※『君の名は。』についてのネタバレを含みます
主にディティールについての雑記です。公開初日に見て、それから一ヶ月くらい経って記事を書くというのも何だかなと思いますが、思い付くことがあったので。確認しましたが記憶がおぼろげな記述もあるのでご容赦ください。本編のキャプは基本的に予告編から持って来ています。
『君の名は。』は描き切れていないところもあって決して完璧な映画とは言えないけど、良くできていたと思います。
「世界に対するどうしようもならなさ=思春期のイノセンス」を強調するのではなく、自らの行動により運命を主体的に分岐させ、選び取っていく高校生の姿が描かれていて良質なジュブナイルとなっていました。
「男女入れ替わり」とは「究極のすれ違い」とはよく言ったもので*1、その通り相手の身体は知っていても、心の本体には出逢えないことがもどかしさを生みます。実際、映画内で二人が直接接点を交わすのはリボンを渡した電車内と片割れ時の山頂、ラストシーケンスの三回のみですね。
「入れ替わり」によって直接の接点は生まれないんですが、「相手の視点を通じて相手の周囲の環境や人間関係を知る」というところから相手への好意が生まれているのが面白かったし、良かったと思う。もちろん二人は日記帳の文章を通じて、互いに入れ替わった間の生活を遡及的に体験することによっても相手の内面を把握し、同化していく。
そして好きという感情は「距離」や「断絶」を経ることで憧憬に転化し、より一層加速していく。従来の新海作品と通底するものではあるけど、「入れ替わらなくなる」/「距離が空いていく」ことでより好きになっていく。
赤いリボン=ブレスレット=組紐が過去から現在、未来を往還し、つながりを生むモチーフになっている。日常的に身に付けるリボンを小道具に、髪型で変化を付けているのもすごく感じ入ったところ。というところで本題に入ります。
■扉の開閉
『君の名は。』の作中でつごう10回ほど繰り返される、真横からの引き戸の開閉。宮水家の襖と玄関扉、電車ドアのおおむね三種類でしょうか。
一般に映像演出において扉は「開き扉」であれば「運命」や「人生」「段階」あるいは「プライベートな空間を担保する仕切り」、「引き戸」であれば「境界」として使われることが多いと思います。
本作の場合、引き戸が明確に「境界」として意識されるのは二箇所あり、一箇所目は序盤に三葉が瀧にリボンを渡すところの回想で扉開くカットが入る。二箇所目は再びこのシーンの詳細が回想で語られるところで、扉「閉じる」と「開く」がシーン初めと終わりで繰り返される。
「開く」=「つながる/解放」 、「閉じる」=「絶たれる/閉塞」というニュアンスを含ませられるので、二人の繋がりを描くための演出的フックとしてこれを使ったのだと思います。かつ、特に前半においてシーン転換を1カットで示すことにより小気味いいテンポ感が生まれています*2。
この扉の使われ方で思い出すのは庵野秀明監督のTV版『彼氏彼女の事情』(以下カレカノ)。
『カレカノ』 においては、この真横からの扉の開閉カットはBANK(使い回しカット)としてシリーズで何度も使われていた。
ドアを正面からでなく側面から撮っているため、開けている主体のキャラクターや、どの教室であるかに関係なく使え、BANKとして汎用性の高いカット。
そしてこのようなカットを使っているのには、TVシリーズ特有の理由もある。
TV版『エヴァ』に関するインタビュー*3で庵野監督はこう答えています。
――具体的に『エヴァ』でやったのは、どういう事なんですか。庵野:例えば、余計な段取りを全部抜いていくとかですね。必要な段取りだけで作るとかね。――キャラクターの芝居で時間の経過や場所の移動を示すようなことは殆ど無いんですよね。歩いて、ドアをあけて隣の部屋へ行くとか。庵野:うーん。例えば、椅子に座るとか、アニメーターからすれば、ものすごい大変な作業なわけですよ。歩いていく足元を写すとかね。日常の基本動作をキチンと作画するのは、アニメーターにとって、すごく難しいわけなんですよ。ごまかしがきかないから。(太字は引用者による)
TV版の『エヴァ』と『カレカノ』はコストパフォーマンスで作られていて、必要でない段取りの部分はある程度記号的な表現にたよってでも大胆に省略していく(その分、作画的に見せたい部分には注力する)。そして「動きや芝居で見せずとも効果的な表現を追求する」ということを試み、多彩な表現を生み出していた。
(注:『カレカノ』はTV版『エヴァ』の、特にラスト2話で試みられた表現の延長線上にあって、心象風景とモノローグを通じて作品世界が作られている。
もっとも、母性の闇にひたすら沈潜していく『エヴァ』と違って、少女漫画原作の『カレカノ』は自我と格闘しながら殻を破り、相手へと手を伸ばすことが根底にあるから、そこには解放感があるわけですが、ここでは便宜上『エヴァ』と『カレカノ』をある程度同質に扱います)
