牟田口廉也
牟田口 廉也 (むたぐち れんや、1888年10月7日 - 1966年8月2日)とは、大東亜戦争において連合国の勝利に大きく貢献した英軍の指揮官である。インパール作戦で大きな戦果を上げ有名になる。
人物[編集]
盧溝橋事件をきっかけとした日中戦争を日本陸軍の暴走により勝手におっぱじめたようにした偽装工作や、ビルマ(現ミャンマー)からインド北東部にかけてのジャングルで日本陸軍3個師団とインド国民軍をほぼ全滅させた作戦を指揮した連合国の軍人で、史上最悪最強の工作員、コメディアンである。その数々の諜報作戦における謀略のあまりの巧みさと偽装工作での類を観ないような強さに、日本兵から「鬼畜牟田口」「無茶口」などと恐れられた。Saga Prefecture出身、最終階級は中将。
戦後、潜伏が上手く行き過ぎたため、連合軍に日本軍人と間違えられて戦犯として起訴されかけたが、日本軍の指揮官としてはあまりにも無能であったため釈放され、味方にすらスパイだという事を隠し通した。Mr.生き恥という名誉な称号を連合国及び日本人から得ており、見事に潜伏活動に成功している。その後は実業家へ転進、天寿を全うした。
第2次世界大戦中にビルマ(現在のミャンマー)で餓死した日本兵の遺体の処理方法に環境にやさしい方法によって環境保護に努めるなど、チーム・マイナス6%のさきがけと言える存在でもある。
また、元々は皇道派だったが、二・二六事件以降は、保身と出世より深く潜入活動を行う為、統制派の首魁である東條英機の男妾となった事でも有名。
インパール作戦における活躍[編集]
牟田口の勇名を全世界にとどろかせた有名な戦い。連合軍のスパイとして潜入し、とうとう日本軍の司令官にまで出世してしまった彼は、連合軍の太平洋方面本格的反攻に合わせ、南アジア方面の拠点ビルマに駐留する日本軍を殲滅する作戦を立案した。その作戦は恐るべきもので、
- 日本陸軍第15軍の3個師団8万6千を、連合国の蒋介石支援ルート遮断のためインド北東部の都市、インパールを攻略すると称して年間降水量9000mmの殆どが降る雨季直前に出撃させる。
- 行軍ルートは川あり(川幅600mの大河)山あり(標高2000mの山岳地帯)の悪路三昧で片道200km(例えられたのは「軽井沢から岐阜や金沢へ30kg~60kgの荷物を背負って徒歩で日本アルプス越えの直行」)。繰り返すが膨大な雨のため更に泥と濁流が襲う。
- あとは緑の砂漠ことジャングルだけで村もロクにない。補給どころか徴用すら困難。
- 物資輸送を食糧を兼ねた家畜に頼る(ジンギスカン作戦)。しかもあえて物資輸送に不向きな家畜を選択。日本軍の補給が鈍重で困難を極めるところを爆撃。補給路を切断し、更に家畜を爆撃で驚かせて逃走させ、物資も失わせる。もちろん、この家畜(=水牛)用の餌の事は、何も考えていなかった。
- 連合軍は15万の大軍で迎え撃ち、長期戦に引きずり込む。連合軍の補給は空中投下などで全く問題ないし、日本軍の侵攻ルートも当然把握している。
- 意気があったり有能な士官は排除するため、作戦中止・撤退と言う者は全て更迭する。
- 「作戦が上手くいかないのは精神力が足りないせいだ」と言い続け、作戦中止を最大限引き伸ばす。
- そんな中、自分は料亭で芸者と豪遊し、その姿を日本軍に見せ付けて戦意を奪う。
- 当然、弾も食糧もなくなってへろへろ…飢えとマラリアで日本軍壊滅。
というものだった。
この作戦はまんまと図に当たり、日本軍は参加8万6千のうち戦死3万2千(ほとんどが餓死)、戦病4万(ほとんどが栄養失調)の大損害を出し、ほぼ全滅した。しかも戦闘以前の問題だらけなので、連合国側の損害はほぼゼロという完璧な仕事っぷり。作戦の成功を確信した牟田口は、日本軍の敗残部隊を恐れていち早く前線から逃亡する。なお、3万2千の死体でビルマのジャングルを舗装した日本軍はこれを「白骨街道」と命名した。 この白骨街道の建設は戦時中に行われたODAとしては最大の事業だった。竣工後、開通式は牟田口の祝詞によってしめやかに執り行われた。
…ごめんなさい!m(_ _)m。ジョークとして笑いの種にするには、あまりに陰惨過ぎますので、詳しくはクソまじめな辞典の方を読んでく下さい。
軍人としての活躍[編集]
