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関西文化とロハスデザイン

三都の食生活の違いを分析し、食生活の違いから生じる精神性や産業構造の違いを 分析することによって、食習慣から作り出される生活習慣や精神性を探索し 時代の課題として検証します。

食生活の違いと産業構造

◆大阪気質

大阪では、仕入れるものは、とりあえず、目で見て、手で触れ、目方、大きさを確かめて、買い入れる。
これは、儲かると決断したときの早さは、正に即決で決めていく、そして計算が速い。

青果や魚の競り市場の競り落としの早さとあまり変わらない。
仕入は、即断であるが、仕入れた時に販売先を頭のなかで想定し行動に移している。
ゆっくりと付加価値を上げてから販売することは少なく、仕入れと当時に次の販売先を予測し仕入れている。
買う予定のない素材でも、始めて見る商品は、とりあえず手で触れ、中身を確かめ、目で確認する事が多い。
冷やかしであっても、触れてみるて、値段を聞く、全てに興味深い。
次のチャンスに対するインプットを常に怠らない。
"うれてまっか" "ぼちぼちやなぁ"
漫才の合いの手のような雰囲気を自然に作る。
京都や神戸の人は買う予定のない素材には、手で触れることはしない。
大阪の商売は、回転率の早さ、量が捌ける商品を大切にする。
販売対象を常に一般大衆に視点がおかれており、安さこそが正義とする大阪独特の正義感があり、安く売れることを誇りにすることが多い。
安く買うことが誇りであり、安く買い付けが出来ると喜んで他人にまで誇らしげにみせるが、高い物を買わされると悔しさが何日間も残り、いらいらする。
高い物を買わされることは、馬鹿にされたとする意味が込められている。
"くそ、馬鹿にしやがって"
反対に高く売りつけると大阪は、"やったった"、"にたにた"と含み笑いがこみ上げてくる。
定価販売が定着したのは、スーバーマーケットや百貨店の定価販売のお陰である。
東京の人には、少し理解できない売買の気質である。
大阪で商売する人は、一定の予測していた量が販売出来ると次ぎの目は常に東京に海外に向けている。
浪花の街のころから、商人の多くは、江戸の街で金儲けをすることを心がけていた。
江戸から京都や大阪に売られる物は、下り物、くだらないものの語源とも云われ、冷ややかにみる傾向が強い。
浪花の町民はこの時代から、巨人、阪神のように張り合う意識が強かったようである。
東京で一定の実績が付くと、次は、マーケットを全国に、世界に通用するか、販売対象を大きく捉え計画を立てる。
如何に安く、手際よく、そして瞬間的な見た目を大切にする。
大阪の中小企業が集まる、東大阪を始め、大阪の中小企業が加工効率を大切にする。。
目、手、足、身体が敏捷に動く、頭の回転の早さを大切にする。
頭の回転とは、計算が速いことを云い。一昔前は、暗算が速いか、そろばんがはやいか、
間髪を入れずに価格が飛び出すことが望まれた。
ゆっくり、思案深いことを求めない。
ゆっくりと思案していると、
"あのおっさんは、どんくさいで""ひまそやなぁー"
早々と買う気をそがれた顔になる。
食べるときの姿勢と全く同じである。
大阪人は、指示されてから動くことを好まない。指示されることが嫌いである。
指示される前に機転を利かすことを求める。愛知や徳島や淡路も同じ傾向が強い。
大阪では、信号で止まることも嫌いである。いらいらしながら待っている。東京では待つのは当たり前と受け止めている。
東京では常に指示を待つ、関東や東北では指示されるまで動かない。
九州はその場その場で、適当である。沖縄は気が向くまで動かない。
戦後経済の復活によって、大阪は早い経済復興と活動がみられた。その販売先の多くは、米国を中心に単一品目の多量生産の商品が多く、即決販売は、大阪人の性格に一番向いていた経済活動となっていた。
米国、特にユダヤ系の商売人と大阪人は性格的に類似している。
即決がすきであり、結論を伸ばすことを好まない。
計算が速く、正確であると一気に信頼を得る。
食べ物もハンバーガーとコーラを立ち飲みしながら、仕事をすることが多く、大変よく似ている。
昭和40年代には日本から米国のスーパーマーケットに多くの日用雑貨類、繊維製品、文房具、スポーツグッツ、大工道具、オートツールが輸出された。
当時の商談を思い出すと今の商売人とは、桁違いに仕事熱心であり、当時は、毎日の商談に生き甲斐すら見られた。今の中国と類似している。