たとえばドアを開けるシーンでBANKを用いているといっても、もちろん全ての箇所でそれを使っているのではありません。
『カレカノ』において、シーン転換でドアを開けるシーンは概ねこの三種類の見せ方をしています。
単に「ドアを開ける」ようなディティールであっても、場所を中立的に示したいのか、キャラクターの表情を見せたいのか、ピシャッと閉まる音でアクセントを出したいのか……によって、これらの見せ方を使い分けていて、そこに演出の創意工夫が見られます。上の22話のシーンであれば、ドアをバンッと開けて意思表明をする力強さを表現していますね。また、開くだけでなく閉まるとこもあって、そこでもニュアンスをいい感じに出している。
直接の影響かどうかは定かでないですが『 君の名は。』はこの演出を上手くモチーフとして取り込んでいると感じたのでした 。
■新海誠と『彼氏彼女の事情』
振り返ってみれば、最近はあまり耳にしなくなりましたが、新海誠さんのスタイルは当初は庵野監督のスタイルを部分的に取り込んだものでもありました。
それが誰であれ、演出家としてのスタイルというのはもちろんその人自身の価値観や、世界・人間についての捉え方などが如実に反映されるものではありますが、画作りの上でヒントになって取り込むというのは、キャリアを考えるうえで大きいと思います。
『星を追う子ども』公開前に行われた 『月刊アニメスタイル』第1号のインタビューの中で、新海監督はこう話している。
小黒:(……)また別の話になりますが、風景で心象を語りたいという欲求はいつ頃からあるんでしょうか?小黒:マンホールが映っているカットとかですね。新海:そうです。よくわからないけど、ライトを撮ったカットとかがあって。それって意味ありげじゃないですか。小黒:意味ありげです。しかも、ソリッドでシャープ。新海:あの格好よさは印象に残っています。
新海監督はバンダイチャンネル掲載のインタビュー記事でも『エヴァ』ラスト2話と並んで『カレカノ』について触れている*4。
『彼氏彼女の事情』
また、キャラクターが風景を見つめるといったシチュエーションで、新海作品においては多くがキャラクターの主観カットでなく風景の中に人物を入れ込ませるように描かれているのも印象的です。
もちろんTVシリーズと違って劇場アニメのリアリティであるから当然とはいえますが、新海作品がロングショットを基調とし、世界とキャラクターを分離せず「風景の中に配置した人物」を描くのは、何より世界とキャラクターとが不可分なものという価値観があり、両者が一体化する特別な瞬間を捉えたいという確かな欲求があるからだと思います。
「コスモナウト」(このシーンはとりわけ素晴らしい)
■風景/場を共有するということ
『君の名は。』においても、二人が「吸い込まれるように」景色を見つめる場面が繰り返し出てきます。
キービジュアルにあるように割れる彗星は分岐そのものを象徴していて、それゆえ希望であり絶望でもあり得るのですが、直接的には災厄たる結果をもたらすその彗星を、無条件で「美しい」と肯定してしまえるというところには胸打たれるところがありました。
上に貼った2カットの場面は映画序盤に、大人になった二人の回想としても出てきます。ところが大方の解釈に従えば、三葉が浴衣を着て彗星を見ていた世界線では三葉は生き残れないので、大人三葉がこのシーンを回想しているとすれば筋が通らないことになります。だからここでこのようなカットを入れるのはある種錯覚によるトリックというか、マジックをしかけているのかもしれません。
ともあれ、ここでは二人の視点を相補的に見せていて、違う世界線にいる二人であっても同じ日同じ時間に同じものを見上げて「同じ風景を共有したこと」が、二人の繋がりを生んでいるように見える。それが非常に面白いと思う。
ここで自分が思い浮かべたのは新海監督が過去に手掛けた『はるのあしおと』のOPムービーでした。
思い人と別れ都会から田舎に帰郷した後、臨時教師として新生活を始める青年・樹を主人公にしたminori作品『はるのあしおと』。その内容とリンクしてこのムービーでは、主人公とヒロインとの気づかぬ内の結びつきと、出会いへの予兆が季節のモチーフとともに散りばめられている。
『はるのあしおと』OPムービー(2004)
以下は、このムービー制作時に新海監督本人がコンセプトとして書いたというテキストからの抜粋です。
それぞれ、互いが未来において大切な存在となることをまだ知らずにいるが、その予兆は既に映像中に充ち満ちている。知らずにすれ違っていた駅のホーム、運命の赤い糸のように風に舞っていたリボン、気づかぬうちに同じ道を歩いていたし、同じ景色を眺めていた。樹の手に舞ってきた秋の綿毛は少女たちの手からこぼれたものだし、少女が無邪気に口に入れたナツハゼの実は樹がそっと触れたものだった。木造の校舎から聞こえてくる歌声に、樹は足を止めていたこともある。アパートの下でふと足を止めた少女は、樹が寝転がって聞いていたラジオの曲に耳を澄ませていた。これから出会うことになる大切な人の気配に、それぞれが気づかぬうちに触れていた。
