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海辺で元気に生きています

新潮45

 新潮45の10月号が昨夜届きました。
 田舎暮らしゆえ大きな本屋もないのでネットで取り寄せました。理由は表紙にかつて仕事で通っていた生長の家本部の塔が写っていて、その内容に総裁がブログにてでたらめが書かれているとえらく憤慨しておられるよう・・さて、どんなものかと読みたくなりましたが、850円が無駄になるというご意見もあったので貯まっていた楽天ポイントを使い楽天ブックよりタダで送ってもらいました(笑)

 三流の週刊誌やタブロイド夕刊紙と違い署名入りの責任の所在が明らかな記事が並ぶしっかりとした月刊誌でした。内容については細かい点では事実とのずれはあるものの、外部の記者が書かれたものとしてはよく取材されていると感じました。別に取材にも本部に行っているし、でたらめばかりとは感じませんでした。

 重要な事は、外部の記者にも取材した実名入りの人達にしても今の教団はどの様に思われているかという事は、動かしがたい客観的事実であるという事です。
事実無根であれば正式に抗議すればよいし、反論を書くことを新潮45に求めればよいと思います。デタラメだから読むのは無駄だという部類の書きモノではないので読んでそれぞれが自分で判断していけばよいのではないでしょうか。
 
普通の感覚であれば、批判が数多く成果が上がらなければ省みて
熟考すべきではないでしょうか。
何故、そう思われてきたのか。方針が偏りすぎてはいなかったか。
なぜ会員は減り続けるのか。聞きにくい意見に意識して耳を傾けたか
自分の考えと合わない人にやってきたことは、本当に教えにてらして正しい行動だったか。
そして、
自分にとってのこの制約となる(記事)は進歩するためのきっかけを与えてくれているのではないかと
(最近のご発言より)制約こそ創造の母である。
「何でも自分がやる」「誰にも負けない!」などと、自他を峻別して争っていると、車酔いのようにフラフラして力が出なくなる。これが“人生酔い”という悩みだ。任せるべきところは他に任せよ。他人も自分も同じ神の子である。

 
(ただ記事中で現総裁が幼き頃に祖父や父をいかに思っていたかという事は、総裁の心の中の問題でありそれを知りえるのはご本人とご本人の心の告白を聞いた近親者しかいませんので他人様が推測で書くことは記事のクオリティを週刊誌並みに下げるので慎しんでいただけることを希望します。また、N氏は父がどのような思いをもって生政連の活動凍結を行ったかを知りえない立場であるにもかかわらず物知り顔で断定的に語ることは恩ある人に対して失礼ではありませんかと言いたくなりました)

少し熱くなりましたがこれが私の率直な感想です。

・・・この10月号には、新しい時代の「天皇親政」という村上正俊氏の論考があり深く考えさせられるものでした。また、公明党に反旗を翻す創価学会員の記事も興味深く、信仰と組織の問題をひとごととは思えない事として読ませていただきました。850円にしてはとても勉強になる本でした。
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「やまと心」について
 日本民族固有の精神、または、儒教・佛教などが入ってくる以前からの、日本人本来のものの見方・考え方の基底にある感性を『大和心』或いは『大和魂』という。別の言い方をすれば、外来の學問や宗教思想=漢學・佛教教學の知識以前の本来的な日本人の心が大和魂・大和心である。
 平安時代になって、それまでより以上に支那思想が崇拝され、佛教が興隆した。そうした時期に「大和魂(やまとたましひ)」という言葉が使われるようになった。「大和魂」という言葉が一番最初に出てくる文献は、紫式部の『源氏物語』である。「大和心」という言葉は赤染衛門の歌である。紫式部も赤染衛門両者も女性である。
...
 儒教や佛教の教理・経典を重んずるあまり、日本古来からの素直なる精神・清明心が覆いくらままされつつあったことに対する反省として、この時期に大和魂・大和心という言葉が使われるようになったのであろう。
 その『大和心』を短歌形式で表白した歌が次の歌である。
 「敷島の 大和心を 人問はば 朝日ににほふ 山櫻花」
 近世の國學者・本居宣長の歌である。「大和心をどういうものかと人に問われたら、朝日に美しく映える山櫻だと答えよう」というほどの意である。
 「朝日ににほふ山櫻花」は何とも美しい。それが大和心なのだと宣長は言う。朝日に美しく映えている山櫻は理屈なしに美しい。そういう感覚的な美しさを大和心に譬えているのである。そして宣長は、日本人の性格=大和心の本質をなすものは、理知ではなく、素直なる心、鋭敏な感受性を備えた純粋感情であるとした。
 神の生みたまいし美しい國に生まれた日本人は、美しいものを見たら素直に「美しい」と感動する。その「素直な心」「そのままの心」「純真無垢の心」「無我の心」が、日本民族固有の感性・日本人本来の心なのである。それは、理智・理屈・理論ではない。一切の先入観を取り除いた心である。これを別の言葉で「もののあはれ」という。

