Innocent Love
恋愛なんて、ゲームだと思ってた。
今日の仕事も終わり、俺はデスクを片付けながら腕時計をチラリと見やる。約束の時間まで、まだ30分以上はあるな。
「お、なんだぁ。今日もデートかよ?」
そんな事を思っていると、後ろのデスクのハイネが、茶化したように声を掛けてきた。
「ん〜、まぁ……そんなトコかな?」
ちょっとだけ語尾を曖昧にしてそう笑いながら答えると、ハイネは「モテる男は辛いってか?」と、俺の肩をバシバシ叩く。
「そう言うお前だって、今日はデートなんだろ?秘書課のアビー嬢とさ」
お前のカレンダーに印付いてるぜ……と指摘してやると「俺はお前と違って、彼女一筋だからな」と、背広の襟を正す様子を見せた。
「ってかさ……お前、今現在、何人と付き合ってんだ?」
2人揃って廊下に出ると、小声でハイネが聞いてくる。それに俺は「今は2人だけだな……」と、無表情で答えてみる。
「……2人だけって……お前さ、それって普通に考えて二股だぜ」
はぁ〜……と、ヤツは溜息をつきながら俺にそう言う。……まぁ、毎度のお説教か……そう思った俺は「別にいいんだよ」と軽く答えた。
「って、良い訳ないだろ!二股掛けてんの相手にバレたらどーすんのさ?」
いつものように、少し怒った声で俺にまくし立てるハイネに、俺は「ん〜、2人とも知ってるからいいんだ」と、ニヤリと笑う。
「知ってるって?!」
鳩が豆鉄砲をくらった顔とは、こういう表情の事を言うんだろうな〜というような顔で、ヤツは俺に突っかかってくる。
「ジュリエットは、自分をフッた元彼に見せ付ける為に俺と付き合ってるだけだし。経理課のエリザは、俺と身体の相性がいいんだそうだ。まっ、俺が2人とそういう関係だって事、彼女達は知ってるんだよ」
「……なんだよ、それ……」
呆れて言葉も出ないよ……と嘆くハイネに、俺は更に自身の恋愛自論を聞かせてやった。
「ジュリエットは、見栄えのいい俺といるのを元彼に見せ付けて、仕返し気分味わってるし。俺は1人で飯を食うより、誰かと食った方が楽しいしな。エリザは、俺と寝る事がストレス解消みたいでな……まっ、俺も男として悪い気はしねーし」
「恋愛に、利害関係絡めてンのかよ……」「恋愛なんて、持ちつ持たれつ……だな」
そう言うと、ハイネは再び大きな溜息をついた。
「まあ、お前の過去に何があったか知らねーから、強くは言えないけどさ。……でも、そういう利害関係を無視した中に、本当の愛があるんだと思うぜ……俺はな」
アビーの為になら、見返りなんていらないな。自分が傷ついても、アイツを守りたいって思ってるからさ……ハイネはそう言うと「お前にもいつか、本気で守りたいヤツが現れるよ、きっと」と俺の肩をバシッと叩いた。
「さぁ……どうだろうね」
俺は軽く笑いながら答えると、ヤツは苦笑しながら「じゃあな」と、入り口で待っているアビー嬢の方へ走って行った。
昨晩も同じように、ジュリエットと腕を組んで駅前の煌びやかな通りを歩き、彼女の元彼が働いているというショップの前を通り過ぎる。
そして、その向かいの店で、わざと窓際の席に座り、仲睦まじい様子を演じながらディナーを共にした。
実際、ジュリエットは女性として悪くないと思う。顔はカワイイし、性格もおっとりしている。
そんな彼女が、泣いて怒って俺に訴えたのが、その元彼の話だ。
浮気されて、それが本気になって、そして彼女はフられた。
「だから、アイツを見返してやりたい」と言って泣いていた彼女に、俺は手を貸してやっただけ。
それ以上でも以下でもない。
3日前に一緒に寝たエリザも、ただそれだけの……まぁ、いわゆる身体だけの関係ってヤツだ。
その関係の間には、愛なんてものは存在しない。
無論、お互いにそれは承諾済みだ。
仕事のストレスを発散する為に、彼女は俺の所にやって来る。
「毎日数字ばかり見てると、人間の温もりを忘れてしまうの」と言っては俺に抱かれる。
彼女はただ、人の肌が恋しいだけ。
俺もまぁ……悪い気はしないし……な。
それが、昨日までの俺。
本気で人を愛する事に虚しさを感じていた俺……。
それから数週間経ったある日、新しいプロジェクトのチームに配属された俺は、1人の女性と出逢った。
「初めまして。企画開発課のマリュー・ラミアスです」
「営業課宣伝部のムウ・ラ・フラガだ。よろしく」
同じ会社にいても、彼女とは初めて言葉を交わした。まぁ、話には聞いた事……あったっけな?
