プロローグ 3


「ところで……」
 ひとしきり『ムウ・ラ・フラガ』との再会を祝う言葉が艦橋内を飛び交ったあと、思い出したようにマリューが口を開いた。
「話したい事って、何だったの?」
「あぁ、そう言えばそんな事を言ってたよな?」
 何気にマリューの肩を抱きながら、ムウもキラに問いかける。
「メサイアの中で僕が見てきた事なんですが……」
 先程まで笑顔だったキラの表情が、少し曇る。

 静まり返った艦橋の中に、キラの声だけが響いた。

 崩壊しかけたメサイアの中に侵入し、中央コントロール室に辿り着いた時、そこでキラを待っていたのは、議長だった事。
 いつもと同じ涼やかな目元のまま、キラと対峙する議長の姿には、全く罪悪感を感じさせなかった事。

 その時、その部屋にやって来た人物が二人いた事。
 片方は、直前まで刃を交わしていた、レジェンドのパイロットだと感じ取った事。
 真後ろの扉から駆け込んで来たのは、ミネルバのタリア・グラディス艦長だった事。

 希望する未来を、自分の思い通りに創造しようとしていた議長の暴走を、自分ではない誰かが発砲した一発の銃弾が止めた事。 

 発砲したのは、レジェンドのパイロットだった事に、その場の全員が驚いた事。
 でも、撃たれた議長は、駆け寄ったグラディス艦長に抱かれて、本当に幸せそうな笑みを浮かべていた事。
 多分、議長と縁の深い人物であったであろうそのパイロットに撃たれた事にも、議長自身が納得していた事。

「僕にあの人達の過去に何があったのかは分かりませんが、議長が求めていた人が、その最後の瞬間に現れたんじゃないかって思ったんです」
 これは僕の直感なんですけど……と加える。

 そしてキラは言葉を続ける。
 グラディス艦長から頼まれた、大切な伝言を。

「僕は、せめてグラディス艦長だけでも助けたかったんです。
 でも、あの人は毅然とした態度で僕に銃を向けました。『この人の魂は、私が連れて行く』と。だから、僕に一人で行けと」

「議長が求めた、一番大切な人だったのかもな……あの艦長さんが」
 ムウが、ふとそんな事を口にする。
「きっと、グラディス艦長にとっても、議長は特別な人だったのかもしれないわね」
 真相は分からないけど……そうマリューは言いつつ、少し淋しそうにムウを見上げた。

 キラはマリューの方に向き直ると、一番大切な一言を口にする。
「そして、グラディス艦長からマリューさんへ伝言を頼まれたんです」
「え?彼女から私に?」
 マリューが、その言葉に少し驚いた様子で答えた。
「銃を僕に向けたまま、笑顔で『子供がいるから、いつか会って欲しい』と」
「子供?」
 その一言に、マリューが更に驚く。
「あの艦長さん、結婚してたのか?」
 ムウの問いかけに、キラは「結婚統制がありますから、プラントには」と言葉を返す。
 だから、望んだ相手とは違う人と結婚し、コーディネィターの未来の為に子を生したのではないだろうか?

「でも……」
 マリューが淋しげな表情のまま言葉を続ける。
「いくら望んだ相手の子ではなくても、自分が産んだ子ですもの。子供への愛情は変わらないわね、きっと」

 しばしの沈黙の後、ムウが口を開いた。
「その子に伝えなきゃいけないんだよ。世界の暴走を止めたのが、母親だったって事を。
 そして、それを伝えなきゃいけないのは、あの艦長と直接対峙したマリューしかいないんだろうな。きっと、グラディス艦長も俺達と同じ気持ちで戦っていたんだろう……」
「そうだと思うわ、私も」
「えぇ、僕もそう思います」
 だから、僕に伝言を頼んで逃がしてくれたんだと思います……キラがそう締めくくる。

「キラ君、ありがとう。グラディス艦長の意思、確かに受け取りました」
 優しい微笑みを浮かべながら、マリューはキラに礼を述べる。
「約束したんだから、必ず会いに行くよ。あの艦長の子供に」
 と、ムウがキラに誓う。
「ありがとうございます」
 キラは軽く一礼すると、ほっとした笑顔を浮かべたのだった。


 一通り戦闘の報告を受け、とりあえずは残存部隊を率いて、コペルニクスの港に向かう事になった。
 敵味方関係なく、傷ついた者達を収容した艦内は、戦闘が終わったという落ち着きと共に、未だ慌しさも伴っている。

