「デカい」という事は正義だと思っている。
巨大。
古くから大は小を兼ねる、というように大きい方が小さいよりも良いに決まっている。
大きい物は良い。ロマンだ。
車、身長、家、乳房、態度にいたるまで大きいほうが良い。大は小を兼ねに兼ねている。
しかし、「巨大である」という事にはかっこよさの象徴ではあるが、
かわいさ、に対しては圧倒的に弱い。
小さいものがかわいい。という風潮があるけれど、
その逆のデカい物はかわいい、これはあまり言われない。
これは悲しい、デカいという正義にはどうせならかわいさとかっこよさを兼ねて欲しい。
小さい物は、かわいい。
そして、「デカいは悪」魔王、諸悪の根源、脱税問題、タックスヘイブン、
そんな勢いすらある。
確かにそうかもしれない。
大きければいいというが、
世界ギネスの胸囲2mを超える乳房、
それに抱く念は、かわいさではなく、もはや畏敬の念である。
人々は、巨大さに畏怖を覚える。
巨大である、という良さには、限度がある。
最近話題の畏怖の対象となったシンゴジラだって、
もう少し小さければみんなに愛されたかもしれない。
その巨大さから愛されなかったゴジラは、悲劇の生き物だ。
巨大さは、かくも報われない。
そして、小さい物はかわいい。
小さくて愛されている代表が「ハリネズミ」だと思う。
もしハリネズミが200mを超える巨体であれば、
その身にまとう幾千もの針には
学校帰りの女子高生
ローンの組まれた一戸建て住宅
意識の高い大学生
ブームが過ぎ去り捨てられた手乗りゴジラ
日々のタスク、アジェンダ
右サイドからの綺麗なコーナーキック
その針の咎に貫かれ、愛くるしい表情を浮かべながら東京を闊歩する。
人類を終焉へと向かわせる。
その悪意の無い愛らしさの形相はさながら地獄。HELL。
きっと、ハリネズミの一挙一動に特番が組まれ、小さいから許された糞尿には、伝染病のリスクが伴い、一度に10トンを超えるであろう放尿は、突発的な津波である。
昼寝の合間にはハリネズミ特別対策部隊が新兵器の開発と防災に全力が注がれるだろう。
打ち込まれる核。燃える東京。襲い掛かる津波、貫く針。
全身に東京タワーと同じ大きさの鋭利な塔を幾千も身構えた哺乳類は、災害である。
そして、ネズミ特有の多産能力から、災害は連鎖し、世界は核に燃えていく。
そして人類は新たな敵を知る事により、真の平和とは何かに気づく。
「人類は傲慢であった―」と。
しかし、現実にハリネズミは小さい。手のひらにのる。
なでて愛でたいのに、トゲトゲとした針で抵抗するその姿は愛らしい。
ジレンマだ。とてとてと歩く姿、
ハリネズミは、小さいから許されている。
そこには、核も人種差別も社会問題も存在しない。
ただ愛らしく、人々を和ませてくれる。
やっぱり小さい物はかわいいのだ。。。
無力だ。大きい物はかわいさに対して無力だ
しかし、本当に大きかったらかわいくないのか?
あきらめたくない。巨大ファンとして、諦められない。
大きくたってかわいい物は探せば少しはあるのではないか?
そんな事を僕は疑問に思う。
では、
kawaiiの伝道師なら、大きくたってかわいいはずだ。
世界的にkawaiiを広めたきゃりーぱみゅぱみゅが200mを超えたら?
…
東京はおそらく、
落ちたつけまつげにより人が潰され、
そのフリルには億千もの命が刈り取られ、阿鼻叫喚
原宿はにんじゃりにばんばん。
唯一の希望である楽に観測できるパンチラは、視界を覆いつくすただの布でしかない。
愛らしいフリルは、実は命を刈り取る形をしている。
強大な胸に押しつぶされて死んでいく男達だけが、
―――救いの無い世界で唯一の勝者となる。
巨大さは、やはり暴力的で、かわいいとはほど遠い。
なるほど。やっぱりダメか。
しかし、ここでひとつわかった事がある。
おそらく、巨大になってもかわいくないのは、
それに付随する暴力と災害のせいなのだ。
つまり、巨大になっても人に害を与えなければ問題ない。
暴力が人を怖がらせている。
なるほど、だったら、動かず害をなさない物が巨大化すればいい。
動かず害を為さずかわいいもの、なんだろうか?
