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【千葉】核廃絶 むなしさ感じた夏 広島で被爆・勝浦の上野さん 語り部として声上げ続ける
戦後七十一年の夏が終わった。オバマ米大統領が現職大統領として初めて被爆地・広島を訪れ、「核なき世界」への期待が高まりを見せてからまもなく四カ月。広島で被爆した勝浦市の上野博之さん(78)は「むなしさを感じた夏だった」と語る。唯一の戦争被爆国で、米国の「核の傘」に依存する日本の矛盾が、改めて浮き彫りになったからだ。 (服部利崇) 上野さんは爆心地から十数キロ離れた疎開先にいた。広島市内に配給品を取りに行き、行方が分からなくなった父親を捜すため、母親と原爆投下三日後の広島に入り、被爆した。 勝浦に移住したのは二〇〇〇年ごろ。それまでの間、自らの体験を語ることはなかったが、〇二年に誘われて、県内の被爆者の会をまとめる県原爆被爆者友愛会に入会した。その後、事務局次長として会報発行などに携わり、被爆体験の語り部も務めてきた。 五月二十七日のオバマ大統領の広島訪問は、インターネットの画面で見た。「広島の地に足を踏み入れて感動した。よく来てくれた」 だが、時がたつにつれ、オバマ氏のあいさつへの違和感を感じるようになった。「七十一年前、雲一つない明るい朝、空から死が落ちてきて、世界は変わった」との冒頭のくだりだ。「戯曲のせりふのつもりなのか。原爆は勝手に落ちてはこない」。何度読み返しても、何を言いたいのかが分からなくなった。 今でも「核なき世界」を掲げたオバマ氏への期待は消えない。「大統領任期を終えても平和外交ができる人。核廃絶に向けた確かな道筋を一つでも二つでもつくってほしい」と願う。 八月には国連核軍縮作業部会が、核兵器禁止条約の締結交渉を来年中に始めるよう国連総会に勧告する報告書を、賛成多数で採択した。 ところが、肝心の日本はその採択を棄権した。戦後、唯一の被爆国として核廃絶を訴えつつ、米国の「核の傘」の下で外交や安全保障政策を続ける矛盾を露呈した。 上野さんは、核廃絶に向けリーダーシップを取れない日本に歯がゆさを感じている。「『唯一の戦争被爆国』にふさわしい行動を国際社会でしてほしい」と訴える。 そんな折、北朝鮮は今月九日、五回目の核実験を強行し、被爆者らには怒りと失望が広がった。 日米同盟を強化し、抑止力を高めようとするのが安倍政権の安全保障政策。だが、上野さんは「それでは軍拡競争が延々続く。小泉元首相の北朝鮮の電撃訪問の例もある。緊張関係があるからこそ、トップ同士の話し合いが必要だ」と提案する。 上野さんはこの夏を「一喜一憂しながらむなしさも感じた。政治にほんろうされた」と振り返る。一方で「めげてはいられない。展示会や語り部など足元の活動に集中したい」と言葉に力を込めた。 PR情報
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