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ドイツ発 雨宮の迷走ニュース

ちょっと尖ってるらしいオピニオン系ブログ。海外生活やライフハック、その他ニュースなど。

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日本の部活制度が、学生に社畜根性を植えつけてる

教育
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みなさん、部活やってました? わたしは中学時代は合唱部→転校して吹奏楽部、高校では弓道部に入っていました。

 

『スラダン』『ハイキュー!』『弱虫ペダル』とか見てて思うんだけど、やっぱり部活は青春って感じでいいですねぇ。

 

でもその反面、部活って社畜根性を植えつけている側面もあると思うんです。

 

社畜根性を育てる部活動という制度

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部活って夢があるし浪漫がありますよね。でも実際ほとんどの部活はたいした実力はないわけで、それなのに多くの学生が貴重な時間を当然のように捧げています。

 

それが悪いとは思いませんが、部活っていう制度があるから社蓄なんてのがまかり通っちゃうんじゃないかとも思うわけです。

 

部活にすべての責任があるわけじゃないけど、部活での理不尽に慣れきっちゃってる学生は、社畜予備軍だと思います。

 

年功序列は崩壊したのに先輩絶対主義

以前の日本は、就社すれば定年まで面倒を見てくれて、年数にしたがって賃金も上がるという年功序列システムでした。が、それももう終わり。崩壊しつつあります。

 

それなのに部活では、いまだに先輩絶対主義を貫いています。上下関係が緩い部活もあるだろうけど、基本的に仕切るのは先輩です。

先輩がいたら後輩から挨拶すべきだし、なにかあったら先輩に報告する人が多いでしょう。

 

年功序列システムは崩壊してるのに、いまだに部活では年功序列が根付いています。

 

実力があっても1年生は玉拾いからってのも当然だし、部長は基本的に最高学年から選ばれる。部活時代に、すでに「上の命令には従え」と刷り込まれます。

 

苦難は耐え忍べと教える

部活への本気度によりますが、部活では多くの苦難を味わうでしょう。いくら楽しくても、万事上手くいくってことはない。で、そういうときは「困難は耐え忍べ」と教えられます。

 

「逃げるな」「立ち向かえ」「耐えていればいつか報われる」。耳障りのいい言葉です。

 

中高生は多くの場合、純粋で素直です。「耐えろ」と言われたら、「耐えるべきなんだ」と理解するでしょう。情操教育という名の洗脳です。

こういう考え方を経験していると、大人になった時も「耐えなきゃいけない」「逃げちゃいけない」と自分で逃げ道をふさいでしまうんじゃないでしょうか。

 

ぶっちゃけ、耐える必要のない理不尽や逃げる方がいい困難だってあります。それでも部活という狭いコミュニティでは、「逃げるな」「耐えろ」と洗脳します。これじゃあ社畜にもなるよなぁ。

 

湯水のように時間を費やすのが当然

部活ってのはおもしろい制度で、びっくりするくらい膨大な時間を費やします。それは「やりたいから」という単純な気持ちで正当化されています。

 

「強くなるために」「結果を出すために」という目的を掲げて、湯水のように時間を費やすことが当然となっています。

 

そこですでに、「みんなで目的を成し遂げるために自分の時間を犠牲にする」という意識が育ちます。

もちろんそれが悪いとは思わないけどね。やりたいからやってるんだし。

 

でも学生の本分は学業ですよ。それなのに部活に入ると、朝練、昼練、放課後練、土日練とものすごい時間を捧げることになる。

緩いところもあるだろうけど、基本的に理由のない休みは禁止。

 

部活に入ったら最後、多くの場合自分の時間よりも部活のために時間を使うしかなくなります

それが当然になったら、会社でも「自分の時間を犠牲にして仕事すべき」理論を受け入れちゃいますよね。

 

集団行動という闇

あと部活の罪深いところって、やっぱり集団行動だと思うんですよねー。

部活に本気になればなるほど絡む人も部活関係がメインになっていくし、朝から晩まで、土日含めずーーっと一緒。

 

で、「みんなで同じ目標に向かう」っていう共通意識が働いて、謎の閉鎖空間が生まれる。で、それを結束と言い換える。

 

結束したからには最後、集団のために個を犠牲にしなきゃいけません。みんなと同調しなきゃいけない。だって結束してるんだから。みんなと同じじゃなきゃいけないんですから。

 

村ルールもこれと同じで、意味がなくても「みんながノーと言うからノーだ」と受け入れるようになります。

 

弓道部は、校則ではOKなのに茶髪もパーマも禁止でした。ピアスは危ないから禁止も理解できるけど、髪型で実力は変わらない。でも「武道だから」という理由で禁止。

 

理不尽で納得いかなくても、結束というしがらみに囚われた閉鎖空間ではそれが当然の常識としてまかり通る。これってすごい怖い洗脳だよね。

 

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ちなみにドイツには部活はない

ドイツ万歳する気はないですが、参考までにドイツの例を挙げときます。

 

ドイツには部活がありません。その代わり地域ごとに市民団体があります。

これは子どもだけじゃなくて、多くの学生や社会人も参加できます。

 

たっくさんの市民団体があるので、学生は自分の考えややり方、レベルにあったチームに入ります。子どもから大人まで、みんなで同じ場所で練習するところもあります。

 

本気でやりたいなら強いチームに入るし、趣味なら習い事レベルのチームに入ります。

イヤになったらちがうグループに移ればいいし、夜遅くなったら同じチームの大人が車で送ってくれたりします。もちろん学業優先です。

 

学校とはちがう環境で、多くの人と関わります。先輩という概念がないので、一番の古株の人も積極的に準備や片付けをします。開けたコミュニティです。

 

部活によって社畜根性が培われる

部活に青春を捧げた人を否定するつもりはまったくないし、部活は浪漫があると思います。部活といっても活動頻度や濃度もちがうから、極論かもしれません。

 

でも部活という下地があるから、社会人になったときの理不尽も受け入れちゃうんじゃないでしょうか。

 

「先輩は絶対だから逆らうな」「逃げずに耐え忍べ」「みんなのために自分の時間を犠牲にしろ」。どれも社畜っぽい考え方ですが、部活ではそれが当たり前です。

 

部活も千差万別だけど、閉鎖空間で未だに古い習慣にしがみついてる部活っていうシステムは、多くの学生に社畜根性を植えつけていると思います。

 

部活っていう閉鎖空間の闇によって、社蓄予備軍が増えないことを祈ります。

 

▼雨宮の暗黒の中高部活時代はこちら

www.amamiyashion.com