答えは簡単だ、「まりも」だ。
200mに巨大化したまりもは、無害だ。
暴力を為す事もなく、ただ鎮座している。
これならどうだ…ぐぅの音も出まい。
そして、
東京都中央区に突如として現れた200mを超える多数の藻を待とう巨大な緑の球状集合体を見て、
人々は気づく。
「―あ、かわいいでっかいまりもだ。」と。
害が無い巨大物は観光名所となり、税収はうなぎのぼり、消費税は撤回され、イギリスはEUに戻り、
ちょうどいい草のクッションは、東京オリンピックの会場として使用され、金のかからない五輪は真に実現する。
しかし、
一度台風により風が吹けば、地震がおきれば、まりもは東京を転がる事になる。
巻き込まれる民衆、
潰される皇居
地下鉄は崩壊し、
空は曇り
大地は割れ
大雨が降り
豪雨により東京は押し流され
東京は新たなアマゾンとなるだろう。
意思を持たない球状集合体に人々は為すすべが無く、
抵抗できるのは、巨大化したハリネズミだけだ。
ハリネズミの巨大な針がまりもを食い止める。
そうして人々は気づく、
「―ーこれ、家庭科の授業で見た事あるやつだ。」と。
…やっぱりダメだ。
大きいのはかわいくない。大きさは人を傷つける。
強大な力を持つ物には、倫理が必要だ。核と同じなのだ。
最初はフォロワー数の少なかったいたいけな女子大生が、人気が出て多数のフォロワーを獲得すると、急に態度がデカくなるのと同じだ。
強大な力のコントロールには、高い倫理が必要なのだ。
チクショウ。やっぱりダメだ。「デカい」はかわいくない。
ウルトラマンだって3分で元に戻る。恐竜だって絶滅した。
この世界は、ちょうどいいサイズの人たちの為にに出来ている。
大きくてかわいく見える象だって、実は怒りに任せ殺人を繰り返している。
かわいくない、大きいのはかわいくないのだ。
僕は身体がデカい。その見た目で、威圧感があるから愛されない。
デカいのは、かわいくないのだ。
そして、中途半端なデカさは、無力だ。
上司に詰められたり、仕事でミスして、みんなに怒られて、叩かれたとする。
そんな時に考えるのだ。
「巨大化したい。」と。
ゴジラのような大きさで、会社を踏み潰し、不満の詰まった大学にビームを吐いてボロボロにしてしまうのだ。
きっと爽快だろう。全てを無に返すのだ。
わはは、どうだ、見た事かー。と。
そして、誰もが僕を恐れ、畏怖し、孤独になる。
デカいからかわいくない。かわいくないのだ。そこに残るのはー、孤独。
デカくたってかわいくありたい、そんな事を巨大化の夢と一緒に考えていた。
けどムリだ。巨大化したら、かわいくないのだ。
巨大化は、人間スケールには非日常過ぎる。
愛されるのがムリならば、ならば悪役に徹しよう。巨大は、悪でもいい。
もう、上手くいかないなら破壊してしまえ、
転がるまりも、命を刈り取るフリル、針に貫かれる国会議事堂、逃げる手乗りゴジラ
暴れる。暴れるのだ。
しかし、その裏に隠された真意に人類は気づかない。
巨大な物体の真意を、人は悪と決め付ける。
「どうして大きいだけで愛してくれないのだー。」
それだけの、純粋な気持ち。
正義の反対は、また別の正義だ。
巨大物との争いを通すことで、
人類は気づくのだ
「奴らに支配されていた恐怖を、鳥かごの中に囚われていた屈辱を。」
進激の巨人2期、楽しみにしております。
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