あかずの艦長室



 その日も、カガリ達とアークエンジェルの主要クルーとの会議を終えたマリューは、ネオと共に艦長室へと戻って来た。
「出発までに、まだいろいろと話し合いをしなきゃならないわね」
 無言でソファーに腰を下ろしたネオに、マリューはコーヒーを淹れながら話しかける。
 だが、返ってくると思われた彼からの返事がなく、マリューは不思議に思いながらマグカップを手に後ろを振り返った。
 そこに座っていたネオは、先程までとはまったく違う様子で頭を抱え込んでいる。
「ロアノーク一佐?」
 何か様子が普通じゃない……そう思ったマリューは慌てて駆け寄ると、俯いて頭を抱えているネオを下から覗き込むようにして声をかけた。
「ぅっ……くっ……」
 覗き込んだその顔は苦痛に歪み、尋常でないほどの汗をかいている。そして、食いしばった口元からは、微かに呻く声が漏れる。
「ど、どうしたの?!」
 驚いたマリューの手がネオの両頬を包み込み、更にその顔を覗き込んだ。
「あ、頭が……割れるように……」
 ゆっくりと顔を上げたネオが、搾り出すかのような声で訴える。その青白く歪む顔から、ポタポタと汗が滴り落ちる。
「ちょっと待ってて!今、鎮痛剤出しますから!」
 慌てたマリューがそうネオに言うと、彼は小さくうなづく。
 そして、デスクの引き出しからピルケースを取り出すと、水が入ったコップと共に持ってくる。
「鎮痛剤、飲めます?」
 うずくまる様ににしてソファーに身を沈めていたネオを必死になって抱き起こすと、マリューは錠剤を彼の口元に持っていく。
 が、ネオは低く唸っているだけで、錠剤を口にしようとしない。
「……悠長な事、言ってられないわね」
 そう言うと、マリューは錠剤を自分の口に放り込む。そして、コップの水を口に含むと、苦痛に満ちたネオの顔を自分の両手で固定し、その唇に自分のそれを重ね合わせる。
 突然触れた柔らかい塊に驚いたネオの唇が、一瞬緩む。
 その隙に、マリューは錠剤と共に口に含んだ水を相手の口内へと流し込むと、ネオは無意識のうちにそれを飲み下した。

 ゆっくりと唇を離したマリューは、ネオの喉が微かに動くのを確認すると、ほっと小さいため息をついた。
 そのまま、マリューはネオの頭を自身の膝の上に乗せ「大丈夫……大丈夫だから」と、優しく声を掛け続けた。
 
 それから20分程すると、それまでネオの口から漏れていた呻き声が小さくなった。
 その事に気づいたマリューが、ネオの顔を覗き込みながら声を掛ける。
「動けそうでしたら、ベッドで横になった方がいいわ」
「う……んっ……あぁ……」
 擦れたような声で返事をしたネオは、ゆっくりと起き上がる。そしてヨロヨロとした足取りでベッドに移動しようとすると、マリューがその肩を支えた。
 多少、マリューを頼った形でゆっくりとベッドに移動してたネオは、そのまま横になる。
「心配しなくていいから、しばらくココで休んで下さい」「すまない……」
 ネオに上掛けをかけてやると、マリューは近くの椅子を引き寄せ、ベッドサイドに腰掛ける。
 そして、ネオの手を取ると、それを両手で優しく握り締めた。
 未だに苦痛の色をその顔に浮かべたまま、ネオは弱々しく「ありがとう」と言うと、そのまま瞳を閉じる。
「大丈夫。傍にいますから……」
 マリューの優しい声色に誘われて、ネオは眠りに落ちていった。



 どれくらい眠っていたのだろう……そう思いながら、ネオは目を覚ました。
 マリューに飲まされた鎮痛剤が酷い頭痛を緩和してくれたが、フラフラする頭の重さはまだ残っている。
 それでも、これ以上マリューに心配をかけていられないと思ったネオは、ずっしりと重い身体を起こそうとした。
 その時、自身の左手をしっかりと握り締めているマリューの姿が視界に入る。
「……艦長?」
 そっと声を掛けるのだが、左手を握り締めたままマリューはベッドに突っ伏してすやすやと眠っていた。
「本当に、ずっと傍にいたのか……」
 そう呟くと、彼女を起こさないように気をつけながら、右手でマリューの両手を外す。
 そして自分に掛けられていた上掛けを外すと、彼女の背中にそっとかけてやる。
「ありがとう、艦長さん」
 そう小さく呟きながら、ネオはベッドから立ち上がると、未だに重い身体を引きずるようにして洗面所に向かった。

