【日本独自に大学教育観をもち,これに自信をもつ必要がある】

 【ただし,そのあてにできないのが,文部科学省という
肝心の機関,その官僚制度であるが……】


 ① 世界大学ランキングの信憑性に疑いあり

 本ブログは2日前の記述に,2015年10月26日「日本語で学問全体を体系的・有機的に研究し展開できる『日本における学問の歴史的な有価値』を軽視したグローバル大学論の陥穽と弊害」,副題「英語による教育・研究だけが学問のあり方ではないという基本の『い・ろ・は』さえしらずに,日本人に「A・B・C」から教えればいいと愚考する2流識者のいいぶんは,自国文化のなかで育まれた「日本の大学」の歴史と伝統の特質をしらない」を,おこなっていた。
 註記)http://blog.livedoor.jp/bbgmgt/archives/1043523768.html  ← リンクあり。

 本日の『日本経済新聞』朝刊「大機小機」欄をみると,こういう内容が書かれていた。この内容は,本ブログが2日前に指摘したその「世界大学ランキング」が「英米流教育帝国主義価値観」にもとづく判定でしかない事実をとりあげ,まっこうから批判している。

★ 世界大学ランキングの怪 ★
『日本経済新聞』2015年10月28日朝刊大機小機
 今〔2015〕年も日本人にノーベル賞が2つ授与される。過去におけるノーベル賞受賞者数では堂々の8位,自然科学3部門でみると5位,21世紀に入ってからの3部門では世界2位である。
 註記)以下,この記事からの引用中においては「補注」でもって,寸評がたくさん挿入されるので,右側に記事の現物もかかげておく。(画面 クリックで 拡大・可)

 ところが,今年の英  “タイムズ・ハイヤー・エデュケーション”  の「世界大学ランキング」では,日本の大学で上位 100に入ったのは東京大学と京都大学だけであり,ノーベル賞で湧いた名古屋大学でも301位から350位の間。私学となると慶応義塾大学が501位から600位の間,早稲田大学は601位から800位の間である。なぜこうしたことが起きるのか。
 補注)もっともこの指摘,「ノーベル賞受賞数」と「日本の大学ランキング」とをじかに比較している。それも,早慶まで出して議論するのは,いささか脱線気味ではないか? あまりこまかい点までは触れずに,より総体的な次元にあって批評したほうが,より妥当性ある反論を返せるのではないか?

 つぎの画像2点は,2015年10月26日(2日まえ)の本ブログ記述が『日本経済新聞』2015年10月23日朝刊31面「ニュースな科学」から借りた図解である。右側画像のみ,→(画面 クリックで 拡大・可)。
     『日本経済新聞』2015年10月23日朝刊ノーベル賞続くか 『日本経済新聞』2015年10月23日朝刊ノーベル賞続くか2
 〔大機小機本文に戻る→〕 それは英語論文の数や海外での論文の引用回数,外国人教員の数などの評価指標が日本にとってあまりに不利にできているからである。日本は英語帝国主義の被侵略国のようなものだ。
 補注)本ブログ「2015年10月26日」(前掲のリンクあり:記述)の記述中では〈米欧流教育帝国主義〉という文句を使っていたが,ここでは米欧の「英語帝国主義」ということばが登場している。

 中国でも,中国の学問レベルが日本より上と思っている人は少ない。欧州でも,真に学問的対話ができる非西欧国家は日本しかないと思っている研究者が大半だ。早稲田大学は110年前,政治と文学と法でスタートした。もっとも英語にならない分野である。

 日本の学問,とりわけ人文社会科学は,欧米の言語のいっさいを日本語化するという大事業をおこない,日本語で欧米並みかそれ以上の学問を展開できる世界にまれな国である。漢字には音だけでなく訓があることがそのことを可能にした。その大半は中国・韓国で使われ,これらの国の人文社会科学の成立を可能にした。
施英語化は愚民化表紙 補注)この点についても,前記の本ブログは,最近公刊されていた,施 光恒『英語化は愚民化-日本の国力が地に落ちる-』(集英社,2015年7月)をとりあげ言及していた。

 施の同書はこう強調している。英語化を進めていけば日本は,安定した社会的・文化的基盤を失い,また「翻訳」と「土着化」という従来の国づくりのノウハウも発揮できなく なる。

 その結果,日本は知的にも経済的にも格差社会化し,国民相互の連帯意識も消失し,ごくごく一握りの富裕層しか各種の選択の自由を享受できない国と なってしまうだろうと(同書,197-198頁)。


 〔大機小機本文に戻る→〕 いま,その日本語を欧米言語にして対外発信しようとしている。欧米の変化にも対応しないとできない。日本は欧米の概念を吸収し,独自の学問を展開して発信するという高度な思考のプロセスを踏んでいる。