あぁ、そうだ。確かハイネから聞いたよな……彼女に関する噂。
誰がアプローチしても誘いには乗らないらしい……とか。
いつも「今の私には、誰かとお付き合いする資格はありませんから」と、胸元のペンダントを握り締めて断るって言ってたな。
そんな事を心の片隅で思い出しながら、俺は握手をする為に手を差し出した。
柔らかそうな茶色い髪に、温かそうな褐色の瞳。人懐こそうな笑顔を浮かべて挨拶をする彼女に、俺は不覚にも見とれていた……らしい。
「……あの……どうかされましたか?」
柔らかい手で握り返しながら、そう彼女に問い返されて、俺は「あ……あぁ、すまない」と笑うしか出来なかった。
「美人さんだなぁ」と心の中で思いつつ、俺はその日から始まったプロジェクトに没頭する事になった。
俺達プロジェクトチームに与えられた期間は、さほど長くはない。
その間に、新しい商品の販売ルートや売り込み用のマニュアルを全てつくり上げなければならない。
毎日のように続く会議。普通の俺だったら、途中で息抜きをしたくなるのだが、何故か今回のプロジェクトは面白くて仕方ない。
まぁ、プロジェクトチームのメンバーに、仲のいいヤツが多く参加してるってのもあるんだろうけどな。
そんな今日も会議が長引き、気付けば夜の9時を廻っていた。
「とりあえず、マニュアルのプロットは、この形で一度作り直そう。そう言う事で、今日は終わりだ!」
チームリーダーのトダカ部長のその一言で、俺達はある種の軟禁状態からの脱出を許された。
「さすがに、お腹空きましたね」
そう、隣の席で苦笑していたのは、俺の後輩であるキラだ。
「んじゃ、一緒にメシ食って帰るか?」「あ、僕は……その、ラクスが待ってるんで……」
すみませんと、顔を赤くして頭を下げるキラを見て「あぁ、コイツは同棲してるんだった」という事を思い出す。
「そっか。じゃあ、気をつけて帰れよ」
俺がそう言うと「お先に失礼します」と頭を下げて、キラがそそくさと会議室から出て行った。
さて、今日は何も予定は入っていないし、駅の近くのラーメン屋でメシでも食って帰るか……と思いながら、机上の資料を自分の鞄に片付ける。
目の前にの円卓の上には、みんなが飲み散らかしたままの紙コップが散乱しているが、なんせ、そのメンバーのほとんどが男性で占められているチームだからな。
やっぱり、誰一人片付けようとはしないんだよなぁ〜。
仕方ない、俺が片付けておくか……そう思いつつ、俺は目の前に転がる白い紙コップを1つずつ拾って行く。
「あ……私が片付けますから」「え?」
その声で顔を上げると、そこで視線が交わったのは、あの女性……マリュー・ラミアスだ。
軽く屈んだ彼女のブラウスの襟元から、薔薇のレリーフのロケットがちらりと見えて、何故だか俺はドキリとする。
「いや、君1人で片付ける必要はないよ」「でも、このチームの女性は私だけですから」
さも当たり前のように微笑んで答える彼女に、俺はまたドキリとした。
「女性だから、片付けしなくちゃならないって思わなくていいよ」
俺は、高鳴る心臓の音が彼女に聞こえるんじゃないかって、ちょっとばかり心配しながら言葉を選んだ。
「でも、フラガ主任……彼女が待っているんじゃありません?」
でしたら、会いに行ってあげて下さいよ。きっと寂しい思いしてるはずですから……と、彼女は再びふわりと笑いながら散乱している紙コップを集めている。
「い、いや。俺には、待っててくれるような彼女なんていないよ」
そうだ。
俺の事を利用する為に待ってるヤツはいるが、俺自身を待っていてくれるヤツなんて、何処にもいないさ。
