「君の名は。」。そう今回の話は「君の名は」ではない。
そんなことはどうでもいい。
先に言っておくとこれは新海監督が、現代人へバッドエンドにならない方法を劇中にダイイングメッセージとして残したものをみつけまとめたものだ。
先週一週間以内に2度目の劇場に足を運んだ私は、やはり2度目も感動して帰ってきた。そして書店に寄り小説も買ってしまい頭の中は三葉と瀧でいっぱいになっていた。
そして今日、まだ小説を3ページしか読んでいないのに、、、遂に一週間経たない内に3度目をみにいってしまった。
しかし、3度目だ。流石にもう感動することは無いだろう。しかも観覧するスクリーンはと言うと日を追うごとに
ミッドランド→イオン→古めのコロナ
と、小さくなっていった。迫力が小規模になっていく。確実に感動しない。
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感動しな、あれ、、。
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負けました。二人には完敗だよ。
3度目のエンディングを観終えた時私は感動していました。
この映画は本物です。さすが興行収入91億!その内の約5,000円は私のチケ代と小説代です。
そして3度も見るとストーリーの細かい所まで見えて来ました。
するとこれは現代人へ向けた警告の様に感じました。
新海監督はきっとこの「3つ」を現代人に投げかけようとしているんじゃないか。
まず劇中の必須アイテムとも言えるスマホ。みなさんも今スマホ片手にこの感想を見ている人も多いでしょう。今やポケット、カバンに必ずある持ち物ですよね。
このアイテムを使用してお互いに日記を付けて今日どんな事をしたのか、相手への注意禁止事項を伝えていました。この交換日記の様な日々を続けていくことでお互いを知っていったのに、突然途絶える入れ替わり。途絶えるどころか彗星の真相を知った瞬間失われていくスマホの情報。瀧は風景を描くことにもスマホを使用していたのに、手の中にある情報を全て失ったときに縋った物。それは、
本でした。
図書館で次々と本を漁り読む瀧そこにはスマホで得られなかった情報が溢れていた。”三葉”の名前も始めてそこで目の当たりにする。
そう本に勝る情報源は無いのだ。本を読めば奥深くまで情報を知ることも可能だ。しかし、現代人はスマホを眺めるばかり、だから監督はこの思いを映画に託した。
新海「皆さん本をもっと読みましょう。」
これが一つ目だ。
二つ目。新海監督のこれまでの作品は動かない、最初から最後まで何も変わらない主人公がよくあるパターンでした。しかし、今回の三葉と瀧は迷ったら動く、動く、わからなくても兎に角動いてたんです。これ、そこらの現代人と全く正反対だと思います。
スマホというものに取り憑かれ、ネット上の友情に燃え、相手の熱さに鬱陶しくなったらブロック。側にいるも離れるも指一本。あっけない人間関係ですよね。
スマホの無い、むしろ携帯の無い時代を私は知りませんが、そんななかった時代って兎に角相手に会うために必死に行動してたと思うんです。当に三葉と瀧みたいに。
現代人は
「ブロックされた。まじか。」
そんだけなんです。行動しないんです。そんなんじゃあ二人の様に運命の出会いなんてない。
だから監督はこの思いを映画に託した。
新海「スマホなんて捨ててまず走り出せ。」
最後の一つは劇中ラストにこれでもかと見せつけて来たシーンがあった。そう左手の指輪だ。みなさんも注意して観てほしい、物凄くギラつかせている。瀧の面接官の手、そして司の手、奥寺先輩の手、そして寄り添うテッシーとさやちん。このどれもが示しているもの。
監督は最後にこの思いを映画に託した。
新海「感動したなら結婚しなさい。」