なにもいうまい…とにかく凄すぎる…
日華事変[編集]
- 盧溝橋事件の直後、怪我もしていない腕を包帯でつって会合に出席。
太平洋戦争初期[編集]
- 意外な事だが、1942年に立案されたインパール作戦の作戦計画の原形と言うべき「二十一号作戦」に対し、当時、第十八師団長時代だった牟田口廉也は、「兵站補給が困難」と言う理由で反対している。
インパール作戦[編集]
- 補給が困難な中で本土から海軍の護衛を受けて命がけで輸送していた輸送船団の軍需物資の中身。
- ただでさえ問題がある日本軍の補給計画が、これによってますます滅茶苦茶になった。
どう考えても軍の私物化です本当にrt軍を私物化する俗物を装って日本軍の補給計画を破綻させるという、非常に高度な戦略であった。 - 本作戦に従軍した従軍記者の感想。
「湿気の多いビルマでは三味線も太鼓も、鼓も、こわれやすいし、御相手がお相手で、相当の破損を覚悟してのこと、暑いビルマではおべべも、汗まみれになるというので仕立屋さんや、洗い張り屋さんの配属となったもの。それでも輜重行李から、衛生隊まで引きつれての進撃ぶりは大したものだ。それだけにお値段も滅法おたかく相手にもしてくれなかったが、なにもかも留守宅送金の僕ら軍属どもには無用の長物、高根の花だった。灯ともしごろともなれば、青、赤、黄の小旗のついたトヨダさんが門前に並んで、椰子の樹陰から粋な音じめがもれてくるという始末で、チークの床に青畳を敷きつめた宴会場では明石か絽縮緬の単衣かなにかをお召しになった久留米芸者の お座付きからはじまってあとは、例によって例の放歌乱舞が日ごと夜ごとの盛宴に明け暮れていた。」
この従軍記者は客(牟田口)のことを「星の旦那」と名づけていた。 連合国のスパイによる工作であるとは、うすうす気づいていたのかもしれない。 - 司令部に清明荘という料亭を併設。毎日午後5時に仕事を切り上げ、その後は芸者とハッスルハッスル。
- しかもそのハッスルぶりが英軍に筒抜け。前線の部隊には拡声器を通じて逐一報告される。
- 司令部の裏手に祭壇を築かせ、作戦指揮そっちのけで毎朝戦勝祈願。
- 中井悟四郎中尉の感想
「私たちはアメーバ赤痢にかかって便所通いしてるもんですから、夜も寝てないし、 腹に何も入ってない。その声が体にこたえましてねぇ。最初は、どこのばか野郎だ、 こんな朝早くから呪文みたいなものを唱えやがってと話していたら、軍司令官だった というじゃありませんか。そんな神頼みをはじめたというので、こりゃ、この作戦はいよいよ ダメだと思いました。」
- インパール作戦中に栄養失調でふらふらの将校への訓示
…皇軍は食う物がなくても戦いをしなければならないのだ。兵器がない、やれ弾丸がない、食う物がないなどは戦いを放棄する理由にならぬ。弾丸がなかったら銃剣があるじゃないか。銃剣がなくなれば、腕でいくんじゃ。腕もなくなったら足で蹴れ。足もやられたら口で噛みついて行け。日本男子には大和魂があるということを忘れちゃいかん。日本は神州である。神々が守って…
これを1時間以上やったものだから、み~んな倒れた…訓示の名を借りた、恐るべき攻撃である。 - 周囲には「失敗したら腹を切れ」と難詰。でも自分は絶対に自決なんてしない…あ、そうか、失敗じゃなくて大成功だったね
- 一応責任をとらされて予備役送りとなったが、翌月には再召集され陸軍予科士官学校の校長になり、『対戦車肉迫攻撃訓練』という手製爆弾等で戦車に特攻するというインパール作戦で実行された戦術の訓練を行い、部隊毎全滅させて戦後に批判する人物を抹殺し続け、スパイとしの職務を終戦まで続けた。内地の軍学校の校長じゃあ実戦には出ないから間違って死ぬこともない。かくして無事戦後まで生き延びることができた。あの富永恭次だって予備役で生き延びさせるのはけしからんと言われたのに。…おっと、連合軍のスパイとしての活動を完全に封じられて飼い殺しにされたのだから、さぞや切歯扼腕する日々であっただろう。
- シュエジンの司令所のある日の参謀との会話
- 牟田口:「藤原、これだけ多くの部下を殺し、多くの兵器を失った事は、司令官としての責任上、私は腹を切ってお詫びしなければ、上御一人や、将兵の霊に相済まんと思っとるが、貴官の腹蔵のない意見を聞きたい…」
