艦橋に集まったクルー達は整列し、マクリード艦長がやってくるのを待ちわびていた。
 しばらくして艦橋の入り口が開き、いつもと変わらぬ様子の艦長が入ってくる。
「みんな、待たせたな」
 そう一言声を掛けると、クルー達が一斉に敬礼を返す。
「では、コペルニクスについてからの作業を確認する」
 艦長の隣に立つ副長が、クルー達に呼びかける。
「怪我の程度によって、搬送される医療機関が違うので、この一覧表を見て確認するように」

 一通りの説明が終わった副長は、手にしていた用紙をクルー達に配り始める。
 それを受け取ったクルー達は各自の担当を確認し始めた。
「コペルニクスへの到着予定は明朝8時だ。各自、遅れないように」
「「はい!」」
 副長の言葉に、クルー全員が敬礼と共に返事をする。
 そして、各自が自分の持ち場へと戻ろうとした時、アーガスの肩を叩く者がいた。
 何事かと驚いて振り返ると、そこにいたのは艦長のキエフだった。
「艦長?」
「ちょっと話がある。例の処遇についてだ」
 ”例の処遇”と言われ、アーガスはすぐにピンときた。
 ムウ・ラ・フラガの事だと。
 確かに、先程渡された搬送先一覧表の中に”R−5”の患者の名前が記載されていない。
「本部からの連絡があったのですか?」
 上層部がどういった判断を下したのか?そう思ったアーガスは、艦長にそう訊ねていた。
「現段階では、本部からの連絡待ちだがな。また詳しい事が分かったら連絡するから、艦長室まで来てくれないか?」
 確かに、そう簡単に答えがでるような問題ではないだろう。
 ある程度は予想していた答えに、アーガスは特に驚く事もなかった。
「はい、分かりました」
 アーガスはそう返事をしつつ敬礼すると、艦橋を後にした。



 医務室に戻ってきたアーガスは、他の軍医達と共に担当患者の診察を始めた。
 イエロー・タグのパイロットの点滴を交換し、隣の患者の縫合口を消毒する。
 そして、問題の”R−5”のベットにやってきた時だった。
 そのカーテンがガバッと開き、中からクリスが出てきた。
「あっ、カロワイド大尉!」
 アーガス達がミィーティングに出ている間に、ムウの輸血パックを交換していたようで、彼女の手には空になったそれがあった。
「彼の様子は?」
 それほどすぐに容態が変化するとは思えないが、念の為に確認をしよう……と、アーガスはムウに近づく。
「出血がやっと収まってきたみたいですが、それ以外には特に変化は見られません」
 空の輸血パックを持ったまま、クリスはアーガスの後ろに付いて行く。
 手際よく診察をしていたアーガスも、特にムウの変化を見つける事はなかった。
「そうだな。確かに出血は収まってきたようだが、それ以外は特に変化なし……だな」
 アーガスはそう言うと、手渡されたカルテに現在の容態を記入し、ふうっと溜息をひとつついた。
「大尉……この人、どうなるんでしょうね?」
 突然、クリスからそう問いかけられて、アーガスはカルテから目を上げる。
「こればかりは、私にも分からないよ。そういう事は、上層部が決める事だしな」
「はぁ……」
 クリスは少し淋しそうな表情でアーガスを見たまま、そう呟いた。
「でも」「ん?」
 意を決したように、クリスが小声で口を開く。
「大尉もこの人の噂、知ってますよね?アラスカで”あの艦”に舞い戻ったって話……」
「それは、あくまでも噂だ。事実かどうかは、本人しか知らないだろ?」
「そうですけど……」
 何か釈然としない表情でクリスは答える。
「私だって、出来るならばなんとかしてやりたいよ。けど、この状態ではどうする事もできないだろう?」
「でもっっ!……大尉……あの、私……嫌な予感がするんです」
 だんだん小さくなるクリスの声を聞きながら「あぁ、彼女もそう感じていたのか」とアーガスは心の中で思う。
「あの時の艦長の様子……何か……」
「そこから先は言うな」
 恐る恐る小声で呟いたクリスの予感を、アーガスは小声で抑制する。
「分かっている。でも、私達にはどうする事もできないんだ」
 カルテに目を戻しながら、アーガスは自分に言い聞かせるためにも……と、言い切る。
「大尉……」
 泣きそうな声で、クリスがアーガスを見上げている。
「でもな……この人は今まで何度も、とんでもない状況から生き延びてきたんだ。だから、また奇跡は起こるよ。きっとな」
「生き抜けるでしょうか?」
「私達は、それを……彼の奇跡を祈ってやろう」
「……はい」
 そう言うとアーガスはカーテンの向こうに出て行った。

