読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

シアワセの容相

あしたはこっちだ

AIの方がマシ? ─ ミスはたいてい人間の側で起こる

「高齢運転者」をterrible driverと誤訳したというニュースが話題になっていた。

www.asahi.com

もうこれはギャグというレベルでしかないのだが、あえて真面目にどうやったらこんな誤訳が生まれるのかを考えてみた。それはもう、人間のミスとしか言いようがない。翻訳という仕事をやっていればわかる。常識的に考えてありえないミスは、そこでしか発生しない。

もちろん、コンピュータの普及以後、奇妙な翻訳が機械翻訳から生まれてきたのは事実だ。コンピュータ翻訳が発達した現在でさえ、たとえばGoogle翻訳にちょっとまわりくどい日本語を入れると笑うしかない結果が生まれる。たとえば、固有名詞は、どうしても機械が暴走気味になる。

nlab.itmedia.co.jp

ただし、今回のケースはこれには当てはまらない。なぜなら、どうまちがっても、機械が「高齢」をterribleと訳すことはあり得ないからだ。これは人間の仕業。しかも、かなり気の利いた人間が、とことんダメな業務フローのなかでやっちまった案件ではないかと推測する。

まともな業者ならやらないのだが、翻訳で儲けようと思ったら日本人を使ってはいけない。なんといっても日本人の人件費は高い。翻訳という作業にかかる費用は基本的に人件費だけで構成されている。だから、人件費を安くあげることが重要。そうなってくると、人件費の安いところに住んでいる翻訳者を探してこなければならなくなる。日本語ネイティブでなくたっていい。実際、和文英訳の場合、日本語に少々不案内でも英語がしっかり書ける翻訳者のほうがいい仕事をする。そしてそういう翻訳者は、たとえばフィリピンだったり香港だったりと、思いがけない場所にいたりする。インターネットのこの時代、それはそれで何の不便もない。

まともでない業者がやることは、ここからだ。彼らは、案件を可能な限り安くなる単位にぶった切って翻訳者に渡す。翻訳者の手元には、もともとの文脈からまったく切り離された文字列がわたる。何のための翻訳だということかも知らされないまま翻訳するから、翻訳者は訳語の選択に苦慮することになる。たとえばstorageという単語が出てくるとする。パソコン関係の文脈なら記憶装置かストレージだし、建築関係なら倉庫とか納戸だろうし、在庫とか保管料とか、文脈によっていろいろな訳語が考えられる。まともでない翻訳業者から仕事を請け負った翻訳者は、往々にしてこういった文脈を読み取るのに苦労する。もちろん単語ひとつだけを与えられたのなら文脈の読み取りは不可能なので苦労もなにもない。だが、中途半端に30個の単語と3つの文からなるような原稿を与えられたような場合には、やっぱり翻訳者は文脈を読み取ろうとする。気の利いた翻訳者ほど、そうするものだ。

そこで、この京都府の案件。まともな業者ならその場でインハウスの翻訳者が一瞬でやってしまうような仕事だが、インハウスの翻訳者を置くのはコストがかかる。そのコストをかけられない業者はどうするかというと、そのままそれをネットの向こう側に流す。流された方は、これが免許更新センターの案内板だということを知らない。さて、一般運転者、優良運転者、高齢運転者という単語が並んでいる。わるいことに、たまたま原稿のファクスが潰れていて、「齢」という漢字が読めない。「高」のほうはわかる。「優良」を辞書で引くと、superiorという訳語がヒットする。ということは、それより凄いドライバーにちがいない。しかし、この文脈はなんだ? superiorなドライバーが出てくるとしたら、サーキットの関係か? カーチェイスシーンか何か出てくるゲームの翻訳かもしれない。だったら、「高■」はsuperiorを超える「スゲえ」ぐらいの意味にちがいない。じゃあterribleだ、という具合に回路がつながったのではないだろうか。ちなみにterribleは「酷い」というネガティブな意味が本来の定義だが、口語的には日本語の「すごい」と同様、ポジティブな意味にも使う。この翻訳者は、normal → superior → terribleと、三段階に使い分けたのではないだろうか。

だからわるいのは翻訳者ではなく、いい加減な翻訳業者だ。百歩譲って、海外の安い翻訳者を使うことはOKとしよう。翻訳者に文脈が伝わらないような発注の仕方をするのはひどい手抜きだが、そういうこともあり得るかもしれない。けれど、あり得ないのは、納品前のチェックをやってないことだ。そういう意味で、この業者はダメ。ただし、現実にはあり得る話である。ほんと、ダメな業者は存在する。なんで生き残れているのか不思議だが、それが「相見積り」で発注先が決まる昨今の風潮なのかもしれない。

営業がとってきた仕事を中身も確認せずに、単価だけ考えて右から左に流していると、こういう事態が発生する。要は人間と人間のインターフェイスの問題だ。そしてこれは、機械と人間のインターフェイスでも同様に発生する。そしてわるいのが翻訳者ではないのと同様、わるいのは機械ではない。翻訳者や機械とクライアントをつないでる人間の問題。

人間がいる限り、アホな問題は発生し続ける。だから人間を駆逐して機械だけの世の中をつくれと、SFのような話をするつもりはもちろんない。アホなことをするから人間なのだし、その人間がおもしろいと思うのが人間だ。人間に生まれた以上、これは避けられない業なんだろうな。