ムウの自宅であるアパートにたどり着いたマリューは、彼が鍵を開けている真後ろで少しドキドキしていた。
 心臓の音がムウに聞こえるんじゃないかと思う程……。
 その時、ガチャリという音が響き、ゆっくりとドアが開けられる。
「そんなに広い部屋じゃないけど、どうぞ」「……お邪魔します」
 玄関先の靴を揃え、差し出された赤いスリッパに足を入れる。

 広くないと言われたものの、1人暮らしにしては広い部屋だとマリューは思う。
 玄関脇には、小さいながらもそれなりのダイニングキッチンがあり、その真ん中にはガラスのテーブルセットが置いてある。
 開け放たれたままだった隣の部屋には、テレビやオーディオセットが置かれ、窓際にはセミダブルらしいベッドがあった。
 そのベッドに目が行った途端、マリューは急に恥ずかしくなった。
 ど、どうしよう……フラガさんの部屋に入っちゃった……そんな事を思いながら玄関先で突っ立っていると、スーツの上着を脱いだムウがマリューに近付いてきた。
「良かったら、そこに座ってて。今から食事の準備するから」
「は、はぃ……」
 ネクタイを外し、シャツの首元を緩めたムウが腕まくりをしながらマリューをテーブルの方へと連れて行く。
 そこにはすでに、2組のランチョンマットとグラスや食器が並べられている。
 赤いランチョンマット側の椅子にマリューが座ったのを確認したムウは「あ、テレビとか勝手に付けててくれて構わないから」と言いながら、コンロのスイッチを入れた。

 そのまま座っているだけの状態になんとなく落ち着かないマリューは、1人で台所に立ったムウの後ろ姿に、何か手伝う事がないかと思い声を掛けた。
「何かお手伝いしましょうか?」
 そう問い掛けられたムウはマリューの方を振り返ると「いや、マリューさんは座ってて。俺が全部1人でやりたいから」とニッコリと微笑む。
「はぁ……」何か拍子抜けしたマリューはテレビを点ける気にもならず、先程買ってもらったばかりのガイドブックを読み始めた。

 ペラペラとページを捲りながら読んでいると、マリューの鼻腔をかぐわしい香りがくすぐった。
 この香りは……カレーかしら?……と思ったマリューは、再びムウの背中を見つめる。
 そして鼻歌交じりで鍋の中身をグルグルとかき混ぜながら、時々味見をしている彼の姿にクスッと笑みを漏らす。 
 そして視線を元のガイドブックに戻すと、香りに誘われて空腹感を感じ始めた自分に苦笑した。

 しばらくして「おまたせ」という声が頭上から降ってきて、マリューはガイドブックから顔を上げる。
 すると、両手に白いカレー皿を持ったムウと視線が交わった。
「あ、ありがとうございます」
 そう言いながら、マリューは広げていたガイドブックを閉じて、自分の足元のバッグの中に慌てて片付ける。
 と同時に、ムウはかぐわしい香りを放つ皿の片方を「どうぞ」と、マリューの目の前に差し出す。
 それをランチョンマットの上に置くとキッチンへ向かい、今度はガラスボウルに入れられたカラフルなサラダを持って戻って来た。
「洗って付け合せただけのサラダだけど」
 ムウはそう苦笑しながらドレッシングと共にテーブルの真ん中に置き、今度は冷蔵庫からミネラルウォーターのボトルを取り出す。
「でも、それは昨日から煮込んでおいたんだよ」
 少し恥ずかしそうにそう告白するムウに、マリューは「えっ?昨日から仕込んでいたんですか?」と驚きの声を上げ、目の前の白い皿を見つめた。

 その皿からは確かにカレーの香りがするのだが、その色はクリームシチューのように白い。
「あの、これ……カレーですよね?」
 不思議に思ったマリューが、思わずそう訊ねた。
「コレ、ホワイトカレーって言うんだよ」
 そう言いながら、彼女の向かい側に腰を下ろしたムウは、それぞれのグラスにミネラルウォーターを注ぐ。
「とは言ってもコレ、実は<オアシス>のマスターに教えてもらったんだけどな」
 再び苦笑しながら「冷めないうちに、どーぞ」と、ムウは笑顔でマリューに勧めた。
「じゃあ、いただきます」
 マリューは両手を合わせてそう言うと、白いカレーを口に運ぶ。
「……どう、かな?」
 自らもその手にスプーンを握ったムウが、カレーを頬張ったマリューの様子を恐る恐ると言った様子で見ている。
「すっごくまろやかで……美味しい!」
 程よい辛さが舌を刺激した後、まろやかな甘さが口の中いっぱいに広がっていた。
「ホントに?!」「えぇ、本当です」
 身を乗り出してマリューの言葉を聞いていたムウは、彼女の言葉に思わず大きな溜息を吐き出す。
「マリューさんに喜んでもらえたらのなら良かったぁ〜。努力した甲斐があったよ」
 嬉しそうにそう言うと、ムウもカレーをその口に運んだ。
「ん、上出来だな」
 もぐもぐと口を動かしながらムウがそう言うと「自画自賛ですか?」と、思わずマリューが笑う。
「え、いいじゃん。自分でも美味しく出来たって思ったんだからさ」
 そう言いながら幸せそうな笑顔を浮かべるムウに、マリューは「はいはい」と、思わず苦笑を返していた。


