ソニーと巨人軍。二つの名門を蝕んだ「コンプラ」という名のバケモノ
『巨人軍「闇」の深層』に見た正体
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長年にわたりソニーを取材し、その凋落の理由を解き明かしてきたジャーナリストの立石泰則氏。その立石氏が、「近年多くの問題を起こして世間を騒がせている巨人軍とソニーには、共通点がある」と指摘する。その理由とは?

ソニーと巨人軍の共通点

企業取材を始めて40年近くになる。その間、倒産などあり得ないと思われた銀行など金融機関や売上高1兆円を超え、優良企業と謳われた大企業が、ちょっとした躓きからあえなく市場からの撤退を余儀なくされ、姿を消していく様を何度も見てきた。

現在は、家電王国を誇ったわが国の家電産業が瀕死の状態にある。シャープ、ソニー、パナソニックといった大手家電三社は軒並み経営危機に陥り、シャープは台湾の鴻海精密工業に「身売り」、ソニーは本業のAV(音響・映像機器)事業からゲーム&コンテンツとネットワークの企業への転身を図り、パナソニックはコンシューマ・ビジネスからB2Bへと大きく舵を切っている。

そうした方向転換が奏功するかは、いまのところ不明である。ただそうした経営危機に陥った企業に共通するのは、時代や社会の変化に柔軟に対応できずに、すべてが後手後手に回ったことである。それは経営者(陣)の無能さが第一の原因ではあるが、同時に見過ごせないのは時の経過とともに組織が柔軟性を失い、官僚化していったことである。

組織の官僚化は、企業に限らずすべての団体、集団の成長過程で起きるものであり、それを未然に防ぐことでしか健全な発展は担保できない、と私は考えてきた。

ただ企業以外の組織を研究・勉強したことがなかったので、他の組織にも通じるものかどうかは確信が持てないでいた。

そんな私に「確信」を与えてくれたのが、西崎伸彦著『巨人軍の「闇」の深層』(文春新書、8月発売)である。

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本書は、近年、野球賭博や元巨人軍のスター選手だった清原和博氏の覚醒剤事件、さらには巨人監督だった原辰徳氏の「一億円恐喝事件」など、名門球団を襲った一連の不祥事の背景にある本質的な問題を、選手個人にだけでなく、球団経営のあり方、企業経営でいう「マネジメント」そのもののいびつさに求め、詳細な実証を試みている。

その点が本書の最大の特徴であり、これまでの巨人軍を批判する類似書とは一線を画する作品に仕上がっている。

コンプラに重きを置き過ぎた結果… 

例えば、著者は《現在の日本企業が重きを置くコーポレイトガバナンス(企業統治)とコンプライアンス(法令遵守)という二つの観点から巨人軍を眺めてみると、その躓きの背景が鮮やかに浮かび上がってくる》と指摘し、その躓きの始まりを「空白の一日」で有名になった1978年の江川事件にまで遡る。つまり、江川事件を生んだ手法が、現在まで不祥事が止まない、いや深刻化する原因の根本であると著者は見なすのだ。

江川事件とは、ドラフトで交渉権を得た球団の交渉期限は、次のドラフトの「前々日まで」という野球協約を、ドラフト前日には選手はフリーになると独自解釈した巨人軍が、本格派投手として高い評価を得ていた江川卓氏と契約したことから生じた問題である。

野球協約の「盲点」を突いたやり方に他球団は猛反発するし、社会からも巨人軍と江川氏には批判が集中した。

しかし巨人軍は、「野球協約には反していない」、つまり法的に問題ないと主張し、江川氏との契約の正当性を譲らなかった。コミッショナーとセ・リーグ会長からの契約無効の裁定が下されても、巨人軍の姿勢は変わらなかった。逆にドラフト会議を欠席したうえ、江川氏との契約を認めないなら、日本プロ野球機構を脱退して新リーグを結成するとまで宣言したのだった。

