【宝田明さんインタビュー(上)】 3作目で主役...『ゴジラは同級生』
三春町で開催中の「特撮のDNA」展(主催・福島民友新聞社、福島ガイナックス)会場で18日、トークショーに出演する俳優の宝田明さんは、日本の特撮映画の原点「ゴジラ」(1954年)で初主演し「ゴジラの同級生」を自認する。本番を前に、伝説の名優に特撮の黎明(れいめい)期などについて聞いた。
―初主演作が「ゴジラ」第1作だった。
「1953(昭和28)年、東宝演技研究所に入り、同期には河内桃子(『ゴジラ』で共演)、岡田真澄、藤木悠らがいた。デビューは、まさに『ゴジラ』公開の54年。幸運なことに3作目の『ゴジラ』でいきなり主役だと言われた。青天の霹靂(へきれき)。今では『ゴジラは同級生なんだ』と言っているが」
―特撮映画が未知の時代。戸惑いは。
「台本の表紙に『ゴジラ』と書かれていて、恐る恐る社長に『ゴジラ』って何ですか―と聞いた。すると『ゴリラとクジラを続けて言ってみろ』というので『ゴリラ、クジラ...おっ、ゴジラだ』。そんな感じだった。しかし東宝は『ゴジラ』に社運をかけていて、当たったらシリーズ化する考えだった。プロデューサーの田中友幸さんも、ゴジラは水爆実験で被爆し悲しい運命を背負った生物、核廃絶を訴える作品だと話していた」
―意気込みがすごい。
「ただ、初の本格的な特撮映画。ゴジラの大きさも感覚的に分からない。体高50メートルだから、当時の丸ビルのてっぺんが、ゴジラの胸ぐらい。そんなふうにデータを基に手探りだった」
―演技も苦労した。
「ゴジラが出てきて後ろ姿か横向きかで、俳優も表情や反応を変えなければならない。しかし、特撮は全て秘密裏に行われていて、特撮部分の映像が全く分からない。唯一の手掛かりは、35ミリフィルムの1こまと同じ大きさに、場面を鉛筆で描いた絵コンテだった。それを東宝技術研究所にいた円谷英二特撮技術監督(須賀川市出身)にお願いしてもらった」
―絵コンテは「特撮のDNA」でも展示している。
「その絵コンテを頼りに、われわれも本編の本多猪四郎監督も芝居をし撮影したんだ」
たからだ・あきら 1934(昭和9)年、朝鮮生まれ、満州育ち。東宝の第6期ニューフェースとして54年「かくて自由の鐘は鳴る」でデビュー。同年「ゴジラ」で初主演。昭和40年代以降、「アニーよ銃をとれ」「マイ・フェア・レディ」などミュージカルでも活躍。ゴジラシリーズは6本に出演。82歳。
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