 港に着くまでは……と艦長席を離れようとしなかったマリューに、艦橋のクルー達が口々に休憩を勧めていた。
「でも、まだ完全に戦闘が終わったとは言えないのじゃないのかしら?」
 念には念を……と言いかけて、その言葉は前方を見据えたままのノイマンに遮られる。
「今のプラントの評議会は、文民系や以前の大戦を知っている議員が多くいると聞いています。だから、連邦軍のレクイエムまで持ち出して他国を焼こうとしたあの議長のプランを、今更再始動させようとはしないと思いますよ」
 先程の通信で、エターナルから同じ事を聞いたのだった……とマリューは少し苦笑する。
「コペルニクスまではそれ程遠くありませんし、少しの間ですから休憩して下さい」
 今度は、チャンドラがマリューに言うと、すぐさまミリアリアが席を立つ。
「あ〜、もう、艦長ったら!早く行ってあげて下さい!フラガ一佐が待ってるでしょ?」
 そう言うと同時に、マリューの腕を掴むと、艦橋の入り口まで強引に連れて行く。
「え……ミ、ミリアリアさん?!」
「はい、行ってらっしゃいませ〜!」
 笑顔のミリアリアが、マリューの背中を廊下に押し出す。
 そのまま入り口は閉じられてしまい、マリューは一人苦笑しながら艦長室を目指す事にした。

 艦長室の前で、入り口の暗証番号を手早く入力すると、その扉は静かに開く。
 ふわふわと宙を移動してきたマリューは、部屋の中に芳しい香りが充満している事に気付いた。
「おかえり、マリュー」
 簡易キッチンの向こう側から、ムウが振り返ってマリューにそう告げた。
「やっぱり、ここで待ってたのね」
 マリューがくすくすと笑いながら、その側までやってくると、ムウはその手に保温ボトルを手にしていた。
「さっき淹れておいたんだけどさ、やっぱさ、カップで飲みたくない?」
 そう言うと室内重力設定のスイッチをオンにする。
 ゆっくりと床に足を着けると、ムウは早速、戸棚に固定されていたおそろいのカップを持ってくる。
 ソファーに腰を下ろしたマリューは、目の前でコーヒーをカップに注ぐムウの手元を、優しい眼差しで見つめた。
「インスタントがあったから、それを淹れただけなんだけどな」
 俺は虎さんじゃないし……そう笑いながら、カップを一つマリューに手渡す。
「いいのよ。あなたが淹れてくれたコーヒーならば、インスタントでも」
 ありがとうと告げると、コーヒーを口にする。 

 それは、とても懐かしい味と香りだった。
「美味しい……久しぶりだわ、こんな美味しいコーヒーを飲むのは」
 マリューは手にしたカップを眺めて、嬉しそうに微笑む。
「こんなんで良ければ、これからはいつでも淹れてやるぜ」
 ムウは、ちゃっかりマリューの隣で彼女を抱き寄せながら、そう耳元で囁く。
「じゃあ、お願いしますね」
 上半身をムウに預けながら、暖かいカップをぎゅっと握り締めた。

「グラディス艦長の子供の事だけどさ」 
「え?」
 二杯目のコーヒーをカップに注ぎながら、ムウはマリューに問いかけた。
「会えるかなぁって思ってさ」
 ふと天井を仰ぎ見ながら、ムウが呟く。
「近い将来、きっと会えるわ」
 ムウの手に自分のそれを重ねて、マリューが更に言葉を続ける。
「会わなきゃならないのよ……そして『あなたのお母さんは、世界を救ったのよ』って、ちゃんと伝えてあげないと。それが、私達の義務だわ」
「そうだよな」
 マリューの力強い言葉に、ムウはホッと安心したようにコーヒーを一口すする。
「じゃあ、その時は一緒に行こう、マリュー」
「ええ」 
「彼女の子供の居場所なら、いくらでも探してくれる人がいるからな」
 ほら、虎にこき使われてる、赤い髪のヤツとかさ……とニヤリと笑いながらムウがマリューを見つめる。
「そうね。向こうが嫌だと言っても、会ってくれるまでは諦めないわ」
 改めて、意思の強い瞳でマリューもムウを見つめ返す。

 どれぐらい先の事になるかは分からない。
 それでも、何としてでも会わなくてはいけない……。
 それが、ナチュラルとコーディネィターを繋ぐ、一つの架け橋となれば……という希望を抱いて。

「ところで……」「なあに?」
 しばしの沈黙の後、ムウが口を開いた。
 きょとんとした表情のまま、マリューはムウを見上げている。
「俺が思い出した事、覚えている事……聞いてくれるか?」
 少し目を伏せたまま握り締めたカップを見つめ、ムウが静かにマリューに伝える。
「一気に全部……とは言わないから。整理がついた事からでいいわ」
 ちゃんと受け止めるから、とマリューは優しく彼の瞳を覗きこむ。
 その表情を見たムウは、ほっとした様子でカップの中身を口にすると「順に話すよ」とマリューを見つめ返したのだった。