【宝田明さんインタビュー(下)】 特撮に驚く...「日本には匠がいた」
―宝田さんの初主演作で日本特撮映画の原点「ゴジラ」の特撮は、円谷英二さん(須賀川市出身)が監督した。
「戦時中にも日本映画をよく見ていて、円谷さんが特撮を担当した『ハワイ・マレー沖海戦』を僕らは実写だと思っていた。東宝に入ったら、円谷先生から『いやいや、あれはわしが(特撮で)作ったんだよ』と言われ驚いた。そういう匠(たくみ)が日本にはいた。当時はコンピューターグラフィックス(CG)に頼らず、手仕事で全部やってのけたんだ」
―手探りだった「ゴジラ」の撮影も進んでいった。
「映画が当たるか当たらないか分からないまま、大ざっぱに作品の形にしたフィルムを関係者が見る『初号試写』が行われた。その時、僕は号泣してしまったんだ。『ああ、こういう映画だったのか』と」
―心を揺さぶられた。
「ゴジラは、街を壊す単なる破壊者ではなく、米ソ冷戦下の水爆実験で眠りから覚めた被害者だった。最後も、人間が作った兵器『オキシジェン・デストロイヤー』によって白骨化し海に沈んだ。ゴジラがかわいそうでならなかった」
―世間の反応は。
「(1954年)11月3日に封切られると、これが当たりまくった。僕も劇場で見ようとしたが(中に人が入り切れず)多くの人が通路からドアを開け、スクリーンを見ていた。当時の日本人8800万人の11%強が見たという。戦争が終わりまだ9年。人々の戦争の記憶と映画がオーバーラップしたのだろう。『ゴジラ』はまさに、戦争を経験した日本人が世界に向けたメッセージ、警告だった。そして十数年前、全米でオリジナル版『ゴジラ』が上映されると主要各紙が絶賛した。ゴジラの果たした役割は大きかったと思う」
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