 水道の蛇口を勢いよくひねると、飛び跳ねる水を気にする事もなくバシャバシャと顔を洗う。
 そして、まだ濡れたままの手をシンクにつき、ふぅ……と、ため息をつく。
「また、この頭痛かよ……」
 以前から、時々襲われる頭痛。
 何かが記憶の影をかすめる度、頭の奥が割れるように痛くなる。
 今日もそうだ。
 コーヒーを淹れるマリューの後姿に、ふと「砂糖を2個入れてくれ」と言おうとした時、急激な痛みが脳天を貫いた。
 ……操作された記憶が、思い出そうとする俺の意識をかき乱すのか?
 そんなことを思いながら手にしたタオルで顔を拭くと、それをランドリーボックスに放り込む。
 そして目の前の鏡を見ると、乱れたままだった髪の毛を手で無造作に掻き揚げ、洗面所を後にしようとした。
<おい>
 突然、何処からともなく声が聞こえる。驚いたネオは、周りをぐるりと見渡す。
「って、誰もいる訳ないよな」
 空耳だな……と乾いた笑いをしながら、改めて洗面所のドアノブに手をかけようとした。
<おいおい、呼んでるのに気付かないのかよ。ネオ・ロアノーク!>
「なっ?!」
 今度は間違いなく、その声が自分の名前を呼んだ事に気づいたネオは、勢いよく後ろを振り返った。
 が、そこには鏡に映る自分の姿があるだけである。
「頭痛のせいで、幻聴まで聞こえるようになっちまったか?」
 そこに誰もいない事を確認したネオが、ふと鏡の中の自分の姿に違和感を覚えた。
<まだ気付かないのか?>
 鏡の中の自分の口が、そう言葉を紡ぐのがネオの瞳に映った。
「とうとう、幻覚まで見え始めたようだな……」
 思わず自分の頭を疑ったネオは、ごしごしと手の甲で目元をこする。
 そして、鏡に映る自分の姿をマジマジと確認しようとした。
 すると突然、目の前の鏡が光を発する。
「うわぁっ!」
 あまりの閃光に驚いたネオが反射的に目元を庇うが、その光は一瞬で消えてしまった。
 恐る恐る目を開けたネオの瞳に映ったのは、鏡の中にいる、自分と同じ制服を着た、自分によく似た人物。
 紫色のインナーの襟元を大きく開け、上着の袖はもちろん捲くったままである。
 が、同じような色調の金髪は自分とは違い、かなり短い。
 そして、顔に大きく走るはずの2本の傷跡も、その人物にはなかった。

<やっと見えたようだな>
 鏡の中の自分が、苦笑しながらネオに話しかけてきた。
「お前……誰だ?」
 ネオは身構えた状態でその人物に問いかけるが、相手は飄々とした雰囲気で<なんだよ〜、教えなきゃ分からない訳?>と笑っている。
 少々、苛立ちを感じたネオが「分からないから聞いているんだ!」と声を荒げた。
 すると鏡の中の自分が、肩をすくめながら、<俺はお前だよ。もちろん、お前は俺と同一人物なんだがな>と、謎めいた答えを口にする。
「バカバカしい……。やっぱ、幻覚だな」
 部屋に帰って寝直すか……と、まるで自分に言い聞かせるかのように語尾を荒げると、洗面所から出て行く。
<お、おい!お前に話があるんだ!>
 鏡の中の自分がそう声を掛けてきたが、ネオはそんな事にはお構いなしと言った様子で、ずかずかと大股で艦長室の出入り口まで足を進めた。
 そして、いつものように、扉の前に立った……のだが、その扉は開こうとしない。
「えっ?どうして開かないんだ?」
 不思議に思ったネオが、扉の横にあるパネルに暗証番号を入力し、強制開放ボタンを何度も押す。が、一向にその扉が開く様子は見られない。
<お前、彼女を置き去りにするのかよ>
「なっ?!」
 突然、先程と同じ声が再びネオの耳に届いた。
 それと同時に、デスク上に放置されたままだったマリューのノートパソコンから機動音が響き、そのモニターには先程の人物が映し出される。
<悪いけど、今、お前をこの部屋から出す訳にはいかないんでね>
 モニターの中からクスクスと笑いつつ<暗証番号、変えさせてもらったよ>と告げる姿に、ネオはサッと血の気が引くのが分かった。
「一体、何なんだっ?!」
 吐き捨てるかのようにネオが言うと、その人物は<とりあえず、ここで話してると彼女を起こしちまうから、洗面所に戻らないか?>と笑顔で答える。
「嫌だと言っても……か?」
<話を聞けば、開放してやるよ>
 その言葉に納得せざるを得ない状況に陥った事を悟ったネオは、しぶしぶ「分かった」と返事をしつつ、洗面所に戻っていった。