 大和心即ち日本伝統精神は、誰かによって作られた思想體系や理論體系ではなく、純粋な感性である。嘘の無い心即ち「真心」である。
 本居宣長は、『たまかつま五の巻』において、「つひにゆく道とはかねて聞しかどきのふけふとは思はざりしを、契沖いはく、これ人のまことの心にて、をしへにもよき歌也、後々の人は、死なんとするきはにいたりて、ことごとしきうたをよみ、あるは道をさとれるよしなどよめる、まことしからずして、いとにくし、……この朝臣(注・在原業平)は、一生のまこと、此歌にあらはれ、後の人は、一生の偽りをあらはして死ぬる也といへるは、ほうしのことばにもにず、いといとたふとし、やまとだましひなる人は、法師ながら、かくこそ有けれ」(『最後には行かなくてはならない死出の道だとは。かねて聞いて知っていたけれど、昨日今日と差し迫っていようとは思わずにいたもの』という歌について、契沖は言った。この歌は人の真實の心であって、教訓とするにもよい歌である。後々の世の人は、死のうとする間際になってものものしい歌を詠み、あるいは道を悟ったことなどを詠む。真實はそうではないので、大変気に入らない。……在原業平朝臣は、一生の真實がこの歌に表現され、後の世の人は一生の偽りを表現して死ぬのだと言ったのは、僧侶の言葉にも似ないで大変に尊いことだ。やまとだましいの人は、僧侶ではあっても、このようにことがあるのだ、というほどの意)と論じている。
 『伊勢物語』の結びに据えられている在原業平の「つひにゆく」の歌は、死に直面した時の心をこれ以上素直な言葉はなかろうと思わせるくらい素直に表現している。まさにそのままの心・自然な心・真心の表白である。その真心・そのままの心・素直な心が「やまとだましい」であると宣長は言うのである。
 「真心」とは、一切の偽りも影も嘘もない、清らかで明るい心である。清らかで明るい心を「清明心」という。それが日本精神即ち大和心である。
 天智天皇は、「清明心」を次のように歌われている。
「わたつみの 豐旗雲に 入日さし 今夜(こよひ)の月夜 清明(あきらけ)くこそ」
 「大海原のはるかの大空に、大きく豊かな旗のように棚引く雲に入り日がさしている。今宵の月はきっと清らかで明るいであろう」というほどの意である。
 何とも大らかで豊かな大御歌である。この天智天皇の大御心こそが日本人の本来的に持っている精神、即ち「大和心」なのである。そして、「清明」という漢字が用いられている。日本人は清らかで明るい心を好むのである。 
「夕日」の美しさを見て、美しい月明を期待しておられるのである。     
 清明心とは、冴え渡る月の如くに神々しく、清々しく、美しい心である。それが大和魂・大和心である。
日本人は何故櫻の花を好むのか

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とあるツイッターより転載

 父の仕事の関係で聖教新聞が3ヶ月だけタダで届くことになり、一時、家に届く新聞が3紙になったことがある。聖教新聞は母は1日でやめ、父も1週間でギブアップ。私はやっとこさ3ヶ月読み切ったけど、3紙もちゃんと読もうとするとそれなりに時間もかかるし読みづらいしでちょっとした修行だった。

 聖教新聞の何がつらいかって社会経済面の記事に時差があり新しいトピックがないことはまぁ仕方ないとしても、他宗教とのやりとりや裁判の進捗とかのレポの見出しや記事に相手に対する罵り、大人なら面と向かって他人に発するようなことはしないだろう言葉が並んでいたことだった。
     