「あら、先週の金曜日、仕事帰りに総務課のジュリエットさんと楽しそうにお食事されてたじゃないですか」
その事は、誰にもしゃべってませんから、心配しないで下さい……と、彼女はクスクス笑いながら、集めた紙コップを抱えている。
「あ……あれは……」「休日前の夜にお食事するなんて、恋人同士しかいないじゃありませんか」
……いや、違う……。
「彼女とは、そんな関係じゃないんだ。信じてくれないか?」
慌ててジュリエットの事を否定しなくちゃいけないとは思ったが、最後に俺の口から出てきた一言は、自分でも予想していなかった言葉だった。
「えっ?」「あ、その……彼女とはだな……」
不思議な焦りを感じた俺は、ジュリエットと俺との利害関係を洗いざらい話していた。
「へぇ〜、そういう事だったんですか」
「あぁ、そうなんだ」
フラガ主任って、優しい方なんですね……そう言って俺に微笑んでくれた彼女の笑顔に、俺はものすごく懐かしい感情を思い出していたような気がする。
ただ、それがどんな感情なのか……すっかり荒んでしまった俺からは、欠如してしまったモノなのかもしれない。
そんな事を考えていたら、彼女が相変わらず紙コップや紙くずを集めながら「友達のナタルから「フラガ主任には気をつけろ」って釘を刺されたんですけどね……」と、苦笑しながら話しかけてきた。
「主任って、色んな女の子に手を出してるって噂を聞いていたんですけど……実はそうじゃないって事なんですね?」
まぁ、そんな噂が出てる事ぐらい、俺だって知ってた。知ってても、ずっとそういう風に振舞っていた。
恋愛なんて……ただのゲームでしかないと思っていたから。
「俺は……君の思っているような人間じゃないと思うよ」「え?」
「でも、ありがとう」「い、いえ……?」
自分でもよく分からないが、自然とお礼の言葉が口をついて出ていた。
俺はそのまま、円卓の上に残された紙コップを拾い集め「良かったら、駅まで送るよ」と彼女に声を掛けた。
普段の自分は、そんな事を言うヤツだったか?と、心の端でそんな事を思いながらも、俺は紙コップの山と共に、自分の資料が入ったバックを手にした。
「ありがとうございます。夜道の1人歩きは、ちょっと心細かったので、お願いしてもよろしいですか?」
屈託のない笑顔でそう頷く彼女に「んじゃ、帰ろうか?」と声を掛け、俺達は会議室を後にした。
不思議な感覚は、彼女と話を交わす度に、心の中を駆け抜けて行く。
あの日……会議の後に彼女と駅前のラーメン屋で遅い夕食を共にし、そのまま彼女の最寄り駅まで送って行った。
いつもの俺だったら、このまま自分の部屋にでも……と思う事もあるが、何故か彼女にはそんな事をしてはいけないような気になっていた。
どうやらあの日以来、彼女と一緒に過ごす時間が、俺は待ち遠しくなっていたらしい。
それからと言うもの、帰りが遅くなる度に、彼女を駅まで送るようになった。
途中で2人で食事を取り……とは言え、牛丼やバーガーショップのような、気取らない店ばかり。
いつもならカッコつけて、ちょっと豪華なレストランが定番の俺が……だ。
彼女に対して、カッコつけようという、そういう思考は働かなかったらしい。
そして何より、彼女が無事に自宅に帰り着けるか……それが心配になっている俺が……そこにいた。
そんな気持ちに気付いた俺に、ある日、ジュリエットからメールが届いた。
『元彼への復讐、バカバカしくなってきたから、もう終わりにするわ。今まで、私の我儘に付き合ってくれてありがとう』と。
その2日後の仕事帰り。今度はエリザから電話がかかってきた。
