「……失礼します」「あぁ、ウェルミー君か」
 輸血パックを手にクリスが病室に入ると、フォルカーがカルテから顔を上げる。
「O型の輸血パックです」と言いながら、それをフォルカーに差し出すが「早速、輸血を開始してくれ」とすぐさま短い指示が飛ぶ。
 クリスは「はい」と返事をするとすぐさま輸血の準備を始めた。
 手馴れた様子でムウの腕に輸血の針を入れると、みるみるうちに透明だった管が赤く染まっていく。
 間違いなくムウの体内に新しい血液が補充されていくのを確認すると、クリスは3人の軍医の方を振り返る。
「1時間程で終わると思います」「あぁ、ありがとう」
 クリスの報告を聞いたフォルカーがそう返事をしながら、手元の端末に輸血の量と時間を入力する。
 そして顔を上げると、周りにいる3人をぐるりと見渡した。
「先程、ジブリール氏がおっしゃったように、彼を目覚めさせなくてはならない……それが、我々に課せられた使命だ」
「「はい……」」
 その場にいなかったクリスには、アーガス達の暗い表情の意図を読み取る事が出来なかったが、それでもかなり緊迫した状態にに追い込まれている事は分かる。
「しかし、まずは彼のこの全身の傷が治らなければ……目覚める為の投薬治療も行えないのでは……」
 少々、困ったような声で意見を述べたのはエレットであった。
「あぁ、分かっている。しばらくの間は、外傷の治療をしよう。傷の回復に目途が付くまでは、抗生物質と鎮静剤の投与だな」
 端末から目を上げる事なくフォルカーが指示をすると、突然「あの……」とアーガスが口を開いた。
「どうかしたのか?」
 ようやく端末から顔を上げたフォルカーと、アーガスの視線が交わる。
「目覚める為の薬とは……何ですか?」
 医師であるアーガスにとっても、そのような効能のある薬は初めて耳にする。
「そうか。君はまだ知らなかったな」
 そう言うと、フォルカーはベッドに横たわっているムウを見ながら説明を始めた。
「ここの地下に、新薬などの研究施設がある事は知っているか?」
 クリスにとっては初めて聞く事実であったが、以前ここに配属されていた事があるアーガスは、その話を過去に聞いた事を思い出す。
「はい、研究施設がある事は以前から聞いていました」
 アーガスの答えを聞いたクリスは「そうなんだ」と心の中で思いつつ、フォルカーの話に耳を傾けていた。
「その施設で先月、昏睡状態の患者を目覚めさせるための薬が開発されたのだ」
 ただ……と、フォルカーはアーガス達の方に向き直ると、少し重い口調になる。
「その薬に、何かあるのですか?」
 アーガスがそう訊ねると、隣にいたエレットが続きを説明し始めた。
「かなり血流が良くなるとかで、外傷の重い患者に使用すると、出血が止まらなくなるそうなんです」
 副作用みたいなものらしいのですが……と、エレットがため息をつく。
「だから、外傷治療が先という事ですか?」
「まだ出血が続いている状態では、この新薬は使えん」
 フォルカーの言葉に、アーガスもクリスも納得せざるを得なかった。
「……出来る事ならば、その薬は使いたくはない。外傷だけならば良いが、内臓に損傷があった場合を考えると……」
 そうフォルカーが目を伏せながら言うと、アーガスにもその先がどうなるのかが理解できた。
「身体の外への出血だけでなく、身体の中でも出血が起こりうる危険性がある……と言う事ですか?」
 アーガスの問いかけに、フォルカーが「そういう事だ」とゆっくり頷く。
「とりあえず、外傷の治療が優先だ。同時に、内臓機能の数値からも目を離すな」
「「はい」」
 フォルカーのもっともな治療指示に、その場にいた3人は納得した上で返事を返していた。



 エレベーターが1階のロビーに到着し、その扉が開く。
 そこから玄関に向かうものだと思っていたニーナは、突然振り返ったジブリールに驚いた。
「君は、もう戻ってよい」「は、はい」
 そう告げると、ニーナが抱えていた黒い子猫をその腕の中から取り上げる。
 そして、子猫を左腕に抱えると「あちらの視察もしておく」と付き添っていたニーナの上官に声を掛けた。
「君は仕事に戻れ。私はジブリール氏を案内してくる」「分かりました」
 ニーナは上官の命令に敬礼で答えるとくるりと踵を返し、乗ってきたエレベーターに再び乗り込んだ。
 
