シートン俗物記 このページをアンテナに追加 RSSフィード

2016-09-22

[]「感動ポルノ」と貧困問題

先日、Eテレバリバラで。「検証!『障害者×感動』の方程式」という、日本テレビ24時間テレビ念頭においたプログラムが放映され、話題になりました。番組では、障害者の“頑張り”にだけ焦点をあて、“頑張る障害者”という感動のネタにすることを「感動ポルノ」と批判します。また、「感動ポルノ」を手厳しく批判した、ステラヤング氏のスピーチも取り上げていました。


生放送検証!「障害者×感動」の方程式

http://www6.nhk.or.jp/baribara/lineup/single.html?i=239


障害者は「感動ポルノ」として健常者に消費される–難病を患うコメディアンが語った、”本当の障害”とは

http://logmi.jp/34434

(前略)障害者生活には、実際それなりに困難がつきまといます。乗り越えなければならないことはいろいろとあります。でも私たちが克服しなければならないことは、みなさんが考えるようなたぐいのものではありません。身体障害関係ないのです。

私は「障害者」という言葉意図的に使ってきました。なぜなら、私たちの身体と病名よりも、私たちの生きる社会のほうがより強く「障害」になっていると感じているからです。(後略)


障害者障害とは、障害者の側にあるのではなく、社会の側にあるのだ、障害者は頑張る事で社会に感動を与えるための存在では無い、という言葉です。

私は、同じように社会の側に問題のある事柄を当て嵌めたいと思います。


(前略)貧困者の生活には、実際それなりに困難がつきまといます。乗り越えなければならないことはいろいろとあります。でも私たちが克服しなければならないことは、みなさんが考えるようなたぐいのものではありません。家庭の事情関係ないのです。

私は「貧困者」という言葉意図的に使ってきました。なぜなら、私たちの収入雇用よりも、私たちの生きる社会のほうがより強く「障害」になっていると感じているからです。(後略)


どうでしょうか?我々は貧困者に対して勝手な像を当て嵌めていませんか?つましく、努力して節約に励み、僅かな楽しみさえも我慢して他人の施しを受けまいとする。そんな勝手貧困者像を作り、頑張る貧困者に「感動」していませんか?感動するのはまだ良いのですが、感動出来る貧困者像を押し付けはいませんか?

実際にこういう話がありましたよね。


貧困女子高生”が映し出した深刻な報道危機

相対的貧困」への理解を欠く、日本ジャーナリズムの現状

http://webronza.asahi.com/national/articles/2016091300003.html


これは、勝手貧困像を押し付け、その像に合わないからニセモノだと決めつけ、個人中傷に走った騒動で、いわば貧困の「感動ポルノ」の強要とでもいえる話です。片山さつき氏が加わっているのはいつものことながらヒドイですね。


https://twitter.com/katayama_s/status/766895331401347072

拝見した限り自宅の暮らし向きはつましい御様子ではありましたが、チケットやグッズ、ランチ節約すれば中古パソコンは十分買えるでしょうからあれっと思い方も当然いらっしゃるでしょう。経済的理由で進学できないなら奨学金等各種政策支援可能


最初に述べた障害者の「感動ポルノ批判同調し、24時間テレビ批判した人でも、貧困問題となると「感動ポルノ」を押し付けようとする方々は結構見られました。つまり、本当に障害者立場社会的包接の必要性共感したわけではなく、24時間テレビの“偽善”を叩くネタがあればよかった、ということなのでしょう。


24時間テレビは確かに“偽善的”で「感動ポルノ」です。でも、“偽善”を嫌う人々が善を為すか、マイノリティ共感を寄せ、彼らに対する社会的問題解決に取り組もうとするか、といえば、そういうわけではありません。むしろ差別的だったりします。

であれば、24時間テレビの“偽善”の方が、“露悪的”な人々より、何万倍もマシと云えそうです。

では。

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