 新聞は子どもの目に触れる、ある程度漢字が読めれば子どもが読むことができるものだと思っていたから、この「罵り」たちに若い人たちが触れると思うと暗澹とした気持ちになった。罵しらなくても相手の批判はできるのに、とか、罵りワードのバリエーションが人に蓄えられていくという悲しに。                 
色々な歴史的な経緯あるんだろうなとか、独自用語があったりとかするのかな、とか考えてもみたけど結局のところ「主義主張するときに感情的な言葉を入れると、かくも人に読んでもらえなくなる」ということを学んだ気がする。
  1. 30件のリツイート 25 いいね      

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AKB48の子のブログより

私、やっぱり舞台が好き。…藤田奈那☆!!

2016年09月13日(火) 02時30分42秒
テーマ:
ブログ
 
◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎◎
 
 
改めて、、
 
「赤毛のアン」全公演終了しました!
 
 
久しぶりのミュージカル。
 
そして今までにないぐらい大きな役をいただいて、お稽古期間中から焦りとプレッシャーの毎日でした。
 
お芝居、歌、踊り、どれも習ったことがなく、自分の普段の活動がミュージカルとはかけ離れているからこそ、すごく不安でした。
 
 
主演の谷口あかりさんは本当に凄い方で、お稽古初日から圧倒されるばかり。
 
こんなに素晴らしい方と親友役をさせていただくなんて、とにかく足を引っ張らないように、と必死でした。
 
必死になるあまり、一人で詰め込みすぎて、お稽古場でも隅っこに座って台本がお友達状態になってしまったり、、
 
はじめは、あかりさんとも全然お話しできなかったなぁ。
 
でも、毎日とにかく必死でいっぱいいっぱいで、このままだと自分で抱えきれなくなりそう、と思っていた時に手を差し伸べてくれたのが、あかりさんでした。
 
あかりさんのおかげで、前を向けたんだ。
 
私が一人で焦っているときには「大丈夫、大丈夫」と声をかけてくださったり、悩んで行き詰まっている時には面白いことを言って笑わせてくださったり、、
 
 
1幕ラストのアン、ギルバート、ダイアナの三重唱がとっても難しくて、私が一人で歌っていたら、いつの間にかお二人も合わせて歌って練習に付き合ってくださったり、、
 
2幕の腹心の友が一番苦戦したんだけど、それもあかりさんが何度も何度も一緒に練習してくださって、、
 
本当に、感謝の気持ちでいっぱいです。
 
 
ソロ曲も、舞台でソロをいただくことがどれだけ有難いことなのかを改めて考えて、アンへの気持ちを歌いました。
 
難しかったけど、、大好きな曲になりました。
 
 
 
本番が始まってからはずっとあかりさんと二人楽屋だったんだけど、どちらかが台詞を言い始めたら自然と合わせてみたり、歌ってみたり、合間には他愛もない話をしたり、とっても楽しかったなぁ。
 
開演前になると私が急激に緊張し始めるから、笑われちゃうんだけどね。笑
 
でも舞台に出たら緊張はほどよく解けて、しっかりダイアナとしていられた気がします。
 
 
ダイアナは裕福な家庭で愛されて育った幸せな女の子なんだけど、アンとの出逢いがダイアナを変えたのだと私は思っています。
 
どう表現したら良いよかわからないけど、見える世界がさらに明るくなったというか、、
 
それが、あかりさんに救っていただいた自分自身とすごくリンクしていました。
 
舞台上でアンの顔を見ると安心するし、ワクワクするし、幸せな気持ちになれました。
 
 
 
まだまだ足りないところばかりの私ですが、この舞台で学ばせていただいたことは本当に大きいです。
 
このキャストでの「赤毛のアン」に出演させていただけて、本当に幸せでした。
 
 
関わってくださった全ての方々に感謝。
 
そして何より、観にいらしてくださった方に感謝。
 
最後にお客様が劇場に入って、やっと舞台は完成します。
 
本当に本当にありがとう。
 
 
カーテンコールで客席を見るときがすごく幸せだったなぁ、、
 
私、やっぱり舞台が好き。
 
お稽古では悩んで、行き詰まって、苦しくてもがいても、カーテンコールでのお客様の拍手でつらかったことは全て忘れられます。
 
諦めずにやってきてよかった、って本当に思える。
 
幸せです。ありがとう。
 
 
 
もう赤毛のアンの世界に行けないのは寂しいけど、、
 
舞台が終わってから、見える景色が違う気がするんだ。
 
少しだけ自信を持てたのかな?
 