 ニーナの乗ったエレベーターの扉が閉まるのを確認した上官は「では、こちらへ」とジブリールを先導し、玄関とは別の方向へと足を進めた。
 そして『プロジェクト・ラボ 関係者以外立ち入り禁止』と書かれた扉の前にやって来ると、自分の認識票を扉のリーダーに挿入する。
 すぐにリーダーのランプが赤から緑になり、ロックが開く音が耳に届いた。
「どうぞ」
 足を踏み入れたその場所は、表からは隠されたエレベーターホール。
 行き先の表示は、地下のみになっている。
 すぐさまやって来たエレベーターに一行が乗り込むと、それはゆっくりと動き出した。
 しばらくの後、それが停止し扉が開く。そこから長く薄暗い廊下を進み、とある扉の前で立ち止まった。
「こちらです」 
 そう言いつつ、再び扉のリーダーに認識票を挿入しロックを外すと、誰よりも早くジブリールがその中に入った。
「あぁ、ジブリール殿!」
 人の気配を察知した研究員の1人が、振り返り声をあげると敬礼をする。それを目にしたほかの研究員達も、一斉にジブリールに敬礼をする。
「”ゆりかご”の準備は順調か?」
 大きな窓の向こうに、半円形の透明なカプセルがいくつも並んでいる。
 そこを振り返りながら、研究員が「はい、エクステンデットでの試験は順調に進んでおります」と誇らしげに語る。
 そして、目の前に並ぶコンソール卓を操作し、その画面上にあらゆるデータを呼び出した。
「ナチュラルの場合でも、事前に薬を投与しておけば書き換えは可能の予定です」
 研究員が呼び出したデータを目で追いながら、ジブリールは再び冷酷な笑顔を浮かべる。
「それで……本格的に運用出来るまでに、あとどれくらいかかるのだ?」
 そう問いかけられた研究員は「そうですね……」と手にしていた端末を操作し始める。
「あと1ヶ月程で、ナチュラルの実験も出来るかと思います」
 ただ……と、その研究員は語尾を濁らせる。その様子に間髪入れずにジブリールが聞き返した。
「ただ、何だ?」
「いえ、実験が出来る状態にはなるのですが、その被験者が……」
 いくらブルーコスモスに忠誠を誓っているとは言え、そういった実験に望んで志願する研究員はそうそういないだろう。
 しばらく押し黙っていたジブリールは、ニヤリと片方の眉毛を吊り上げると「いい被験者が2名……いるだろう?」と、周りにいる者達を見渡す。
 取り囲んでい研究員達は、お互いに顔を見合わせては首を傾げていたが、先程ジブリールを案内してきたニーナの上官が「あぁ!」と声をあげる。
「それに持って来いの2人が……この上の階に……違うか?」
「は、はい。かしこまりました。早速、手筈を整えます」
 それがどの人物を指し示しているのか気付いた軍医達がジブリールに敬礼を返すと、彼は「実験には立ち合わせてもらう」と冷酷な笑みをその顔に湛えた。

 ひとしきり研究員達からの報告を、ソファーに腰掛けたまま聞いていたジブリールが、おもむろに口を開く。
「”ゆりかご”についての報告はよく分かった。それよりも……」
 そう言うと、膝の上に抱いていた子猫を優しく撫で始める。
「昨日連絡しておいた件だが、該当者は見つかったのか?」
 子猫に視線を落としたままジブリールが研究員達に問いかけると、担当者らしき人物がプリントアウトされた資料を差し出した。
「ジブリール殿からのご指示で検索しました結果、該当者はこの2名でした」
 そう説明しながら、その場にいた全員に、ジブリールに手渡した物と同じ資料を配る。
 そこに記されていたのは、MIA認定の赤文字が大きく書かれているパーソナルデータ。
「まずは1枚目の方ですが……」
 担当研究員はすぐに説明を始める。

  1人は『ディッター・ホフマン大尉』
  もう1人は『ネオ・ロアノーク少佐』
  どちらの写真も、髪の長さに差はあるものの、同じような金髪である。
  ただ、ディッターの瞳は薄いグレーであり、ネオのそれはグリーンであった。

