私とあなたと子犬とみんな


 なんとなく、うずうずした気持ちをマリューが持ち始めたのは、2人でマルキオ導師の孤児院を訪問してからだった。

 マルキオ導師に、カガリからの伝言を伝えたムウとマリューは、カリダに誘われてティータイムを過ごしていた。
 そんな穏やかな時間に、子供たちが青空の下で走り回っている様子を、笑みを浮かべながら眺めていたムウが「お?」と小さく声をあげた。
「どうしたの?」
 ティーカップを手にしながらカリダと談笑していたマリューが、不思議に思いムウに声を掛けた。
「いつの間に小さいのが増えたんだ?」
 ほら、あそこ……と言いながらムウが見ている方に、マリューも視線を移す。
 するとそこには、子供達と一緒に走り回る、茶色い小さな子犬の姿があった。
「あら、子犬?」
 瞬きをしながらその様子を見つめていたマリューに、カリダは「えぇ、あの子達が拾ってきたんですよ」と笑って答える。

 カリダの話によると、それは1週間程前の事だと言う。
 子供たちが学校から帰って来る途中、通学路横にある公園のゴミ箱横に、ガムテープで封をされた段ボール箱が置いてあった。
 いつもならば、そのまま気付かずに行過ぎてしまうのだが、子供達のうちの1人が「あのダンボール、なんか動いた」と気付いたのが事の始まり。
 最初は「そんな訳ないだろ」と思っていた子供達だったが、それでも気になり近付いてみたところ、中から「キャンキャン」という小さな声が聞こえたのだ。
 いつもマルキオ導師から「命はどんな小さなものでも、その重さは同じです」と教えられている子供達は、迷う事なくその子犬を抱えて帰宅した。

「最初は、私も驚いたんですけどね。でも、誰かの傲慢で捨てられてしまった命を救う事の大切さを、あの子達は知っているんです」
 カリダは微笑みながら、視線を庭を駆け回る子供達から2人の方へ戻す。
「何にでも、命は1つ……だもんな」
 フッと遠くを見つめるように、ムウが呟く。
「子供達も、そう言って私達に迫ったんですよ」
 クスクスと笑いながら、カリダはカップの紅茶に口をつける。
「それで、ここで飼う事になったんですね」
 両手でティーカップを包み込むようにして持っていたマリューが、納得した笑みを浮かべると「えぇ、そうなんです」とカリダも笑顔を返した。
「まぁ、小さな命を育てて行くっていう事が、子供達の情操教育にもなるんじゃない?」
 ムウはそう言うと、お皿の上のクッキーをポイッと口に放り込み、微笑みながら再びその視線を庭先へと向けた。

 彼らの視線の先で元気に走り回る子供達が、代わる代わる「マリー、おいで!」「こっちよ、マリー!」と声をあげている。
 それを聞いたマリューは「マリーって言うんですか?」とカリダの方を振り返った。
「本当は『マリン』だったんですけどね」
「マリンなのにマリー?」
 不思議に思ったムウがそう訊ねると、名付けの一部始終もカリダが話してくれた。

 拾ってきた茶色い子犬が雌だった事、そして拾われた場所が『マリンサイド・パーク』だった事もあり、全員の意見が一致して『マリン』という名になったそうだ。
 だが、子供達が大声で『マリーン』と、叫ぶように子犬を呼び始め、いつしか気づくと『マリン』が『マリー』になってしまっていたのだ。

「『マリン』でも『マリー』でも、女の子らしい名前ですからね」
 そう言いながら微笑むカリダは、子供達と走り回る子犬の姿を優しい眼差しで見つめている。
「なんだか、いいわねぇ〜」
 目の前の様子を微笑みながら眺めていたマリューは、そんな事をポツリと漏らしていた。


 それから数日たったある日。

 アークエンジェルの整備で、モルゲンレーテのドックを訪れていたマリューが、工廠の片隅で微かに動く小さな影を見つけた。
「気のせいかしら?」
 不思議に思ったマリューは、機材が積まれたコンテナが置いてある搬入口に近付いて行く。
 すると、微かにではあるのだが「キューン」という、小さな声が聞こえることに気付いた。
「やっぱり、何かいるわ」
 そう確信したマリューはその場にしゃがみ込むと、コンテナと壁の間を覗いてみる。
 すると予想通り、その隙間の奥でベージュ色のモコモコした小さな塊が微かに震えているのがはっきりと見えた。
「おいで……」
 あれは子犬だと直感的に思ったマリューは、小さな声で呼んでみるが、怯えた様子でキューンと泣くばかり。
 助けてあげたいけど、この隙間に入れるかしら?と、マリューが思案していた時だった。
「艦長……こんな所で、何してんですかい?」
 突然背後からマードックに声を掛けられ、マリューは驚いて振り返った。
「あ、あのコンテナの後ろに、子犬が……」
 えぇ?どれどれ……と言いながら、マードックもその隙間に視線を合わす。
「あぁ、本当ですなぁ。……でも、あの位置だと、ワシの手も届かないかぁ」
 う〜ん、と腕組みをしながらマードックが首を傾げる。
「なんとかしてあげたいんですけど……」
 困った様子でそう呟くマリューに、マードックは何か方法が無いものかと考え始めた。