いつもより背が3センチぐらい高い気分。
上を向いて歩けそう。
 
 
この舞台は大切な経験、宝物としてしっかり胸にしまって、今日からまた前に進みます。
 
 
 
長くなっちゃったけど、最後まで読んでくれてありがとう^ ^
 
 
 
よし!いってきます!!
 
 
 
写真は、あかりさんと^ ^
 
 
 
なぁな。

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ブラジル讃歌

「ブラジル建国百五十年を祝ふ詩」    谷口雅春

われ遥かに、われら日本民族の
第二の祖国ブラジル国を憶う。

多くの日本民族この国に来たりて
此の国の興隆と繁栄の為に力をつくせり。

この国は嘗て地上にいまだ現れざりし理想の国、
唯一の包容力の偉大なる国なり。

あらゆる地上の異民族を自国の内に包容して、
而も民族的争いを見ることなく大同団結してブラジルを祖国となす。

ブラジルこそ人類の理想とする世界連邦の
可能性を自国の内に立証する唯一の国なり、

その包容せる国の面積、
日本国の二十数倍に及び

行けども行けども限りなき豊かなる緑の
原始林には数え切れなき宝を埋蔵し
開拓するに従ってその算出する資源は、

ゴム・コーヒー・ココア・綿・胡椒 等
無量無限なり。

緑をたたえて峨々として聳(そび)ゆる重巒(ちょうらん)の
岩壁を縫って無数の渓谷は刻まれ
その渓底には金剛・砂金・黄玉・青玉・紅玉等自然に敷きつめられ
その無数の清流をあつめて世界第一の
アマゾン河は流る。

その延長実に六千三百六十キロ、
河幅三百哩(マイル)に及び
その包容力の大なること、

世界すべての民族を集めて人種の差別なく
大和せしむる偉大なる建国の精神にも似たり。

両岸に聳ゆる青巒(せいらん)には種々の美しき山鳥(さんちょう)・
野鳥等珍しきものその数を知らず。
色とりどりの翼をひろげて舞い遊び、
ブラジル建国百五十年祝福の歌を唄う。

その声、峰にこだまし、谷に反響し、
荘厳(しょうごん)なる大自然の交響楽をかなでる。

まことにブラジルこそ、
大自然が此処を地上の極楽と定めて、
あらゆる美をもて厳飾(ごんじき)せる国なり。

その都は神の定め給える神定(しんてい)の土地
ブラジリヤなり。

嘗て預言者ドン・ボスコあらわれて、
ブラジリヤの地を祝福して、
この地こそ神定の首都なれば、
ここに必ず都うつすべき時来たれり、

その時こそ
ブラジル国の隆(さか)える周期に入る時なりと。
今こそ、その時来たれるなり。

この巨大なるブラジルの都づくりの計画も
着々と完成して
此処に建国百五十年祭を迎う。

遥かにわが第二の祖国の弥栄(いやさか)を仰ぎ見て
悦ぶこと限りなし。

悦びの極、ここに心の限り、
筆の限り、力をつくして、
世界最大の徳を讃う国を
祝う詩をつくりて、
遥かなるこの日本の国より合掌す。

「生長の家」誌(昭和47年10月号より)
イメージ 1
 

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京都宇治:谷口雅春先生 動画放映 スペシャル講演会「天地の大法に随順して生活せよ」


  貴重な雅春先生のご講話動画は2回の講義を私が責任をもって編集して
約80分にまとめています。
この宣伝用の動画よりはるかに鮮明ですのでご期待ください。

著作権の問題があり、すべてを公開する事や複製をすることはできません

当日、参加する方のみが観ることが出来る資料映像としての放映であることをあらかじめご了承ください。

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