【小学英語:半数近く反対...教員、授業増を懸念】
http://mainichi.jp/auth/guide.php?url=%2Farticles%2F20160918%2Fk00%2F00m%2F040%2F057000c
↑これ、毎日の記事です。
ぶっちゃけ「先生、なに言ってんの?」って思います。
否定派はなんで否定するの?
紙面上のアンケートから抜粋。
・「毎日6時間授業をしている担任に新たな教科指導は負担が大きすぎる」
・「授業時間の確保が難しくなるのは目に見えている。どこかにしわ寄せがいく」
・「他教科が特に減るわけでもなく、教員も児童も負担ばかりが増える」
・「小学校教員の多くは発音などのスキル(技術)がないのに、評価は困難ではないか」
・「どのような観点で評価すればいいのか」
・「外国語活動を楽しくできている。テストがなく評価がないため、肩の力を抜ける時間になっている」
・「楽しくという感覚から、勉強しなくてはならないという感覚に変わる」
ざっとまとめると、
新しく始まることの負担がイヤで、時間がないし、おれ英語喋れないから評価の仕方もわからない。いま英語の授業は楽しいし、The 勉強の雰囲気にしたくない。
ってこと?
これ本当に先生の意見?
学校の先生って惰性(だせー)で生きてるよね
ぼくは先生って職業になりたいって思ってました。でも学校では働きたくないと思いました。なので教職課程は辞めたんですが、こういう声を聞くと改めて辞めて良かったなと思います。
理由は学校の先生って職場には色んなしがらみがあるから。純粋に子どもに勉強を教えたい、そんなことは夢のまた夢なんだろうなと思います。
もちろん全ての職場がそういうわけでは無いと思いますが、上記の声を聞いていてはそう思わざるを得ません。ここからは僕がアンケートの結果から導きだした、学校の先生という現場の負のスパイラルを紹介したいと思います。ちなみに負のスパイラルが行き着く先は、「子どもの学習意欲の低下」です。
子どもが好きな先生は・・・
子どもが好きで先生になろうと思った人は多いと思います。でもそういう人は多忙さと人間関係に苛まれることになると思います。
子どもとはほとんど関係ない「授業案が・・・」「PTAが・・・」「先輩の先生が・・・」「テスト作成と丸付けが・・・」。こうなると子どもが好きな先生は子どもと関わることをめんどくさいと感じるようになり、子どもが嫌いな先生が産まれます。
良い授業をしようとする先生は・・・
先生の中でも良い授業をしよう!と考える人は多いと思います。
でも「良い授業=面白く、ためになる授業」は時間がかかります。そこで授業のペースが遅くなると、他のクラスの先生とテスト範囲で差が出てきたり、受験の範囲に間に合わない、なんてことも起きます。するとその「良い授業をしよう」とする先生はダメな烙印を押されかねない、それを回避するため、早く効率良く終えることのできる伝達するだけの授業をすることになり、面白くない授業をする先生が産まれます。
熱意がある先生は・・・
熱意がある先生は多いと思います。子どもとたくさん関わり、日々の公務をこなし、土日には部活動の指導に精を出す。とてもすばらしいことだと思います。
けど熱意のある先生は基本的に真面目なため、納得いかないことには賛同しません。
そうなるとどうなるか・・・出世コースから外れます。
いくら仕事が楽しいとはいえ、いくら頑張っても出世しない=まわりから認められていないと感じさせられては、熱意はどんどん薄くなります。しかも自分は仕事の全てに精を出しているのに、出世していくのは教頭クラスと上手くやっている人だけ。
結果、頑張りすぎて体を壊すか辞めるかのどちらかです。
まとめ
今日は久々に改めて学校の先生に失望しました。理想と現実の狭間で落としどころを見つけて生きていくんだろうなと、自己研磨するわけでもなく、奮起するでもない、その結果が毎日新聞が行ったアンケートに表れているんだなと思いました。
ただそれは現場の先生に要因があると言うわけではありません。
現場の声は現場の雰囲気から作られます。現場の雰囲気を変えるには上層部から変わっていかなければなにも起きません。
教育は生きることの根幹です。それを担う現場の雰囲気がこんな状態では、日本の将来は本当に危ぶまれることでしょう。
でももし、学校の先生はこんなに面白いんだよ!って言うエピソードがあったなら教えてもらいたいです。