真面目スクリーム

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真面目スクリーム

「中退詩人」が考えるドロップアウトのこと等。

常識かどうかなんかより、自分の選択に夢中であるか。

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おれは大学院に行くのを辞めてしまった人間だ。


そして辞めても日々充実して、なんとかかんとか生きている。

 

だけど別にレールを外れることそのものが良いことだとも、悪いことだとも思わない。

 

それはあくまで向き・不向きの問題であって、普通を外れた生き方があっている人がいれば、安定してまっとうに生きるのがあっている人もいる。

 

そんなのは、朝食はご飯派? or パン派?、みたいな食習慣程度の違いでしかない。

 

 

 

そんな部分に注目したって仕方がなくって。

 

唯一考えるべきは「たとえ失敗してもその選択自体に悔いはない、と思えるくらい自分の選択に夢中であるか」ということだとおれは思う。

 

自分の選択に裏切られたって構わない、と思えるくらい自分の選択が好きであること。

 

よっぽど大事なのはそういう部分だろう。

 

 

 

自分の選択に夢中になっている人は、強い。

 

成功・失敗という指標や形式的な基準から抜け出しているからだ。

 

自分の望む在り方を求めることそのもの、自分の道を進むことそのものが目的となる。

 

たしかにその道中ではしんどいこととか、うまくいかなくてつらいこととかもある。

 

でも道を進むことそのものに魅力を感じていれば、外側から与えられた成功とか失敗は関係なくなる。

 

 

 

生き方、というものは、食事と同じように、アレルギーみたいなものがある気がして。

 

どうしても学校に馴染めない、会社という仕組みでは働きづらい、という人もいるんだと思う。

 

それはアレルギー的などうしようもなさがあるんじゃないかと思う。

 

常識的に生きるべきだ、という圧力のこわいところは、


アレルギー体質の人に無理にアレルギーのものを食べさせてしまっているようなところがある、ということだと思う。


そしてアレルギーの人も原因がそれだと気づかないような状況にあることだと思う。

 


 

常識かどうか、レールに乗ってるかどうか、なんてどうでも良くて、


自分の選択に自分が夢中かどうか、とか、


生き方としてどうしても自分はこうじゃないと苦しいんだ、という切実さとか、


大事なのはそういう部分なんだと思う。