真っ白な気持ちを
デスクの上に無造作に置かれた携帯が、突然ブルブルと静かな振動を響かせる。
その音に気付いたマリューはパソコンの画面から視線を引き剥がし、その携帯を手に取った。
「ぁっ……」
開いた画面に表示されたのは、ムウからのメールを知らせる文字。
仕事中にメールをしてくるなんて珍しいわ……そんな事を思いながら、マリューはメールを開いた。
『お疲れ様。仕事中にメールして申し訳ない。
突然だけど……14日の夜って、時間空いてるかな?
=== ムウ ===』
14日の夜……まぁ、確かに何も予定は入っていないわね。
って、何かあるのかしら?
そんな事を思いながらマリューはメールの返信ボタンを押した。
『そちらこそお疲れ様。
14日の夜は、特に何もないけど……
どうかしたの?
マリュー』
メールが送信された事を確認したマリューは、ふぅっと小さく溜息をつくと携帯の画面を閉じる。
それを再びデスクの上に戻すと、作業途中だったパソコンのデータに思考を戻した。
そのままムウからのメールが届かぬまま、お昼の時刻を告げる鐘が鳴る。
「とりあえず、お昼にしようかしら」
そう呟いたマリューは財布と携帯を入れたポーチを手にすると、目の前のミリアリアと一緒に社員食堂に向かうことにした。
ランチのプレートを手にした2人は、窓際の席でそれを口にしていた。
その時、テーブルの上に置いてあったポーチの中から、携帯がブルブルと振動する音が聞こえる。
ムウからのメールだと悟ったマリューは、手にしていたフォークを置くと携帯の画面を開いた。
そこには予想通り、ムウからのメールが表示されている。
『連絡遅くなってゴメン。
マリューさん、今日はBランチだよね?
あ、そうそう14日の事なんだけど、仕事が終わったら一緒に帰ろう。
この間のお返しで、君に手料理をご馳走してあげたいんだけど、どうかな?
=== ムウ ===』
その文章を目で追っていたマリューは「えっ?!」と驚いた声を上げたと思うと、突然キョロキョロと周りを見渡す。
すると、同じ列の3つ程はなれたテーブルから、コチラを見ているムウの姿を発見した。
マリューの視線に気付いたムウは、周囲の目を気にしながらではあったが、ニコリと微笑を返す。
そんな彼の行為に思わず顔を赤らめたマリューは、慌ててメールの返信ボタンを押す。
『あの、手料理ってどういう事なんです?
それより、あまり会社で目立ったアイコンタクトしないで下さい。
恥ずかしいです…… マリュー』
メールを送り終わったマリューは、横目でチラリと相手を見やると、今、まさに送られてきたばかりのメールを確認する為に、ムウは手元の携帯を開いていた。
「マリューさん、どうしたんですか?」
「えっっ?!あ、な……何でもないわ」
左手で捲っていた雑誌から顔を上げたミリアリアが、目の前のランチにも手を付けずに横を向いているマリューに声を掛けた。
その慌てぶりを不信に思ったミリアリアは、マリューが先程まで見ていた方に視線を向ける。
「……もしかして、フラガ主任と同じテーブルの方が良かったですか?」
その視線の先にいた金髪の人物に気付いた彼女が、マリューにだけ聞こえるような小声でそう訊ねた。
「ちょっと、ミリアリアさんっっ!」「冗談ですって〜」
あははっと笑うミリアリアに、マリューは少し赤くなりながらそれを否定しようとした。
その時、再びマリューの携帯にメールが着信する。
「あ、メール」
そう言うと、いそいそと携帯の画面を開けるマリューと、向こう側のテーブルから覗き込むようにしてこちらを見ているムウの姿と見比べたミリアリアは「あ〜、メールの相手はフラガ主任ね」と1人で納得していた。
『いや、この前のバレンタインのお返しなんだけど。
あの時、マリューさんの手作りクッキーとか、手料理食べさせてもらったからさ
今度は俺がマリューさんに手料理を食べさせてあげたいんだよね。
だから、俺ん家に来て貰えないかなって思って。
あ、もちろん泊まって欲しいとかそういう事じゃないから!
本当に、手料理をご馳走したいだけだから。
食事が終わったら、マリューさん家まで送るよ!
=== ムウ===』
「もぅ……」
メールを読み終わったマリューは、小さく溜息を付くと返信ボタンを押した。
『本当に私のアパートまで送ってくれるのでしたら
フラガさんの手料理をご馳走になりに行きますわ。
マリュー』
『約束する!
食事が終わったら、マリューさんを送って行くから心配しないで!!
じゃあ、14日の帰りにいつもの場所で待ってる。
=== ムウ ===』
『本当に約束ですからね!
では、フラガさんの手料理、楽しみにしています。
マリュー』
メールを送り終わったマリューは再び横目でチラリとムウを見ると、届いたばかりのメールに目を走らせている彼の姿を確認できた。
それを読み終わったムウが顔を上げ、マリューの方を振り返ると小さく親指を立てている。
まるで「任せておけ」と言わんばかりの笑顔で。
そんな2人の様子を見ていたミリアリアは「高校生カップルみたいだわ〜」と1人でクスクスと笑っていたのだった。
そして迎えた14日。
定時に仕事を終えたマリューは、いつもムウと待ち合わせをする大通りの本屋にやって来た。
広い店内の奥にある、旅行ガイドブックのコーナー。
ここが2人の待ち合わせ場所だ。
マリューがそのコーナーにやって来た時、まだムウの姿はそこにはなかった。
「遅れてるみたいね」
そう思ったマリューは、近くにあった大型テーマパークのガイドブックを手に取ると、それを立ち読みし始める。
……久しく、こんな所には行ってないわねぇ……と、そんな事を思いながらガイドブックを読みふけっていると、突然後ろから肩を叩かれる。
「……マリューさん……お待たせ」「ぁっ、お疲れ様です」
驚いて振り返ると、そこには走って来たらしいムウが、肩で軽く息をしながら立っていた。
「んじゃ、行きますか?」「あっ、待って」
さりげなくマリューの腕を取ったムウに、彼女は「コレ買ってくるから、少し待ってて下さい」と少し上目遣いで告げる。
「あ、じゃあ俺が払ってあげるよ」
そう言うが早いか、マリューの手からそのガイドブックを取り上げると、さっさとレジに向かってしまう。
「それくらい自分で払います!」
そう小声で言いながら、彼女は慌ててムウの後ろを追いかけた。
それから数分後、ムウが買ってくれたガイドブックを手にしたマリューが申し訳なさそうに「ありがとうございます」と何度も礼を述べていた。
「気にしないで。待たせちゃったお詫びだからさ」
ムウはそう言いながらマリューに微笑むと、彼女の手を優しく握る。
触れてきた暖かい手に、マリューは思わず頬を染めながらも、しっかりとそれを握り返す。
そんな彼女の反応を嬉しく思いながら、ムウは駅に向かって足を進めていた。