「それで……話って、何だよ?」
 鏡の中のもう一人の自分と対話をする……この不思議な状況に少しだけ順応している自分に気付き、ネオは心の中で苦笑する。
<マリューを、一人にするなって事だよ>
 あまりにもあっけない一言に、ネオは「は?」と口をぽか〜んと開けたまま固まっている。
 そんな様子のネオを見たもう一人の自分が、苦笑しながら<だから、眠ってる彼女を一人置いて行くなって言ってんの!>と再びネオに告げた。
「俺は、この艦を降りるつもりはないぞ」
<ったくぅ〜、そんな事を言いたいんじゃねぇよ>
 彼は、ネオの言葉にはぁ〜と深いため息を付き<こんなボケた事を言うヤツだったか?>と苦笑しつつも、言葉を続けた。
<彼女が眠ってるうちにお前がいなくなっていたら、目が覚めたマリューはパニックになるぞ>
「そんな訳……」
 ないだろ?と、ネオが言う前に、彼は<彼女を不安にさせるなよ>と言葉を被せてきた。
<彼女は……マリューは、お前の事が心配でたまらないんだよ。反対に、お前も彼女の事が心配だろ?>
「そ、それは……そうだが……」
 自分の気持ちを言い当てられたネオは口ごもる。
<だったら尚更だ。マリューが起きるまで、傍についていてやれ。ほら彼女、眠ってるお前の傍に、ずっといただろ>
 俺が言いたいのは、そう言う事だよ……そう言った鏡の中の人物が、ネオに笑みを向ける。
<お前、彼女の傍にいたいんだろ?だったら、いつも傍にいて見守ってやれよ>
「……それは、お前の望みなのか?」
 ネオが真剣な眼差しでもう一人の自分に問い掛ける。すると相手も今までとは違う、真っ直ぐな視線を投げかけてきた。
<俺の望みは、お前の望みだ。言ったろ?俺はお前なんだってな>
 そう言われたネオは、フッと笑う。
「確かに、俺の望みもお前と同じだよ」<だったら、分かるよな?俺の言いたい事が……>
 もう一人の自分も、同じような含み笑いの表情を見せる。
「……あぁ、分かった」




 その翌日。
 いつものように、艦橋から一緒に艦長室へ戻って来たネオとマリューは、その扉の前でありえない現実に遭遇した。

 手馴れた様子で、マリューが扉の鍵となる暗証番号をパネルに入力する。
 ところが、何度入力しても、ロック解除を知らせる緑のランプが点灯しない。
「どうして?」
 なかなか開かない扉を前に、ネオも何かがおかしい事に気付く。
「入力が間違ってる訳ないよなぁ〜?」
 マリューの手元を覗き込むようにして、ネオが首を傾げると「ちゃんと入力してるわ……」と、困った声が聞こえた。
「暗証番号を変更した覚えなんて、全くないのに……」
 そうポツリとマリューかこぼした言葉に、ネオがハッとする。
「艦長、ちょっと変わってくんない?」
 突然、そう声を掛けられたマリューは「えぇ……」と返事をしながらも、困惑した表情でネオに場所を譲った。
 パネルを目の前にして、ネオは目を閉じて考え始める。
 ……確か『暗証番号、変えさせてもらった』とか言ってたよな。あいつが番号を変えたって事は……
 しばし考えていたネオは、ふと目を上げると、試しに自分の部屋の暗証番号を入力してみる。
《ピーッ》
 ネオが入力した途端、ランプは赤から緑に変わり、扉のロックが外れる音がした。
「え?開いたの?」
 それを見ていたマリューは、驚いた顔でネオを見上げる。
「ん?……まぁ、そういう事かな?後でもう一度、暗証番号の設定をやり直せばいいんじゃない?」
 何かの拍子に番号が変わったのかもしれないしな……と、普通に答えるネオに、マリューは不信そうな顔を見せる。
「彼方が入力して開くなんて……まさか、彼方が勝手に番号を変えたんじゃないでしょうね?!」
 開いた扉から室内に入ると、マリューがネオに疑いの目を向けた。
「あ、いや……俺じゃないんたけど……でも、俺に近い人物かも?」
 困った様子であたふたと答えるネオに「何、訳の分からない事を言ってるんですか?」と、マリューが怒った顔でネオに詰め寄った。
「いや、だから……俺じゃないって!!」
「昨日、私が寝ている間に何かしたんですか?」
 疑いの目を向けるマリューに、ネオは昨日の出来事を話そうかと悩んだ。
 が、きっと信じてもらえる訳ないよなぁ〜と思ったネオは、自分は関係ない……いや、多少は関係してはいるかも……という不可解な言い訳をする。
 そのあやふやな答えに、マリューは「訳が分かりません!」と少々怒りながら、暗証番号の設定を元に戻すのだった。

「あかずの艦長室」と聞いて、真っ先に思いついたのが、中から開かなくなる……というネタ。
そこから話を膨らませてみたら、こんな感じになりました(^^ゞ
夏の夜に涼しいお話……って言うのは、読むのも書くのも、どうも苦手なので(苦笑)
他のサイト様と比べると、きっと拍子抜けな話し……でしょうね(-_-;)
K様、ごめんなさ〜いっっ!m(__)m


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