「私の事を大切に思ってくれる人が現れたから……あなたとの関係は、解消してもらってもいいかしら?」との話だった。
元々、エリザとの間には愛なんてなかったから、俺は喜んでOKしてやった。
こうして俺は、何年か振りの一人身の生活に、不思議な期待感と安堵感を感じていた。
そんな妙な感覚を残したまま、俺は休みの日に墓参りに出かけた。
車で40分程かかる、街から離れた高台の墓地。
緑の木々が、少しずつ黄色に染まる中、俺は花束を持って墓石が並ぶ通路を1人で歩く。
そして、1つの墓標の前にその花束を捧げた。
「母さん、ゴメン。1日遅くなったな」
それは、俺の母親が眠る場所だ。
俺は父親の顔を知らない。
母親と関係を持ったヤツが、子供が出来たと分かった途端、俺と俺の母親を捨てたのだ。
そこには愛は存在してなかった……それだけの事だ。
その結果、母親は1人で俺を生んで育ててくれて。
そして、俺が中学生の時、無理がたたっての過労死……。
……母さん、あんたの人生って、楽しかったのか?……
今更、そんな事を問い掛けても、この冷たい墓標の下に眠る母親からは、その答えを聞く事は出来ない。
だから俺は、愛なんて信用しちゃいない。
愛なんて、幻の空想劇……だ。
緩やかな風が流れている中、俺は母親の墓標に背を向け、出口に歩き出す。
その時、その風に乗って誰かの声が聞こえてきた。
ふと、その声の方を振り返ると、そこで見た事がある女性の姿が目に留まる。
少しだけ悲しげな微笑のまま、彼女は自分の首元からネックレスらしき物を外すと、それを目の前の墓標の上に置いた。
直感で「あれは、きっと薔薇のロケットだ」と思った俺は、呟くように彼女の名を口にしていた。
「ラミアス……さん?」
俺のその声に気付いたのか、彼女がこちらを振り返ったのだ。
「あら、フラガ主任?!」
慌てて立ち上がりスカートの埃を手で掃うと、そのまま俺の方まで近付いてくる。
「君、どうしてここに?」
内心、焦った俺は、なんとも馬鹿げた質問を彼女にしていた。
「お墓参りですわ。5年前に亡くなった……私の婚約者の」
……マズイ事を聞いてしまった……
心臓を握られるような、冷たい痛みが全身を駆け抜ける。
そうか。そういう事だったのか。
誰からの誘いにも乗らない原因は……亡くなった婚約者の呪縛……か。
「すまない。余計な事を聞いてしまったみたいで……」
俺は彼女を見る事が出来ず、思わず視線を自分の足元に落とす。
「いえ、いいんです。彼が亡くなって5年経って、ようやく最近、私も落ち着いたって思えるようになったんですから」
その声で、俺はふと顔を上げた。するとそこには、いつものように柔らかい笑顔を浮かべた彼女がいた。
「それで……フラガ主任は、どなたのお墓参りに?」
不思議そうな表情で、彼女は俺に問い掛けた。
「俺は……たった一人の肉親の墓参りだよ」「え?」
そう言って、俺は先程まで自分が立っていた墓標を振り返ると、彼女も俺の視線の先をその目で追ったようだ。
「それ相応の家柄の娘だったそうだけど、付き合っていた男の子供……俺を身篭った途端、その男には捨てられ、家からも勘当されてさ……」
……ナンデ コンナコトヲ カノジョニ ハナシテイルノダロウ?……自分の中のもう1人の自分が、そう問い掛けている。
「結局、母親は1人で俺を育ててくれたけど、15年前……俺が中学生の時に、無理が祟って死んじまった……」
誰にも話した事ないのに。いや、誰にも話すつもりもなかったのに……。
どうして俺は、まだ知り合って間もない彼女に、こんな事を話しているんだ?