 
 患者の診察を続けていたアーガスは、仮眠を取りに自室に戻っていた。
 昨日からの激務で、身体は鉛のように重い。
 シャワーを浴びてからベットに横になると、瞬く間に夢の中に落ちていく。
 眠りに落ちていくまでのほんの数分、アーガスはあの患者……ムウ・ラ・フラガの事を考えていた。
 
 彼はどうなってしまうのか。
 このまま、目が覚めないのだろうか?
 もし目が覚めたら、やはり軍から処罰されるのだろうか?
 いや、あれだけの英雄だ。
 上層部の人間達が放っておくはずもない。
 じゃあ、どうなる?
 マクリード艦長のあの態度も気にかかる……。
 しかし、今の自分には彼をどうする事もできない。
 やはり、祈るしかないのか……


 枕元にセットしておいたアラームの音で、アーガスは目を覚ました。
 まだはっきりとしない頭のまま、アラームを止める。
「1時過ぎか……」
 3時間の仮眠では、まだ身体が回復しきっていないのは分かっている。
 しかし、怪我をした患者が待っている。
 アーガスは大きく伸びをすると、無造作に椅子に掛けたままになっていた軍服の上着と白衣を着る。
 そして、冷蔵庫からゼリー状の高カロリードリンクを取り出すと、それを口にする。
「こんな時間じゃ、食堂もやってないしなぁ」
 味気ないとは思うが、何も口にしないよりはマシだ。
 そんな事を思いつつ、デスク上のパソコンを立ち上げようとした。
 その時、部屋の通信機が大きな音で鳴り響いた。
「なんだ?こんな時間に」
 患者の容態が急変でもしたか?と思いつつ、受話器を取った。
「はい、アーガス・カロワイドです」
 事務的な口調で自分の名を告げる。
<あぁ、大尉。起きていたかね?>
 受話器から聞こえたのは、艦長のキエフの声。
 何故、こんな時間に艦長が?と疑問に思いつつもなるべく冷静に答える。
「はい、これから医務室へ向かうところでしたので」
<そうか。では悪いのだが、医務室に向かう前に、こちらへ来てくれないかな?>
 その言葉で「彼の処遇の事だろう」と容易に想像ができた。
「分かりました。では、艦長室までお伺いすればよろしいですか?」
<あぁ。なるべく、他のクルーには見つからないようにな>
「はい。この時間に起きている者は、ほとんどが艦橋クルーでしょうから、その辺りは大丈夫かと……」
<そうだな。では、艦長室で>
「すぐにお伺いします」
 特に何の話かという事の説明はなかったが、直感でムウ・ラ・フラガの件だという事は分かった。
 彼の受け入れ先はどこになったのだろう?
 彼の意識を戻してやる為には、それなりの設備が整った医療機関への搬送が望ましい。
 医師としてムウの身体の事を第一に考えているアーガスは、良い医療機関の名前が艦長の口から出るのを祈りつつ、艦長室へと向かった。