 これこそ真のグローバル精神である。ランキング 100位以内に 10校入れるというような見当違いの目標をかかげている現政権の成長戦略は,こうした日本の文化的優位性をおとしめる。
 補注)この批判は申すまでもなく,現在文部科学省が推進している「スーパーグローバル大学創成支援」事業という実施計画が,自国の学問的な伝統を歴史的に評価できない「愚かさ」が,いったいどこから発生しているかを説明している。

 要は見当違いにすぎないのであるが,それでも大まじめにグローバル化=米欧化路線が,唯一「価値がある」かのように確信しているのだから,文部科学省の既定方針にみてとれる「トンチンカン」性は,救いようがないくらいに大きなズレを抱えている。


 日本人には研究のために一生をささげてよいという研究者のエートス(特質)をもつ人物が多い。そのことが少ない予算で大きな成果を上げてきた最大の要因である。せめて早慶両校はランキングに掲載されることじたいを拒否し,無ランキング優良校の誇りを世界に向けて発信すべきではなかろうか。 (盤側)

 --この「大機小機」が批判するとおりである。英語(米語)使用領域諸国の権益であるかのように,それこそそちらに絶対的な判断基準に置いて,世界各国の大学教育「全体の価値観:序列付け」を,しかも杓子定規に計っている。

 「世界大学ランキングという格付け」だとはいっても,ただ「米欧流教育帝国主義の立場・利害」を合理化し,権威づけるために〈グローバルな対大学世界観〉らしきものを,具体的な指標に表現しようとしているに過ぎない。そのすべてが無価値などと八方破れはいわないけれども,そう解釈されても真っ向から反論できまい。

 地球全体をみわたしたうえで,各国それぞれの大学:高等教育を,公平・客体的に展望するための視座としては,それが依って立つ地盤からしてそもそも,米欧流教育帝国主義側にとってのみ都合のよい「歪み」や「緩み」(偏見的な既定観念)が隠されていると断定してもよいのである。

 ② 2010年時点における世界大学ランキングへの批判

 「世界大学ランキング」と「批判」の単語をもってネット上を検索すると,最初に出ていたのがつぎの記事である。① の内容と比較しつつ読んでみるのがよい。

★ 中国版世界大学ランキング,米国勢が上位独占 欧州から批判も ★
= “AFP BB NEWS” B2010年08月21日18:01 発信地:上海/中国=


 【2010年8月21日 AFP】    中国版の世界大学ランキングが8月13日に発表され,米ハーバード大学(Harvard University)が8年連続で首位の座を獲得するなどランキング上位を米国の大学が独占しており,欧州から厳しい批判の声があがっている。
 補注)参考にまでいえば,① にとりあげた「世界大学ランキング」は,2015年〔今年分〕からは〈欧州の言語〉で執筆された論文も,その評価の対象(材料)に入れる評価方法を採用していたと報道されていた。

 中国版世界大学ランキングを発表したのは上海交通大学(Shanghai Jiaotong University)の世界一流大学研究センター(Centre for World-Class Universities)。世界500大学の順位をまとめており,「www.arwu.org」で閲覧することができる。

 2位は米カリフォルニア大学バークレー校(University of California at Berkeley)で,3位は米スタンフォード大学(Stanford University)。上位100位のうち54大学が米国だった。

 ランキングは,科学研究分野での成果をほとんど唯一の基準として作られており,人文学は対象となっていない。そのことから,大学の総合力を正確に反映したランキングではないとの懸念が表明されている。

 中国版ランキングの採用する基準は,研究員や卒業生らのノーベル賞や「数学のノーベル賞」といわれるフィールズ賞(Fields Medal)の受賞数,引用回数の多い論文の執筆者の数,英科学誌ネイチャー(Nature)と米科学誌サイエンス(Science)に掲載された論文数などである。

 とくに欧州で強い非難が起きており,選定基準が欧州の大学に対して不公平だと反論する関係者も多い。

 中国版ランキングは,世界初の世界大学ランキングとして2003年に始まった。当初の目的は中国の大学の力を測定し,中国政府が進める,国内での世界クラスの研究機関創出を支援することだった。

 米国以外の大学で最高ランクは,5位の英ケンブリッジ大学(Cambridge University)で,次いで10位に英オックスフォード大学(Oxford University)大学がランクインした。また,日本の東京大学がアジア太平洋地域のなかではもっとも高い20位だった。(c)AFP/D'Arcy Doran
 註記)http://www.afpbb.com/articles/-/2749840

 この中国側の世界大学ランキングはどうやら,中華教育帝国主義の匂いがしないわけではない。またその評価基準が「科学研究分野での成果をほとんど唯一の基準として作られており」ということでもあるゆえ,これまた,別個に特定の偏りを生むほかないランキングである。