「同じ道を歩いていたし、同じ景色を眺めていた」ということが、出会いの予兆として存在し、そしてその人の気配を感じるというシチュエーションが、相手との繋がりに転化するというロマンがここに描かれています。『はるのあしおと』OPは純粋にそのモチーフのみで構築された、その意味でもっとも純度の高いフィルムなのかもしれません。
そしてこの、「同じ「風景/場」を共有することで繋がりが生まれる」というのは新海誠さんの他の作品においても共通するモチーフであって、それが過去の新海作品においては、
ミカコとノボルが地球の思い出を語る「たとえば、夏の雲とか。冷たい雨とか。秋の風の匂いとか。傘にあたる雨の音とか。春の土の柔らかさとか。……」という共鳴のモノローグであり、あるいは雪のように「秒速5センチメートル」で落ちる桜の情景だったのだと思います。
それらは特別なつながりを信じられる思春期の純粋さやイノセンスとも結びついているものだけど、決してそれだけにとどまるものではなく、特に近作においてはより深い部分で価値観として根を下ろしているのではないかと『君の名は。』を見ても感じます 。
『君の名は。』において二人が彗星を仰ぎ見る上記シチュエーションは1200年に一度の彗星を見たという一回性・体験性が際立っており、(世界中の人が見ていたとはいえ)それだけで特別なものとしてある。そして当該シーン以外にも、二人は同じ特別な「風景/場」を共有しています。
奥寺先輩と瀧がデートで通る橋を、その後に三葉が通りがかるという風なシーンがありますが、「片割れ時」と同じく「時を隔てて同じ場所にいる」というシチュエーションもこの映画には繰り返し出てきます。「すれ違い」を視覚的に演出するためにこのような見せ方になっていると思うのですが、そもそも「すれ違い」というのは「同じ場所にいながら、時を隔てていたり、心の壁や、現実のしがらみといった障害によって言葉を交わせない」……という状況から起こるもので、やはりすれ違いというのは同じ場を通じて二人を見せることで、特別な意味を持つものなのだと思います。
もちろん、二人は入れ替わりを通じて接点を持つ前から相手の環境を先に体験している、というのもあり、そうして共有した視界がある、というのも大きいのですが、そうした精神的なつながりを失ってなお、 特別なものの存在を信じ「手の届かないものに手を伸ばす」ことにより最後は相手に辿りつくことになります。
というのも、
分岐した世界の収束とともに夢の記憶やつながりは失われても、
大人になった二人はともに彗星を見たという経験を特別なものとして持っており、
それと同じく糸守町の風景というものを心に抱き続けて生きてきたはずです。特に瀧においてはそれが原体験になっているような描写がありますが、三葉にも多かれ少なかれ同様のことがあるのだと思います(髪に身に付けたリボンのつながり以外にも)。
時を経て二人は邂逅を果たすことになりますが、
共通体験により結びつきが生まれるというものが根底にあり、二人がそう生きてきたからこそ、最後に巡り合うということがある種の必然性をもって感じられるのではないでしょうか。そのようなことを少し考えました。
というあたりで、やや分量書きすぎてしまったので続きは次回書きます。
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*2:因みにこの演出について新海監督自身は『Febri Vol.37』掲載のインタビューにおいて「音のリズム」「107分の中でテンポ良く見せるため」「読点のようなもの」と語っている
*3:「庵野秀明のアニメスタイル」、『美術手帖 増刊 アニメスタイル第1号』美術出版社、2000年。このインタビュー記事は新海監督も読んでいたとのこと
*4:「庵野監督の『彼氏彼女の事情』(98)も弟に貸してもらい、あのエッジの効いた演出の学園ものと『エヴァ』のラスト2話の手法は、『ほしのこえ』を作る直接的なきっかけだと言えます」クリエイターズ・セレクション vol.2│バンダイチャンネル 2016年9月23日閲覧
*5:もっと言えばそれ以前の「遠い世界」「囲まれた世界」になると一層『エヴァ』の影が顕著になる。余談ではあるけど、『ほしのこえ』のノボルの声優は『カレカノ』の有馬総一郎役で声優デビューした鈴木千尋さんをキャスティングしていて、二人の姿が何となく重なってしまう部分もあります
*6:山本寛 公式ブログ - 君の名は。 - Powered by LINE 2016年9月23日閲覧
*7:少なくとも『秒速』までの時期の話ですが