この「恫喝」は、人気球団・巨人軍との試合のおかげで主催試合に多くの観客が訪れる他球団の台所事情に効果的だった。結局、コミッショナーの「超法規的措置」ともいうべき判断で、巨人軍が欠席したドラフト会議で江川氏の交渉権を得た阪神に対し、巨人軍の主力投手だった小林繁氏との交換トレードに応じさせる形で事態の収拾が図られるのである。つまり、江川氏はいったん阪神に入団したのち、憧れの巨人軍にトレードされる形で「入団」することになったのだ。

しかし問題は、巨人軍があくまでも野球協約に違反していない、法的にも問題はない、という姿勢を改めなかったことである。突き詰めれば、法に違反しない限り、何をしてもいいという考えに辿り着く恐れがあるものだ。

そもそも法は、ア・プリオリに存在するものではない。現実の問題に対応していく中で作られる。それゆえ、時代や社会の変化の中で対応できない事態に遭遇することは珍しくない。だが肝要なのは、その法(規則)を作った時の狙い、いわば立法の精神に立ち返って判断することであって、法の抜け穴を探すことではない。

ましてや、プロ野球の憲法と呼ばれる野球協約の不備を見つけ出し、その精神に反する行為を球界のリーダーである巨人軍がしていいはずがない。だが、いったん「甘い蜜」の味を覚えると、煩悩の塊である人間は、その誘惑に打ち勝つことはなかなか難しい。

それゆえ、著者は江川事件以降、巨人軍という組織は明らかに変わったとみる。

《 江川事件以来、巨人軍は法律解釈を徹底的に駆使した理論武装によってすべてに対処するようになった。それが“抜け道”や“盲点”と世間から非難されようとも、法律的に正しいと主張し、自らのやり方をよしとしてきた(中略)“江川事件のDNA”は、現在に至る巨人軍の組織運営に脈々と引き継がれていった 》

その江川事件のDNAを具体的に継承している主体は、法務畑の人材で担われている讀賣新聞グループの司令塔にある、と著者は本書で指摘し、彼等を「コンプラ軍団」と呼んでいる。

つまり、このコンプラ軍団が自らの豊富な法律知識を巧みに駆使し、自分たちに有利な法解釈を導きだして問題に対処しているというのである。

しかし対処療法的な効果はあっても、原因を徹底的に解明し根本から解決にあたろうとしないから、不祥事は止まなかったし、最後には野球賭博問題というプロ野球の死活問題にまで落ちていったのだ、と著者は結論づけている。

要は、プロ野球というビジネス、その現場(事業がどのように進められているか)、さらにはプロ野球が社会に占める存在感、影響力などにあまり理解のない人たちが権力を振るったらどうなるか、ということを実証した一冊と言えるだろう。

ソニーが「フツーの会社」になった理由

こう書いていくと、企業(経営)も同じなのだなと改めて思わされる。

私は1995年からソニーの取材を始めた。その後も定点観測を続けてきている。「人真似はしない」「他人がやらないことをやる」という方針のもと、ソニーが日本初、世界初の製品開発を目指し、たえず市場を牽引する製品を送り出してきたことは、周知の事実である。

例えば、他の家電メーカーが画質に難があっても作りやすいという理由でシャドウマスク方式のブラウン管を採用していくなか、どこまでも画質にこだわったソニーは、独自の「トリニトロン・カラーテレビ」の開発に社運をかけて取り組み、成功。その後はテレビ以外にもモニターとしてデスクトップPCに採用されるなど世界市場で存在感を示した。

また、外で音楽を楽しむという新しいライフスタイルを生み出したウォークマンは、当時録音機能がない再生専用機など売れないという指摘を覆した携帯オーディオ機器だった。

そうした製品づくりを担保したのは「自由闊達」が現場のエンジニアに許され、それがカルチャーになっていたからだ。

しかし井深・盛田の創業者の時代が終わり、サラリーマン社長の時代になると、アメリカ式経営やその評価基準が導入されて、ソニーは「フツーの会社」になっていく。