 それならば,日本でも独自に世界大学ランキングを作成・評価・公表してしまえばいいではないか。こういう発想も出てきて当然である。もっとも,冒頭から問題にしている米欧流教育帝国主義じたい問題ありだったのだから,中華教育帝国主義をいちがいに責めることはできない。
 
 要は,世界中で各国が独自に『世界大学ランキング』を百家争鳴的にどんどん作って公開すればよいのである。もしもそこまでいけば,つぎに問題になるのは,そうした世界大学ランキング付けじたいに対してさらに,どの世界大学ランキング付けがより好ましく,より適切で公平・客観的な大学評価をおこないえているかどうか,このランキング付けをすればよい。ここまで話を進めたとなれば,もうほとんど,それらのバトルロイヤル状態になりうる(?)。

 ③ 日本の近代化との関連

 前段で最後のように混ぜっかえして,この問題を議論(?)していたらきりがないので,① に引用した『日本経済新聞』コラム「大機小機」のいいぶんを裏づけてくれるような,日本の大学史にも関係する〈歴史の経緯〉,その一コマを紹介しておく。
  梅溪表紙 梅溪表紙1
 梅溪 昇『お雇い外国人-明治日本の脇役たち-』(講談社,2007年〔日本経済新聞社,1965年〕)が,つぎのように指摘する「歴史の事実」を紹介しておく。
 補注)梅溪の本書,1965年版では「明治日本の脇役たち」という副題はなかった。また,この1965年版を収めたお雇い外国人特集については,つぎの画像で紹介しておく。白抜き番号(数字)が3番目の『医学』以降に入っていないのは,この時点ではまだ刊行されていなかったからである。
   梅溪広告の頁
 
お雇い外国人が日本の近代化に直接・間接に及ぼした歴史的影響は,以下のように整理できる。

 第1に,お雇い外国人を多数招聘したことによって,明治初年の貧弱な政府財政のうえで経済的負担を強いられたが,彼らの来日によって欧米風の文明や生活様式が組織的に流入し展開され,日本の近代化・西欧化に加速度をつけた。

 造幣寮では,1870~1871年(明治3~4年)ごろから一般にさきがけて,早くも洋服の着用,太陽暦と日曜制,西洋簿記法の採用,労働災害のための積立金,診療所の設置,電信線やガス灯の使用などがおこなわれたのは,その好例であった。

 第2に,お雇い外国人の学術上,技術上の直接的指導の過程を通じて,日本人が「文明的攘夷心」をかき立てられ,彼らの優越的あるいは侮辱的な指導から脱出または自立する意欲を強められ,これまた近代化を早める結果となった。

 第3には,お雇い外国人を媒介として,先進国が長年かかって築きあげてきた技術や学問の一番進んだ水準・成果を急速に導入して,近代日本の出発点として,後進〔発展途上〕国の有利性を身に着けて早く先進国と競争することができる素地を築いた。これはとくに比較的に歴史的な追跡(トレース:後追い)を必要としない技術部門において顕著であった。
 註記)梅沢『お雇い外国人-明治日本の脇役たち-』2007年,251-252頁。この2007年版を1965年版に比較すると,かなり改筆がなされている。
 補記)明治以来の日本経済は,ガーシェンクロン(A.Gerschenkron)が見出した経験則である「後発性の利益」の逃すことなく,円滑に生かすことができたといえる。

 世界大学ランキングは,21世紀における世界各国の諸大学に対する評価づけ・格付けの評価行為であるが,あくまで米英中心の,別言すれば,19世紀的な西洋帝国主義価値観の尾てい骨を引きずっている判定にならざるをえない。

 明治日本は,その19世紀米英帝国主義から独立した独自の資本主義経済社会体制の構築に最大限を努力を傾注し,それなりに20世紀をとおして〔敗戦という大失敗を体験させられたものの〕,一国として主体性のある学問体系を,まだまだ米欧文献翻訳的な基本性向は回避できていなくても,これまでりっぱに構築し,展開してきた。

山極寿一京大学長画像 いまさら,米欧中心主義に固執した価値判定である「世界大学ランキング」の結果発表に,いちいち必要以上(!?)に気にするあまり,精神不安定になる必要などない。適宜に対応し,参考にしておけばよいのである。

 ここではさらに,本ブログ「2015年10月26日」において紹介しておいたように,現京都大学学長の山極寿一が,こう述べていた点を再度引用し,むすびとする。
 出所)右側画像は山極寿一,http://image.search.yahoo.co.jp/search?rkf=2&ei=UTF-8&p=山極寿一
    日本の大学はこれまで高度な高等教育をし,海外のあらゆる研究成果を日本語に訳し,自国語で研究・教育を高める学術を確立した。だからノーベル賞も相次いでいる。英語で考えることをやっても教養や思考力はさして深まらない」。