 その時だ。
「あ〜っ艦長!何処かと思ったら、ここだったんですね」
「ミリアリアさん!」
 ファイルをいくつも抱えたミリアリアが、2人の後ろから小走りにやって来た。
「どうしたんですか?こんなところでしゃがみ込まれて……」
 首を傾げながら聞いてくるミリアリアに、マリューは子犬の存在を手短に説明する。

 ミリアリアは言われた通り隙間を覗くと、すぐさま「ちょっと持ってて下さい」と山のようなファイルをマードックに押し付ける。
「おいおいお嬢ちゃん、どうするんだ?」
 慌ててファイルを抱きかかえたマードックが驚いて問い掛けると「捕まえますから」とニッコリ微笑む。
「この隙間、私だったら入れそうですし。あ、艦長は反対側で待ってて下さい。私がこちら側から子犬に近付きますから」
 ミリアリアは、そう言い終わらないうちに壁とコンテナの隙間に細い身体を滑り込ませた。
「え?ミリアリアさん?!」「大丈夫です。このまま向こう側まで行けそうですから、待ってて下さい」
 慌てて彼女を止めようとしたマリューが、逆に改めて指示されてしまう。
 ここはミリアリアに任せてみようと思ったマリューは、大慌てで彼女に指示された場所に走った。
「ほら、おいで」
 狭い隙間の中で、ミリアリアは周りに注意しながら身を屈めると、丸くなって少し震えている子犬の首を撫でてやる。
 するとその子犬は、震えながらも頭を上げて、青みがかった瞳でミリアリアを見つめた。
「大丈夫だから」とその子犬に微笑みかけながら胸元に抱き上げると、ゆっくりとマリューの待っている方へ足を進めた。

 横歩きのまま壁の隙間から出てきたミリアリアの腕に、ベージュ色の子犬が抱かれているのを見たマリューは「良かった」とホッとした表情になる。
 プードルの血でも混ざっているのか、その少し長めの体毛には柔らかくウェーブがかかっており、まるで縫いぐるみのような愛らしさだ。
「ミリアリアさん、大丈夫?」
「えぇ、私は大丈夫です」
 ミリアリアは微笑みながらそう言うと、子犬を抱いたままマリューの目の前までやって来る。
「あっ……この子、後ろ足を怪我してるわ!」
 そんなマリューの目に留まったのは、子犬の左後ろ足にこびり付いている、赤い血の塊。
「じゃあ、早く病院に行かないと」
 近くにいい動物病院ありますから……と、ミリアリアが言うと、マリューが「私も一緒に行くわ」と二人で走り出した。
「連れて行くなら、このタオルに包んで行って下せぇ。制服が汚れちまいますわぁ」
 ファイルを抱えたままだったマードックが、慌ててポケットに突っ込んでいた真新しいタオルをマリューの方に向かって投げる。
 ふわりと宙を舞ったそれを見事にキャッチしたマリューは「ごめんなさいね」と言うと、受け取ったばかりのタオルで子犬を包み、自分の胸に抱き上げた。
「それじゃあ、後はよろしくお願いします!」
 マリューは子犬を抱えたまま振り返って、そうマードックに告げると「気をつけておくんなさいや」という声が返ってくる。
 それに「えぇ、ありがとう」と短く答えると、ミリアリアに先導されるように、駐車場へと走って行った。


 ミリアリアが運転するエレカで工廠近くの動物病院に着いた2人は、すぐに子犬の診察をしてもらう事ができた。
 診察の結果、幸いにも傷口は浅く、1週間もあれば治るだろうと言われた。

「それで、この子はいわゆる……野良犬なんですよね?」
 子犬の後ろ足に包帯を巻いていた獣医が、2人を見るとそう訊ねる。
「えぇ、施設内に迷い込んだみたいで……」
 そう答えるマリューに、獣医は再び問い掛けた。
「誰か、怪我をしたこの子の面倒を見られる方はいらっしゃいますか?」
 そう訊かれたマリューとミリアリアは、二人で顔を見合わせる。
「……私の住んでるアパート、ペット禁止なんです」
 困った顔で先に口を開いたのはミリアリア。
「私は一軒家だから、飼えない事もないんだけど……明日は私もフラガ一佐も夜勤なのよね……」
 2人はそう言うと、ほぼ同時に小さなため息を付く。
「でしたら、とりあえず2〜3日、こちらで面倒をみましょうか?」
 傷口が浅いとは言っても数時間放置していた訳ですから、もしかしたら傷口が化膿して発熱する事も考えられますし……包帯を巻き終わった獣医が、子犬の頭を撫でながらそう告げる。
「え?よろしいのですか?」
 驚いたマリューが、確認しようと訊ねると「お2人とも軍の方ですから、時間も不規則でしょう?」と獣医が微笑む。
「ただし……」「え?」
 ニッコリと微笑んだ獣医が、何やら交換条件を提示するような口ぶりを見せた。
「せっかく救った命ですから、この子の飼い主を探してやって下さい」
「飼い主ですか?」
 ミリアリアの問いかけに、獣医が「えぇ」と答える。
「分かりました。この子の飼い主を探しますので、それまでの間、お願いします」
 2人同時に頭を下げると、獣医が「分かりました」と再び微笑んだ。


