2013.03.25 , 12:08

韓国スパイ、ロシアのミサイルを盗む

韓国スパイ、ロシアのミサイルを盗む

   韓国の宇宙ロケット分野における栄光は多くの点でロシアの技術に拠っている。そして、その中には盗用されたものも含まれる。このようなセンセーショナルな結論が、韓国紙「朝鮮日報」に掲載された告白文から引き出される。

   「韓国の諜報機関の指令を受け、大陸間弾道ミサイル数基および、そのエンジン5基を、金属屑に見せかけ、ロシアから運び出した。その後、韓国に納入し、諜報機関に引き渡した。私は褒章を受けた。しかし、間もなく韓国政府は、私を見放した。途方に暮れている。かつてロシアには、私の会社が幾つかあった。しかしロシアは最早、私を受け入れない」。このようなセンセーショナルな告白が、韓国マスメディアに掲載された。長期間にわたりロシアで活動していた韓国人実業家による告白である。

    この告白が真実であることは、韓国国家情報院も認めている、と投稿者は述べる。もっとも、国家情報院は、ロケットは「金属屑という以上のものではなかった」としている、という。ロシア人ジャーナリストらが明らかにしたところによれば、ロシアの治安当局もやはり、この件について知っており、その真実性に確証を持っている。その際、これは到底、初めてのケースなどではない、との指摘がなされている。韓国の一部ビジネスマンはしばしば自国の特務機関に「デリケートな贈り物」を行っている、と。

    ここで、「朝鮮日報」にイニシャル「K」として紹介されている韓国人ビジネスマンについて述べよう。「K」は1996年にロシアで事業を開始した。彼の会社はペトロパヴロフスク・カムチャツキイに本拠を置き、韓国に金属屑を納入することを事業内容としていた。当初このことは裁判所にチェックされたが、しかし1997年、「K」は、米露戦略的攻撃兵器削減合意の適用対象になった大陸間弾道ミサイル(カムチャッカ配備)の再利用への許可を、ロシア国防省から受け取った。ここにスパイ活動が始まる。

   プロジェクトは韓国諜報機関の知るところとなり、その多大な関心を引き寄せた。国家安全企画部(現・国家情報院)の代表者らが「K」と面会。そこで、ミサイル納品の際には損傷を最小限に、との依願がなされた。通例、ミサイルは、米国側からの代表者の立会いのもと、細かい部分に切断される。しかし「K」は、ロシア軍の防諜班の基地司令官および将校数人と親交を築き、70万ドルを対価に「目をつぶらせた」。こうして1998年、「K」は、ロケットの巨大な機体、およびエンジン数基を、「金属屑」と偽って、ロシアの基地から韓国へ運搬し、自らも祖国に帰還した。「K」の述懐によれば、オペレーションの成功は「最上層部」の喜ぶところとなり、1999年3月13日、韓国国家情報院長官の手ずから「韓国の国家安全保障への特段の貢献を称えて」メダルと1万ドルの報奨金が授けられた。

韓国諜報機関の特命を受けた「K」は、同様のオペレーションをさらに2度、2000年12月および2001年1月にも行った。さらに3基のロケットエンジン、ロケットの新たな部品、一連の付属品が、ロシアから運び出された。

「私の知るところでは、その後ロケットは組み立てられ、研究された。そこで得られた知見は韓国の衛星の設計に利用された」と「K」。

韓国国家情報院は「K」に対し、ロシアからさらに戦略兵器のサンプルを盗み出すよう依願した。しかし「K」は身の危険を覚え、これを拒否。ロシアとの合法的な観光ビジネスに専念するようになった。しかし2007年、ロシアへの入国が拒否されるに至った。自らロシア軍部の知人らに照会し、その措置がスパイ容疑と関係するものであると確かめた。「朝鮮日報」の見立てでは、「K」は単に「傍杖を食った」のだ。たまたま当時、全く別のスパイ・スキャンダルが、ロシアと韓国の間に発生していたのである。ロシアには「K」の株式が2000億ドル分残っている。ロシアへの入国拒否は、彼には破滅的な事態である。彼は韓国諜報局および韓国外務省に助けを求めたが、甲斐がなかった。

挙句「K」はメディアに支援を仰ぎ、事の次第の暴露に及んだ、というわけだ。

 

 

キリル・オジンツォフ
国際, アジア・オセアニア, ミサイル, 韓国, 私見キリル・オジンツォフ, 社会・歴史
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