妙に冷静に判断している自分が、心の中でそう呟いている。
「そうだったんですね」「……あぁ」
しばしの沈黙の後、彼女が遠くを見つめながらそう呟く声で、俺は我に返った。
「私達、愛を失った者同士ですね」
だから、妙に親近感を覚えたのかもしれないわ……と、彼女は俺の方を振り返りながら、またあの柔らかい微笑を見せる。
「愛を……失う……」
彼女の言った言葉を、俺は小さく反芻してみた。
そうなのかもしれない。
愛していたはずの男性から裏切られた母親。
父親が誰かも知らず、父親の愛も知らずに生きてきた俺。
そして、母親からの愛も、幼いうちに失ってしまった俺……。
「私の婚約者は……」「え?」
少しだけ目を伏せた彼女が、そう呟いた。
「結婚式の1ヶ月前に、事故に巻き込まれて……1人で先に、向こうに行ってしまったんです」
そう言うと、風が渡る青空を見上げる。
俺はそんな彼女に、どう声を掛けていいのか分からず、ただ彼女と同じ空を見上げた。
「あの時は、本当に突然で……どうして私を置いていっちゃったのかって……寂しくて、やり切れなくて……」
彼女の声が、微かに震えている……そんな気がした。
「それだけ、彼の事を愛していたんだと思います」
彼女の告白に、俺はただ「そうだったのか」としか言えなかった。
「人を愛する事って、時にはこんなにも苦しくなるのかって思ったら、もう誰かを愛する事はやめようって考えたんです」
だから、今まで1人で生きてきたんですけどね……彼女が、再び俺の方へ微笑みを向ける。
「でも……今日、彼に会いに来たら……風が温かくて、まるで彼が「自由になりなよ」って言ってくれてるように思えて……」
それが、呪縛から開放された笑顔なのか……。
「きっとこの世の中に、私を必要としてくれる人が、彼以外にもいるんだって……最近、そう思えるようになったんです」
だからフラガ主任にも、いつか、そんな人が現れますよ……そう言うと彼女は、再び柔らかい笑顔を俺に見せた。
「だからって、沢山の女の子に、次々に声を掛けてるようじゃダメですよ」
うふふふと楽しそうに笑う彼女に、俺は「えっ?!」と妙に慌てた声を出してしまった。
「俺は……自分から声を掛ける事はしてないよ」
急に、彼女の顔を見るのが辛くなった俺は、そのまま真っ直ぐ歩き出す。
「そうなんですか?」
俺の背中から、パタパタという軽い足音と共に、焦ったような彼女の声が追いかけてきた。
「確かに、今まで色んな女の子と付き合ってきたのは事実だし」
そう。
今吹いているこの風のように、幾人もの女の子達が、俺の横を勝手に通り過ぎて行くだけなんだよ……。
最後は、独り言のように小さく呟いていた。
「……ごめんなさい。みんながそう話していたから、私……」
ハッとしたように彼女の足音が途絶える。
「彼女達が、俺の噂を色々と言ってるみたいだけどさ、みんな、相手の方から声を掛けてきたんだ……」
っても、きっと誰も信じちゃくれないだろうがな……俺は、軽く溜息をつくと、彼女の方を振り返った。
少しだけ距離の空いた俺達の間を風が通り過ぎ、彼女の髪を揺らして行く。
「俺ってさ、来る者拒まずってタチみたいでさ」
申し訳なさそうな顔をしてこちらを見ている彼女に、俺は少しだけ笑顔を浮かべ、なるべく軽く話してみた。
「……フラガ主任って、本当は淋しいんじゃありませんか?」「え?」
1歩ずつ俺の方へ近付きながら、彼女が真っ直ぐな瞳で俺を見ている。
……あぁ、そうか。俺は淋しかったのか。
だから、常に誰かが側にいるように仕向けてたのかも……しれない。
「なぁ……今日は仕事じゃないんだから……その『主任』っての、ヤメてくんないかな?」
彼女の一言が俺の心に染み込んで来た途端、俺は急に名前で呼んでもらいたくなった。
仕事の関係という間柄でなく、ムウ・ラ・フラガ個人として、彼女の前に立ちたくなった俺は、思わずそんな言葉を口にしていた。
「……フラガさんは……」
間髪入れず、彼女は俺の目を真っ直ぐ見たまま、名前を呼んだ。
『主任』じゃなく、代わりに『さん』を付けただけなのに、俺の心臓が酷く高鳴るのが分かった。
「今までお付き合いされた女性の事は……」
「みんな、俺をブランドのバックか何かのように思ってんだろうな。一緒に連れてると、見栄えするって事でさ」
俺は、それに付き合っただけ……そう言って、口の端にだけ笑みを浮かべる。
