おれは大学院に行くのを辞めてしまった人間だ。
そして辞めても日々充実して、なんとかかんとか生きている。
だけど別にレールを外れることそのものが良いことだとも、悪いことだとも思わない。
それはあくまで向き・不向きの問題であって、普通を外れた生き方があっている人がいれば、安定してまっとうに生きるのがあっている人もいる。
そんなのは、朝食はご飯派? or パン派?、みたいな食習慣程度の違いでしかない。
そんな部分に注目したって仕方がなくって。
唯一考えるべきは「たとえ失敗してもその選択自体に悔いはない、と思えるくらい自分の選択に夢中であるか」ということだとおれは思う。
自分の選択に裏切られたって構わない、と思えるくらい自分の選択が好きであること。
よっぽど大事なのはそういう部分だろう。
自分の選択に夢中になっている人は、強い。
成功・失敗という指標や形式的な基準から抜け出しているからだ。
自分の望む在り方を求めることそのもの、自分の道を進むことそのものが目的となる。
たしかにその道中ではしんどいこととか、うまくいかなくてつらいこととかもある。
でも道を進むことそのものに魅力を感じていれば、外側から与えられた成功とか失敗は関係なくなる。
生き方、というものは、食事と同じように、アレルギーみたいなものがある気がして。
どうしても学校に馴染めない、会社という仕組みでは働きづらい、という人もいるんだと思う。
それはアレルギー的などうしようもなさがあるんじゃないかと思う。
常識的に生きるべきだ、という圧力のこわいところは、
アレルギー体質の人に無理にアレルギーのものを食べさせてしまっているようなところがある、ということだと思う。
そしてアレルギーの人も原因がそれだと気づかないような状況にあることだと思う。
常識かどうか、レールに乗ってるかどうか、なんてどうでも良くて、
自分の選択に自分が夢中かどうか、とか、
生き方としてどうしても自分はこうじゃないと苦しいんだ、という切実さとか、
大事なのはそういう部分なんだと思う。