 艦長室のブザーが鳴る。
 デスク上にある通信機を手にすると、モニターにはアーガスが映っていた。
<アーガス・カロワイド、お呼び出しを受けましたので出頭致しました>
「あぁ、入ってくれ」
 そう言うと、キエフは手元のコンソールで入り口のロックを外す。
 ロックが外れるとほぼ同時に、白衣を着用した姿のアーガスが入室してきた。
 キエフが座るデスクの前までやって来ると、アーガスは敬礼をし、再び自身の名を名乗る。
「こんな時間にすまないな」
 それほど悪いとは思ってはいないであろうキエフは、一応、謝罪の言葉を口にした。
「いえ、ちょうどこれから勤務でしたので……」
 対するアーガスも、形式上の言葉を口にする。
「それでだ……例の”R−5”の患者だが……」
 手短に説明したいのだろう。
 いきなり本題に入ったキエフの言葉を、アーガスは緊張した面持ちで待っていた。
「一旦、コペルニクスで患者を搬送するのだが、彼だけは月基地までこの艦で運ぶ事になった」
「え?」
 あまりにも意外な言葉に、アーガスは一瞬たじろいだ。
「でも、月基地は壊滅状態ではないのですか?」
 先の戦闘で使用されたザフト軍のジェネシスが、月基地を破壊した……と聞いている。
 そんな状態の場所で、彼を受け入れてくれる医療機関があるのだろうか?
「君が心配するのも無理はないだろう」
 キエフはそう言うと、自身のデスクに置いてあるパソコンのモニターを反転させて、アーガスの方に向ける。
「破壊されたのは、基地本部があった場所だ。そこから少し離れた場所にある軍の病院は無事だったのだよ」
 モニターに映し出されていたものは、本部からの報告書。
 それを目で追いながら、アーガスはキエフの話を聞いていた。
「プトレマイオス軍事病院は残っているという事なんですね?」
 更に念を押すアーガスに、キエフは「ああ、そうだ」と笑顔で答える。
 それを聞いたアーガスは安堵したのか、溜息をひとつ吐き出した。
「そうか、君は確か……この艦に乗る前の配属先が、プトレマイオス軍事病院だったと言っていたな」
「はい、そうです」
 それで安心した表情だったのか……とキエフは納得している。
「それでだ。まだ意識の戻らない彼を、プトレマイオスに収容させる事になった」
「はっ」
 確かに、最新の設備が整っているプトレマイオスであれば、彼の治療も進むだろう。
 アーガスは1人の医師として、上層部の判断に少し感謝した。
「ただし……これにはちょっと条件があってな」
「条件……ですか?」
 ホッとしたのも束の間、何やら雲行きが怪しい話になってきた事をアーガスは感じた。
「カロワイド大尉とウェルミー伍長は、彼と共にプトレマイオス軍事病院に異動してもらう事になった」
「ウェルミー伍長もですか?」
 アーガスの中で、何かが引っかかる。
「あぁ、正式な異動文書も先程届いた」
 そう言ってキエフは、プリントアウトされた2枚の用紙をアーガスに差し出す。
 受け取ったそれには『アーガス・カロワイド少佐』と書かれている。
 慌ててもう1枚を見てみると、そこに書かれていたのは『クリス・ウェルミー軍曹』の名前。
「あの、これはどういう事ですか?」
 不信に思ったアーガスは、その用紙を見つめながら聞き返していた。
「どういう事とは心外だな。異動と共に、君達は昇進したという事だ」
「……?!」
 そのキエフの態度を見たアーガスは、自分達がとんでもない事に巻き込まれたのかもしれないと感じ、言葉を失った。
「君達の医療活動は、目を見張る物があったからな。それ相応の昇進だ。おめでとう」
 笑って手を差し出すキエフに更なる不信感を感じながらも、アーガスは自身の右手を差し出した。
 キエフはその手を取り、アーガスの肩を叩きながら「あぁ、それからもう1つ」と言葉を付け足した。
「彼の素性の事は、あちらの医師達には知らされていない。だから、君達も彼の素性に関しては何も知らない……という事でな」
「……はぃ……」
 上官の命令に逆らう事も意見する事も、一介の軍医であるアーガスには出来るはずがない。
 苦々しい気持ちで敬礼をすると、アーガスは足早に艦長室を後にした。


え〜っと、とりあえずは、ヤキン・ドゥーエ戦直後を書いてみました。
主役のムウさん、台詞はありません(核爆)
ってか、意識不明ですから、台詞なくても当たり前かと(こら
しかも、オリジナルキャラ出すぎですね(-_-;)
その上、しばらくの間『アーガス・カロワイド』と『クリス・ウェルミー』は出てくる予定です。

次は月に到着してから……の話になるかな?(^^ゞ