フラックマ生活
〜だらだら毎日のススメ〜


「ああ・・・今日も疲れたわ・・・」
 オレンジ色の夕日が西に沈む頃、その女性は同じように仕事帰りの人々の間を縫って、1人とぼとぼと歩いていました。手には夕飯の為の食材が入ったスーパーの袋と、嵩張る書類で重たい仕事鞄。
 残業すると残業代が余計にかかるから、という理由で、その日の勤務時間内に終わらなかった仕事は持って帰ってしなければならないのです。
「ホント、最低の一日・・・」
 目覚まし時計が止まっていて、遅刻ギリギリだった朝。上司が出張なのをいい事に、威張ってネチネチとどうでも良いような嫌味ばかり言ってきた係長。そして、帰宅時間直前になって押し付けられた仕事。

 普段の数倍くたくたになった身体に、その日の夕日はえらく眩しく見えました。

「とうちゃーく」
 彼女が住んでいるマンションの自室前で、彼女は一旦スーパーの袋を地面に置いて、鞄に入っている鍵を探します。見つけやすいよう、キーケースは外側のポケットに入れてあります。手を突っ込めば、大抵すぐに手に触れるはずです。
「・・・・・?」
 ところが、隅から隅まで探ってみても、一向にキーケースは出てきません。軽いパニックに陥りながらも、彼女は鞄の中、スーツのポケットの中など、およそ考え付く全ての所を探しました。
「・・・ない・・・」
 落としたのか、会社に忘れてきたのか。
 泣きたい気持ちになりながら、そこで彼女はふと思いました。

 遅刻寸前だった朝。部屋から慌てて飛び出した自分は、鍵を掛けてきただろうか、と。

 鍵を探すばかりで、全く触っていなかったドアノブに手をかけると、万が一の事を考えて彼女はなるべく音を立てないようにそっと捻りました。
「開・・・いた」
 喜んだのも束の間、開いた玄関のドアの隙間からは、何故か部屋の明かりが見えました。慌てていたとはいえ、流石に電気を消し忘れるはずがありません。となれば、後は。
(ど、泥棒?!)
 彼女の背中を嫌な汗が伝います。泥棒か、変質者か、どちらにせよ危険なのには変わりありませんが、こうしていつまでも玄関に突っ立っているわけにもいきません。
 覚悟を決めると、いつでも警察に通報出来るよう、彼女は鞄から携帯電話を取り出しぎゅっと握り締めました。

 忍び足で廊下を進み、リビングと廊下を仕切るドアの前に立ちます。
「・・・・・・」
 彼女の身に、緊張が走ります。深く深呼吸した後、えいやっ、と一気にドアを開きました。


「・・・・・・・・・・・・・え」
 口をついて出たのは、そんな間抜けな台詞でした。
 リビングの床にだららんと転がっているのは、どうみてもクマです。毛並みは茶色く、触るといかにも気持ちよさそうで、耳と尻尾は、ぼた餅の様にまんまるでした。そして、何故だか背中の真ん中を背骨に沿うようにしてチャックがついていました。
 一瞬、何故クマが居るのか、という疑問よりも「触ってみたい」という感情が勝りかけた彼女は、慌てて首を左右にぶんぶんと振りました。

 今はそんな暢気な事を考えている場合ではありません。

「あ、あの・・・何やってるんです?ここ、私の家・・・なんですけど」
「ん?」
 のんびりとした声(ちなみに明らかに人間の声です)が部屋に響きました。それに驚く暇を与えず、クマは彼女の方を振り向きました。
「!!!」
 あまりの衝撃に、彼女は息を飲みます。
 既に分かりきってはいたことですが、クマは思いっきり人間の顔をしていました。正確には、人間がクマの着ぐるみを着ているのです。クマの顔の真ん中が丸く切り取られた格好で、其処から成人男子の顔が覗いています。
「・・・・えーと」
 軽くこめかみを押さえ、これはどうしたものかと考え込む彼女の機先を制すようにして、クマは不意に立ち上がりました。やはり背が高く、女性にしてはかなり身長がある方の彼女でさえ、そのクマと目を合わせる為には視線を持ち上げる必要がありました。
 びくりと身体を強張らせる彼女へ向かって、クマは軽く片手を挙げると、

「・・・・どうもフラックマです。まあごゆるりと」
 不敵な笑みを浮かべ、のたまいました。



「ごゆるりと、って言われましてもですね」
 だからそもそも此処、私の家な訳で・・・。
 とりあえず買ってきた食材を冷蔵庫に仕舞ってしまうと、彼女は再び床でだららんと転がっているクマ――本人(本クマ)曰く、『フラックマ』に向かって話しかけました。
「まあよいではありませんか」
「良くないです」
 にか、と歯を出して笑うフラックマに向かって、彼女はきっぱりと言い放ちます。鍵が開いてる家に勝手に上がりこんでいたクマを、一体誰が歓迎するというのでしょう。
 それに。
「大体、何でお煎餅勝手に食べてるんですか」
 楽しみにしてたのに。
 深い溜息をついて、彼女は既に開封され、ほとんど中身が残っていないお煎餅の袋を指差しました。それは老舗のお煎餅屋さんのもので、彼女の数少ない大好物の1つだったのです。

「・・・・・・・」
 お煎餅の事を思い出し、彼女は思わず怒りを引っ込めしょんぼりと肩を落としました。そんな彼女をしばらく見つめていたフラックマは、無言で手に持っていたお煎餅(最後の一枚です)をぱきん、と音を立てて半分に割りました。
「よければどうぞ」
 まるっころい手で、彼女の顔近くにお煎餅をすっと差し出しました。
「・・・・だから、そもそも私のですってば」
 ふう、と息を吐き出しながらも、彼女はそれを素直に受け取ります。彼女が一口お煎餅を齧ったのを確認してから、フラックマも持ったままだったお煎餅をぽりぽりと食べ始めました。

 テレビの電源が入っていない為にいつもより静かな部屋に、2人分の「ぽりぽり」という音が響きます。1人と違って不規則に響くそれは、心地よいリズムにも聞こえました。

(なんか・・・こういうの久しぶりかもしれない・・・・)
 2人で半分こ、なんてやったのは何時以来でしょう。ささくれ立った心はいつの間にかすっかり消え、代わりに懐かしく、ほっこり温かいものが彼女の胸の中にじんわりと広がっていきます。
 くす、と思わず彼女の口からは笑みがこぼれました。
「・・・ねえフラックマさん」
「?」
 手に持っていたお煎餅を全て口の中に放り込み、もごもごと口を動かしていたフラックマは彼女の声に、軽く首を傾げました。
 ぼんやりと天井に向けていた視線を彼女の方に向ければ、さっきまで眉間に皺を寄せており、堅かった表情が随分と柔らかくなっていました。
「どうしたんですか?」
「・・・・行くとこないなら、ウチに居ていいですよ?」
 優しく響いたその声に、フラックマは嬉しそうに、にか、と笑いました。


 こうして、彼女と奇妙なクマとの同居が始まったのでした。


「・・・・・・私、マリューっていうんですけど、フラックマさんの本名は?」
「ム・・・ま、まあよいではありませんか!」
「なんか言葉遣い、作ってません?」


本家本元のリ○ックマにも負けない、このフラックマの癒し!(力説
読むと、本当に心がほっこりして「あ〜、想像するだけで癒されるぅ」って思いました。
いやマジでこれは『ふぁんたじー』ですよ!
続きが本当に楽しみです。
高崎さま、半ば強奪状態で頂いてしまいましたが、快く許可して頂きましてありがとうございました!



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