  身長は共に同じ183センチ。
  体重も78キロに75キロとそれほど差はない。
  血液型も、もちろんO型。
  
  生年月日は、ディッターがC.E.45年1月20日。
  対するネオは、C.E.42年11月29日。

  ディッターはウェッツラー出身。
  ネオは、ノースルバ出身となっている。

  家族構成に関しては、2人とも両親兄弟とも死別しており、共に天涯孤独の身である。

  どちらも、戦闘機からMAのパイロットに昇格し、最終的には第3次ビクトリア攻防戦時にストライク・ダガーに搭乗。その時の戦闘でMIA認定となっていた。

 そこまで研究員が説明すると、ジブリールが資料から目を離さないまま問いかけた。
「それでだ……君としては、どちらが”新しい彼”にふさわしいと思うのだ?」
「……私個人の意見としては『ネオ・ロアノーク』の方がよろしいかと」
 そう研究員が告げると、ジブリールは「理由は?」と短く問い直す。
「実は、色々と調べてみましたら『ネオ・ロアノーク』は、メビウス・ゼロのパイロット候補生だった経歴がありました」
「ゼロ……か」
 ほほぉぅと興味深げにジブリールが顔を上げると、研究員は言葉を続けた。
「ただし、その最終試験で不合格となり、ゼロ部隊のメンバーから外されております」
 手元の資料には載っていない事実に、その場にいた全員がざわつき始める。
「こちらの方が、色々と違和感なく事が運ぶかと思われますが……」
「なるほど……アレを操るセンスがある人物が、偶然にも同じ誕生日だとはな……」
 面白いではないか……と、ジブリールは高笑いする。
「では、こちらで進めて……よろしいでしょうか?」
 未だ笑い続けているジブリールに向かい、その研究員は恐る恐るといった様子で聞き直す。
「もちろんだ。ここまで思い通りの人物が見つかるとは、予想以上の結果だ」
 まさに、私に向かって風が吹いているな……と言い放つと、周りにいた研究員達が「これからは、ジブリール殿の時代です」と口を揃える。
「実験では、2人の記憶から”ムウ・ラ・フラガ”の記憶をすべて消去し、代わりに”ネオ・ロアノーク”の記憶を植えつけろ」
「はい、かしこまりました」
 改めて実験の内容に干渉をし始めるジブリールに対し、担当の研究員は慌ててメモを取る。
「”ネオ・ロアノーク”に関する過去のデータは、集められるだけ集めろ。見つからなかった事に関しては、また指示を出そう」
「早速”ネオ・ロアノーク”の詳細なデータを検索いたします」
 改めて彼が自分に敬礼するのを見届けると、ジブリールは満足したような表情を浮かべる。
 そして、そのままぐるりと自分を取り囲んでいる研究員達を見渡すと、ゆっくりとした口調で口を開いた。
「ここから先、事が上手く運ぶかどうかは、この”ゆりかご”に懸かっている」
 そう言うと、ジブリールは子猫を抱いたままソファーから立ち上がる。
「実験の準備が整ったら連絡しろ。じっくり観察させてもらう」
「「はい、かしこまりました」」
 ジブリールの最後の一言を受けた研究員達は、一斉に敬礼をする。
 それを見届けたジブリールは「では、1ヵ月後だ」と言い放つと、そのままその部屋を後にした。


 薄暗い廊下を歩きながら、ジブリールは大声で笑いたい衝動を必死に抑えていた。
 
 ……あの忌々しいバケモノ共を、これで排除する事が出来る。
   夢にまで見た『蒼き清浄なる世界』を、私のこの手で成し遂げてやる!!……
 
 今までどれだけの物量をしても、その息の根を止めることが叶わなかった相手。
 それに大手を振って対抗できる駒を、こうして手中に収める事ができた事に、ジブリールは興奮していたのだ。 

 ……ヤツならば、あいつらに一泡吹かせてやる事が夢ではないだろう
   アズラエルのように、薬だけでコントロールするなどという生温いやり方では
   いつまでたっても、ヤツらに対抗する事は出来ん。
   だが、アレがあれば……完璧な戦闘マシーンを作り上げる事ができる……

 そんな野望を胸に秘めながら、次第に輪郭が見え始めたプロジェクトに、ジブリールは早くも勝利を確信し始めていた。


ジブリールが、ついに登場しました(^_^;)
某5巻と台詞をダブらせようかと、ちょっと迷ったのですが
結局のところ、オリジナルで進行させる事にしてみました(爆)
果たして、これが吉と出るのか凶と出るのか……(-_-;)

そして、今回も結局、ムウさんの台詞は無し(核爆)
このままだと、ムウさんが言葉を発するのは、更に遅くなりそうな気配が……(>_<)
……やっぱ、ダメっすか?!(誰に聞いてる??