「ごちそうさまでした」
 マリューが、目の前に座るムウにそう告げると「お粗末さまでした」と笑いながら、空になったグラスにミネラルウォーターを注ぐ。
「ホワイトカレーって、初めてでしたわ」
 注がれたミネラルウォーターのグラスを手に取りながらそう答えると、ムウも「実は初めて作ったんだよ」と呟く。
「えっ?そうなんですか?」
 グラスの水に口を付けていたマリューは、驚いて問い返した。
「普通のカレーはよく作るんだけど、ホワイトカレーは初めて」
 でも、良く出来たと思うんだけど……どうだった?と、ムウは笑っている。
「本当に美味しかったですわ。また、お願いしますね」
 うふふふと笑いながら言うマリューに「はい、かしこまりました」とムウも笑顔を返した。

 その時、インターホンのチャイムが部屋に響いた。
「あ、ちょっと待ってて」「はい」
 ムウはそうマリューに声を掛けると、壁に備え付けられている受話器を取る。
「はい……あ、どうも。……今、開けますから」
 受話器越しの相手の声は、マリューの元までは届かない。
 来客だったら、私は帰った方が良さそうね……そう思ったマリューは、いつでも帰れるようにとバッグを引き寄せ、椅子の背もたれに掛けてあった上着も手にした。
 そして、ムウが開けた玄関の方をチラリと見る。
「ムウ・ラ・フラガ様ですね」「えぇ、そうです」
 彼の背中越しに見えたのは、見慣れた宅配業者の制服。
 少しホッとしたマリューは、再び上着を背もたれに掛け直していた。
「こちらにサインをお願いします」「……はい、これでいいかな?」
 宅配業者から借りたボールペンを返すと、逆に発泡スチロールの箱を手渡される。
「ではこちらになりますので。ありがとうございました〜!」「ご苦労様」
 そう頭を下げて走り去っていく宅配業者の姿を見送る事も無く、ムウはいそいそと玄関を閉めた。

「時間通りだな」「えっ?何がですか?」
 嬉しそうな表情でその箱を大事そうに抱えたまま、ムウはテーブルに戻ってくる。
「っと、先にこの上を片付けないと」
 テーブルの上にまだ食器が置かれたままだった事に気付いたムウは、白い箱をキッチンの片隅に置くと、カレー皿やガラスボウルを片付け始める。
「あ、私も手伝います」
 そう言いながら、マリューもグラスに手を伸ばした。
「いや、今日はマリューさんはお客さんなんだから、座ってて」
 そう言うと、片手にカレー皿とガラスボウルを持ち、もう片方の手で器用に2つのグラスを持ち上げるとそれをキッチンまで運んでいく。
 そして、新しい皿とフォークを持ってテーブルに戻って来る。
「あぁ、コーヒーがいい?それとも紅茶?」
 ムウはテーブルに皿を置きながらマリューにそう訊ねると、今届いたばかりの発泡スチロールの箱も持って来た。
「え〜っと、紅茶で……って、それは何ですか?」
 ムウの質問に答えながらも、マリューは目の前の大きな箱が気になっていた。
 そんな彼女の質問に、ムウは「ちょっと待っててよ」と笑うと箱の蓋を開けて、中から赤いリボンのかけられた一回り小さい箱を取り出した。
 それをテーブルの真ん中に置くと、リボンを解き蓋を開ける。
「一緒に食べようと思って」
「……これって、ネット注文限定のシフォンケーキ?!」
 その蓋の下から姿を現した真っ白なケーキは、超有名店の限定品。
「……実はさ、俺1人でケーキを買いに行くの、ちょっと恥ずかしくてさ」「えっ?!」
 ムウは恥ずかしそうにそう言うと「紅茶、淹れてくるよ」とそそくさと席を立つ。
「あのっ……もしかして、このケーキ……私の為にですか?」
 キッチンに立っているムウの背中に、マリューは問い掛ける。
「ん……マリューさんと一緒に食べたくてさ」
 琥珀色の液体が入ったガラスのポットとカップを乗せたトレイを手にしたムウが、それらをテーブルに置きながら答える。
「じゃなきゃ、ネット使ってまで注文しないよ……有名店のケーキ」
 そう言いながら手際よく紅茶をカップに注ぐ。
「コレ、一度食べてみたかったの!」
 ありがとうございます!と嬉しそうにケーキと自分の顔を交互に見つめるマリューに微笑みかけながら、ムウは手早くケーキを切り分け「どうぞ」と彼女の前に置いた。
「いただきます!」
 嬉しそうに微笑んだマリューは、シフォンケーキを口にする。
 フワフワなスポンジと甘すぎない生クリームが、彼女の口の中でとろけていく。
「美味しいっ!」
 はぁ〜、幸せだわぁ〜と目を細めながら次々とケーキを頬張るマリューを、ムウは嬉しそうに見つめていた。
 マリューさんの幸せそうな顔が見られる事が、俺の幸せだなぁ……と思いながら。


