげると言いました。
それから間もなくベアリングは自分の心の反応に科学者として驚きを覚えました。
母が亡くなった翌日でした。
母の部屋で窓辺につるしてあったチャイムが揺れて音を立てたのです。
それほど風も吹いていませんでした。
私はとっさにこれは母が私に話しかけているのだと思いました。
「大丈夫」というメッセージだと。
音を聞いた途端ごく自然に頭に浮かびました。
(ベアリング)信じる事は人が世界を認識するための第一歩です。
人は物事の理由や意味を考え何かを信じずにはいられないのです。
神を感じ祈りメッセージを受け取る人々にとって神は現実の存在です。
一方無神論者はそれらは人が思い描く幻にすぎないと主張します。
では最新の脳神経科学はどちらが正しいと判断するでしょうか。
「実在」とは何でしょうか。
普通は見たり聞いたり触れたり匂いや味を確かめられるものを指します。
それらの感覚は皆脳の中に電気信号を生み出します。
ある意味で実在とは私たちの脳の中に電気信号を生み出すものを指すのです。
では脳が神を感知したら…神は実在するのでしょうか?アンディ・ニューバーグは脳神経科学の新しい分野である「神経神学」を研究しています。
彼が取り組むテーマは宗教が人間の脳に及ぼす影響です。
子供の頃から不思議に思ってきた事があります。
人はなぜ同じ世界を見ていても信じる宗教や政治理念が異なるのかという事です。
ニューバーグは脳の画像を撮影する装置を使って祈りをささげている人たちの脳がどのように活動しているかを調べています。
これから点滴で薬剤を投与します。
不安や混乱を与えないよう最大限の注意を払いますのでふだんどおり最後まで祈りを続けて下さい。
キリスト教徒のこの女性は34年間毎日欠かさず神に祈りをささげてきました。
彼女が祈りに集中している間にニューバーグは脳の血流を撮影するための放射性の薬剤を投与します。
数分後薬剤は祈りをささげている脳の血管に達します。
(ニューバーグ)脳は活発に働けば働くほどよく使っている部分の血流が多くなります。
祈る前と祈りの最中の脳の画像を比較しました。
赤い部分が活発に活動している領域です。
(ニューバーグ)こちらが祈る前これは祈っている最中です。
脳の前頭葉と言語領域が活発になっていますね。
ニューバーグはイスラム教徒や仏教徒更には無神論者まで数百人の脳を同じ手法で撮影しました。
(ニューバーグ)人が祈りに集中する時祈りに関係した脳の領域が活性化します。
祈りによって血流が増す領域の一つが前頭葉です。
前頭葉は人が会話する時によく働きます。
とりわけユダヤ教とキリスト教の祈りは普通の会話と同じように前頭葉を活性化させる事が分かりました。
脳にとって神に語りかけるのも人に語りかけるのも区別はないのです。
瞑想に近い仏教徒の祈りには異なる特徴が見られました。
脳の視覚野が活性化していたのです。
視覚野はものを見る時に働く領域です。
仏教の修行では言葉よりも深い瞑想によって霊的な体験をする事を重視します。
無神論者が静かに瞑想する場合は宗教的な祈りに見られるような脳の活動が一切起きない事も分かりました。
(ニューバーグ)無神論者の脳は瞑想しても前頭葉が活性化しません。
神について考えて下さいと言っても同じでした。
無神論者は神を想像しても何も浮かびません。
一方神を信じる人の脳は現実世界と同じようにありありと何かを感知しています。
脳の画像を見る限り祈りの体験は現実の体験と全く区別できません。
それは脳の中にある「現実」なのです。
神経神学の研究は宗教が人の脳の中に生き生きとした体験を作り出す事を明らかにしました。
もし神が私たちの脳の中にしか存在しないとしても神が実在しないという事にはなりません。
実在を感じ取るのは人間の脳だからです。
人は偉大な何かが存在するという宗教的直観を持ち続けてきました。
答えが分からなくてもそれは私たちの心の現実です。
人間が神をつくったのか神が人間を創造したのか。
人間の心や脳を知れば知るほどどちらの考えも正しいと思えてきます。
神は私たちが世界を見るための窓です。
神とは何かと考える事は人間とは何かと問う事につながります。
大いなる神は私たちの細部に宿り神を信じる事は最も人間らしい行為なのです。
2016/09/23(金) 22:00〜22:45
NHKEテレ1大阪
モーガン・フリーマン 時空を超えて・選「人間にとって“神”とは何か?」[二][字]
有史以来、人類は万物を創造した存在を信じ、今なお、祈りをささげている。果たして神は存在するのか?それとも人間が作り出したものなのか?最新の科学がその謎に迫る。
詳細情報
番組内容
「神」は実在するのか、人間が生み出した「概念」なのかというテーマに、心理学や脳神経科学者が挑む。「人間はどのように超自然を信じ始めるのか?」という問いには、子どもたちに心理学の実験を行う。また、人間は動揺した時に意味を知りたがる傾向があり、宗教はよりどころを求めて作り出す「物語」という説も紹介。他に体外離脱の実験や、祈りの時に脳に生じる信号の分析など、多角的な検証を行う。(2016年4月初回放送)
出演者
【語り】菅生隆之
制作
〜ディスカバリー制作〜
ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 宇宙・科学・医学
映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
音声 : 2/0モード(ステレオ)
日本語
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英語
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