「相手に、何の感情も持っていないから、あんな軽い男でいられたんだろうな」
彼女は、俺の話を身じろぎひとつしないで聞いている。
……悲しそうな顔をしたままで……。
「俺はさ……一番好きな女には、手は出せねーんだよ」「えっ?!」
なんとなく気付いた。
俺は、このマリュー・ラミアスという女性に、不思議なほど魅かれているのだと。
彼女の悲しそうな顔を見たくない、彼女の全てを守ってやりたい……ふと、そんな事を思った俺は、今までとは違う、自然な笑顔で彼女に微笑みかけた。
「あの……それって、どういう意味ですか?」
彼女は、互いに引き合う磁石ように俺に近付くと、俺のジャケットの袖口をキュッと引っ張り、上目遣いに俺を見上げてくる。
その彼女の艶っぽい表情に、心臓の鼓動は更に速さを増し、俺は心の中で「どーすりゃいいんだ?!」と叫んでいた。
「それは……だな……」
袖口を掴まれた俺は、たったそれだけの事で、一歩も動くことが出来なくなっていた。
いつもならば、目の前の女性の腰に手を回して、自分の方へ引き寄せるような、そんな近距離だ。
でも、彼女にはそんな事が出来ない俺が……今、ココにいる。
彼女に触れると、何かを壊してしまいそうな……そんな感じがして、彼女を抱きしめる事に戸惑いを感じてしまう。
「それは……俺みたいなヤツが君を抱きしめると……君を……壊してしまうような気がするんだよ」
だから、手を出せないって言うか、手を出すのを躊躇してるんだ……俺はそうゆっくり答えると、彼女の褐色の瞳を見つめる。
「……そんな簡単に、私は壊れませんわ」
頬を少し紅く染めた彼女が、自ら俺の背中に手を回してきた。
柔らかく温かい彼女の身体が、俺を抱きしめている。
「ラ、ラミアスさん?!」
ちょっと待てっ!彼女のこの行動って……もしかして?!
彼女の予想外の行動に、俺は驚いて声をあげていた。
でも、彼女は更に強く俺を抱く腕に力を込めると「私、あなたに駅まで送ってもらえるあの短い時間が、いつも楽しみだったんです」と、俺の胸にその頭を預ける。
彼女の甘い髪の香りが俺を包み込んでいくようで、少しだけ目まいを感じた。
そして、その甘い香りに誘われる蜂のように、俺は彼女の背中にゆっくりと手を伸ばすと、透明なガラス玉を抱くように、彼女の身体をやさしくその胸の中に抱き留めた。
どれくらい俺達は、その場で抱きしめあっていたのだろう……。
顔に当たる日差しが、少しオレンジ色になっている事に気づいた俺は、甘い香りのする彼女の髪から、ゆっくりと顔をあげる。
そして、その耳元で囁くように俺の気持ちを告げた。
「俺……こんな気持ちになったのは、初めてだ」
「どんな気持ちなんですか?」
俺の声に気付いた彼女は、ゆっくりと顔を上げて、俺の瞳を見つめてくる。
「君さえいれば、俺は何もいらない。ただ、君だけを守ってあげたいと思うんだ……」
この気持ちこそが、ハイネが言ってた事なんだな……。
「それは、私も同じです」
いつもあなたの側にいて、あなたを見守っていたいって思うんです……彼女は、再び頬を染めながらそう答える。
そうか。
見返りなんて必要ない無償の気持ち……それが本当の『愛』ってやつなんだ……。
改めてそう思った俺は、彼女の耳元で小声で訊ねてみた。
「なぁ……キスしてもいいかな?」
「そんな事……聞くんですか?」
夕日の所為なのか分からないが、顔を紅くした彼女が、少し恥ずかしそうに俺を見上げる。
そのままゆっくり瞳を閉じた彼女に、俺は自分の唇を重ねた。
ただ、その唇に触れただけなのに、全身が痺れるように溶けていきそうな甘いキス。
「君の事、名前で呼んでいいか?」
唇が離れたものの、お互いの吐息を感じる程の近くで、俺はそう訊ねてみた。
「ぅん」
小さく頷く彼女に、俺は愛しい人の名を囁く。
「マリュー……君と共に生きていたい」「私もよ、ムウ……」
先日、某K様宅でのチャットに参加させて頂いた時
ふとした事で、私の頭に降って来たムウの台詞がきっかけで
この『ぴゅあぴゅあ』なお話を書く事になりました(笑)
とは言え……前半のムウは、悪い人です(核爆)
まあ、そのギャップと言うか、ムウの心の変化を書いてみたかったので……。
こんなお話では『ぴゅあぴゅあ』とは言えないかも(>_<)
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