その中のインタビュー記事を読んでいて、ふと感じたことがあるので増田に書き残しておきたい。
新海誠は、アニメ業界出身の監督ではない。手探りでアニメを製作してきた人間である。
これまでの作品のスタッフに、アニメ業界出身者がいないわけではない。
しかし、今回の「君の名は。」では、作画監督に安藤雅司が起用されている。
彼は、スタジオジブリ出身のアニメーターで、いわばアニメ業界の保守本流に属している人間だ。
安藤に対するインタビューの中では、「インディーズ」という単語が度々登場する。
曰く、「君の名は。」は、新海誠がインディーズからメジャーに至る転換点である。
安藤自身は、「君の名は。」の持つインディーとメジャーの二面性に、クリエイターとしての面白さを見出していたようである。
しかし、インタビューの端々に、新海誠がアニメ業界出身ではないことに起因する苦労が見えていた。
新海誠は、アニメ業界の保守本流、メジャーと対峙して、どんな気分だったのだろうか。
私は、安藤や田中のインタビューから、彼らの新海誠に対する「上から目線」みたいなものを感じてしまった。
こいつはアニメがわかってない、みたいな。
それは新海誠の出自を見れば当たり前であり、単純に経験不足であるから仕方がないものでもある。
もちろん、そのことが新海誠の価値を下げるものではないと、安藤と田中は述べている。
しかしなぜだろう、「君の名は。」において、新海誠だけ、一人浮いて見えてしまうのだ。
日本を代表するアニメーター軍団は、新海誠を遠巻きにして眺めている。
旧知のスタッフは、その後ろで新海誠を不安そうに見つめている。
神木きゅんは、狂信者のように新海作品の魅力を語り続け、川村元気が無言で頷く。
興行収入が増えれば増えるほど、なぜか切ない気持ちになってしまうのだ。
私の中の「新海誠」は、この狂騒の中、寄る辺なく漂うしかないのであろうか。
唯一の安息は、雲のむこう、約束の場所にしかないのかもしれない。