(追記:僕は「オタク」という語を再定義しているので、ここで言う「オタク」の語義については「オタクという『病』」と「オタクという『病』:症状」のエントリーをご覧ください)
「ヤマカンナイト大阪」や、先日の岡田斗司夫さんとの対談でもちょっとずつ述べているが、実は、いわゆる「オタク」層が、金を使わなくなっている。
これは推論ではなく、直の声をいろいろ聞いた結果なので、事実だ。
円盤はもうとうの昔に売れなくなった。
そしてグッズも売れない。フィギュアも売れない。
ソシャゲも課金しなくなっている。
で、その割に声がでかい。
業界を脅迫し、拘束する。
比喩ではなく、『黒子のバスケ』事件など、本当に威力業務妨害をしてしまう。
そうなったら、さすがの業界でも、モチベーション的に限界がある。
口だけうるさく金を出さない「オタク」という存在に、これ以上媚びる必要があるのか?
そんな中答えを出したのが、繰り返しになるが『シン・ゴジラ』と『君の名は。』だ。
こういった、劇場作品を通して広く「民意に問う」興行は、しばらく続くと思う。
かつ、そこでクローズ・アップされるのが、「劇場」という存在だ。
文句を言うにも、金を出さなければいけない。
そしてライブのごとき一体感が出せるので、これに興奮した観客は、何度も足を運ぶ。
「応援上映」が今ブームなのも、TVアニメではできない技だ。
つまりTVアニメというものが、これからどんどん力を失い、引いては本数が減っていくのだろう。
そして誰にも観られなくなるのだろう。
アニメに物申す人間は必然的に何らかの形で金を出し、「匿名性」を脱ぎ捨てる。
劇場に足を運び、声優のライブやイベントに顔を出す。そしてオフ会など新たなコミュニティを作っていく。
こうして家に閉じこもって「匿名性」を死守していた「オタク」達は、用済みとなる。
極めて健全なビジネスモデルだ。
むしろ、どうして今までこうならなかった?かが不思議なくらいだ。
まぁ、おそらく「TV文化」そのものの趨勢に原因があるのだろうが・・・。
アニメが「オタク」から離れつつある、これは予言ではなく、もはや事実だ。
「ヤマカンナイト大阪」や、先日の岡田斗司夫さんとの対談でもちょっとずつ述べているが、実は、いわゆる「オタク」層が、金を使わなくなっている。
これは推論ではなく、直の声をいろいろ聞いた結果なので、事実だ。
円盤はもうとうの昔に売れなくなった。
そしてグッズも売れない。フィギュアも売れない。
ソシャゲも課金しなくなっている。
で、その割に声がでかい。
業界を脅迫し、拘束する。
比喩ではなく、『黒子のバスケ』事件など、本当に威力業務妨害をしてしまう。
そうなったら、さすがの業界でも、モチベーション的に限界がある。
口だけうるさく金を出さない「オタク」という存在に、これ以上媚びる必要があるのか?
そんな中答えを出したのが、繰り返しになるが『シン・ゴジラ』と『君の名は。』だ。
こういった、劇場作品を通して広く「民意に問う」興行は、しばらく続くと思う。
かつ、そこでクローズ・アップされるのが、「劇場」という存在だ。
文句を言うにも、金を出さなければいけない。
そしてライブのごとき一体感が出せるので、これに興奮した観客は、何度も足を運ぶ。
「応援上映」が今ブームなのも、TVアニメではできない技だ。
つまりTVアニメというものが、これからどんどん力を失い、引いては本数が減っていくのだろう。
そして誰にも観られなくなるのだろう。
アニメに物申す人間は必然的に何らかの形で金を出し、「匿名性」を脱ぎ捨てる。
劇場に足を運び、声優のライブやイベントに顔を出す。そしてオフ会など新たなコミュニティを作っていく。
こうして家に閉じこもって「匿名性」を死守していた「オタク」達は、用済みとなる。
極めて健全なビジネスモデルだ。
むしろ、どうして今までこうならなかった?かが不思議なくらいだ。
まぁ、おそらく「TV文化」そのものの趨勢に原因があるのだろうが・・・。
アニメが「オタク」から離れつつある、これは予言ではなく、もはや事実だ。