 取り留めの無い話をしてはお互いに笑いあっていたのだが、時間が9時を過ぎた事に気付いたムウに促されて、今マリューは彼の車の助手席に座っている。
「車、持ってらしたんですね」
「ん、まあね」
 そう言えば、そんな話をした事がなかったのかもしれないな……と思いながら、ムウはハンドルを左に切った。
「でも、乗るのは休みの日ぐらいだよ……気晴らしに、1人でドライブってやつ」
 そう苦笑しながら呟いたムウに、マリューは「そうなんですか」と相槌を打つ。
「でも、私は免許を持っていても、車ありませんから」
 ちょっと羨ましいですわ……そう言いながらマリューは前を見据えて運転しているムウの横顔に微笑みかける。
「んじゃあさ……今度の休日にでも、ドライブに行かない?」
 ドライブと聞いて、一瞬マリューが「え?」と不思議そうな声を出した。
「……デートのお誘いなんだけど……ダメかな?」
 驚いた声のマリューに、ムウは少し躊躇しながらそう告げる。無論、運転中なので正面を向いたままであるが……。
「あのっ……よ、喜んで……」「よかったぁ〜」
 多分マリューは、真っ赤な顔でそう答えているのだろう……と思いながら、彼女のOKという答えにホッとしていた。

 一度だけ来た場所であるマリューのアパートに、ムウはすんなりと到着した。
 サイドブレーキを引き、ヘッドライトを落とした車中でマリューはシートベルトを外しながらムウに礼を述べる。
「今日は、ありがとうございました」
「いいえ、大した事してないから」
 ムウは少し恥ずかしげに頭をボリボリと掻きながら、そう答える。
 そんな彼の様子に少し笑みを浮かべたマリューが「また、手料理食べさせて下さいね」と告げる。
「ぇっ?……あっ?ま、また……来てくれるの?」
 彼女の言葉に動揺したムウは、しどろもどろに聞き返す。
「今度は、私の手料理も食べてもらいたいですし」
 ニッコリ微笑んだマリューは、驚いた表情でこちらを見つめているムウの、その右頬にキスをする。
「……マ、マリューさん?!」
「お、おやすみなさいっっ!」
 ムウの裏返った声で、自分がとんでもなく大胆な行動をした事に気付いたマリューは、大慌てで車を降りると、そのままアパートの階段を駆け上がっていた。
 カンカンカンというマリューの足音で我に返ったムウは「お、おやすみ!」と、その後姿に声を掛ける。
 そして2階に駆け上がったマリューが、こちらを振り返ってペコリと頭を下げるのを見たムウは車中から手を振り、ドキドキしたまま車のエンジンをかけたのだった。


書いて1年間放置していたお話ですので、時間の流れが少し微妙です(苦笑)
そんな訳で、昨年のバレンタインのアンサー……ホワイトデーのお話になります。
なんとなく『白』にこだわるムウさんを書いてみたかったのですが、どうでしょうか?

あ、ちなみに……カレー鍋をかき混ぜている時の鼻歌は「ニンジン、ジャガイモ、ターマネギ♪」(byク○ル)でいかがでしょうか?(爆)

欲しい方がいらっしゃったら、お申し出下さいませ。
……って、いるのかなぁ?(苦笑)


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