 軍の本部に戻った2人は、それから時間を見つけては、あの子犬を飼ってくれる人物がいないものかと捜し歩いた。
 最初に声を掛けたノイマンやチャンドラは、ミリアリアと同じくペット禁止のアパートに住んでいる為に無理だと言われ、マードックにも同じ理由で断られた。

「ミリアリアさん、そちらはどう?」
 昼食時に、マリューからそう訊ねられたミリアリアは、ふるふると首を横に振ると「なかなか、難しいですよね」とため息をつく。
「私の方も、見つからないわ……」
 訊ねた本人であるマリューも、小さくため息をついた。
「あの子犬の写真入りで、チラシでも作れたらいいんですけど……」
 せっかく写真も撮ったのになぁ〜と、器の中のサラダをつつきながら、ミリアリアが呟く。
「でも、軍の施設内ではそういったチラシは貼る事が出来ないですものね」
 マリューの答えにミリアリアも「そうですよねぇ」と再びため息をつくしかなかった。
「とりあえず、帰ったらムウと相談してみるわ」
 でも、期待しないでね……と苦笑しながら話すマリューに、ミリアリアも「私も他の人を当たってみます」と笑みを向けた。

 その夜。
 夕食を食べながら、マリューは子犬の話をムウに切り出すことにした。

「ねぇ、ムウ……」「ん?どうした?」
 いつもとは違う、少し遠慮したような様子のマリューに、ムウは小首をかしげながら彼女を見つめる。
 すると、エプロンのポケットから1枚の写真を取り出すと、それをムウの前に差し出す。
「何、この子犬がどうかしたのか?」
 なんだか、むくむくした縫いぐるみみたいだな……と言いながら、その写真を手に取った。
「実は、今朝なんですけど……アークエンジェルのドック近くに、その子が迷い込んでいたんです」
「何?ドックにドックが迷い込んでたってか?」
 言った本人であるムウが途端に笑い始めて、思わずマリューも吹き出してしまう。
「もうっ!そんなオヤジギャグ言ってないで、私の話を聞いて下さい!」
 少しだけ睨むようにしてマリューが言うと、ムウも「あははは、ごめんごめん」と謝る。
「ミリアリアさんがこの子を助けてくれたんですけど、後ろ足に怪我をしていたんです」
 と、それからの経緯を、マリューは細かくムウに説明し始めた。

「じゃあ、今は動物病院で預かってもらってる訳か」
 ムウはそう言いながら、手にしていたガーリックトーストを口にする。
「えぇ、それでみんなに聞いてみたんですけど……」
 マリューが挙げた人物の名前を聞いたムウは「みんなアパートやマンション暮らしだから、やっぱ無理だったろ」と答える。
「それで……ウチで飼えないかしらって思って……」
 マリューが上目遣いで切り出した問い掛けに、ムウは椅子にもたれて腕を組み「う〜ん」と唸った。
「まぁ、俺も動物はキライじゃないし、小さい頃には大型犬を飼ってた事もあったよ。……ってか、飼いたいんだろ?」
 そのムウの答えに、マリューの顔が一瞬明るくなるが「でも……」という言葉にドキリとする。
「ペットを飼うって事は、俺達がちゃんと責任を持たなきゃならない」
「えぇ」
 ムウの言葉に、マリューは即座に返事をする。が、ムウは「それで……だ」と一呼吸置いて、再び口を開いた。
「特に犬ってのは、毎日散歩もしなきゃならないだろ。もちろん、毎日食事も与えなきゃならないしな」
 ムウはマリューを真っ直ぐ見つめて、そう話す。
「……分かってるわ……」
 マリューのその答えにムウは「今の俺達に、その世話が出来るか?って事だよ」と少し寂しげな笑顔を見せて、言葉を続ける。
「ほら、明日だって、俺達は揃って夜勤だろ?昼過ぎから2人とも出かけてしまうと、この家には小さな子犬1匹になっちまう。」
 ムウはそう言うと肩をすくめて、両肘をテーブルにつき、両手を組み合わせる。
「不規則な仕事をしてる俺達にとって、この子犬の面倒をちゃんとみてやるって事は、かなり難しいんじゃないのかな?」
 やはり、予想通りの答えが返って来てマリューは「やっぱり、そうよね」とため息をつく。
「でもさ、これだけ可愛らしい子犬だから、きっと飼ってくれる人が見つかるよ」
 ムウはそう言いながら、しゅんとしょげているマリューの肩を叩く。
「えぇ、いい里親を探しましょ」
 寂しげな笑顔ではあったが、マリューも納得したように答えると、ムウも「俺も手伝うからさ」と約束をするのだった。