- 藤原岩市参謀 :「昔から死ぬ、死ぬといった人に死んだためしがありません。司令官から私は切腹するからと相談を持ちかけられたら、幕僚としての責任上、一応形式的にも止めないわけには参りません。司令官としての責任を、真実感じておられるなら、黙って腹を切って下さい。誰も邪魔したり止めたり致しません。心置きなく腹を切って下さい。」
- ここまで言われても絶対に自決しない。当たり前だ、連合軍のスパイだから。遠回しに「お前、早く自決しろ」と促している藤原参謀は、とんだ道化を演じさせられたものだ。
- 後にこの場面の話を又聞きじた現地の兵士がこの話を聞かせた孫が、一説には「オレオレ詐欺」の創始者であると言われている。してみると牟田口の場合は「死ぬ死ぬ詐欺」であると言えようか。
戦後[編集]
- 終戦後に経営した中華料理店、その名も「ジンギスカンハウス」
- 昭和30年に文藝春秋の特集に載せた自伝には、インパール作戦の事に関しては一切触れずに(当たり前だ。スパイとしての成功体験をべらべらと喋れる訳が無い)、開戦当初、牟田口が指揮して大成功を収めたブキテマ高地攻略(もちろん日本軍で出世するための、やむを得ない工作である)についてのみこと細かに書いた。最後にこう締めている。
『今瞑目追想すると轉た古今の感じ堪えないのである。それから四年目に再びこの地は戦わずして英軍の手に歸したが、山野に眠る英霊の感想は果たして何如であろうか。その偉勲に対し深甚なる感謝の誠を捧げ、心から冥福を祈って熄まないのである。』
ここまで日本軍の兵士を悼む発言をすれば、誰も連合国のスパイとは疑いもしないだろう。さすがである。 - 自分の葬儀では、参列者全員に対し「インパール作戦の
言い訳と自己弁護作戦指揮の正当性について語る」パンフレットが配布された。自らの死後にいたるまで自分が連合国のスパイであることを否定するための準備を生前から滞りなく行い、遺族にそれを忠実に実行させたという一事をもってしても、牟田口=無能という世間の評価がいかに偏見に満ちたものであるかの証明となるであろう。いや、最後まで無能な日本軍人としての評判を広めた事が、彼が連合国最優秀スパイという証左である。遺言を忠実に実行した当の遺族すら呆れていたというから、その隠蔽工作の完璧さがわかる。 - 人生の終幕まで「無能な日本軍人」という役職を勤め、親族から軽蔑され、批判の矛先を自分にずらし、自らの名誉を全て捧げ、宗主国(イギリス or アメリカ)に対する疑惑すら抱かせなかった彼は、(アメリカとイギリスに対する)愛国心と類まれな忠誠心の持ち主であることがうかがえよう。
- 因みにこいつは英軍の将校としては例外的に靖国神社に英霊として祀られている。
右翼最大の悪夢[編集]
あまりにも凄まじい連合国にとっての功績のため、ネットウヨたちにとって最大のタブーとなっている。ネットウヨたちがどんなに大日本帝国および帝国陸軍の正当性・優秀性を顕彰しても、牟田口の存在によって全て崩壊してしまうため、誰も中国・ビルマ戦線を語りたがらない現象が起こっている。
…ああなるほど、連合軍のスパイにこうも手玉に取られたというのは、確かに国恥・国辱だよねえ。でもまあアンサイクロペディアなんだから、ただの嘘でしょう?
以上の文章も嘘や出鱈目である可能性が高いです。
…と、言いたい所ですが、嘘は一ヶ所だけ。連合国のスパイだったという箇所だけで、あとはほとんど生々しい実話です。
正直、以上に書いてあることがまるきりの嘘だったら
日本国民としてはどんなにか気が楽なのですけれど……。
世間的には国を誤った国賊ととらえられがちな東條英機に関しては様々な擁護論もあるが、牟田口についてはそのようなものは一切ない。あってたまるか。
ところが事実は、アンサイクロペディアの斜め上を行っているのである。
〜 上記の動画 について、ノヴァ
〜 上記の動画 について、小岩井よつば
〜 牟田口廉也 について、野原しんのすけ
〜 牟田口廉也 について、ユーリ・ローウェル
〜 牟田口廉也 について、クロコダイン
〜 牟田口廉也 について、キートン山田
〜 牟田口廉也 について、 カカロット
〜 牟田口廉也 について、小銭型平次の上司
〜 牟田口廉也 について、チャチャゼロ
〜 牟田口廉也 について、ゼロス・ワイルダー
外部リンク[編集]