米国のスーパーマーケットで販売する商品の価格を日本の商社マンが決め、サンプル商品に、既に米国で販売する個々の商品価格をヘッダーにとり付けていた。
小袋や形押しの包装、ヘッダーには、99¢、1$99¢、2$90¢などの価格を付け、小箱を12ヶ単位に仕訳し、外箱は12x12又は12X120等で梱包されていた。
米国での小売りの利益率、米国の物流価格、関税、保険、金利、国内の諸経費、パッケージコスト、仕入れ価格を詳細に細分化し計算書を作り、生産ロット別に、生産効率まで説明し、商談が進められた。
バイヤーの多くは、ユダヤ系のアメリカ人であった。
原価構成が確実に提示できることが信頼であり、商談が敏捷に進む方法で、当時のバイヤーの多くは、大阪を好み、東京と京都は、時間が掛かり過ぎて商談にならず、好まなかった。
大阪にやってきたバイヤーは、東京の商談時間の長さと変な押しつけ的な接待に、たびたび文句を聞かされた。当時のバイヤーは、個人経営者と同じで、サラリーマンでなく、仕入れの金額が自身の収益に直結しており、接待の費用がナンセンスなコストと判断していた。
日本のスーパーマーケットのバイヤーとは比較にならず、商品が出来るまでの生産工程を克明に知り、価格構成を把握する意識が高く、工程のプロセスを知り、素材の配合比率など詳細なデータから価格を決めていた。
米国と日本のバイヤーの違いは、提示した価格に対して、細部に渡り、価格構成を知り、価格を決める意識が強く、日本のバイヤーは、価格構成の根拠を探らずに、とりあえず、負けてくれ、安くしてほしいとする傾向が強く、商品に対する原価構成を知り価格を決める交渉力との格差を肌で感じさせられた。
米国のバイヤーが商品を選択する基準は、店頭に陳列したとき、購入する消費者の対称を判断し、購買できる価格の範囲を想定し、販売する商品に対して、マーケットに整合する価格を決定し、どのような原価構成になるかを、始めに検討し、マーケットが望む価格をどのようにしたら生産出来るのかを討議し、その答えが瞬時に返答できることを求められていた。形状、生産工程、生産ロット、材質等で原価がどのように変わるのか、商品の価格構成と安全面から見た資材強度のデータから選択していた。
メーカーが価格を決定するのではなく、マーケットが認める価格が価格とする意識が明確であった。日本のバイヤーは、メーカーで提示した金額に何割引とする値札が多く、価格の根拠が曖昧であることが今も変わっていない。
その後、日本のコンビニエンスが米国のバイヤーの買い付け方法を適格に利用している。
日本は、数の単位が、十進法であり、米国やEUのバイヤーはダース単位、12単位で計算され、日本の単位から、如何にはやく、そろばんや暗算で個々の単価を提示できるかが求められていた。
小さなパーツコストでも細部に渡り、生産効率の単位を熟知していることがバイヤーに信頼を得る方法でもあった。
大阪の町工場の経営者は狭い場所に効率よく機械を配置し、無駄の少ない活動範囲の中で加工することは、特に優れた感性がある。
狭い場所を立体的に配置し、自身の目が届く位置に機械を配置し、作業内容を把握しながら、生産効率を上げる工夫に特長がある。
積層された、プリント基板のような町工場であり、小さななかで効率的に稼働させる技能に優れている。
大阪の町工場地域が都市化によって土地の価格が高騰し、郊外や田園地域に大きな工場を建設し、設備も一新すると"こける"失敗する例が目立った。
一見、きれいに大きくなった大きな工場は、稼働ロスが多く、無駄な工程や無駄な在庫が増加し、間接経費も増加する。
経営者の視線の範囲を超えて工場が大きくなると失敗する例が多い。
規模の拡大で成功されている例は、工場稼働の内容を経営者の目線から離れても把握できるシステムを始めから導入されている場合が多い。
稼働ラインを従業員の能力によって操業するシステムから、稼働ラインが従業員を休ませることなく、動かすシステムによって成功させていた。

大阪は、大量生産による低価格の追求、生産効率の改善、使い捨て的な商品開発には特に敏捷に反応し、素早く開発商品を次々と手掛けて成功を見た。
衣類、家電製品、プレハブ住宅、日用雑貨、工具、金属パーツ、プラスチック製品等である。
大阪は町民の街として長い歴史がある。
早い、安い、美味い、大食いの習慣と、商人のきぜわしさが作る、一食一食を食べる行為と商いの伝統も類似している。



食文化と文化密度の関係

京都・大阪・神戸関西三都の食文化

食生活の違いと産業構造

京都、大阪、神戸市民の食生活と環境及びメタボリックの関係